第103話 王宮への再召喚・五大神の声
宵闇の襲撃から数日後、ノエルの元に王家付の文官が招待状を持って現れた。急だったが、その訪問の翌日には王宮にアルドと共に呼び出されていたのだった。
王宮大広間は、これまでとは違う種類の緊張に包まれていた。
儀式詠唱を行う前、ほかの魔術師や詠唱士と一緒に王宮へ招集された時とは、立場が違う。
あの時は「期待されない有象無象の参加者のひとり」として、ただ名を連ねただけだった。
今日、ノエルとアルドは、緊張した面持ちで列席者に囲まれて、広間に座していた。
「レイダニア国王、アウグスト・フォン・レイダニア十四世陛下の御成り!」
王家の面々が広間に入場を告げる文官の言葉とともに、その場に片膝をついて頭を垂れた。
正面の玉座に王家の面々、今日はエルフリート第一王子だけではなく、アウグスト・フォン・レイダニア十四世、レイダニア王国の現国王も顔を見せている。
国王の左に王妃のエリザベート、その反対側にエルフリートが座る。
数段下がって正面右側には、貴族院の重鎮が宰相のクラウス・フォン・スピツィウス公爵、軍務大臣のグラムベルク侯爵、外務大臣と魔法省を束ねるヴァルト伯爵、ほか財務大臣の姿も見える。
その逆側には、王立魔術学院の学院長であるテオバルト・フォン・グラムベルクを筆頭に、副学院長のヴィナス、教授の中でも古参のフォルクほか、いずれも特級・上級の魔術師がならぶ。末席には、ヴァルト伯爵家の令嬢・クラリッサの姿もあった。
前回の貴族院の重臣、王立魔術学院上層部が居並ぶ中央に、正式に招かれていた。高い天井から差し込む光が、大広間の石床を静かに照らしている。
この場に列席しているフォルクとヴィナスの二人とも、これまでの学院での姿とは違う、儀礼服に身を包んでいる。フォルクの表情には、これまで見たことのない緊張と、それを上回る何かの予感が、同居していた。
アウグスト王が、静かに口を開いた。壮年の、落ち着いた声だった。
「ノエル、アルドの両名。此度は大儀であった。面を上げよ」
「ははっ」とアルドは面を上げる。
「はい……」と緊張が解けぬまま、ノエルも続く。
「此度の儀式について、魔術学院から正式な報告と、神霊側の代表からの声明があると聞いている」
その言葉に、広間の空気が、一段と張り詰めた。貴族院の重臣たちと、魔術学院の面々の視線が、それぞれの方向から、広場中央の二人の元へと集まっていく。
数日前に会議室で行われた儀式詠唱による魔術発動後の検証会議の場でも、表立って報告をしていたヴィナスが立ち上がろうとしたとき、隣に座っていたテオバルト学院長が片手で制した。
代わりに自身が立ち上がると、おもむろに話始めた。
「このたびのグランド・アリアの成功は、ひとえに我ら王立魔術学院の優秀な魔術師の無駄のない詠唱が天の神々に届いたからに違いございません。現に広場中央で詠唱をおこなっていた特級・上級の魔術師で第三層までの儀式は終えており、第四層もまもなくというところまで進んでいたと聞いております。そこな平民の娘は確かに第五層までたどり着いたのかもしれませんが、それも中央で土台を固めていた魔術師がいたからこそでございますれば。ぜひ彼らの功績もお忘れなきよう……」
その発言を横で聞いていたヴィナスとフォルクの表情が曇る。
確かにあの場で広場中央で儀式を執り行って詠唱していた魔術師たちの魔術効果はゼロではなかったであろう。
だが、それらだけでもし、グランド・アリアを発動させたのならば、結果はもっと惨憺たるものだったであろう。回復はほぼ見込めない状態であると。
それを聞いたアウグスト王は、隣のエルフリートに耳打ちする。
エルフリートはそれを聞いて、首を振る。
さらに、宰相のクラウスまでも玉座に呼ばれ二言、三言会話を交わすと、クラウスも首を横に振った。
「テオバルト、確かにあの儀式に携わった魔術師、詠唱士の皆にはきちんと報いようと思う。だが、此度の最大功労者はやはり、そこなノエルであろう。そしてノエルを信じ支えていたのは間違いなくアルド教授であろう、どうじゃ? ヴィナス、我の発言は事実と相違ないか」
