第80話 審問
夜が明けても、屋敷の窓は塞がらなかった。
割れた窓枠に板を当て、ガルドが内側から釘を打っている。
庭には、白い外套の男たちが並べられていた。
十人。
手首を後ろで縛り、互いの足を長い縄でつないでいる。リナが毒を吐かせた男も、顔色は悪いが生きていた。
正規の門衛が屋敷へ到着したのは、日の出とほぼ同時だった。
指揮官は倒れた者たちを見るより先に、壊れた玄関と書斎の封印具を確認した。
「身柄を引き渡してもらう」
「先に記録を」
エルナが答えた。
帳面を開き、捕虜の人数、所持品、負傷箇所を読み上げる。
「引き渡し後に行う」
「それでは、持ち物が減っても分かりません」
「我々を疑うのか」
「昨夜、都の札を持つ者に襲われました」
エルナは裂けた命令書を見せる。
「疑わない理由を教えてください」
指揮官の目が険しくなる。
ガルドは釘を打つ手を止めない。
こん。
こん。
「急ぐなら待て」
指揮官が振り返る。
「何だと」
「記録が終わるまで待てって言ってる」
「公務を妨害するつもりか」
「人の家へ十人で押し入った連中を渡すんだ。数くらい数える」
最後の釘が入る。
ガルドは槌を腰へ差した。
「途中で九人になったら困るだろ」
「そのようなことは起こらない」
「起こらない町なら、窓は割れてねえ」
指揮官は返さなかった。
屋敷の門から、エルザが入ってくる。
後ろには、観測部の記録官が二人。
「私が引き渡しに立ち会います」
指揮官が顔をしかめる。
「観測部の管轄ではない」
「捕虜の一人が観測部の札を所持していました」
「偽造品だ」
「確認前に断定するのですか」
「技術部の者が、他部署の札を持ち出すことは珍しくない」
「それを、一般には偽造と呼びます」
エルザは銀色の札を取り出した。
「身柄、装備、命令書を別々に封印します。受領者の名も残してください」
「長老会から命令が出ている」
「どの長老ですか」
指揮官の口が止まる。
「評議命令だ」
「合議記録を確認します」
「後にしろ」
「今、確認します」
エルザは退かなかった。
しばらく睨み合いが続く。
先に目を逸らしたのは指揮官だった。
「記録を急がせろ」
「最初から、そのつもりです」
エルナが捕虜の持ち物を一つずつ机へ並べる。
短剣。
捕縛筒。
銀色の面。
書斎の封印具を写し取る薄板。
技術部の三重輪。
観測部の銀札。
毒の殻。
破れた命令書。
クロは机の下に座り、並べられる品を順番に嗅いでいた。
銀札の前でだけ、鼻を止める。
次にエルザの腰へ下がった札を嗅ぐ。
もう一度、机の札。
低く唸った。
「同じ匂いですか」
アリアが尋ねる。
クロは鼻を鳴らした。
エルザの表情がわずかに硬くなる。
「偽造ではないのか」
伊織が聞く。
「形だけなら作れます」
「匂いは」
「観測部の保管庫で使用している油かもしれません」
「保管庫から出た本物ということか」
「可能性はあります」
エルザは銀札を布越しに持ち上げる。
裏面を見る。
中央に、小さな刻みが三つ。
「発行番号が削られています」
「誰に渡したものか分からない?」
「台帳と照合すれば」
「台帳はどこだ」
「観測部です」
「見られるのか」
「見ることはできます」
エルザは銀札を封印袋へ入れた。
「残っていれば」
伊織はその言葉を聞いた。
誰かが台帳を消す。
エルザも、それを想定している。
「先に行け」
伊織が言った。
「何ですか」
「台帳を確保しろ。ここは足りてる」
「審問への同行を命じられています」
「俺たちは逃げない」
「あなたが決めることではありません」
「なら、消されるのを待つか」
エルザは伊織を見る。
次に銀札の封印袋。
「記録官を一人残します」
「それでいい」
「あなたに許可されたわけではありません」
「早く行け」
エルザは言い返さず、屋敷を出た。
その背を、アリアが見ていた。
「東さん」
「何だ」
