第十話:つまらない来客
猫獣人の三人——バルゼを筆頭に、拠点の魔族たちが甲斐甲斐しく世話を焼いていた。
「ほら、今日はメルンジュースだぞ。冷たくて甘いからな」
「お風呂、ちゃんと温かくしてあるからな。今日は俺が入り方教えてやるよ」
「ーーは女湯だからユキに入れてもらえ」
最初こそ人間の姿に怯えて部屋の隅に縮こまっていた三人だったが、バルゼをはじめとする魔族たちが根気強く寄り添い、温かい食事と風呂を用意し続けたことで、数日が経つ頃にはずいぶん表情が和らいでいた。
小さな尻尾がぴょこぴょこと揺れるようになったのを見て、拠点のみんなが密かに胸を撫で下ろしていた。
——ただ、俺はまだ、三人の名前を聞けずにいた。
(急かして無理に聞くもんじゃないよな。人間である俺に慣れて、自分から教えてくれるようになるまで待とう。……それに、もう少し落ち着いたら、家族のことも聞いてみたい。もし帰れる村があるなら、ちゃんと送り届けてやりたいしな)
そう決めて、三人とは少し距離を取りながら、遠くから見守るだけの日々が続いていた。
——そんなある夜のこと。
すでに日も落ち、拠点の灯りもほとんど消えた深夜。
見張りに立っていた兵士の一人が、慌てた様子で俺の部屋の戸を叩いた。
「コ、コウジロウ様! 拠点の外に……来客です!」
「来客……? こんな時間に?」
嫌な予感を覚えながら身支度を整え、集会所の窓からそっと外の様子を窺う。俺の傍らには、バルゼとルチア、そして三人の子供たちの姿もあった。
篝火に照らされた拠点の入り口に、六人の男たちが立っているのが見えた。
先頭に並ぶのは、いずれも岩のようにガタイの良い男が五人。
腕には荒縄や鎖、そして使い込まれた捕縛具のようなものがぶら下げられている。
そしてその後ろに、一歩下がるようにして立っていたのは——痩せ型で背が高く、口髭を生やした、どこか神経質そうな男だった。
対応に出たのは、ガストンだった。
「夜分に何の用だ」
ガストンが低く尋ねると、前列の五人のうちの一人が、ニヤリと下卑た笑みを浮かべた。
「ああ、いきなり悪いな。……実は、こちらの拠点に迷い込んだ『商品』を三匹、お預かりしてないかと思ってな」
「商品……?」
窓の内側で、その言葉を聞いた瞬間——
「……っ」
俺の隣で、小さな身体がびくりと震えた。
見れば、三人の子供たちが真っ青な顔で身を寄せ合い、小刻みに肩を震わせていた。小さな尻尾がぎゅっと体に巻きつき、耳が完全に伏せられている。
「……来た……また、来た……」
か細い声で少女が呟き、隣の少年がその手をきつく握りしめていた。
(——)
俺は窓の外に視線を戻した。
「猫の耳と尻尾が生えたガキが三匹、逃げ出しちまってな。……手癖の悪い商品でよ、逃げ足だけは一丁前なんだわ」
男は肩をすくめながら、悪びれもせずに続けた。
「見つけたら、こっちに返してもらえるとありがてぇ。もちろん、タダとは言わねぇ。相応の礼はさせてもらうぜ」
ガタイの良い男たちがゲラゲラと笑い合う。
その下品な笑い声の後ろで、痩せた口髭の男が一歩前へ進み出た。
「——失礼いたしました。この者たちの言葉遣いが荒く、不快な思いをさせてしまったようで。改めまして、私はこの取引を仕切らせていただいております者です」
先ほどまでとは打って変わった、丁寧な口調だった。
「突然の夜分の訪問、大変申し訳ございません。ですが、私どもも商売としてお預かりしている品を捜索する義務がございまして……。もし、こちらに見慣れぬ獣人の子供が三人ほど迷い込んでいるようでしたら、ぜひお引き渡しいただけないかと、参上した次第でございます」
男は慇懃な笑みを浮かべ、値踏みするような目つきでガストンを見つめていた。
窓の内側で、俺は震え続ける三人の小さな背中をじっと見つめていた。
