ご依頼は火入れの間にお願いします
「――で? 頼みってのは?」
「え? 聞いてくれるの?」
「仕方ない。手短に頼むぞ。できればデュークの火入れが終わるまでに」
俺は椅子に深く腰掛け、めんどくさい態度を隠せないまま脚を組んだ。これくらいは許して欲しい。
アリスは隣の席に案内され、オルドが淹れたカモミールティーを両手で握りしめている。
厨房の奥では、デュークが真っ白なコックコートの袖をまくり、何やら大鍋の前に陣取って作業をしている。……鍋? 火入れなのにフライパンやオーブンではなく? ものすごく気になる。厨房に見に行こうと腰を浮かしかけた時、アリスが話し始めた。俺はもっともらしい顔を作って椅子に座り直した。
「……我がハートレイ家が、今度の建国記念祭で王家に献上するはずだった国宝、『炎封の箱』が昨夜、うちの宝物庫から盗み出されたの」
アリスは震える声で切り出した。
「盗まれた? お前が大事そうに持っているその箱じゃないのか?」
「今朝になって、宝物庫の前に無造作に転がされていたのよ! でも……中身が、中身が空っぽだったの!」
アリスは抱えていた箱をテーブルに乗せた。
その箱は一辺が30cmほどの、重厚な黒い金属と銀の装飾で作られた立方体の箱だった。鍵穴の類は一切なく、表面にはびっしりと古代文字の魔法陣が刻まれている。
重々しい音を立ててマホガニーのテーブルに置かれたその箱の底から――ポツリと、わずかな水滴が滴り落ちた。磨き上げられた天板の上に、小さな丸い染みが一つ広がる。
さらに、目を凝らすと奇妙な違和感があった。箱の表面に施された細かなレリーフの『突起部分』だけに、不自然に黒ずんだ煤がこびりついているのだ。
……ふむ。俺の視線が一瞬その違和感を捉えたが、厨房から漂う芳ばしい香りが思考をすぐに引き戻した。肉。あの肉がもうすぐ目の前に。
「中に入っていたのは、我が家に代々伝わる『真紅の宝珠』よ。王家と我が家の盟約の証となる、かけがえのない至宝。……でも、盗まれただけならまだ泥棒の仕業で済んだわ。問題は、この箱のロックの仕組みなの」
アリスは悲痛な面持ちで、箱の上面を指差した。
「知っての通り、この『炎封の箱』は、我がハートレイ家の直系にしか開けられない絶対不可侵の防犯機構を持っているわ。箱の外側は『熱吸収と防護の呪術』で守られていて、外部から炎で炙ったり、無理に破壊しようと熱を加えたりすれば、即座に箱から捕縛用の魔法の鎖が飛び出してくる呪いが発動するわ。
箱を開ける唯一の方法は、箱の内部、厚さ5センチの装甲の奥にある特定の空洞に、魔導で直接『一定以上の熱量を持つ炎』を灯すことだけなのよ」
「内部の空間に、炎魔法をピンポイントで遠隔発生させるわけだな。ハートレイ家の得意技だ」
「ええ。内部にある『感熱魔石』に一定以上の熱が加わると、魔石が変性して内部の閂が外れる構造になっているの」
一種のサーモスタットのような仕組みなのだろう。その仕組みを魔石を使って作り上げている、と。なるほど。
「外部からの熱は呪いで遮断され、内部に直接炎を灯せるほど炎の発生位置をコントロールできるのは、ハートレイ家直系の血筋の私と父様だけ。……そして昨夜、父様は王宮の夜勤で完璧なアリバイがあったの」
アリスはぎゅっと唇を噛み締め、俯いた。
「今朝、宝物庫の当直だった騎士たちが、箱が開けられているのを発見したわ。内部の魔石は変性し、ロックは完全に解除されていた。……王宮警察や宮廷の上層部は、犯行時刻にアリバイがなかった私を、『宝珠を横領し、王家への不忠を働いた容疑者』として拘束しようとしているのよ」
「なるほど」
俺は紅茶に口をつけ、冷ややかに呟いた。
