透明なアマトリチャーナ
「……デューク? これは……」
皿の上に盛られていたのは、純白の冷製パスタだった。
純白の皿に、純白のパスタ。いやパスタは純白というよりは、そのままだ。ゆで上げたパスタがそのまま皿の上に綺麗に巻かれて鎮座している。
具材らしきものは、細かく刻まれた緑のバジルと、少量の透き通ったオイルのみだった。ちょうど前世でいう「釜揚げうどん」を皿で取ったばかりかのような見た目だった。別にソースがあるのだろうかと思ったが、あるのは3皿のパスタだけだった。
デュークは涼しげなアイスブルーの瞳を伏せ、恭しく一礼した。
「『夏トマトの冷製アマトリチャーナ』でございます」
アマトリチャーナ? アマトリチャーナと言えば鮮やかな赤が目に楽しいトマトのパスタだ。だがこのパスタには赤は無い。真っ白だ。
「パスタを食べ損ねたフォックスウッド公のために、急ぎ裏庭の冷泉で麺を締め、ご用意いたしました」
「ま、待ちなさいよシェフ!」
アリスが身を乗り出す。
「トマトのアマトリチャーナって言ったわよね!? どうして赤くないのよ! これじゃ、ただの冷水にパスタを浸しただけじゃない!」
「まあまあアリス、食べてみようよ」
レオがフォークを手に取り、無邪気にパスタを巻き取って口に運んだ。
次の瞬間、第一王子の目がまん丸に見開かれた。
「――っ!? えっ……!? なにこれ……!?」
「殿下、いかがされましたか!?」
「トマトだ……! ものすごく濃厚な、甘くて、キュッと酸っぱい完熟トマトの味がする! 見た目はただの水なのに、口に入れた瞬間、ブワッとトマトの旨味とバジルの香りが弾け飛んだよ! それにこの塩気とコク……炒めた豚の旨味まで溶け込んでる! どうして!? 赤くないのに、完璧にアマトリチャーナだ!」
レオは2口、3口とパスタを口に運んで感嘆の声を上げた。
「うっま。さすがはエルフの料理。素材の味がガツンとくるね」とレオが満面の笑みで絶賛する。
それを聞いて俺は、フォークを動かす前に口を開いた。
「おいレオ、それは違うぞ」
「え?」
「エルフの料理だから美味いんじゃない。デュークの料理だから美味いんだ」
レオは虚を突かれたように瞬きをし、フッと柔らかく破顔した。
「……あはは。ごめんごめん、その通りだね。――まったく君は昔から、そういう風に人を見てくれるところがあるよね。学園にいた頃から、身分も種族も関係なく」
「昔話がしたいなら後にしてくれ。今はパスタだ」
俺はフォークでパスタを掬い上げ、口へと滑り込ませた。
刹那――脳が混乱を起こした。
視覚が認識しているのは「無色透明なパスタ」。しかし舌の味蕾が感知したのは、爆発的なグルタミン酸の旨味と、突き抜けるような爽快なクエン酸の酸味。そして、冷水でキリリと締められた極細麺の完璧なコシ。
喉を通るたびに、涼やかな快感が駆け抜けていく。
「……完璧だ。そうか、リコピンを完全に排除したんだな」
「ご理解いただけましたか、フォックスウッド公」
デュークが悪戯っぽく口元を綻ばせた。
「そう、以前にアッシュ坊……失礼、フォックスウッド公にご教授いただいた『遠心分離機』の賜物です」
「えんしん……ぶんり?」
アリスが首を傾げる。
「ああ、そうか。遠心分離機まで作ったのか」
デュークが嬉しそうに解説する。いつになく、若干早口だ。
「はい。真っ赤に熟したトマトをミキサーで粉砕し、風と重力の魔法陣を組み込んだ回転容器――遠心分離機にかける。すると、比重の大きい赤い色素や不純物は外側へと沈殿します。さらにそれをペーパーで精密に濾過することで、赤い色素成分だけを完全に分離できるのです」
トマトの赤い色の正体は「リコピン」というカロテノイド系色素だ。リコピンは水に溶けにくく、比重が重いため、遠心分離と濾過を行えば綺麗に取り除ける。
だが、トマトの味の本体である「糖(甘み)」「クエン酸(酸味)」「グルタミン酸(アミノ酸の旨味)」は、完全に水分の中に溶け込んでいる。だから、色素だけを抜けば――
「味と香りだけを残した、『完全に無色透明なトマトのエキス』が抽出できるわけか。それをパンチェッタを炒めて出した油に絡めてソースに」
「さすがアッシュ坊。その通りです」
「へええぇ……!」レオが感心したように皿を見つめる。「色と味って、切り離せるものなんだねえ」
「ああ、切り離せるさ。――そして、それは後から色をつけることも容易だということだ」
俺の言葉に、部屋の空気が微かに揺れた。
俺はテーブルの中央に置かれた、二つの『双頭の鷲の双子硝子』を見やった。
一つは、無色透明な水。
そしてもう一つは、血のように赤く染まった水。
「オルド、厨房からレモン汁と、庭からなるべく色の濃い花を持って来てくれ。――そうだな。王城の庭でも咲いている『青の月見草』が適当だろう。その花びらをすり潰したものを手配してくれ」
「かしこまりました、旦那様」
迅速に運ばれてきた青い液体を前に、俺はレオの赤く染まったグラスを指差した。
「レオ。お前のグラスの水を赤く染めたのは、呪詛でもなければ、神の怒りでもない。もちろん、高度な魔法ですらない。……ただの初歩的な、色素の化学反応だ」




