↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
142/144

第140話 また行こう

地面が戻った。伊織は左足から着地した。石。砂。崩れた礼拝堂の床。右肩へ衝撃が走り、膝が沈む。拳銃を握った左手を地面へつく寸前、アリアが腕を掴んだ。


「東さん」


「立てる」


「痛みは」


「かなり」


「なら、まだ動いています」


「ああ」


クロも転送円から転がり出た。黒い身体が石床を滑り、崩れた柱へぶつかる前に前脚を踏ん張る。


「クロ」


鼻が鳴る。弱い。だが、立っている。転送円が背後で消えた。光。音。第一観測所へ戻る道がなくなる。


礼拝堂跡。天井は半分崩れ、夜明け前の空が見えていた。その中央。白い核が浮かんでいる。高さは王城の塔ほどではない。直径も数メートル。それでも、周囲の空間そのものを押し退けるような圧力があった。輪。何重もの白い線。中心には、黒い点。小さい。拳銃の照準へ収まるほど。だが、同じ場所には留まっていない。白い輪の内部を滑るように移動し、現れ、消える。


「見えるか」


伊織が尋ねる。「中心の黒いものですか」


アリアが答えた。「ああ」


「見えます。ただ、位置が定まりません」


クロが低く唸る。黒い毛が逆立つ。


「境界そのものか」


白い核は、この世界へ完全には定着していない。物体ではない。固定機構の出力。古代兵器二十三体の意識。管理権限。それらが一つへ集まり、形を得ようとしている途中。だから撃てない。弾丸を当てる場所がない。


『臨時統括核を構築』


『戦術系統を統合』


『固定工程を再開』


空から声が降る。王都全域。白い兵器が同時に動いた。ドローンの視界はもうない。だが、地面から伝わる振動だけで分かる。二十三体。同じ歩幅。同じ瞬間。王都へ向かっている。


「完成まで」


アリアが聞く。「クラウスは三分と言っていた」


「転送に一分」


「ああ」


「残り二分」


「もう少し減ってる」


「では、一分半」


「多分な」


「今はそれでいいです」


アリアは双剣を抜いた。右。左。銀紫の髪が、白い核から流れる風に持ち上がる。


「どう撃ちます」


「まだ撃てない」


「では、近づく?」


「ああ」


「どこまで」


「外さない距離まで」


礼拝堂の外。白い足音。近い。三方向。北。東。南。地上の古代兵器すべてがここへ来るわけではない。統括核は、動かなくても全機を支配できる。それでも近くにいた機体が、核を守るため集まり始めている。崩れた外壁の向こうへ、白い盾が見えた。一体。続いて刃機。四脚型。少なくとも三体。


「来ます」


「止めなくていい」


「通さないだけですね」


「ああ」


「何秒」


「三十」


「長いです」


「二十?」


「十五で」


「根拠は」


「今、決めました」


「それでいい」


三人は礼拝堂の中央へ走った。白い核。距離五十メートル。外壁を盾機が破る。石。木材。白い装甲。以前より速い。固定出力で強化され、損傷していた部位まで無理やり動いている。


盾機は伊織を見ない。核と伊織の間へ入る。それだけ。射線を塞ぐ。


「正面に立ちました」


「読まれてる」


「では横へ」


「核も動く」


黒い点が輪の内側を滑る。伊織の移動に合わせるように。視線。照準。すべて読んでいる。


『精密射撃を予測』


『射線遮断を優先』


「拳銃まで覚えてる」


「今まで、何度も見せましたから」


「撃つだけじゃ無理だな」


盾機が突進する。アリアが前へ出た。


「私が開きます」


「正面から受けるな」


「分かっています」


盾。横薙ぎ。アリアは後ろへ退かない。風を足元へ集める。身体を沈める。白い盾の下。滑る。双剣。右剣を盾の内側へ。左剣を床へ突き立てる。


「東さん、右へ!」


風が盾の内側から上へ抜ける。巨体は浮かない。だが、盾の角度が僅かに変わる。視界。白い核。一瞬だけ見える。黒い点。左上。伊織は撃たない。


「なぜ!」


アリアが叫ぶ。「動いてる!」


黒い点が消える。別の場所へ。撃てば外す。弾丸は一発ではない。具現し直せば撃てる。それでも。最後の一発は、一発でなければならない。


刃機がアリアへ走る。伊織は拳銃を構える。狙いは機体ではない。床。刃機の前。一発。石が欠ける。機体は避ける。落下。地盤。学習済み。ほんの半歩、進路がずれる。アリアの横を通るはずだった刃が、盾機の背中へ当たった。白い機体同士がぶつかる。


