食事は誰とどこで食べるかが重要だと思う
王から「国家の命運を分ける通商協定が妥結した」という報せを聞いた時、王に仕える者が思うこととはなんだろうか。俺が真っ先に思ったのは「今回こそは余所で宴会をやってくれ」という切実な願いだった。
「――して、フォックスウッド公。エラリアハイランド国との新たな通商協定の締結、まことに喜ばしい限りではないか。両国の未来を祝し、こうして非公式の昼食会を開くのは実に意義深いことだ。この場の提供、感謝するぞ」
豪奢なマホガニーの長テーブルの最奥、上座に腰掛けた現国王アルトリウス・ヴァレンタイン陛下が、満足げに髭を撫でながら俺に声をかけてきた。
「もったいないお言葉でございます、陛下。ひとえに陛下の御威光と諸卿のご尽力の賜物。その偉業を祝う場として、我が家のささやかな食卓がお役に立てるのであれば、臣下としてこれ以上の誉れはございません」
国王陛下の隣には、穏やかにほほ笑む美貌をたたえたエヴァリーヌ皇后陛下。その次席には、笑みを浮かべつつも鋭い視線を隠さない第二夫人エルミナ殿下が座っている。
皇后陛下の隣でぼんやりと天井のシャンデリアを眺めているのは、我が旧友でもある第一王子、レオニール殿下。あいつ……。ほんとマイペースだな。その対面で、対照的に背筋を伸ばしてまっすぐこちらに視線を向けておられるのが第二王子、アドリアン殿下だ。レオも少しは見習え。
王家の2王子の脇を固めるのは、赤毛を逆立てたハートレイ伯。アリスの父上だ。そしてその正面には、割れた顎が威圧感あふれる水魔法の重鎮シメオン卿。2人はそれぞれ、第一王子派、第二王子派の重鎮と目されている。
さらには温和な笑みで場を調停する国王の懐刀、「霧の賢者」こと宰相モリアン・アドレイ侯。そして、国教ヴェイル=ルーメン教の有力者、アウレリアン・カー司教。
国王一家と宮廷の有力者たち、その他総勢20名が一堂に会する壮観な光景だ。それはそれでいい。好きにやってくれ。好きに飯を食ってくれ。なぜこいつらはいつも、それを俺の家の食卓でやるのか。
その答えははっきりしている。デュークだ。親愛なる王侯貴族の方々は、なんやかんやにかこつけて、デュークの飯を食いたいだけなのだ。それもあわよくば、王家持ちのタダ飯を。
もちろん、歴代の当主も迷惑なので……いや、おこがましいので、やんわりと場の提供の辞退を申し出てきた。安全と機密の確保ができません、という完璧な理由をもって。
だが、やつらの情熱はそれを上回った。壁にはエルフ秘伝の完全防音魔法が敷かれ、床下にはあらゆる盗聴術や遠隔魔術を阻害する魔法陣が張り巡らされた。
つまり、どれほど国家機密に触れる密談を交わそうとも、決して外部に漏れることはない。この場こそが、「最も安全な食卓」というお墨付きを頂くことになったのだ。
おかげで、食い意地の張った権力者たちが「国家の大事」「機密を要する会合」「息子のお誕生日会」などと理由をつけては我が家の食卓を占拠する羽目になっている。まあおかげで、不本意ながら国中の色々な情報が集まる「場」にもなってしまい、歴代当主の仕事に大いに役立っていたそうだが。それも俺にとっては、シンプルに迷惑なだけだ。
だが、今日は許そう。なんといっても今日のランチメニューは俺の大好物「夏トマトのアマトリチャーナ」なのだから。
俺はテーブルの末席で、笑顔を貼り付けながらも厨房の方に神経を集中させる。グラグラと沸き立つ大鍋の気配。ニンニク、そして塩漬け豚の脂がじっくりと熱せられて溶け出す、たまらなく暴力的な芳香。
デュークが仕込んだ夏トマトは、太陽の光を極限まで浴びて濃密な甘みと酸味を蓄えた逸品だ。豚の塩気とトマトのコクが乳化し、アルデンテのパスタに絡みつく瞬間を思えば、この闖入者たちの事など些細なことだ。
厨房の扉の隙間から、純白のコックコートを纏ったデュークが、水晶の振動で時を刻む小さなガジェット――俺の知識を元に作らせた「キッチンタイマー」をセットするのが見えた。
カチ、と小気味よい音が響く。パスタが湯へと滑り込んだ合図だ。
茹で時間はきっかり7分。あと数分で、至高の皿が運ばれてくるはずだった。順調だ。今日こそは……。ん?
「――皆様、神聖なる食事の前に、ひとつよろしいでしょうか」
重々しく口を開いたのは、ヴェイル=ルーメン教のカー司教だった。金糸の刺繍が施された豪奢な祭服の袖を揺らし、銀の小瓶を掲げる。
おいなんだその小瓶は、なんでもいいが7分以内にカタが付くんだろうな?