「エルザへ命令できる立場ではありません」
「行ったぞ」
「それが問題です」
「戻ってきたら謝る」
「本当に?」
「必要ならな」
アリアの耳がわずかに動く。
「必要です」
◆
審問は、予定より九日早められた。
屋敷への侵入が、理由だった。
被害者を守るためではない。
これ以上、市中で騒ぎを起こさせないためだと、召喚書には記されていた。
長老会の議場は、大樹の北側にあった。
円形の白い建物。
窓は細く、外から内部が見えない。
入口に武装した門衛が八人。
伊織たちは、一人ずつ所持品を確認された。
アリアの剣。
ガルドの鉄棒。
ヴォルフの骨刃。
すべて入口で預けるよう求められた。
「観察対象の具現はどうする」
ガルドが聞いた。
門衛は伊織を見る。
「使用した場合、敵対行為と見なす」
「預けられねえ物は便利だな」
「使用しなければ問題ない」
「襲われても?」
「議場内で、そのような事態は起こらない」
伊織は昨日も聞いた言葉を思い出す。
何も言わず、門を通った。
クロだけは中へ入れないと言われた。
「同行生物は議場外で待機させる」
「分離は認めていません」
アリアが申請書の写しを出す。
「審問規則が優先される」
「観測任務の条件が先に承認されています」
「獣を入れた前例はない」
「なら、作ってください」
門衛の額に皺が寄る。
奥から白衣の役人が出てきた。
森の関で入国拒否を告げた男だった。
「入れろ」
「しかし」
「門前で審問を始めるつもりか」
クロは誰にも首を下げず、議場へ入った。
円形の室内。
中央の床には、白い樹と二重輪が描かれている。
奥に七つの席。
中央だけが一段高い。
首座には、白銀の髪を短く切った老女が座っていた。
左右に記録長、保全長、技術長、治癒長。
残る二席には、名を示す札がない。
一つは空席。
もう一つには、顔の細い男が座っている。
男はアリアを見ていた。
懐かしむ目ではない。
何を覚えて帰ってきたのか測る目だった。
あの男だ。
伊織には確証がない。
だが、書斎の封が切られた話をした時、封鎖官の視線が向いた先にいた者。
技術部の命令へ手が届く者。
クロも同じ男を見ていた。
唸らない。
匂いを覚えるように、静かに鼻を動かしている。
「審問対象、前へ」
記録長が告げる。
アリアが白い樹の中央へ立つ。
伊織は一歩後ろ。
門衛が止める。
「観察対象は壁際へ」
「彼は私の管理下にあります」
アリアが言った。
「審問対象の発言位置は一名分だ」
「観測任務中です。離せません」
「私語を禁じる」
「離せない、と言いました」
議場が静まる。
首座の老女が、指先をわずかに上げた。
「一歩後ろまで認める」
門衛が退く。
伊織はアリアの後ろへ立つ。
クロはその左側。
ガルドたちは壁沿いの傍聴席へ案内された。
エルザの席は空いている。
まだ戻っていない。
「アリア=シルヴェイン」
首座が名を呼ぶ。
「あなたは機構研究部に在籍したまま、許可なく本国外へ出た。外縁管理局の管轄へ介入し、封鎖設備へ接触し、機構資産に関する記録を持ち出した」
「誤りがあります」
「発言は問われた後に」
「誤った前提で問われても、答えは歪みます」
首座の目が細くなる。
アリアは退かなかった。
「では、訂正を」
「私は機構研究部へ脱退届を提出しています。許可なく出たのではなく、返答がないまま留め置かれていたため、自分の意思で離れました」
「脱退は受理されていない」
「受理しなかった責任は、私にありません」
記録長の筆が動く。
「外縁管理局への介入は」
「要請を受け、調査へ協力しました」
「正式な要請書がない」
「口頭要請と現地の危険がありました」
「証明できる者は」
「私です」
顔の細い長老が初めて口を開く。
「自らの行動を、自ら証明するのか」
声は穏やかだった。
「父の名を使ったのではないか。シルヴェイン家の威光をもって、外縁管理局へ協力を迫った」
