正義の名の元に
晩餐会の開催から3日が過ぎた日だった。
そろそろランチの時間かと、いそいそと食卓の席に着いた俺の目の前にあるドアが、またしても音を立てて派手に開いた。
「アッシュさん! 大変です。母さんが……母さんが!」
フォックスウッド邸のダイニングルームに、息を切らし、涙で顔をぐしゃぐしゃにしたジョンが飛び込んできた。その後ろからは、めずらしく引き締まった顔のレオが続いている。お前か。またお前が門を開けたのか。その双頭の紋章はここに置いて帰れ。ジョンは置いて今すぐ帰れ。
「落ち着けジョン。呼吸を整えろ。何があった」
俺は淹れたてのハーブティーのカップを少年の前に滑らせた。が、ジョンは涙を拭くばかりで声が出ない。
「レオ、何があった。王宮で火事でも起きたのか?」
「アッシュ、火事どころじゃないんだよ」
レオはコートを脱いで椅子に腰掛け、眉間を固く揉みほぐした。
「一昨日の朝――つまり、晩餐会の翌日の朝方に、エラリア国の使節団10人のうち、団長を含めた8名が滞在先の迎賓館で一斉に倒れたんだ。激しい呼吸困難と血圧の低下、全身の浮腫と発疹。危篤状態に陥っている人まで出ている。今も王宮の治癒魔導士たちがつきっきりで心臓を動かしている状態だよ」
「……なに?」
俺は眉をひそめた。
「エラリアの使節団『だけ』が、か?」
「そうなんだ」
レオが重々しく頷く。
「晩餐会には父上や母上、僕やアド、それにヴァルドレンやハートレイなど四つの構成国の重鎮たちも同席していた。だが、倒れたのはエラリアの人間だけだ。あ……いや、違うな。アドも『少し胃が重い』と言って翌朝から部屋で休んでいるけれど、使節団のような命に関わる症状じゃない」
「エラリアは、連合王国にとって外洋の防衛を一手に担う最重要の同盟国だ。しかも皇后陛下の生家にもあたる。そこの要人たちが王宮の晩餐会で全滅しかけているとなれば……」
「うん。王宮警察と宮廷上層部は『エラリアを標的にした意図的な毒殺未遂テロ』と断定した。そして――」
レオが視線を落とす。ジョンがテーブルに突っ伏し、堰を切ったように泣き叫んだ。
「母さんが……母さんが捕まっちゃったんだ! 晩餐会の全メニューを統括していた総責任者だからって、毒を盛った容疑者として地下牢に連行されて……! 母さんは毒なんて絶対に盛らない! あんなに、みんなが笑顔になれるようにって祈りながら料理を作っていたのに……!」
「……なるほどな」
俺は腕を組み、思考を巡らせた。
毒殺とは大げさだ。考えられるのは食中毒か? いや、晩餐会から発症までに半日ほどのタイムラグがあることを考えると、通常の細菌性食中毒ではないだろう。
聞く限り、症状は呼吸困難や血圧低下、全身の発疹。だとすればアナフィラキシーの可能性が高いか。いや、アナフィラキシーならアレルゲンを口にすればすぐに症状が現れるはずだ。
なにより不可解なのは、同じ料理を口にしたはずの他国の人間や王族が無傷で、エラリアの使節団「だけ」が一斉に倒れたという点だ。そんな狙い撃ちのできる都合のいい食材などあるか? とすると、やはり狙い撃ちの毒だろうか……。
「アッシュ、頼むよ」
レオが真剣な眼差しで俺を見つめてきた。
「母上もエラリアの出身だから、祖国の使節団が倒れたことで酷く取り乱していらっしゃる。宰相殿や警察の上層部は、このままグラン・シェフの独断による凶行として幕を引こうとしているんだ。もうヨーコさんを救えるのは、君の知恵しかないんだよ」
「おいおい、俺はただの公爵家当主だぞ。お門違いだ。俺だってヨーコシェフがそんなことをするなんて思っていないが、毒物捜査なら警察の鑑識の役目だろ。ほら、ジョンも涙を拭け」
俺が2人を諭してもう一度王宮警察に掛け合うように促そうとした時、レオがぽろりと漏らすように呟いた。
「ヨーコさんが拘束されたことにより、王宮の厨房機能は麻痺してるだろうなあ」
「ん?」
「そうなると、フォックスウッド家に定期的に届けられていた王室農園の供給ルートも、完全に差し止められるだろうな。今は極上ルバーブと越冬キャベツの季節だけど」
「なん……だと……?」
「デュカリエル様が楽しみにされていた、ヨーコ様特製の3年熟成味噌の樽も、証拠物件として王宮警察に押収されるんだろうなあ。あーあ」
ピキリ、と俺の脳内で何かがひび割れる音がした。
「……オルド」
「はっ」
「王宮警察の無能どもに伝えてこい。『至急事実関係を精査すべし、もしこのままヨーコシェフを不当に拘束するのであれば、公爵家としての一切の協力・支援、そしてフォックスウッド家の食卓での食事を今後一切お断りする』と」
「かしこまりました」
オルドがダイニングから出ていくと、俺はジョンの肩を力強く掴んだ。
「ジョン、安心しろ。ヨーコシェフの濡れ衣は必ず俺がなんとかする。――フォックスウッド家の正義に誓って」
「ありがとうございます!」
よし。なんだかレオが悪い顔をしているが構うものか。正義の旗の下、フォックスウッドの家名に恥じない行いをするだけだ。しかし、どこから手をつけたものか……。
なぜ口にした直後ではなく半日後なのか?
なぜエラリアハイランド人だけなのか?
そして、なぜアド殿下だけが軽い腹痛を起こしたのか?
そのときだった。
厨房の引き戸が開き、えも言われぬ、香ばしく甘やかなアロマがダイニングを満たした。
「皆様、議論の途中に失礼いたします」
ワゴンを押して現れたデュークが、穏やかに一礼した。
「取り乱していては、働くべき頭も働きません。フォックスウッド公、レオニール殿下、そしてジョン君。まずは腹を満たすといたしましょう」




