黄金のマカロニ・アンド・チーズ
「――お待たせいたしました、フォックスウッド公」
白銀の髪をきっちりとコック帽に収めたデュークが、湯気を立てる白磁のキャセロールを載せたワゴンを押して現れた。
「フォックスウッド公から以前伺った、かの世界の民たちが愛してやまないという背徳の料理――『マカロニ・アンド・チーズ』。エルフの技術と調理魔術の粋を集めて仕上げました。お召し上がりください」
「マカロニ・アンド・チーズ……? それって、パスタとチーズを混ぜて焼いたあの? ……ただのジャンクフードじゃない!」
アリスが目を丸くして抗議する。
「そんなジャンクフードを食べるために、あんたはディナージャケットを着て、私の頼みを突っぱねたの!? しかもそのジャケット、新品じゃないの」
「ああ、この日のためにおろした。似合ってるかな?」
「え? ま……まあ、何着ても素敵……って違うわよ! 馬鹿じゃないの!?」
やれやれ。わかっていないな。俺は深くため息を吐いた。
「アリス」
俺は厳かに言い放った。
「このマカロニ・アンド・チーズをただのジャンクと侮るな。料理の神に足の小指をタンスの角にぶつけられる呪いを受けるぞ。ジャンクでも、いや、ジャンクだからこそ、極限の科学で昇華させたときの爆発力は計り知れないんだ」
「はい。その通りでございます」
デュークが嬉しそうに頷き、キャセロールをテーブルに置いた。
プリプリのマカロニと和えられているのは、レッドチェダーの心を躍らす橙色とはまた少し趣の違う、ホワイトチェダーの上品なアイボリー色のソース。そのソースから圧倒的な質量を持って立ち上がるチーズの香り。そう、チーズだけの香り。牛乳やバターの香りは一切しない。チーズの魅力だけで十分だというその傲慢さ。だが、その傲岸不遜な姿勢すら認めざるを得ない圧倒的な芳香。
そして、目を見張るべきはそのソースの乳化具合だ。
「な……何これ!? チーズが……信じられないくらい滑らかにトロトロしてる……!? 普通、チーズをこんなに熱したら、油が分離してギトギトの塊になるはずなのに!」
アリスが驚愕の声を上げる。
「ふふ、お気づきになりましたか、アリス様」
デュークの口調のテンションが、一段階跳ね上がった。アイスブルーの眼は煌めき、若干早口になる。
「通常、チーズを加熱すると、タンパク質の網目が収縮し、内部に抱え込まれていた水分と脂肪分が分離してしまいます。油が浮いて油膜を張り、乳脂肪分は結合してゴムのように硬くなってしまう。しかし、アッシュ坊から教わった『クエン酸ナトリウム』の粉末を微量加えることで、カルシウムイオンを置換し、タンパク質の結合を適度に解きほぐすのです」
さらにデュークは、手に持った銀色の細長い器具を掲げた。先端には回転刃がついている。
「デューク! その器具はまさか……」
「はい。魔導仕立てのスティックミキサーでございます」
「完成していたのか……」
思わず感嘆の声を漏らすと、デュークは意気揚々と説明を続けた。
「風と回転の魔法を宿したこの器具で、水分と油脂を高速攪拌いたしました。これにより、水分の中に微細な油滴が均一に分散する現象――『乳化』が完璧に達成されます。どれほど熱しても、冷めても、決して分離することのない、とこしえに滑らかなチーズソースが完成するのです」
「完全……乳化……。 素晴らしい」
俺は興奮を隠せない。
「水と油という本来相容れない二者を、塩の力と魔導の力の超高速攪拌によって手を取り合わさせる我がシェフの神髄……」
「さらに、仕上げがございます」
デュークはレバー付きの銀色のボトル――亜酸化窒素の代わりに高圧の空気魔石を封入した特製の「魔導ホイップサイフォン」を構えた。
レバーを引いた瞬間。
プシューーーッ!
軽やかな音と共に、純白のノズルから、信じられないほどキメの細かい泡が、キャセロールのパスタの上にこんもりと絞り出された。
「……泡!? なんだいこの泡は!? うわ、香りが変わった」
レオが目を輝かせて叫んだ。
「はい。高圧ガスと共にトッピング用のソースをボトル内に封入することで、油脂の中に無数の微細な気泡を閉じ込める技術でございます。それを一気に放出すれば、気泡は一気に弾け、空気を取り込み、泡状になって広がります。
ソースはベーコンにゆっくり火を入れて抽出した油をベースにコショウ、粒マスタードを砕いた粉末。メインのチーズの濃厚さを邪魔することのない分量だけを、泡にすることで見た目にも楽しくトッピングし、舌の上に乗せた瞬間に雪のように儚く消え去る泡のソースでございます」
なんて事だ。チーズだけでなく相性のいいベーコンやマスタードまで……。
部屋の隅では、ノーラたちメイドや執事のオルドが、すまし顔で待機していたが、背中の方からチラチラとパンの籠が見え隠れしている。お前ら……また狙ってんな?