「今です!」


アリアが盾機から離れる。射線。白い核。開いた。黒い点。今度は中心近く。伊織は照準を合わせる。指。止まる。


「まだだ」


「見えています!」


「見えてるだけだ」


クロが白い核へ走る。


「クロ!」


黒い犬は止まらない。核。距離二十メートル。白い波が広がる。クロの前脚が一瞬遅れる。それでも進む。黒い揺らぎ。足元。核へ。


「何を」


アリアが息を呑む。クロは核を壊そうとしていない。定着させる。この世界へ。動き続ける黒い点。白い輪。存在する場所そのものを、固定する。


「クロ!」


伊織が叫ぶ。黒い犬は一度だけ振り返った。行ける。そう言うように鼻を鳴らす。黒い揺らぎが、核の周囲へ広がる。白い輪が震える。


『境界定着を検知』


『守護獣を排除』


四脚型が背部機構を開いた。礼拝堂の外。射撃。狙いはクロ。


「アリア!」


「はい!」


彼女は核ではなく、空を見る。四脚型。発光部。射線。白い光が収束する。風で逸らせない。固定出力。なら、撃つ前。


アリアは双剣を地面へ突き立てた。両手を前へ。風。礼拝堂の崩れた柱。砂。布。破片。全部を巻き上げる。四脚型の観測前へ。


『視界補正』


「補正されます!」


「一秒でいい!」


伊織は叫ぶ。アリアが歯を食いしばる。風。もう魔力はほとんど残っていない。それでも、観測光の前へ砂を送り続ける。四脚型が撃つ。射線。クロの右。白い光が礼拝堂の柱を砕く。破片が飛ぶ。アリアが風で横へ流す。


クロは動かない。黒い揺らぎ。白い核。重なる。黒い点の移動が遅くなる。


「止まります!」


「まだだ」


完全ではない。輪の中。黒い点。右。左。中心。動く範囲が狭くなっただけ。刃機が伊織へ向かう。盾機も立ち直る。クロを守る者はいない。アリアは四脚型を抑えている。伊織。右肩。左手。拳銃。敵二体。白い核。全部を同時には見られない。


「東さん!」


「分かってる!」


盾機。正面。刃機。左。伊織は盾機へ走った。核から離れる方向。古代兵器の観測が追う。


『射撃対象を移動』


『核防衛を継続』


盾機が伊織を追う。刃機も。核の前が開く。


「アリア、今だ!」


「何を!」


「核へ行け!」


彼女は一瞬だけ迷った。四脚型。観測妨害。風を止めれば、クロが撃たれる。


「私が離れれば」


「撃たせない!」


伊織は盾機と刃機の間へ入る。「来い!」


拳銃。盾機の観測光。一発。火花。刃機の膝。二発。装甲は抜けない。だが、二体の脅威判定が伊織へ集中する。四脚型も照準を変える。最も高い攻撃対象。伊織。


『精密射撃対象を最優先排除』


「東さん!」


「行け!」


アリアが核へ走る。クロの隣。二人。白い核。アリアは風を核の周囲へ流す。攻撃ではない。位置。空気が消える場所。黒い点が存在する座標を探る。


「クロ、もう少しです!」


黒い犬の脚が震える。前脚が床へ沈む。黒い揺らぎが薄くなる。アリアが片手をクロの背へ置く。通常魔力。残り。流す。


「使うな!」


伊織が叫ぶ。「必要です!」


「倒れるぞ!」


「あとで倒れます!」


「今倒れるな!」


「分かっています!」


白い核。動きがさらに遅くなる。黒い点。中心から、指一本分だけ右。アリアの風がそこへ集まる。見えない目印。


「位置が定まりました!」


伊織は振り返る。核。距離三十メートル。間。盾機。刃機。二体。射線を塞ぐ。四脚型。背後。発光機構。撃たれる。右肩。動かない。左手だけ。拳銃。


「射線を作ります!」


アリアがクロから手を離した。双剣。一本。投げる。伊織ではない。盾機の足元。剣が石へ刺さる。風。引く。盾機の右足が一瞬浮く。機体が傾く。刃機が横へ避ける。二体の間。狭い。拳銃一発が通るだけの隙間。