拳を握る手に、じわりと爪が食い込む。
(……こいつらのせいで、この子たちは「許してください」しか言えなくなってたのか)
込み上げてくる怒りが、腹の底からゆっくりと、しかし確実に燃え上がっていくのを感じた。
「……ガストン」
俺は静かに、けれど抑えきれない声音で呟いた。
「絶対に、この子たちは渡さない」
俺は窓辺から離れ、静かに歩き出した。
「コウジロウ様……?」
隣にいたバルゼが、ふと俺の顔を見て息を呑んだ。
「……コウジロウ様、その目は……」
バルゼの声が微かに強張っている。だが、俺はそれに答える余裕もなく、まっすぐに戸口へと向かった。
「コウジロウ様、私も——」
「大丈夫だ、バルゼ。三人の傍にいてくれ」
短くそれだけ告げ、俺は扉を開けて外へと足を踏み出した。
——瞬間。
「な……っ」
対応していたガストンが、言葉の途中で凍りついた。
篝火がゆらりと揺れ、夜風がぴたりと止む。
「……なんだ、この……」
前列に並んでいた五人の男たちの下卑た笑みが、一瞬にして消え去った。
冷や汗が男たちの額を伝う。誰も、指先ひとつ動かせずにいた。
後方の口髭の男でさえ、笑みを貼り付けたまま顔面だけが硬直している。
(な……なんだ、この重圧は……ッ!)
ガストンの剣の柄にかけた手が動かない。まるで見えない何かに全身を押さえつけられているかのように、指先すら震えるだけだった。
(コウジロウ様が、ただ歩いてこちらへ向かっているだけだというのに……! 息が……できん……!)
窓の内側では、バルゼが険しい表情でその光景を見つめていた。
(……なんだ、あの威圧感は……。今まで感じたことのないほどの……底が見えん……)
俺はそんな周囲の異変にはまるで気づかぬまま、ゆっくりと男たちの前に立った。
「……お前らか。あの子たちを、商品って呼んでたのは」
低く尋ねると、口髭の男がひきつった笑みのまま、震える声を絞り出した。
「し、失礼いたしました……。ですが、これは正当な商取引でございまして……」
「正当?」
俺は静かに問い返した。
「あの子たちが震えながら『許してください』って謝るようになったのは、それのどこが正当なんだ?」
「そ、それは……躾の一環と申しますか……商品としての価値を保つためにも、多少の——」
「もういい」
俺はそれ以上聞く気にもなれず、短く言葉を切った。
「一つだけ聞かせろ。あの子たちの家族は、まだ生きてるのか」
「……い、家族の所在までは、私どもは把握して——」
「そうか」
俺はそれ以上何も言わず、ただ静かに男たちを見つめた。
「もういい。答えなくていい」
その言葉を最後に——
ガクッ、ガクッ、ガクッ……
前列の五人が、糸の切れた人形のように次々とその場に崩れ落ちた。白目を剥き、完全に気を失っている。
「……ひっ」
最後に残った口髭の男も、震える膝が耐えきれなくなったように崩れ落ち、そのまま意識を手放した。
夜の静寂の中、六人の男たちが折り重なるように倒れている。
俺はふぅと一つ息を吐き、拳の力を緩めた。
「……ガストン、大丈夫か?」
「は……はい……コウジロウ様……」
ようやく金縛りから解放されたガストンが、額の汗を拭いながら掠れた声で答えた。そして我に返ったように、控えていた兵士たちへ声を張った。
「お、おい……こいつらに縄をかけろ! !」
「はっ!」
兵士たちが慌てて駆け寄り、気を失ったままの六人の手足に次々と縄をかけていく。手際よく後ろ手に縛り上げられた男たちは、篝火の傍に並べて転がされた。
窓の奥からその一部始終を見ていたバルゼは、拳を握りしめたまま、しばらく声も出せずにいた。
(……あの方の力は、一体どこまでのものなのだ……)
その底知れなさに、ただ静かな畏怖だけが胸の中に広がっていくのを感じていた。