苦虫をかみつぶしたような表情で、顔を真っ赤にしている学院長を横目に、さっと立ち上がるとヴィナスは言った。
「聡明なご判断でございます。陛下。相違ございません」
「うむ。では、続けて神霊の代表と申すものは、何処に?」
その言葉を待っていたかのように、天井からまさに光が降り注いだ。まさに、昨日に天空から降り注いだ光と何ら変わらなかった。
* * *
傍らに、ふわりとレイの気配が立った。
これまでのような、人によっては見えない、場合によっては聞こえないという曖昧な気配ではなかった。
広間全体に、魔術の素養がなくても、はっきりと感じ取れる存在として、レイは王宮の広間に姿を現した。
その瞬間、アウグスト王もその重臣たち、学院のものも、誰もが思わず息を呑んだ。
レイの身体は光の粒子をまとい、いつになく高貴で尊い存在に見えた。そのまま重さを感じさせない軽やかさで、ノエルの頭に舞い降りた。
「我が名は、レイ。高位精霊である。本日は、五柱の至高神——ルミナス、ノクス、イグニス、セレス、ガイアスから伝言を預かってきている。この場の皆にそれを伝えに来た」
レイの声は、いつもの軽やかさを保ちながらも、これまでにない重みを帯びていた。
アウグスト王をはじめ列席の皆は、席を立ち、片膝をついてレイに対して頭を垂れる。だが、傍から見ると「レイ」に対してではなく、「ノエル」に対して礼をしているようになってしまっていた。
「レイさん、私の頭の上から降りてくれませんか?」
そんな状況がいたたまれなくなり、そっと頭の上につぶやいた。
「少しの間、我慢しておくれ……悪いようにはしない」
レイは、そうノエルに返すと、声を先ほどの調子に戻し、王や貴族、学院の面々など列席者に向け続けた。
「リトシステムという制度は、三百年前、人間の都合のみで制定されたものであり、我らの意志は、そこに一切、反映されていない」
その一言に、広間中がざわめいた。王家の重臣の何人かが、顔を見合わせた。
「地域精霊、大精霊、中級神、五柱の至高神——それぞれが、そのリトの制度によって、長きにわたり、お前たちに伝える声を奪われてきた。だが今回のこの子の詠唱によって、その声は、ようやく届いたのだ」
フォルクの目に、涙が浮かんでいた。
三十年前、一人で提案し、棄却された問い。その答えが、今、これ以上ないほど公式な場で、確定していた。
彼の肩が、わずかに震えているのが、離れた場所からでもアルドには分かった。長年、誰にも語らずに抱え続けてきた確信が、今、世界そのものによって、公式に裏書きされた瞬間だった。
ヴィナスは、微動だにせず、その声を聞いていた。規定の番人として生きてきた彼女にとって、これは、自分の仕事そのものの土台が崩れる瞬間だった。
だが、その表情には、絶望ではなく、静かな受容があった。十五年間、算定部門で抱え続けてきた違和感が、今、ようやく、正しかったと証明されている。その事実を、彼女は静かに、しかし確かに、受け止めているようだった。
「古代詠唱——リトの規定によって縛られ省略される以前の、本来の詠唱形式は、正統なものとして、ここに認定する。我々はその紡がれる言の葉を愛おしく感じ、大切にしたいのだ」
レイの声が続いた。広間の誰もが、その言葉の重さを、全身で受け止めているようだった。
「今後、リトシステムに代わる新たな制度を、人間側が構築するのであれば、我らの意志を、必ず反映させること。詠唱することで、代償を与える仕組みなどもってのほかである。それが、我らからの要請だ」
アウグスト王は、静粛に受け止めて後、さらに深く頭を下げた。その動作には、王としての威厳を保ちながらも、確かな謙虚さが滲んでいた。
「謹んで、承ります」
その一礼に、広間全体が、静かに追随した。重臣たちも、学院上層部も、誰もが同じように頭を下げていた。
レイは、広間をゆっくりと見渡した。それから、視線を、ノエルとアルドのいる場所へと向けた。
「この声を、この国に届けたのは、そこにいる二人だ」
その一言に、広間中の視線が、一斉に二人へと集まった。ノエルは、少し戸惑ったように視線を落とした。アルドは、その隣で、静かに立っていた。無数の視線を浴びながらも、二人の間には、これまでと変わらない、静かな距離感があった。