「使っていません」
「記録がない」
「使わなかったことを証明する記録など、通常は残りません」
「ならば、我々は判断できない」
アリアの左手がわずかに閉じる。
右腕はまだ布で吊られている。
彼女は一度、息を整えた。
「私の名で、答えます」
議場の空気が変わった。
「父の命令ではありません。家の命令でも、機構の命令でもない。東へ向かったのも、山水路へ降りたのも、ここへ戻ったのも、私が決めました」
「個人の判断で、封鎖設備へ接触したと認めるのだな」
「人が死ぬ可能性がありました」
「可能性だけで規則を破った」
「規則を守れば、死んでも構わないのですか」
記録長の筆が止まりかける。
首座はアリアを見た。
「質問しているのはこちらだ」
「では、答えます。構いませんでした。あの場所では、規則より先に助けるべき人がいました」
「その判断が正しかったと」
「全員で戻りました」
「結果が行為を正当化するとは限らない」
「結果を無視して罰することも、正しいとは限りません」
顔の細い長老が椅子へ深く座る。
「外で随分、口を覚えたようだ」
「以前から話せました」
ガルドが傍聴席で咳をした。
笑いを押さえた音だった。
門衛が睨む。
アリアの耳がわずかに動く。
首座は表情を変えない。
「証人がいない以上、現地要請は確認不能とする」
「異議があります」
議場の後方から声がした。
エルザが入ってくる。
腕に三冊の帳面を抱えていた。
門衛が止める前に、銀札を示す。
「観測部の臨時報告、および外縁管理局から届いた保全記録を提出します」
記録長が顔を上げる。
「外縁管理局から?」
「差出人名はありません」
顔の細い長老が鼻で息を吐く。
「無署名の紙に証拠能力はない」
「個人の報告ではありません」
エルザは一冊目の帳面を開く。
「外縁管理局の受領番号、保全番号、照合印があります。原本と同じ内容の写しが、南宿および東部第三保管所へ同日に送付されています」
「署名者は」
「空欄です」
「ならば、責任者がいない」
「記録はあります」
エルザは帳面を記録長へ渡す。
「アリア=シルヴェインが家名による命令を行わなかったこと。調査への協力を要請されたこと。複数名の同行者がいたこと。山水路の異常により外縁住民へ危険が及ぶと判断されたこと。すべて時刻入りで記載されています」
「誰が書いた」
「筆跡は、外縁管理局長ドレイスのものと一致します」
「署名はないのだろう」
「ありません」
「本人が否定すれば終わりだ」
エルザは二冊目を開く。
「本文の末尾に一文あります」
記録長が読む。
議場の静けさの中へ、その声が落ちる。
「本報告の署名欄は空白とする。個人の名を理由に記録を退けるなら、同じ内容を三か所から退けよ」
ガルドが小さく笑った。
「らしいな」
ヴォルフが呟く。
顔の細い長老の指が、椅子の肘掛けを一度叩いた。
「文書の複製は禁じられている」
「外縁管理局の保全規則では、危険情報の分散保存が認められています」
「本国の記録を含んでいる」
「山水路は外縁管轄です」
「アルド=シルヴェインの名がある」
「名があるだけで、本国が現地記録を所有することはできません」
エルザの言葉は淡々としていた。
だが、一つずつ逃げ道を塞いでいる。
来ない男が、遠くから議場へ手を入れていた。
名を置かず。
記録だけを三か所へ残して。
首座が報告書を受け取る。
しばらく読む。
「現地要請の存在は、暫定的に認める」
顔の細い長老が口を挟む。
「無署名だ」
「三か所に同じ記録がある」
「偽造も可能だ」
「ならば三か所すべてを調べる」
首座の声は低い。
「その間、存在しないものとして扱うことはできない」
長老は口を閉じた。
記録長の筆が再び動き始める。
「次に、同行する異邦人について問う」
技術長が伊織を見る。
「東伊織。出生地不明。所属不明。使用する鋼鉄は既存の魔力体系に合致せず、都の中枢機構へ未知の反応を生じさせた」
