↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
食卓の探偵 〜美食を愛する転生公爵は肉が冷める前に謎を解きたい〜  作者: 吉岡梅
3皿目:黄金のマカロニ・アンド・チーズ
PR
15/19

水か、それとも風か

「えっ!? 本当なの、アッシュ!?」

 アリスが身を乗り出す。


「ああ。犯人は少なくとも風魔法使いじゃない。――あるとすれば水魔法、それも『氷結』を操る魔導士だ」


「水魔法……」

 レオが目を瞬《またた》かせた。


「順を追って説明するぞ。まず、犯行の凶器だ。凶器となったのは《《アロマ水》》だ。それをデュークが使ったあのサイフォンと同じような仕組みの入れ物に入れ、亜酸化窒素ガスを圧をかけて溶かしこんだものだろう。犯人は被害者に『新種のアロマ水だ』とでも言って、乳化剤、水、油、そして高圧の気体を封じ込めた頑丈な小瓶をサウナ室に持ち込ませた」

「アロマを……?」

「ああ。ロウリュに使ってくれとでも言ってな。被害者がサウナの中でその小瓶の封を切った瞬間、何が起きるか。中身の液体は圧力から解放され、猛烈な勢いで発(・)泡(・)する。狭い個室のサウナだ、あっという間に濃密な泡が部屋全体を埋め尽くしただろう」


 前世でも建築素材として発泡ポリマーを使うことがよくあった。あれと同じ仕組みだ。あっという間に膨張し、元の体積の何十倍にも膨らんだのだろう。


 アリスが息を呑む。

「で、でもアッシュ、さっき言ったじゃない! 泡なんて柔らかいもの、手で払えば簡単に壊せるわ! ドアを開けて逃げることだって――」


「普通の泡ならな。だが、発泡したところを凍結させたのならどうだ」


 俺は指をパチンと鳴らした。


「油分の被膜の中に空気を抱き込んだ濃密な泡は、氷結魔法を受けた瞬間にガチガチの『発泡氷の壁』へと変化する。何十倍にも膨れ上がった氷の塊が、サウナ室の空間を完全に密閉したんだ。水使いであれば、水さえあればその状態をコントロールすることもできるだろう。あのサウナには安全対策で、前室とサウナ室を繋ぐ扉には耐熱ガラスの窓があった。そこを見ながらであれば、被害者の口元を中心に、体の自由を奪う範囲に泡を集中させ、そして凍結させることも可能だ。

 被害者は身動きを封じられ、口と鼻を氷の泡で塞がれ、ドアノブにも非常通報ボタンにも手を伸ばせないまま、数分で窒息死した」


「なるほど……」

 レオが息を呑んだ。


「で、でも、サウナ室に氷なんてあればさすがに気が付くでしょ? 何も残ってなかったわよ!?」


「当たり前だろ。サウナ室だぞ」

 俺は冷ややかに言い放った。


「室温90℃の高温空間だ。犯行後、犯人が立ち去ってから十数分も放置すれば、氷は熱で勝手に溶けてただの水に戻る。そして水は、床の排水溝へと流れて綺麗さっぱり消滅するんだ。――そう、凶器そのものが完全に蒸発・融解して消え去るというわけだ」


「あ……」

 アリスがハッと目を見開いた。

「じゃあ……まさか床や壁に残っていた『油膜』って……!」


「そうだ。水は溶けて排水溝へと消えるが、泡の材料に含まれていた『油分』だけは、粘性があるため、壁や床、そして遺体の表面に薄くこびりついて残ったのさ。部屋中に残された油の痕跡こそが、あの部屋が『泡』で満たされていた証拠というわけだ」


 サウナという環境を逆手に取り、泡と氷で圧殺した後に熱で証拠を隠滅する。

 恐ろしく手の込んだ、そして、馬鹿げた手口だ。


「もし風魔法で真空を作ったのなら油膜など残らない。このトリックを実行できるとしたら、泡を一瞬で凍りつかせる精密な『水魔法・氷結魔法』の使い手だけだ。レオ、現場の蒸気院の従業員の中に、水魔法を使える奴はいなかったか? そいつを調べてみろ」