「彼らを、正当に評価すること。それも、我らからの要請の一つである」
そこで周囲を見渡すと、レイは声のトーンを低く抑えて告げた。
「以後、ノエル・ブライトガーデンは、組織や国の制約を受けず、この世界へ素晴らしい言の葉、古代詠唱魔術を伝えることを願う。よって、この行動に対し、如何なる邪魔をしてはならぬ」
そして、さらに釘を刺す。
「我々、至高の神はいつでもお前たちのことを見ているぞ。例えば昨日のように、ノエルに手を出すことがあれば、いずれにしても容赦しない」
この発言の直後、貴族員の数人がビクッと肩を震わせたのを、アルドは見逃さなかった。やはり、貴族院の強硬派が手引きしていたのだ。
「そこで、アルドよ。貴殿はノエルを守る騎士として、任ずる。古代詠唱普及の旅は今までと比べさらに過酷な旅となるやもしれん。貴殿の力を今後もノエルの傍で発揮してほしい」
「承知いたしました。ノエルを全力で守りましょう」
「良い返事である。そうだ、アルドがいる限りノエルに危害を加えることは難しいぞ。身に覚えのあるものは、肝に銘じておけ。我らとて、容赦はしない」
先ほど肩を震わせた連中は、生きた心地がしなかっただろう。
「最後に、ノエルよ。また機会があれば、其方の声を聴かせておくれ。我ら神霊はいつも其方の傍にいよう」
レイはそう言い残すと、その気配を、静かに薄れさせていった。
このとき、ノエルは五柱の気配とは別に、自分の頭の上に載っていたレイの影が、別の存在に見えていたような気がしていた。
* * *
至高神五柱の声明が終わった後、広間には、しばらく重い沈黙が続いた。
誰も、すぐには言葉を発することができずにいた。それほどまでに、告げられた内容は、この国の在り方そのものを揺るがすものだった。
最初にその静寂を破ったアウグスト王が、静かに立ち上がり、淡々と宣言をした。
「今日この日から、リトシステムは正式に廃止とする。新たな制度の構築については、王立魔術学院フォルク殿を中心とした再検討委員会に、全面的な権限を委ねることとする」
フォルクが、深く頭を下げた。三十年間の沈黙が、ようやく、確かな形を得た瞬間だった。その背中は、これまで見てきたどの場面よりも、まっすぐに伸びていた。
「そして、ノエル。貴殿には『星天の頂』の称号を与えよう」
傍に控えていた文官が、プラチナと金の刺繍を施した紫色のローブと、魔術師のアイコンでもあるとんがり帽子を抱えてアウグスト王に差し出した。
それを受け取りながら、ノエルに近くにくるよう手招きする。
ノエルは戸惑い、アルドを見る。
ちょうどそのとき、耳元でレイのささやきが聞こえた。
「もらっておきな。もらっておいて損はない」
アルドにも聞こえたようで、力強く頷く。
ノエルは、戸惑い、少し恥じらいながら、王様の前にふたたび跪く。
アウグスト王は、やさしくローブをノエルにかけて、帽子を頭の上に載せた。
「国を、民を救ってくれたこと、深く感謝する、ノエル。これからも研鑽し、よき魔術師とならんことを」
「……ありがとう存じます、陛下。謹んでお受けいたします」
アルドは、その光景を、ただ静かに見守っていた。
主役として語られることのなかったノエルが今ではこんなに立派な立場になった。
広間の誰もが、ノエルとアルドの二人の存在を意識しながらも、あえて多くを語りかけようとはしなかった。
今日という日の重みを、二人に静かに委ねているかのようだった。
再びその静寂を破ったのは、アウグスト王であった。
「ときに、ノエル、アルド。さきほどの神霊が申していたことは、本当か?」
「はい、陛下。王都の路地裏で、賊に襲われたのは昨日のことでございます」と言ってアルドは貴族院の連中を一瞥し、続けた。「私が対処しましたので、ノエルにはケガなく済んでおります」
「そうであったか。アルド卿、其方の剣技、格闘術は魔術学院、いや王国内でも並ぶものがいないと聞く。よく国の宝であるノエルを守ってくれた。礼を言おう」
「勿体ないお言葉にございます」
「ノエル、アルドよ。今後は『古代詠唱魔術』の普及に尽力せよ――」
