お口直しはデザートだけで十分
オルドがテーブルの上の水滴をクロスで拭い取った。
「旦那様、少々アリス様に冷たすぎるのではございませんか? あのような態度を取り続けておられますと、いつまで経ってもフォックスウッド家に女主人を迎えることが叶いませんが」
「お前の中ではどういう前提になっているんだ。オルド、アリスがどうこうではなく、俺の妻になる条件の第一項は『俺の食事を邪魔しないこと』だ。あいつは選考の書類審査の時点で即刻落選している」
俺はため息をつき、皿の上に残った肉を見つめた。
冷めたとはいえ、さすがデュークの作ったステーキだ。タンパク質が硬化していないため、冷めても驚くほど柔らかい。脂の口溶けも滑らかだ。
焼きたて熱々を皿に盛り、切ったそばから肉汁が溢れだす豪快なビステッカも魅力的だが、火入れにこだわった牛肉には、また別の魅力がある。
俺は最後の一切れをフォークで刺す。名残惜しいがお別れだ。口に運んで堪能した。
「……それにしても」
デュークが厨房から歩み出てきて、冷たいアイスブルーの瞳を細めた。
「見事な推理でございました、フォックスウッド公。まさか、私の拙い火入れの工夫が、たまたまハートレイの秘宝の開錠トリックを示唆していたとは」
たまたま、か。今回はそうかもしれない。だが、俺は知っていた。このエルフのシェフが、食事を通じて歴代の当主の仕事を手助けしてきたことを。まあ、いいだろう。
「なに、構造が同じだっただけだ。お前の料理は芸術だが、あの箱の工作はただの小細工だ」
俺は肉を飲み込み、ワインで喉を潤した。
……さて。
アリスの嫌疑はこれで晴れるだろう。王宮警察がいくら無能でも、実際に魔法を使わずに箱を開けて見せ、内部の水滴の事を指摘されればハートレイ家の者による犯行説を維持することはできまい。
だが。
箱の中から盗み出された本物の『真紅の宝珠』は依然として行方不明のままだ。
そして何より――現場に残されていた、あの第一王子レオニールのペーパーナイフ。
ハートレイ家の宝物庫から宝珠を盗み出し、アリスに罪を着せつつ、同時に第一王子を巻き込もうとした黒幕の影。
……第一王子を失脚させて、最も得をするのは誰だ?
そして、なぜ犯人は、これほどまでに「回りくどく」「誰も血を流さない」偽装工作を選んだのか?
まるで……誰かが、王子の身に決定的な危害が及ばない範囲で、彼を王位継承のレースから「安全に脱落させよう」と画策しているかのような――。
「……ふむ」
俺は指先で顎を撫で、微かに目を細めた。
宮廷のドロドロとした権力闘争。その水面下に潜む、奇妙な違和感の波紋。
まだ、ピースが足りないな。
だが、その濁ったスープのような企みの底に沈んでいる「何か」が、確実に動き始めていることだけは確かだ。
「……旦那様? 何か気にかかることでも?」
オルドが訝しげに覗き込んできた。
俺はふっと笑みを浮かべ、ジャケットの襟を正した。
「いや、何でもない。……ただ、宮廷の連中は、コンソメのアク取りのやり方も知らない素人ばかりのようだと思っただけさ」
俺は椅子から立ち上がり、デュークに向かって優雅に一礼した。
「デューク、今夜の料理も素晴らしかった。邪魔が入ったのは災難だったが、お前の腕前には敬意を表するよ」
「恐縮です。ふふ、アッシュ坊。冷めてしまった料理のお口直しに、デザートの準備に入りましょうか。『凍結させたベリーのグラニテと、温かいショコラのムース』をご用意しております」
「素晴らしい。すぐに持って来てくれ。オルド、新しいスプーンを」
国家を揺るがす陰謀の足音がすぐそこまで迫っていようと、俺の知ったことではない。
冷たいグラニテが温かいムースと溶け合う至福の瞬間と比べれば、王国の未来など、胡椒の一粒ほどの重みもありはしないのだから。




