付け合わせの謎解き
「……えっ?」
アリスは口をもぐもぐと動かしたまま、ぽかんと固まった。
「私の箱の……謎……?」
「そうだ。お前はさっき、『この箱はハートレイ家の炎の魔導でしか開けられない』と言ったな。外部から熱を加えれば呪詛が作動し、内部に直接炎を灯すことでしか感熱魔石を反応させられない、と」
「え、ええ。そうよ」
「犯人はな、炎の魔導など一欠片も使っていない」
俺は吐き捨てるように言った。
「お前を犯人に仕立て上げたい何者かが、ごく初歩的な物理法則を使って、極めて安全にその箱を開けたんだ」
「そ、そんなことできるわけないわ! 外部から火で炙ればトラップが発動するのよ?」
「外部から『火で炙れば』な」
俺は立ち上がり、箱の前に歩み寄った。
「オルド、厨房から深鍋と、沸騰した熱湯を持ってこい」
「かしこまりました、旦那様」
手際のいい執事は、またたく間に湯気を立てる大きな寸胴鍋を運んできた。中にはグラグラと沸き立つ熱湯が満たされている。
「アッシュ、何をする気よ!?」
「実演だ。百聞は一見に如かずというからな。……デューク、この箱の防犯呪詛が発動する温度の閾値は見えるか?」
背後で腕を組んでいたデュークが、すらすらと答えた。
「ハートレイの呪詛は、急激な温度変化、具体的には『200℃以上の炎や熱線』を外壁が感知した瞬間に発動するように設定されております。……逆に言えば、それ以下の緩やかな温度変化には反応いたしません」
「さすがはエルフの知恵袋だ。では、内部のロックを解除する感熱魔石の変性温度は?」
「およそ80℃から90℃。魔石の膨張を利用した構造のようです」
俺は頷き、アリスを見た。
「聞いたか、アリス。トラップは200℃以上の炎には反応する。つまりは、ランプの炎や松明の炎、そして炎の魔導であれば生じる『熱さ』くらいだ。逆に言うと、それよりも低い熱には反応しない。……なら、答えは極めてシンプルだ」
俺は両手に皮の手袋をはめると、アリスが悲鳴を上げる間もなく黒鉄の箱を抱え上げ――そのまま、熱湯が波打つ寸胴鍋の中へとドボンと沈めた。
「きゃあああっ!? アッシュ、何してるのよ! トラップが発動しちゃうわ」
アリスは頭を抱えてテーブルの下に潜り込んだ。
だが。
数秒経っても、数十秒経ってもトラップは発動しなかった。
寸胴鍋の中では、沈められた黒鉄の箱の隙間から、ポコポコと小さな気泡が立ち上っているだけだった。
「……あ、あれ? 発動……しない?」
「当たり前だ。熱湯、つまり水の温度は通常100℃を超えることが無い。それ以上になると蒸発するからな。200℃をトリガーとする防犯呪詛ならば、たかだか100℃以下の温度の湯では反応するはずがない」
まあ、温度の目測を間違っているかもしれないが問題ない。そもそも、この部屋の床には魔術阻害の術式を組み込んだ魔法陣が敷いてある。トラップ自体の発動も阻害されるだろう。
俺は優雅に席に戻り、再びステーキを切り分けて口に運んだ。
「うむ、やはり美味い。……さて、熱伝導の勉強だ、アリス。金属というのは熱を伝える性質がある。箱の外側が100℃の熱湯に浸かっていれば、熱は装甲の鉄を伝わり、ゆっくりと、しかし確実に内部の空間へと浸透していく」
「あっ……!」
「そう。ステーキを58℃の湯に沈め、じっくり時間をかけて中心まで完全に58℃になるよう火を入れるのと同じだ。この箱を100℃の湯に30分も沈めておけば、内部の感熱魔石も80℃くらいには達するだろう。……そして、どうなると思う?」
カチリ。
鍋の底から、重厚な金属の噛み合う音が、静かに響いた。
次の瞬間、水圧に押されて、箱の分厚い上蓋がフワリと数ミリ持ち上がった。ロックが解除されたのだ。
「開い……た……」
アリスはテーブルの下から這い出し、信じられないものを見る目で鍋を見つめた。
「炎の魔導を使ってないのに……ただの、お湯で!? で、でもアッシュ、どうしてそれが分かったのよ!?」
驚愕と困惑に目を見開くアリスに、俺はナイフとフォークをカチャリと置き、傲然と言い放った。
「肉だ」
「肉……。肉って何」
「じっくり低温調理で火を入れ、仕上げにオイルで揚げる事によって香ばしく焼き目を付けた今夜のメインディッシュが、小細工を弄したお前のその箱と同じだったわけだ」