 レオが考え込もうとしたその時、背後で控えていたデュークが、穏やかな声で口を挟んだ。


「王立ルーメン蒸気院の従業員と言えば……代々、水魔法の中でも特に氷魔法を得意とする『フロストヴェイル家』と、風魔法を得意とする『ウィンドレイク家』の若者が、熱気と蒸気の管理のために推薦枠で雇われているはずです。入浴中や入浴後の、風や氷というのは、心地いいものですからね」


「……っ! そうだわ!」

 アリスが手を叩いて叫んだ。


「エラリオが言ってた! いつも同じシフトで働いている同僚がいるって! 確か……アドリス・フロストヴェイル」


「フロストヴェイル……」

 レオが微かに顔色を変えた。

「アド派の重鎮、シメオン卿のアクアリウス家の分家筋だ……」


「役者は揃ったな」

 俺は冷たく告げた。


「エラリオに罪を擦り付けようとした真犯人は、恐らくそのアドリスだ。王宮警察を連れてアドリスの私物を家宅捜索させろ。高圧ガスの注入器具や、乳化剤と油の残り香が染み付いた道具が出てくれば、決まりだ」


「アッシュ……!」

 アリスが感激に目を潤ませ、俺の手を握りしめようとしてきた。


「ありがとう! 本当にありがとう! これでエラリオの無実が証明できるわ! やっぱりあなたって凄いわ、私、見直したっていうか――」


「感謝しているなら、アリス」

 俺はスッと真顔になり、彼女の手を逆に強く握り返した。


「え……? な、何よ……?」


 ざわ……。背中の方の空気が一気にやかましくなる。だが気にしている時ではない。俺は、はにかんで口を開いた。


「アリス、今夜は俺と一緒に……罪に手を染めてくれ」


「つ、罪……!? えっ、ちょ、ちょっと待ってアッシュ!? 二人で罪って……そ、それって一体どういう……!? え? 一線を? わ、私、まだ心の準備が――」

 アリスの顔が一瞬でトマトのように真っ赤になり、エメラルドの瞳が激しく泳ぐ。


 俺が彼女の手のひらを優しく開き、そこにそっと握らせた。――銀色のフォークだった。


「フォーク?」

「今夜は一緒に、このカロリーと脂質の暴力に満ちた、罪深いマカロニ・アンド・チーズを食らおうじゃないか」

「……」

 アリスの思考が3秒ほど停止した。


「……あ、あんたって奴はーーーーーっ!!」

 本日二度目の絶叫が響いた。


「人が真面目にドキドキしたのを返せーっ! 最低! 食い意地公爵! もういいわよ、ヤケクソよ! 食べてやるわよ! レオ殿下もお座り下さい! オルド、私にシロップをたっぷり入れた炭酸水を持ってきて!」

「畏まりました、アリス様。旦那様のお相手、まことにお疲れ様でございます」


 オルドが完璧な所作で一礼し、炭酸水とパンを運んでくる。

 部屋の隅ではメイドどもが両手にうちわを持って上下に振っている。なんの儀式だ。その後ろでは、なぜかノーラが仁王立ちして腕を組み、うんうんと頷いていた。あいつのポジションなんなんだよ。


 やがて、テーブルの上でマカロニ・アンド・チーズの争奪戦が始まった。

 濃厚な完全乳化のチーズと、儚い泡のエスプーマ。そしてサクサクのフリーズドライチップス。一口食べるごとに、アリスもレオも「何これ、悔しいけど美味しい……!」と唸り声を上げ、キャセロールはあっという間に空になった。


 残ったわずかなソースは、オルドの手によって完璧にパンで拭い去られたことは言うまでもない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。