「本日は両国の和合を祝す良き日。神の光が常に薄きヴェールをまといて我らを守らんことを。……若き二人の王子殿下に、大聖堂より湧き出でる泉の水に、教会の庭園で摘み取られた香草と柑橘の雫を込めた『祝福の聖水』を捧げたく存じます」
「おお、司教殿の聖水か。それはありがたい」
国王が頷く。
カー司教は立ち上がり、俺に視線を送ってきた。俺はにこやかに立ち上がって応じた。
「司教様、申し訳ございません。決まりですので食事会のホストとして毒見を。――オルド」
「かしこまりました」
オルドが一礼し、透明な硝子のグラスをひとつ掲げた。カー司教が小瓶から透明な液体をトクトクと注ぐ。オルドはそれをす……と頭上に掲げ、皆に見えるよう示してから口に含み、飲み干した。
「……異常はございません。喉を清めるような、神聖なる香草の香りと柑橘の爽やかな酸味がほのかに香る、大変清らかな聖水でございます」
「うむ。神の光は純白にして透明。疑いは晴れた」
疑いは晴れたかもしれないが時間は過ぎた。早くしろ。そのなんだかわからん水をレオとアドリアン殿下に飲ませろ。もうレオだけでもいいぞ。口に突っ込んで上向かせろ。あと5分だぞ。急げよ。
俺の会釈に司教が満足げに頷いたその時、皇后陛下が、静かに鈴を転がすような声で口を挟んだ。
「司教様。せっかくの聖水ですもの、器のほうも格式があるものをご用意させていただきますわ。……ちょうど今回の協定の記念として、エラリアハイランドの王家より、友好の証として贈られた名品がございますの。『双頭の鷲の双子硝子』。これを使いましょう」
皇后が合図すると、彼女の侍女が布に包まれた2つの豪奢なグラスを恭しく差し出した。
エラリアハイランドは皇后陛下の生家でもある。その生家から送られた、嫁ぎ先の王家の紋章である双頭の鷲が刻まれたクリスタルグラス。完璧な透明度を誇り、宝石のカッティングのように表面がカットされたそれは、透き通りながらも多彩な光をきらびやかに反射している。
双子硝子というだけあって、2つとも、まったく同じ意匠のグラスだ。なるほど、素晴らしい逸品だ。あと3分になったけど。
侍女が、2つのグラスをそれぞれ王子たちの前に置いた。
「兄上、光栄なことですな」
第二夫人エルミナ殿下の息子であり、聡明で知られる第二王子、アドリアン殿下が嬉しそうにレオへと微笑んだ。
一方、レオはといえば、「かっこいいグラスだけど、グラスなんて何でも水は水じゃない?」と、相変わらず締まりのない調子で肩をすくめている。お前本当に……。
カー司教が恭しく歩み寄り、まずは兄であるレオのグラスへと、銀の小瓶から聖水を注ぎ――
そのときだった。
無色透明だったはずの聖水が、グラスの底に触れた刹那、まるで生き物のように跳ね上がり、ドス黒い、生々しいまでの「真紅」へと変色した。
まるで、絞りたての生血を満たしたかのように。
「なっ……!?」
カー司教が息を呑み、小瓶を取り落としそうになった。
ダイニングルームの空気が凍りつく。いち早く口を開いたのは水魔法を司るシメオン卿だった。
「カー司教、どういうことですかな! まさかその中に何か怪しげなものでも」
「な! 違います。毒見の際には何もおきなかったではないですか。考えられるとすれば……まさか、アドリアン殿下、失礼いたします」
司教は慌てて弟アドリアンのグラスにも聖水を注いだ。しかし、そちらのグラスの水は、底まで澄み切った完璧な無色透明のままだった。
「血の……赤……!?」
司教が呟くと、シメオン卿が立ち上がった。
「なんという不吉な……! ルーメンの教えにおいては、赤は偽りの影、混沌の色! 清浄なるはずの聖水が第一王子殿下の杯でのみ血に染まるとは……! ま、まさか光の神が、第一王子殿下を拒絶しておられるというのか!?」
「め、滅相もない! 何かの間違いです!」
カー司教が青ざめる。
「我が家の炎が有する赤が偽りの色とは聞き捨てならんな。シメオン卿、そのような曲解で我が家だけならまだしも、レオニール殿下までも貶めるおつもりか!」
今度はハートレイ伯が立ち上がる。
エルミナ殿下の瞳に侮蔑と嘲笑の色が宿り、皇后陛下は顔色を失い口元を手で覆った。当のレオはといえば、「うわぁ、綺麗に染まったねえ」とグラスをくるくる回して赤い光を乱反射させている。
場は騒然となり、貴族たちの囁き声が防音魔法の施された部屋に不気味に反響した。国王アルトリウスの顔が、苦渋と怒りに歪む。
「まあまあ、みんな落ち着いて。ここは場を収めるために、僕がこの聖水を飲み干して見せるから。なに、誰かのイタズラで赤くなっただけでしょ」
レオはそう言ってグラスを掲げると、アドリアン殿下が向かいの席から慌てて手を伸ばした。
「いけません兄上!」
だが手は届かない。それを見て、慌ててハートレイ伯がグラスを取り上げる。
「殿下! 軽率なふるまいはおやめ下さい。もしものことがあります」
騒ぎを見ていた国王陛下が立ち上がった。
「……司教。この神意の真偽が明らかになるまで、昼食会は中止とする。皆の者、席を立て!」
「お、お待ちください陛下!」
思わず叫んだのは、誰あろう俺だった。
「パ……」
椅子の背もたれを掴み、喉から声を必死に絞り出す。
「パ……パスタを食べずに、ですか……!?」
国王が一瞬、ピクリと足を止め、厨房の扉の向こう――漂ってくる抗いがたいニンニクとトマトの芳香へと、未練がましそうに視線を泳がせた。喉仏がゴクリと動いたのを俺は見逃さなかった。
だが、賢王としての理性が勝ったらしい。アルトリウス陛下はギリと奥歯を噛み締め、断腸の思いといった形相で吐き捨てた。
「……解散だ! アシュレイ、その2つのグラスは真相を究明するまで、フォックスウッド家にて厳重に保管せよ!」
バタン! と重々しく扉が閉まり、王族と貴族たちが潮が引くように去っていく。
チリリリリン。
静まり返った部屋に、虚しくキッチンタイマーの澄んだベルの音が鳴り響いた。
茹で上がりを告げる、完璧なタイミングの音が。