「に、肉とおんなじ……?」
「そうだ。犯人は昨夜、宝物庫から盗み出した箱を熱湯に沈めて開けたんだ。ロックが外れたところで蓋を開け、中の『真紅の宝珠』を抜き取り、代わりに第一王子のペーパーナイフを放り込んだ。そして蓋を閉め、宝物庫の前に捨てた」
俺は立ち上がり、オルドに合図を出した。
「オルド、鍋から箱を引き揚げて、水気を拭き取ってくれ」
「かしこまりました」
オルドが両手に持ったトングで箱を引き揚げ、手早くリネンで表面の水分を拭き取った。
俺はその箱の上面、古代文字が刻まれた装飾の隙間を、ナイフの先でツンツンと指し示した。
「アリス、さっきお前がこの箱を置いた時、俺が何を見ていたと思う? ここだ。表面のレリーフの突起部分だけに、不自然に黒い煤が付着していただろう」
「え……? あ、そう言えばそうだったわ……。溝の奥には煤がなくて、出っ張ったところだけが黒くなっていた」
「そう。本当に内部から高熱の炎を放ったなら、熱は内側だけに展開される。内側が激しく焦げることはあるだろうが、外側の凸部分が焦げることはあり得ない。つまりそれは、後から松明か何かで表面だけを炙って『炎魔法を使ったように偽装した』痕跡だ。……まさに、仕上げに表面だけを強火で焦がしたステーキの焼き目と同じだな」
さらに、俺は箱を傾け、テーブルの天板を指差した。
「そして、お前が最初に箱を置いた時にできた、この丸い濡れ染みだ。……今朝、お前が宝物庫で箱を発見した時、周囲はどうだった?」
「あ……!」
アリスは息を呑んだ。
「そ、そういえば……宝物庫の床に、小さな水たまりができていたわ……! 警備の騎士たちは、夜露か犯人の汗だろうって言ってたけど……」
「馬鹿馬鹿しい。汗で水たまりができるか。この箱は頑丈だが、完全密閉の防水構造じゃない。熱湯に沈めた際に水分が隙間から侵入したんだ。犯人は表面は乾かして焦げ目をつけたようだが、内側に染み込んだ水滴までは拭いきれずに漏れ出したのさ」
俺は深く息を吐き、ワインを喉へと流し込んだ。うまい。濃厚な肉汁がワインの渋みで化ける。
「わざわざ偽装工作などしたということは、犯人は炎の魔導など使えない人間だ。そして、熱湯と松明を使ってハートレイ家に濡れ衣を着せ、さらに第一王子の私物を仕込むことで、宮廷の勢力争いに火をつけようと企んだ。……実に姑息で、回りくどく、そして幼稚な手口だよ」
「アッシュ……!」
アリスの瞳に、大粒の涙がにじんだ。だが今度は恐怖ではなく、深い安堵と歓喜の涙だった。
「ありがとう! これなら、王宮警察にも証明できるわ! 箱の内部に残った水分と、焦げ跡の不自然さを突きつければ、少なくともそんな痕跡を残すのは私じゃないって明らかになるもの!」
「ああ。さっさとその鉄屑を持って王宮へ行け。そして王宮の無能どもに、講義してやってこい」
「もう、そんな偉そうなことはしないわ。……でもありがとうアッシュ。本当にお礼のしようもないわ。私、あなたを見直した……ちょっと惚れ直したっていうか――」
「おい、アリス」
「えっ?」
何だか知らないが急に俺の手を握ろうとしたアリスを、俺は冷たい眼差しで制止した。
「礼ならいいから、代償を払え」
「だ、代償……?」
「お前のくだらない茶番劇のせいで、せっかくのディナーの喜びが半減してしまった。……この損害は高くつくぞ。そうだな……。ハートレイ家のセラーに眠っているヴィンテージワインを、3本くらい持ってこい。それでチャラだ」
「……あ、あんたって奴はーーーーっ!!」
アリスは再び令嬢にあるまじき声で叫んだ。
「人の命と家の危機を救っておいて、最後の最後でどうしてそうやって台無しにするのよこのバカ! 食い意地公爵! 最低! 馬鹿! ワインなんて樽ごと頭からぶっかけてやるわよーーっ!!」
アリスは箱を風呂敷に包み直すと、涙目になりながら凄まじい勢いでダイニングルームを飛び出していった。
バタン! と乱暴に扉が閉まる。
「オルド、騒がしい闖入者だったな……」
「はい。逆にその騒がしさがチャームポイントにも感じる闖入者様でしたな」
「なんだそのフォローは」
オルドは素知らぬ顔で横を向いた。
とにもかくにも、屋敷の中に再び静寂が戻ってきたようだ。