「俺に聞け」
伊織が言う。
「発言は許可していない」
「本人がいるのに、後ろの女へ聞くのか」
「審問対象はアリア=シルヴェインだ」
「なら、俺の話をするな」
門衛が一歩動く。
伊織は左手を下げたまま。
具現しない。
クロが門衛を見た。
牙は見せない。
ただ、位置を覚える。
「東さん」
アリアが呼ぶ。
「何だ」
「私が答えます」
「俺のことだ」
「私が登録しました」
「勝手にな」
「署名しましたね」
「読んでからな」
「では、勝手ではありません」
技術長が指で机を叩く。
「私語を慎め」
アリアは前へ向き直った。
「彼は私の観察対象です」
「それは入国のための便法にすぎない」
「承認された公文書です」
「危険性を承知の上で登録したのか」
「はい」
「彼が都を害した場合、誰が責任を負う」
アリアは迷わなかった。
「私の名で保証します」
議場の全員が彼女を見る。
伊織も。
「簡単に言うな」
伊織が低く言った。
「簡単ではありません」
「俺が何をするか、全部分かるわけじゃない」
「分かりません」
「なら」
「だから観察しています」
アリアは伊織を見ない。
長老たちへ向いたまま続ける。
「彼が命令へ無条件に従う人ではないことも、自分で判断する人であることも知っています。危険がないとは言いません」
「保証になっていない」
技術長が言う。
「危険ではないと偽ることが保証ではありません」
アリアの声が少し強くなる。
「彼が何を守り、何を撃たないかを見てきました。その判断を、私の名で保証します」
伊織は口を閉じた。
書類の上で始まった建前。
入国するためだけの呼び名。
それが今、七人の長老と記録官の前で、別の重さを持っている。
「昨夜、公務員を襲った事実は」
顔の細い長老が言う。
「逆です」
エルナが傍聴席から声を上げた。
「発言を許可していない」
「記録担当者です」
「黙れ」
「黙れば、誤った記録が残ります」
エルナは裂けた命令書を掲げる。
「屋敷へ侵入した十名を制圧しました。全員、生存しています。先に捕縛器具、毒、書斎解錠具を使用したのは相手です」
「技術部の正式命令ではない」
「では、誰が出した命令ですか」
「調査中だ」
「調査前に、東さんたちを加害者として扱うのですか」
首座が手を上げた。
「命令書を」
門衛が受け取り、長老席へ運ぶ。
裂けた紙。
中央で二つになっている。
首座は内容を読む。
「なぜ破れている」
「俺が破った」
伊織が答える。
「証拠を損なう行為だ」
「人を物みたいに書いた紙だった」
「内容と証拠能力は別だ」
「読める」
伊織はアリアの隣に並びかける。
門衛が身構える。
アリアが左手をわずかに開いた。
止める仕草ではない。
そこにいていいという合図だった。
伊織は一歩後ろに残る。
「破いた責任は俺にある。侵入者を倒した責任もだ」
「アリア=シルヴェインが保証した以上、彼女にも責任が及ぶ」
「それは違う」
「何が違う」
「保証は、責任を押しつけるためのものじゃない」
技術長の目が細くなる。
「この都の制度を、外の者が語るのか」
「なら、お前たちは何のために保証を求めた」
答えはなかった。
伊織は続ける。
「俺が撃ったものは俺が答える。アリアが答えるのは、俺を連れてきた判断だ」
アリアが僅かに振り返る。
「余計でしたか」
「半分な」
「どちらが」
「あとで話す」
「今、聞きたいのですが」
「審問中だ」
ガルドがまた咳をした。
今度はヴォルフも顔を背けていた。
首座はしばらく二人を見た。
「昨夜の襲撃については、別に調査する。捕虜の身柄は長老会、観測部、外縁記録担当の三者立ち会いで保全する」
顔の細い長老が反論する。
「外縁の者を都の調査へ入れるのか」
「無署名報告の照合に必要だ」
「規則にない」
「昨夜の侵入も規則にはない」
首座は言い切った。