「今です!」


伊織は構える。左手。照準。隙間。白い核。黒い点。アリアの風が位置を示す。クロが境界を固定する。指揮中枢。すべてが一つの線へ重なる。


四脚型が撃つ。白い光。伊織の背中。逃げれば射線を失う。撃つ。先に。呼吸。グロック17。スライド。薬室。確認する必要はない。具現したばかり。それでも、親指が動く。身体が覚えている。


落ち着く。雨。車。SAT。南条。あの店。また行こうな。最後まで、次があると思っていた男。次を失った男。次を守ろうとして、全部止めようとした男。食堂。リナ。アリア。クロ。帰る場所。


伊織は引き金へ指をかける。白い光が背後へ迫る。


「東さん!」


「分かってる」


黒い点。止まった。今。銃声。一発。弾丸は、盾機と刃機の間を通った。アリアの風が作った空間。クロが固定した境界。白い輪。中心。黒い点。命中。


音は小さかった。金属を撃った音ではない。薄い氷へ針を刺したような、乾いたひび割れ。黒い点から線が走る。白い輪。一周。二周。すべてへ。


『統括核損傷』


『戦術系統との接続を喪失』


『固定工程を――』


声が途切れた。白い核が割れる。光。静か。爆発はない。輪郭だけが崩れ、細かな粒子となって空へ散っていく。


伊織の背後へ迫っていた射撃も消えた。四脚型の発光機構。暗くなる。盾機。止まる。刃機。振り上げていた腕を残したまま、動かなくなる。


王都。地面を伝えていた振動が止まった。二十三体。すべて。白い装甲から光が消える。


伊織は拳銃を下ろした。左手。震えている。力が抜ける。膝。床へつく。


「東さん!」


アリアが走る。伊織の前へ滑り込む。肩。触れない。左腕を支える。


「撃てた」


「見ていました」


「外してない?」


「外していません」


「そうか」


クロが核のあった場所で倒れた。


「クロ!」


二人が駆け寄る。黒い身体。動かない。伊織の呼吸が止まる。


「クロ」


手。首元。温かい。胸。呼吸。浅い。ある。黒い鼻が僅かに動く。


「寝てるだけか」


尾が一度。床を叩く。「心配させるな」


もう一度。弱い。アリアが膝をつく。クロの背へ手を置こうとして、止める。魔力はない。ほとんど。


「大丈夫です」


彼女は言った。自分へ言い聞かせるように。「戻れば、休めます」


「ああ」


「食堂へ」


「ああ」


アリアの身体が傾く。伊織が左腕で支えた。


「お前も」


「少し、休みます」


「正直だな」


「約束しました」


二人。一頭。崩れた礼拝堂。古代兵器三体。動かない。空。夜明け。白い光は消えている。代わりに、東の空が少しずつ明るくなっていた。


「終わったのでしょうか」


アリアが尋ねる。「多分」


「また多分ですか」


「クラウスに確認する」


「帰っていれば」


「帰る」


「なぜ分かるのです」


「菓子が残ってる」


アリアの口元が僅かに緩む。「焦げているのでしょう」


「ああ」


「それでも?」


「食べるって言った」


遠く。王都。鐘が鳴った。一度。間。二度。今度は遅れない。同じ間隔。時間が流れている。


伊織は空を見た。日本。帰る方法。まだある。決めていない。それでも。今は帰る場所がある。


「戻るぞ」


伊織が言った。「はい」


アリア。クロはまだ立てない。伊織は黒い身体を左腕で抱えようとする。右肩。無理。アリアが反対側へ手を入れる。


「一緒に」


「ああ」


二人でクロを持ち上げる。重い。温かい。生きている重さ。


礼拝堂の外へ出る。王都。煙。崩れた壁。倒れた時計塔。止まった古代兵器。人々。動いている。食堂の方向。遠い。歩ける。


「東さん」


「何だ」


「帰ったら」


「ああ」


「何か食べたいです」


「甘い物?」


「温かいものです」


「リナに頼め」


「あなたも食べますか」


「多分」


アリアが伊織を見る。「必ずです」


「分かった」


「何を」


「一緒に食べる」


アリアは前を向いた。頬が僅かに赤い。


「約束です」


「ああ」


三人は、朝の王都へ歩き始めた。黒い鎖の旗が、遠くで再び上がる。王都軍の旗。冒険者たちの声。食堂の煙突。煙が上がっている。火は消えていない。次の飯を作るための火だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。