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いまは緑色の芝生  作者: 三号


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ハンドメイド

 カーテンを閉めていなかったから窓から入り込もうとする暗さが壁になっていた。僕がリモコンでテレビを消すと、風変わりなかたちをした風船が弾けてしまったような音がして、それが暗い壁とベッドとテーブルと肘掛け椅子だけしかないホテルの一室の中に空々しく響いた。

 テレビではサッカーの試合をしていた。日本代表と、南米のどこかの国との試合だった。勝ち負けはわからない。ただ、日本代表が得点を入れなかったことだけは憶えていた。それから僕はカーテンを閉めに窓際へ寄った。辺りには何も見えないようで、所々、遠くに灯りが見えた。この部屋はホテルの八階だった。視線を下に向けると、民家の灯りが見えなくもないけど、深夜十時をまわっているだけの時間でこんなに暗い夜なんて、東京じゃ信じられないくらいだった。

 不知不識のうちに僕は手に取っていたカーテンの端を握っていたし、いつでもそれを左右から引いてカーテンを閉めることが出来たのだけど、そうすることで自分がいまいるこの部屋が完全に世界から隔意を持たれてしまって、挙句に二度とカーテンもドアも開けられなくなってしまい、僕が永久にこの部屋から出ることが出来なくなるんじゃないかという不安が襲ってきた。僕はカーテンを握っていた手を開いた。すると少しだけ真ん中に寄せられていたカーテンが反動で揺れた。まるで閉じている窓ガラスの隙間から小人の息みたいな風が吹き込んでいるみたいだった。

 シャワーを浴びようとして、止めた。明日の仕事のことを考えるともう寝なければいけない時間でもあった。しかし睡眠に誘われる心地ではなく、ベッドで横になる気分でもなかった。水遣りを忘れた観葉植物の鉢の中にある土みたいな静けさが僕の心の中に充溢していた。僕はテーブルの上に放り出しておいた携帯電話を手にとって着信を確認する。電話もメールも着ていなかった。ストラップには彼女とお揃いで買った人形が僕のことを笑いながら揺れていた。小さいくせになんでもお見通しの人形なのだ。

 それから僕はテレビをもう一度点けて、消して、そんなことを五回くらい繰り返したあと、やおらクローゼットの中からコートとマフラーを取り出してから羽織った。靴を室内用のスリッパから革靴に履き替えた。部屋を出て、エレベータで一階まで降りた。フロントには誰も居ないだろうと予想したけど、声をかけると奥から年配の男性が出てきて鍵を預かってくれた。あまり遅くなるようなら自動ドアをこじ開けて入ってくれという事を注意された。そこまで遅くなるつもりはなかったけど、さてじゃあどういうつもりなのかも判らなかった僕は、ああそうですかと曖昧に肯いておいた。曖昧なのは便利だけど、曖昧で大きな得をすることなんてないから、長い目で見れば不便なものなのかもしれない。

 ホテルから外に出て、一瞬、首を竦めた。外は寒かった。人も通っていないし、回りには建物も少なかった。ホテルと平行する小道の五十メートルくらい先に大通りがあって、その通り沿いには別のホテルや民家や、既に店じまいをした車のディーラがあったりしたけど、ホテルの前には畑しかなかった。畑に沿って歩いていくと、用水路を渡す橋があって、そこを渡ってみた。橋の上で不用意に木枯らしが吹いても、行く先のあてがなくても僕は引き返そうとは微塵も考えやしなかった。

 そうして、幾つかの角を曲がって、最後に畑の中をピザを切り分ける器具で一直線に切ったみたいな道を進んでいくと片側二車線の陸橋が目の前に横たわっていた。そこの脇に歩道があって、僕のいる畑の道から坂をあがって陸橋へ合流出来るようになっていた。僕は坂を上がった。上がっている途中で、どう頑張って漕いでもまっすぐに進めないような緑色の自転車が脇に転がっていた。きっと五年くらい前からここに捨てられていて、その間に三人くらいは乗ろうとして失敗したように、坂の真ん中あたりに転がっている自転車だった。

 陸橋の上に出ると、流石に車の通りが多くなっていた。街灯が煌々と照っていた。遥か高い上空から、例えば飛行機に乗ってこの道を見たなら、綺麗な直線を描いている様子が見えるだろうと思った。僕は空を見上げたけど、夜空には飛行機なんか飛んでいなくて、綺麗な星空なんて見えるはずもなくて、月を隠してしまった分厚い雲が夜の暗さを増す為に次から次へと、全くどこからか判らないのだけど、湧いてきては動いて、彼方に消えていっている。見渡すかぎり、夜の雲で、考えてみれば夜の雲をこんなに眺めた事なんていままで無かったかもしれない。そうかといって見ていて飽きないものでもなく、僕はまた視線を僕の目の高さに戻して、歩き始めた。どこへ、それは僕が知りたいくらいだった。深夜の散歩というには止め処がなさ過ぎるし、近くのコンビニに夜食を買いに行くにはコンビになんて見当たりもしない。そもそも人の行動の全てに理由なんてないのだ、と僕は自分自身を説得したくなる気持ちを抑えつつ歩いていた。

 ただ、直進している大通りに沿って歩く。そうしている僕の脇を車が何台も通り過ぎていった。ときには後部に巨大なコンテナを抱えたトラックや、客を乗せていった帰りのタクシーや、珍しいところでは自転車に乗った高校生も通った。それらは僕を一顧だにしなかったし、それらから見た僕はただ偶然にこの時間にこの場所を歩いている人というだけの存在に過ぎず、喩えれば電柱だとかガードレールだとか、そういった点景とさして変わらないものに違いないのだった。斯くいう僕からそれらは点景だとするには生々しくて、ひとつの意思があるとするには知らない事だらけで、中途半端に流れているエフエムラジオのディスクジョッキーが話している洋楽の最新ヒットチャートみたいなものであって、要するにあるけどないみたいな極めて禅問答に近いものだということくらいでしか説明出来やしないのだった。

 大通りは、国道何某道らしく標識に書かれている。青色の標識は夜にあっても青い色をしていて不気味だ。信号だって夜のほうが際立っている。結局、夜というのが包み隠すのは灯りのない部分だけのことであって、実は灯りを点けた場所や部分によっては、より存在が際立つものなのだ。暗いステージに射し込んできたスポットライト、その中で踊るダンサーの存在。拍手をする聴衆は自分が他の人から見えないことを知っていて、恥知らずに手を叩いて喜んでいるのだ。

 国道も歩道も、僕が数えてから三つ目の信号を過ぎた辺りから下り坂になっていった。その先はトンネルになっていて、僕は橙色の蛍光灯が光る穴に吸い込まれるようにして入っていった。トンネルに足を踏み入れてしばらくしてから、僕の頭上で、シマウマの群れが肉食動物の狩りから逃れる為に懸命に走っているような足音がした。はじめ小さく、僕の身体にも細かな振動を伝えて近づいてきた音は、やがて耳を劈く轟音になって、そして近づいてきたときと同じように遠ざかっていった。どうやらトンネルの上は線路になっていて、たったいまトンネルの上を列車が通り抜けたようだった。

 下り坂から滑らかに平面になって、それから若干の勾配がある上り坂になる。そして橙色の蛍光灯から逃れるように口を開けている夜の闇は、トンネルから出たばかりの僕の目にはある種の清冽さをもって迎え入れられた。

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