「アリア=シルヴェインへの処分は、現時点では保留する」
アリアの表情は変わらない。
「保留ですか」
「無罪と認めたわけではない」
「父の書斎へ入った者については」
「調査する」
「いつまでに」
「期限は定めない」
「それでは、証拠が消えます」
「既に封鎖を強化した」
「封鎖前に入った者がいると伝えました」
「その件も含める」
何も確約していない。
言葉だけを重ねている。
アリアも分かっている。
だが、ここで同じ問いを繰り返しても、答えは変わらない。
首座が記録長へ合図する。
新しい紙が開かれる。
「処分保留に際し、長老会から条件を提示する」
「条件?」
アリアが聞く。
「東の山水路について、我々も異常を確認している」
議場の空気が変わる。
「いつからですか」
「数年前からだ」
「なぜ外縁管理局へ伝えなかった」
「確認が不十分だった」
「森の根は、大樹を通じて東へ伸びています。異常があれば分かったはずです」
治癒長が目を伏せる。
保全長はアリアを見ない。
知っていた。
全員ではなくても、ここにいる何人かは。
「山水路の深部に、脈動する機構がある」
首座が言う。
「外部節ではありません」
アリアの声が低くなる。
「本体に近いものですか」
「我々は心臓と呼んでいる」
クロが低く唸った。
東の山水路。
黒い歯車。
水を通して名前を探り、声を返し、道を固定しようとしたもの。
そのさらに奥。
「心臓を停止させよ」
首座は告げた。
「それが、処分を保留する条件だ」
ガルドが傍聴席から立つ。
「待て。そいつは都の問題だろ」
「外縁にも影響している」
「だからって、何で俺たちに」
「あなた方は既に一度、深部へ到達している」
「止めきれてねえから、今ここにいる」
「次は止めろ」
ヴォルフの片目が険しくなる。
「都の兵はどうした」
「派遣しない」
「技術部は」
「同行させない」
「保全の連中もか」
「派遣しない」
ガルドの拳が閉じる。
「自分たちは行かねえ。外から来た俺たちだけで止めろってのか」
顔の細い長老が静かに言った。
「都の者を危険へ晒す理由はない」
アリアが男を見る。
「外の者なら、失っても構わない?」
「そのような言い方はしていない」
「同じです」
「あなたは都の出身だ」
「今だけ、内側へ戻すのですか」
男は答えなかった。
首座が条件書へ印を押す。
白い樹。
根を囲う二重の輪。
「成功すれば、あなたの脱退手続きを再審査する。観察対象と同行者には正式な退去許可を与える。アルド=シルヴェインに関する封鎖記録の一部も開示する」
「失敗すれば」
「同行者を国外退去。あなたは機構の監督下へ戻る」
返却。
昨夜の命令書にあった言葉と、ほとんど同じ意味だった。
「期限は」
「七日」
「準備には足りません」
「三日後から、東の根の変色が始まると予測されている」
「それを今まで黙っていた?」
アリアの声が、初めて明確に揺れた。
「混乱を避けるためだ」
都を守る。
記録を守る。
秩序を守る。
そのために、外縁へ危険を伏せた。
自分たちの足元へ届くまで。
伊織は長老席を見た。
「一つ聞く」
「発言を許可していない」
「聞くだけだ」
首座が黙って先を促す。
「俺たちが来なければ、どうしていた」
誰もすぐには答えなかった。
沈黙だけで、十分だった。
止めに行く者を探していた。
都の外から。
失っても記録上の損失が少ない者を。
「審問は罠じゃない」
伊織が言う。
ドレイスの報告にあった言葉。
「だが、罠に使う奴はいる」
顔の細い長老の指が止まった。
首座は条件書をアリアへ差し出す。
「受諾の返答は、日没までに」
アリアは紙を受け取らなかった。
白い樹と二重輪。
父の記録。
自分の身分。
仲間の退去。
すべてを一枚へ載せ、選ばせようとしている。
都は、自分たちの心臓を止める手を求めていた。
その手が壊れても、白い壁の内側に血が残らないように。




