理科の時間
「化学……反応?」
アリスが怪訝そうに眉根を寄せる。
「そうだ。まあ、『同じことをやれば必ず同じ結果になること』くらいに思ってくれ。この世界には、その性質――『酸性』か『アルカリ性』かによって、劇的に色を変える『色素』って奴が存在する」
俺は青の月見草のエキスを指先につけ、白い小皿に垂らした。
「紫キャベツや、特定の青い花に含まれる『アントシアニン』という色素だ。この色素は通常、青や紫色をしているが、酸性の液体に触れると……」
俺はそこに、レモン汁を一滴垂らした。
とたんに、青かった液体がパッと鮮やかな「赤色」へと変色した。
「あっ……! 赤くなった!」
アリスが声を上げる。
「そう。これだ。これが種明かしだ。カー司教は言っていたな。『この聖水には、教会の庭園で摘み取られた清らかな柑橘の雫が込められている』と。そして毒見をしたオルドも『柑橘の爽やかな酸味がほのかに香る』と証言した。……つまりあの聖水は、最初から微弱な『酸性』の液体だったんだよ」
「うん、言ってたね」レオが頷く。
「犯人は、あらかじめレオのグラスの内側にだけ、このアントシアニン系の色素を、目に見えないほど極薄く塗って乾燥させておいたんだ。多少青みが出るが、砂糖などの無色に近い薄い粉末と混ぜれば目立たない。あるいは、極めて淡い青色なら、あのクリスタルガラスのカッティングに紛れて誰も気づかないだろう。
つまりはグラスの中にはこの色素の粉末があったというわけだ。そこへ、弱酸性の聖水が注がれたらどうなる?」
「赤く……なるわ」
そうだ。溶け出した色素が一瞬にして酸と反応し、血のような鮮烈な赤へと発色したのだ。
「アドリアン殿下のグラスには何も塗られていなかったから、透明なままだった。もちろん、毒見役のオルドのグラスにも。……ただそれだけの、子供騙しの手品だよ」
「な……なんて卑劣な……!」
アリスが拳を握りしめ、ワナワナと震えた。
「レオ殿下のグラスにだけ細工をして、不吉な予兆に見せかけるなんて……! いったいだれが。そんなこと、グラスを用意した皇后様か、あるいは運んだ侍女にしかできないじゃない!」
「おっと、そこまでだアリス」
俺はパスタの最後の一本を吸い上げ、ナプキンで口元を拭った。
「誰が仕組んだか、などという泥臭い宮廷の犯人捜しなんて、俺は興味ない。グラスを用意した皇后陛下かもしれないし、それに便乗したエルミナ殿下の派閥の手の者かもしれない、あるいは教会関係者かもしれない。そもそもあのグラスが、レオを狙って渡されたものかだってわからない。……大事なのは、これが『誰も傷つかない、安全な手品』だったということだ」
俺はレオを見据えた。
「毒を入れるわけでもなく、ただ水の色を変えてお前を『不吉』に仕立て上げただけ。せいぜい、お前を王位継承のプレッシャーから引きずり下ろすための、悪質な嫌がらせだな」
「……なるほどね」
レオは静かに目を伏せ、それからふわりと笑った。
「ありがとうアッシュ。おかげで僕が神様に嫌われてないって分かって安心したよ。……父上にも、うまく説明しておくよ。『手品のような悪戯でした』ってね」
「勝手にしろ。謎は解けたんだ、お前たちもさっさと帰れ。俺はいま食べたアマトリチャーナをじっくり反芻して想いを馳せたいんだ」
俺が冷たく追い立てると、レオは「ごちそうさま、パスタ美味しかったよ!」と手を振りながら、アリスを伴って屋敷を出て行った。
騒がしい連中が去り、ダイニングルームにようやく心地よい静寂が戻ってきた。
――だが。
「やれやれだな……」
俺の心の中に沈殿した澱のような違和感は、パスタの満足感をもってしても、消え去ってはくれなかった。