と言いかけたとき、今まで傍で控えていた宰相、クラウス・フォン・スピツィウス公爵が発言を求めた。アウグストはそれを許す。
「お待ちください、陛下。『古代詠唱魔術』はまだ未知のことが多すぎます。いきなり国内へ普及させるのは、危険かと」
貴族院でも魔術の詠唱に対し保守的な考えを持つ。それは未知のことに対する恐怖だけではなく、攻撃的な魔術が自らに向けられることによる恐怖もあるだろう。
そのなかでも、割と理知的な考えに立っているとはいえ、宰相の懸念もわからなくはない。
「宰相閣下のご懸念はもっともです。 古代詠唱は非効率で、危険性が高い。神霊は“必要な節”にのみ応答するのです。 今回の現象は、偶然か、あるいは……」と、テオバルトが言う。
(ノエルの方を見て、言葉を濁す)
「規定外の詠唱を容認することは、学院として到底認められません。」
「そうです、陛下。軍務大臣としても、『古代詠唱魔術』の普及については、一考いただきたく存じます」と、弟の発言を受けて、グラムベルク侯爵が発言する。「古代詠唱は危険です。 制御不能な魔術の力を国家の中心に置くなど、あまりにも軽率。 今回の“神霊の声”とやらが本物だとしても、 その力が人間に向けられた場合、どう責任を取るのです」
フォルクもヴィナスも反論しようとするが、なかなかその話の輪に入ることができず、苦い思いをしていた。
そのタイミングを見計らったように、ひとりの男が発言を求めた。
「陛下、私に一案がございますれば」
「許す。申してみよ」
「今回のノエル嬢の古代詠唱魔術は、この国へかけがえのない恩恵をもたらしました。ただし、その力があまりにも大きく、一部の方にはそれが気になる、懸念材料になっているかと」
「うむ。今この段階では手放しで古代詠唱を普及、というのは尚早ということか」
「ですので、第三者の客観的な視点を常にノエル嬢の傍に置いて、その安全性と将来性を判断するというはいかがでしょう。ちょうど適任者がおりますれば」
「適任者とな? 誰であるか」
「私の娘、クラリッサにございます。ヴィナス副学院長、いかがでしょう。クラリッサなら公平に判断ができると思いますが」
もどかしい状況に悔しい思いをしていたところに、渡りに舟の提案だった。ヴィナスは即答する。
「はい。クラリッサならば、侯爵閣下の目論見どおり、責務を果たしてくれると信じます。クラリッサ、貴方はどうですか?」
急に話の中心に放り出されたクラリッサだったが、あの広場での詠唱を間近に見ていた当人としては、興味がなかったわけではない。これは千載一遇のチャンスだった。神霊の声が聞こえない私が、買われるかもしれないチャンス。
「副学院長、父上。私は、望まれるであれば、務めてみせましょう」
「ありがとう。どうでしょう、陛下。至高神の願い、我々の願いをともに活かす折衷案かと存じますが」
「ヴィナスの提案を受けようと思う。よい御令嬢に育ってくれたな、クラリッサは」
「はい、自慢の娘でございます、陛下」
「よい。ではこうしよう。クラウス、グラムベルク侯、それにテオバルト学院長。其方らの懸念もよくわかる——」と言って、共感を示しつつ、アウグスト王は本心を告げた。「だが、私はノエル嬢の紡ぐ言の葉に、この国を、世界を賭けてみたいのだ。許せ。私のわがままでもあるのだ。先の神霊の声明は無視できないものであるしな。だから、ノエル・ブライトガーデン。其方には悪いが、必要最低限の監視下に置かせてもらおう。 ただし、何人たりとも、彼女を傷つけることは許さない。アルド、護衛騎士としても、これからノエル嬢を支えておくれ」
アウグスト王はそう言って、広間をあとにした。
* * *
広間を出る廊下で、ノエルがぽつりと言った。
夕暮れに近い光が、窓から差し込んでいる。
「なんか、実感、湧かないです」
「私も、同じです」
アルドが答えた。
声は、まだ新しく、慣れないままだった。
だが、その声で語られる言葉は、確かに、二人の間に届いていた。
* * *
「制度が終わる音は、涙と、静かな一礼だった。
三十年分の沈黙が、今日、正式に報われた」
―― アルド、王宮の廊下にて




