1章「事務所は今日も火の車」
雑居ビルの三階、換気の悪い手狭なオフィス。
壁際で唸りを上げるPCタワーからは、私が日々の家賃を稼ぐために内職で請け負っている企業向け動画のエンコード音が重々しく響いている。デュアルモニターの片方には配信用インターフェース、もう片方には未送信の請求書と切り抜き動画の編集タイムライン。
そんな泥臭い現実が詰まった私のデスクの向こう側で、うちの看板タレントは今日も元気いっぱいに身を乗り出していた。
「だからねだからね! 次の企画はもっとどっかい事しよう! イチから畑作ってみた! みたいな!」
バンッと小さな両手がデスクを叩けば、目の覚めるようなオレンジ色のポニーテールがぽよんと跳ねる。
獅子堂咲々良――バーチャルライバー『百々瀬さく』の中の人は、元子役アイドルだった時の負けん気の強さを瞳にギラつかせながら熱弁を振るう。
「それは~、なんというか何番煎じって感じよねぇ。大変な割に目立つかは微妙……じゃない? 舞ちゃん」
その隣で、紙パックのアイスティーをストローでちゅうちゅうと吸いながらマイペースにツッコミを入れたのは涼風詩杏。ゆったりとした栗色の髪の毛を胸のあたりまで下ろしている彼女は、配信上では『風見風花』としてふわりとした空気を纏う。
その口調は穏やかで、現実でもどこ吹く風といった様子で隣の少女に話を振る。
「えっえっ。えーっと……うーん。でも一周回ってる、かも? ぎ、逆に……逆張り的な。っていうか、土地ないけど」
突然話を振られて肩をビクつかせたのは、丸眼鏡の奥で自信なさげに視線を泳がせている八重樫舞だ。『八岐ノメメ』としての一面を持つ彼女は、机に顎を乗せながら呟いた。
「あー。土地、土地かぁ……ウチの裏庭は無理だよねぇ。ねーー社長、土地買って~~?」
「はは……みんな、少し休憩にしましょう」
そしてそんないつもの半分本気の冗談を――私、バーチャルライバー事務所『ASTRA』の代表である御影弦は、愛想笑いで受け流す。
「思いつかないよ~~…バズるどっかい事なんて。歌ってみたも踊ってみたもぶっちゃけ古いしさぁ」
獅子堂さんがパイプ椅子に深く沈み込み、天井を仰ぐ。
「色々やってみたけど、あたしたちは振るわないわねぇ」
「バズの気配、ナシ」
「お~~~~ん……」
涙を流して唸り声を上げる獅子堂さんをよそに、涼風さんがふわりと微笑みながら私の方へ視線を向けた。
「まぁまぁ。大事なのは地道な活動だわ。でしょ? 御影さん」
「そうですね。まぁ……確かにここいらで何か一計を講じないとではあるけれど……」
当たり障りのない言葉で場を宥めようとした私の言葉を遮るように、今度は八重樫さんがおずおずと話題を変えた。
「……あ、あの。御影社長」
「ん、どうしました?」
その顔は随分とバツが悪そうだ。はて、本当にどうしたのだろう。
「そのう、あの、悪いかなーって思ったんだけど、その、うちの決算書……? みたいなの見ちゃったんだ」
「あー……」
オフィスの隅にある小さなシュレッダーの上。そこに置きっぱなしにしていた税理士からの書類を思い出し、私は思わず顔をしかめた。
先日遅くまで作業をしていて、今日に限って私は事務所に来るのが少し遅れたのだ。とりわけ目ざとい八重樫さんがそれを見つける危険性は十分にあったか。
この時点で私が祈るとしたら、その内容がなんだか分からず終いでいてくれることなのだが──
「で、その、内容……とんでもない赤字だった気がするんだけど……」
ダメだった。
今時の子たちは随分と大人の世界のお金事情に詳しいというか、変な所で知識があるというか。
あんな煩雑な書類を見てよくもまぁ内容の意味が分かった物だ。
なんて感心している場合ではなく。
「え゛っ。もしかしてウチ、やばいの?」
ガタッ、と獅子堂さんがパイプ椅子を蹴立てて立ち上がる。そのただならぬ剣幕に、私は両手で制するようなジェスチャーを作った。
「いやまぁ、そのー──そんなにすぐに解散とはならないですよ。一応貯金を切り崩しながら……」
「いやだ~~~~!!!!」
「きゃっ」
弾かれたように飛び出してきた咲々良に胸倉を掴まれ、私の身体が前後に大きく揺さぶられる。隣で涼風さんが小さく悲鳴を上げた。
「いやだよ解散とか絶対!! ボクここに骨浮かべるつもりで入ったんだから! ねぇ社長なんとかなるんでしょ!?」
「う、浮かべちゃダメ。埋めないと」
涙目になった獅子堂さんががっくんがっくんと私の肩を揺らし、その横で八重樫さんが小さな声でツッコミを入れる。
「えぇ、えぇえぇなんとかなぁなぁなりますからぁあぁ、ちょちょ待って待って」
物理的な揺さぶりと彼女の必死すぎる超えに私の脳がシェイクされる。
なんとかその腕を振りほどき、私は乱れたネクタイを締め直してから努めて大人としての咳払いをした。
「ご、ごほん。運営の問題は私が解決しますので、バーチャルライバーである貴方達はくれぐれも、いつも通りでお願いします」
「そんな事言ったって!」
「余計な心配をさせてしまった事は謝罪します。休憩開けたらまた企画会議しましょう。私は──少し煙草を吸ってきます」
「ちょっと、社長──!」
獅子堂さんの静止の声を背中で受けながら、私は逃げるようにオフィスの重い鉄扉を開けた。
「ふー……しまったな。流石にウチも色々とペーパーレスにするべきか」
非常階段を下り、オフィスビルのおひざ元にある喫煙スペースに向かう。
夕暮れの生ぬるい風が頬を撫でる中、私はポケットから100円ライターを取り出し、火をつけた。
目の前には見慣れた灰色の街並みがどこまでも広がっている。
この小さなオフィスの中で目を輝かせている少女たちの熱気とは無縁の、冷たくて残酷な現実の世界だ。
「何者かにしてあげたいと願って作ったこの場所も、そろそろ限界か。現実は難しいな」
紫煙と共にこぼれ落ちた独り言は、誰の耳に届くこともなく空の彼方へ消えていく。
かつて私がしてもらったことを、次は誰かに。そう思って始めたこの場所も、やがては社会の荒波にもまれて消えて行ってしまうのだろうか。
果たして何者にもなれないのは、私の方になってしまうのではないか。
「これもまた、どうしたものか」
事務所を作ってからというもの、このセリフもすっかり口癖になってしまった。
色んな悩みもどこかへ飛んで行ってしまわないかと、そんな現実逃避をしながら私は煙草の煙をくゆらせるのだった。
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