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第5話 いつもの朝

 ダストヘイブンに来て、一ヶ月が経った。

 その夜、伊織は夢を見た。

 夢の中では、右手に銃があった。

 重くて、冷たくて、見覚えのある形。

 でも今度は——怖くなかった。

 ただ、そこにある。

 手に馴染む感触で、そこにある。

 目を覚ました。

 天井が見えた。

 ダストヘイブンの宿屋の、木製の天井。

 クロが足元で眠っている。

 右手は、空だった。

 でも——空じゃなかった。

 何かが、そこにある。

 名前はない。

 でも確かに、ある。

 伊織はゆっくりと起き上がった。

 ダストヘイブンの朝は、いつも砂埃から始まる。

 伊織はギルドの掲示板の前に立っていた。

 夜明けから三十分。食堂はまだ半分眠っている。受付のエルナが欠伸をしながらカウンターを拭いている。クロが伊織の足元で丸まっている。

 窓の外、砂埃が風に流れていく。

 屋台の老婆が店を開け始めている。石畳の上を、猫が横切った。

 知らない街だった。

 一ヶ月前は、そう思っていた。

 いつもと同じ朝だった。

 ――いつもと同じ、か。

 伊織は掲示板を眺めながら、その言葉を反芻した。

 ダストヘイブンに来て、どれくらい経つ。一ヶ月と少し。それだけの時間で、「いつもと同じ」という感覚が生まれていた。

 帰る場所がない、と思っていた。

 でも――いつもと同じ朝がある場所を、帰る場所と呼ばないのなら、何と呼ぶのか。

「読むの遅いですよ」

 背後から声がした。

 振り返らなくても分かった。

「お前が早いんだろ」

「普通の速さです」

 アリア=シルヴェインが、伊織の隣に並んだ。銀白色の長髪が、朝の薄明かりの中で揺れた。双剣を背負い、魔道書を小脇に抱えている。いつもの格好だ。

 ――いつもの、格好。

 また、その言葉が出てきた。

「東部街道の依頼、見ましたか」

 アリアが一枚の依頼書を指した。

「Bランク相当の魔獣・複数。報酬は銀貨二十枚。昨日から貼り出されています」

「ああ、見た」

「どう思いますか」

「悪くない」

「私もそう思います」

 二人は同時に依頼書に手を伸ばした。

 指が、触れた。

 一瞬だった。

 どちらも、何も言わなかった。

 アリアが先に手を引いた。

「……取ってください」

「ああ」

 伊織は依頼書を取った。

 クロが伊織とアリアを交互に見て、小さく鼻を鳴らした。

「うるさい」

 伊織が言った。

「何がですか」

 アリアが言った。

「……独り言だ」

 受付でエルナに依頼書を提出した。

「東部街道ね。二人で行くの?」

「ああ」

「ガルドさんは?」

「別の依頼を見てる」

 エルナは伊織とアリアを交互に見た。それから、何かを言いかけて、やめた。

「気をつけてね」

 それだけ言った。

「何か言いたそうだったが」

 ギルドを出てから、伊織が言った。

「気のせいです」

 アリアは前を向いたまま答えた。

 耳が、わずかに赤かった。

 伊織は気づいたが、何も言わなかった。

 ギルドの外、朝の空気が街を包んでいた。

 砂埃の匂い。鉄の匂い。遠くに、屋台の煙。

 知っている匂いだ。

 クロが伊織の隣を歩いている。

 アリアが、伊織の斜め前を歩いている。

 いつもの位置だ。

 伊織は少し歩調を上げた。

 アリアの隣に並んだ。

 アリアは何も言わなかった。

 ただ、少しだけ——歩く速度を落とした。

 クロが、二人の間を歩いた。

 三つの足音が、石畳に響いた。

 揃っていた。

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