「そして――」
デュークは最後に、小皿に盛られた黄金色の細かなチップスを添えた。
「付け合わせの『マカロニチップス』でございます。1時間ほど茹で続けたマカロニを、氷の魔法で凍結させてから風の魔法で真空状態を作って水分を昇華させた、極上の歯ごたえを誇るチップスです。残った濃厚なチーズソースを掬ってお召し上がりください」
チップスの用途を聞いたオルドが、わずかに眉を下げてショックを受けたような顔をした。本当そういう所だぞ?
「では、いただこう」
俺はフォークを手に取り、まずはエスプーマを纏っていない部分のマカロニを口に運んだ。
――ッ!!
口に入れた瞬間、暴力的なまでのチーズの旨味とコクが舌全体を覆い尽くした。
重くはない。濃厚なのに、驚くほどなじむ。噛み締めると、アルデンテに茹でられたマカロニの空洞の中にたっぷりと蓄えられていた、あの熱々のチーズソースがドプっと溢れ出す。
「……!」
言葉にならない。俺はたまらずに今度はエスプーマと一緒にマカロニを掬って口へと放り込んだ。
「おっほっほ」
今度は思わず笑ってしまった。ホワイトチェダーの堂々とした、しかし、どこか上品な脂とは趣の違うベーコンから染み出た暴力的な脂。その油がチーズの油と一体化し、さらに胡椒とマスタードのピリッとした酸味と香りが鼻に抜ける。これだ。このわんぱくさ。これぞジャンクの王道という満足感。これこそが俺たちの愛する「マッケンチーズ」だ。
俺はうんうんと頷いたまま、今度はチップスに手を伸ばし、ソースにディップして齧った。
サクッ……!
驚くほど軽く、繊細な食感。噛んだ瞬間に粉々に砕け散り、ソースと一体化していく。これが同じマカロニとは……本当に? オーバーボイルされ、ふやけていただろうマカロニチップスは、キャセロールの中のマカロニより2周りは大きい。だが、軽い。とてつもなく軽い。これはもう、スナック菓子だ。
「素晴らしい歯ざわりだ。水分が完全に抜け、内部には無数の微細な空洞――多孔質になっているからこそ、この儚い脆さと香ばしさが生まれる……」
俺は夢中でチップスを口に運び――
ふと、指先で摘んだ一枚のチップスを見つめ、動きを止めた。
指先に、わずかに力を込める。
パキリ。
何の抵抗もなく、チップスは粉々に砕け、テーブルの上に散らばった。
「旦那様、食べ物を粗末にしてはいけませんな」
オルドがすかさず銀のトレイを差し出し、やんわりと咎めてくる。
「すまん、オルド。だが……」
俺の頭の中で、バラバラだったピースが、恐ろしい速度で噛み合い始めていた。
ホイップサイフォンから噴き出した、膨張する巨大な泡。
指先で簡単に潰せる、多孔質の脆い構造。
サウナ室の床と壁に残された、謎の「油膜」。
そして――鍵の開いたサウナ室で、逃げ出すこともボタンを押すこともできずに窒息死した被害者。
「……おい、デューク」
「何でしょうか」
「もし……水と油、そして乳化剤を混ぜた液体を高圧で密閉し、このサイフォンのように一気に噴出させたらどうなる?」
「そうですね。常圧に解放された瞬間、液体は気体を巻き込んで猛烈に発泡し、元の何十倍もの体積の『巨大な泡の塊』へと膨張いたします」
「そうだ。そして……、もしその泡を『風魔法』でこのチップスのように固めようとしたら、どうなる?」
「風魔法で、ですか? それは不可能です」
デュークは即座に首を振った。
「風の魔導でチップスのように固めるということは、水分を飛ばすという事になるでしょう。そうなれば泡の膜は単に破裂するか、あるいはこのフリーズドライのように内部がスカスカになり、非常に脆いものにしかなりません。少しでも触れば、一瞬で崩れ去ってしまうでしょう。人を閉じ込めることなど叶いません」
「そうだ。崩れるんだよ。風魔法じゃ、人を窒息させるほどの『強固な壁』は作れない。――犯人は空気を抜いたんじゃない。逆だ。被害者の周囲を“空気を通さない泡”で埋めたんだ」
俺はテーブルをトンと叩き、顔を上げた。
「アリス、レオ。……エラリオの冤罪を晴らす方法が分かったぞ」




