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いまは緑色の芝生  作者: 三号


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レトロウイルス

「邪魔だなぁ、小娘ぇ」

 男は掠れた声を発し、革靴の跡をフローリングの床に残しながら、わたしとお父さんにまた近づいてきた。右手にはわたしの初めて見る銃がその黒く光った銃身に、男の横顔を映している。

「小娘、じゃないわよ。失礼ね」

 わたしの顔は強張っているだろう。自分でも解かる。顔だけじゃない。わたしはお父さんを両腕で抱きかかえたまま、全身が固まっていた。

 お父さんの肩の傷口から流れてくる血はわたしの服に染み付き、広がっていた。血の流れが止まらない。

 土曜日の午後、食事の支度をしていたわたしの後ろで、テレビの野球中継を見ながらくつろいでいたお父さんは、無言で我が家に入ってきた男に突然、撃たれた。どうして、わたしには何故そうなってしまったのか、全く解からなかった。

 お父さんは意識がないのか、眼をきつく閉じたまま、眉間にしわを寄せて肩を激しく上下させながら、苦しげな呼吸をしているだけだった。


 わたしの言葉を聴いて男は、無精髭で覆われた口の片側をわずかに歪ませて、微笑した。


 男との間には、テーブルがあるだけ。テーブルには作りかけのコロッケが載っていた。お母さんに教えてもらった手作りのコロッケ。お父さんはこれが大好きだった。

 周りには、二人分には多すぎる食器が入った棚と、お母さんが居なくなってからはわたしが使うことの多くなったキッチン。長年の汚れで白から薄いクリーム色に変色した天井。フローリングの床は、土足で入ってきた男の足跡ですっかり汚れてしまった。


 いつも見慣れていた毎日の光景、そう、普段通りの日常が穏やかに流れている光景の筈、だったのに。


 今、眼の前に立っている男が現れてから全く別の世界になってしまった。

 男は金と白の中間に染め、伸びるに任せた長い髪を揺らしていた。若干、青みを帯びた眼は少し目じりが下がっている。削げた頬にある薄い無精髭。信じられない色使いの体より二周りも大きなジャケットを着流して、白いTシャツを下に着ていた。男の銃は、そのジャケットの裏側から出てきたのだ。


「困ったなぁ、娘まで殺せとは頼まれていないんだよなぁ」

 男は、銃を持った右手をだらりと垂らしながら、左手で顎の無精髭をなでた。体を左右に揺らしながら。

「頼まれたって……、わたしのお父さんが何で殺されなきゃいけないのよっ」

 わたしは叫んだ。叫んだつもりだったが口から出てきたのは恐怖に震える声だけだった。

 お父さんの呼吸は時間を追うごとに、弱弱しくなっていく。覆いかぶさっているわたしに伝わる体温が、気のせいか冷たくなっていく気がする。早く病院に行かないと間に合わないよ。

 男は、しゃがれた声で息を吐いた。おそらく笑ったのだと思う。

「言えるわきゃ、ねぇよなぁ、なぁ、小娘よぉ」

 男はそう言うと、銃をもっている右手をゆっくりと、ゆっくりとお父さんに向かって上げた。床に向けて揺れていた銃口は、男が狙いを定めると全く動かなくなった。銃口の先には苦しげなお父さんの顔がある。

「やめてえっ」

 わたしはお父さんの全身のどこにも傷をつけさせないように、両腕にありったけの力をこめて抱きついた。


 こんな事で、この世でたった一人の家族を失うくらいなら自分も死んでしまって構わない。


 わたし死ぬの?


 ねぇ、お母さん。


 死んじゃうの? わたし。


 今から、二人でそっちに行くよ。


「じゃあ、こりゃサービスだなぁ」男の銃口は、わたしに向けられた。「小娘よぉ、おまえさんもぉ、殺してやるよぉ」銃弾が今にも出てくるであろう暗い孔と、わたしの視線が合った。

 わたしは銃口から眼を逸らし、眼を閉じる。さよなら。


 なのに、お父さんは、いつ気がついたの、抱きしめていたわたしを、無理やり両腕で力いっぱい突き飛ばして、どうしてこんな事になっちゃったのお父さん、わたしはキッチンの下の収納棚に背中を打って、痛いよお父さん、お父さんは苦しいはずなのに、顔を上げると、肩を抑えながらわたしに微笑んで、「有希」、わたしの名前を呼んで、


 空気が破裂する、音。


 たった今、わたしに微笑んだばかりのお父さんの顔は、粉々になって、お父さんの血と皮膚と脳と眼球と歯と髪が飛び散って、わたしの体に降り注いで、顎から上が無くなっちゃったお父さんは、わたしに向かって吹き飛ばされて、わたしの目に入ったお父さんはわたしの視界を奪ってわたしは顔にべっとりとへばり付いたお父さんを手で撫でて、撫でて、撫でて、撫でて、撫でて、撫でて、撫でて、撫でて、撫でて、撫でて、撫でて。


 そして、わたしは発狂した。

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