「ハートレイ家の炎の魔導を使えるお前が、夜中にこっそり宝物庫に忍び込み、箱を開けて中身を盗み、箱だけを戻した……と。状況証拠としてはこれ以上なく真っ黒だな」
「私じゃないわよ! 誓って私はやってない! そもそも、私には宝珠を盗む動機なんてないもの!」
「動機の有無など、宮廷の一部の連中には関係ないさ。あいつらは、お前という『都合の良い犯人』を仕立て上げられれば、それで満足なんだからな」
俺は天井を見上げた。
……ふむ。宮廷の一部の連中、か。
ハートレイ伯爵家は、次期王位継承において第一王子レオニールを支持する派閥の重鎮だ。その令嬢に横領と不忠の罪を着せることができれば、誰が得をするか。実に安直で、馬鹿らしい権力闘争の臭いがプンプンする。
だが、そんなことよりもだ。
「おい、アリス。お前、さっきから大事なことを隠していないか?」
「えっ……? な、何をよ」
「宝珠が盗まれたと言ったが、盗んだ箱をわざわざ返しにくるだなんて、中は本当に『空っぽ』だったのか? 何か、代わりに残されていたものはなかったのか?」
アリスは息を呑み、怯えたように視線を泳がせた。
「そ、それは……」
「隠すな。俺はお前の悩みを一刻も早く解決してあげたいんだ(肉のために)。正直になんでも言ってくれ」
「アッシュ……」
一部のメイドがざわつき、オルドが眼鏡を光らせてクイっとやっている。なんだ。どうした。アリスもなぜか頬を赤らめているが、もじもじとドレスの隠しポケットから小さな布包みを取り出した。
「……確かにあったわ。宝珠の代わりに、箱の中にこれが入っていたの」
テーブルの上に広げられたのは、繊細な銀細工が施された、一振りのペーパーナイフだった。
柄の部分には、ヴァレンタイン王家の紋章である「双頭の鷲」と、見覚えのある筆記体で、あるイニシャルが刻まれている。
『L・V』――第一王子、レオニール・ヴァレンタインの私物だ。
「……なるほどな」
俺は思わず、笑いを漏らしそうになった。
なるほど、そういう筋書きか。
第一王子の私物を現場に残すことで、「アリスが第一王子の指示で宝珠を盗み出した」、あるいは「第一王子自身がアリスの手引きで宝物庫に侵入した」と見せかける偽装工作。
……実に回りくどく、そして芝居がかっている。見え透いた三文芝居の小道具だ。
だが、この証拠が公になれば、第一王子レオニールに対する心証は低下し、たとえ濡れ衣でも娘が王宮警察に拘束までされたハートレイ家は今後、強い発言をしにくい立場になるだろう。
「アッシュ、これが見つかったら、私だけじゃなくてレオニール殿下まで……! お願い、どうにかして箱を開けた方法を証明して! 私たちの知る限り、この箱を開けられるのは、ハートレイ家の炎の魔法だけなのよ!? でも、私は誓って開けていない。じゃあ、私以外の誰が、どうやって開けたっていうのよ!」
取り乱して俺のジャケットの袖に縋り付こうとするアリス。
だが、その手が俺に触れる直前、厨房の方から「チリリリン」という、心を躍らす澄んだベルの音が鳴り響いた。
「――お待たせいたしました」
神々しいまでの静寂を纏って、デュークがワゴンを押しながら現れた。
ワゴンの上には、銀の大きなドーム状の蓋が鎮座している。その隙間から漏れ出してくる芳香に、俺の鼻腔と胃袋が歓喜の痙攣を起こした。アリスの訴えをあっという間に横に置いてきぼりにして。
「フォックスウッド公。本日のメインディッシュでございます」
デュークが恭しくクロッシュを持ち上げる。
「『角魔牛ランプ肉のロースト、58℃の静寂とメイラードの黒鎧と共に』――どうぞ、温かいうちにお召し上がりください」




