俺の正義とお前の正義
正義とは人の数だけある、という。俺の正義と他人の正義。どちらが正しいだとか間違っているとかではない。正義は正義だ。それは料理にも言える。断言しよう。料理において「滑らかさ」とは1つの正義だ。
舌の上で粒子を感じさせないほどの微細さ。喉を滑り落ちる際の快楽。そのためなら、人は裏漉し器に全体重をかけ、腕が痙攣するまで泡立て器を振り続けるのだ。
そして人は、いや、エルフでさえ、正義のためには無謀な挑戦へとその身を投じるのだ。躊躇うことなど思いもせずに。
ウゥウン……シュィィィィン!
フォックスウッド邸の厨房に、低い駆動音が一瞬だけ唸り、次の瞬間、甲高い回転音が響く。
金属製の堅牢なシリンダーに固定されているのは、俺の知識を元にデュークがエルフの工芸技術と風・回転の魔法陣を組み込んで作り上げた特製器具――「魔法式冷凍粉砕機」こと「フロージェット」だ。
-20℃以下に完全凍結させた食材の塊を解凍することなく、風の魔導で高速回転する超硬質刃を使ってミクロン単位に削り落とす。細胞壁を粉砕された食材は、摩擦熱で溶ける暇もなく、純白の空気と共に極上のピューレへと昇華するのだ。
「きゃっ、すごい音……!」
「フフフ。2,000rpmの高速回転。つまり1分間に2,000回転だ。もし触りでもしたら、お前の綺麗な指先が極上のタルタルステーキになるぞ」
「物騒な例え方しないでよ!」
頬を上気させて魔道具を見つめているのは、エプロン姿のハートレイ伯爵令嬢、アリスステラだ。
なぜ公爵家の厨房に伯爵令嬢がいるのかといえば、デュークから「冷菓の極意」を教わるためらしい。どうやら近々ハートレイ家で開かれる夜会で、自作のデザートを披露したいのだとか。
厨房の扉の陰からは、メイドのノーラいわく「アリアシュを愛でる会」の面々が、『手取り足取りして』『チョロすぎて滅』などと書いたうちわを手に笑みを浮かべている。なんなんだお前ら。いつのまに結成したんだそんな会。
「はい、止まりましたよ、アリス様」
白いコックコートに身を包んだデュークが、長身を屈めてシリンダーのロックを外した。
銀の容器の中から現れたのは、木いちごの鮮烈な深紅を湛えた、息を呑むほど滑らかなアイス――いや、ジェラートだ。
凍った果実とシロップをそのまま削り出したそれは、空気を含んで淡雪のようにふわりと盛り上がっている。
「す、すごい……! 氷の粒がひとつも見えないわ! まるで絹の布地みたい……!」
「どうぞ、冷たいうちに味見を」
デュークから銀のスプーンを受け取ったアリスが、一口すくって口に運んだ。
次の瞬間、エメラルドの瞳が見開かれ、とろりとした吐息が漏れる。
「んん……っ! 甘酸っぱい果実の香りが、舌の熱で一瞬で爆発したわ……! 冷たいのに、全然ザラザラしない……!」
「うむ、よくできたな。どれ、俺にも一口」
俺がアリスのスプーンに顔を寄せようとすると、厨房の勝手口がガタガタと音を立てて開いた。
「ちわーっす! フォックスウッドの旦那、頼まれてた獲物を持ってきたぜ!」
豪快な声と共に現れたのは、大剣を背負った赤茶色の短髪の男、専属冒険者のローワンだ。その背後から、アッシュグレイの髪をポニーテールにしたレイピア使いのリサンドラが、無駄のない所作で巨大な木箱を台車に乗せて滑り込ませてきた。
扉の陰の方から舌打ちが聞こえた気がしたが気のせいだろう。
「角魔猪のロース肉、30キロよ。オーダー通りにレイピアで急所を一撃して、血抜きは川の清水で完璧に済ませてあるわ」
「素晴らしい。さすがリサリサ殿、見事な放血処理です」
デュークのアイスブルーの瞳が満足げに細まる。
そしてもう1人、冒険者たちの後ろから、泥のついた麻袋を両手に抱えた小柄な少年が駆け込んできた。
「ハァ、ハァ……! お、遅くなってすみません! 王宮御用達農園の朝採れカブと、根菜類、それに母さん自慢の白大豆をお届けに上がりました!」
汗を拭いながら頭を下げたのは、ジョン・ポキューズ。13歳。
王宮のグラン・シェフであり、野菜料理に造詣が深いヨーコ・ポキューズシェフの息子だ。将来は母と同じ料理人を目指し、見習いとして王宮厨房で働いている。デュークはヨーコシェフと交流があり、その縁でフォックスウッド家にも王家の菜園で育てた野菜を卸して貰っているのだ。
「精が出るな、ジョン。お前が選ぶ野菜はいつも筋張っていなくて助かるよ」
「フォックスウッド公爵様! ありがとうございます! ……あ、あの、実はですね!」
ジョンは少年らしい素朴な顔をパッと輝かせ、誇らしげに胸を張った。
「母さんが……母さんのヨーコ・ポキューズが、今度の王宮懇親晩餐会の総責任者を任されたんです!」
「へえ、連合王国の4構成国と、隣国エラリアハイランドの使節団を一堂に集める、あの国家晩餐会か」
「はい! 母さん、構成国の人たちや、エラリアハイランドの人たちを料理で仲良くさせるんだって、張り切ってて! 寝る間も惜しんでメニューを練り上げているんです。今回だけは厨房の段取りが変だってぼやいてましたけど。……僕、母さんの料理人としての背中が、本当に誇らしいんです」
純粋な尊敬と熱意に満ちた少年の瞳がまぶしい。
カーター=フェルド連合王国を構成する4つの構成国。第2夫人エルミナ殿下の生家でもあるヴァルドレン山林王国、アクアリス水環領邦、ハートレイ炎峰伯国、カー=ルーメン聖光公国、そして皇后陛下の生家でもある隣国のエラリアハイランド国。この5国の使節団を年に1度、王領ヴァレンティアに招いて開催される王宮懇親晩餐会は重要な国家行事の1つだ。
その名誉ある場で、料理人が己の技術で国家の融和を成し遂げようとする。実に美しい話だ。ジョンが誇らしいのも当然だろう。
「ヨーコシェフの手腕なら素晴らしい晩餐会になるだろうな」
「ええ、あの方の野菜料理はまさに芸術ですからね。私も参加したいくらいです」
「はいっ! 伝えておきます!」
この時の俺は、その誇らしき大舞台が、数日後に悪夢の晩餐会へと反転することなど、予想だにしていなかった。




