第134話 二十秒
十体の古代兵器が、同時にこちらを向いた。人型七体。四脚型三体。換気塔の白い扉を背にし、半円を描くように配置されている。前列には盾機が二体。その両脇へ刃機。後列の四脚型は、互いの射線が重ならない位置を選んでいた。背後からは、アリアが土捨て場から引き離した三体が迫っている。挟まれるまで、二十秒。
「正面は無理です」
アリアが走りながら言った。「ああ」
「では、どこから」
「上」
伊織は換気塔を見上げた。円柱状の塔。白い外壁。地上から十メートルほどの位置に、排気用の開口部が並んでいる。人が通るための場所ではない。だが、排熱路から出たときに見た。内部には螺旋足場がある。
「扉を使わないのですか」
「待たれてる」
「開口部まで届きません」
「風で上がれる?」
「私とクロなら」
「俺も」
アリアが伊織の右肩を見る。「着地できません」
「左がある」
「落ちたら、左もなくなります」
「落ちなければいい」
「その考え方をやめてください」
正面の盾機が動いた。白い盾が持ち上がる。その後ろで、四脚型の発光機構が開く。
「射撃!」
伊織が叫ぶ。三人は左右へ散らない。アリアが風を前へ集める。白い光を受け止めるのではない。照準が定まる直前、砂と埃を巻き上げ、発光機構の観測線を横へ流す。三体の四脚型が撃つ。閃光。一発目は三人の左。二発目は右。三発目だけが正面へ来る。
「クロ!」
黒い犬が吠えた。白い射線が、伊織の身体へ届く直前に僅かに揺らぐ。完全には逸れない。伊織は左へ踏み込む。光が右肩の固定帯を掠めた。熱。布が焦げる。衝撃で身体が回る。伊織は左手を地面へつき、転倒を止めた。
「東さん!」
「動ける!」
「それは聞いていません!」
刃機が来る。二体。速い。伊織は左手を開いた。「鋼鉄の具現」
黒い粒子。グロック17。撃つ。一発。先頭機の観測光。二発目。同じ位置。白い光が乱れる。機体の刃が伊織の左側を通過した。避けたのではない。見失わせた。二体目は学習している。頭部を僅かに傾け、観測光を拳銃の射線から外す。
「下です!」
アリアが叫ぶ。「左膝の内側!」
風。機体の装甲継ぎ目を通り、内部の空洞を探る。伊織は狙いを変える。一発。左膝。火花。二発。古代兵器の踏み込みが浅くなる。それだけ。止まらない。刃が横へ走る。アリアが伊織の前へ入る。双剣。受けない。右剣で刃の側面を押し、左剣を肘の内側へ差し込む。風を流す。機体の右腕が上へ跳ねた。
「今です!」
伊織が近づく。至近距離。肘の内側。一発。動力光が乱れる。二発目。右腕が止まった。
「一体!」
アリアが言う。「倒れてない」
「止まれば十分です!」
「そうだったな」
先頭機は左腕でアリアを掴もうとする。クロが横から身体を当てた。機体は動かない。だが、注意が一瞬だけ下がる。アリアは風を足元へ集める。
「東さん、塔へ!」
「お前は」
「すぐ行きます!」
「一緒だ」
「時間がありません!」
「だからだ!」
伊織はアリアの左手を掴んだ。双剣を持っていない方。一瞬、彼女の目が見開かれる。
「飛べるか」
「二人分は重いです」
「クロもいる」
「増えています!」
「できる?」
盾機が近づく。後方の三体も、もう五十メートル。アリアは換気塔の開口部を見る。高さ。距離。風。
「できます」
「なら行く」
「落ちないでください」
「お互いにな」
アリアがクロを見る。「先に!」
風が黒い身体を包む。クロが跳ぶ。壁。開口部。前脚が縁へ届く。身体を引き上げる。次。アリアは伊織の手を握り直した。
「離さないでください」
「ああ」
「絶対に」
「ああ」
銀紫の髪が広がる。風が二人の足元へ集まる。盾機の白い腕。伸びる。地面が遠ざかった。二人の身体が一気に上がる。伊織の右肩へ重さがかかる。痛み。固定帯の下で傷が開く感覚。手は離さない。アリアの指も。
「あと少し!」
開口部。クロが縁から身体を伸ばす。伊織の外套へ噛みつく。風。引く力。二人の身体が壁へぶつかる。アリアが先に縁へ片腕を掛けた。伊織は左肘。右は使わない。足を壁へ当てる。
「上がれますか」
「先に行け」
「一緒です!」
アリアが身体を捻る。自分が上がるのではない。伊織の背中へ風を当てる。押す。伊織の腰が縁を越えた。クロがさらに引く。三人が換気塔内部へ転がり込む。
直後。外壁へ白い光が集中した。四脚型の射撃。開口部の縁が溶ける。熱風が内部へ吹き込む。
「伏せろ!」
伊織はアリアを左腕で引き寄せる。クロも身体を低くする。白い光。金属。熱。開口部が半分崩れた。外から古代兵器は入れない。だが、射撃は通る。
「下へ!」
三人は螺旋足場を駆け下りる。先ほど上った場所。今度は逆。中央柱。細い足場。下へ続く暗闇。背後の開口部から、刃機の手が伸びる。壁へ指を掛け、登ろうとしている。
「早いですね」
「覚えてる」
「私たちが上から逃げることを?」
「危険な経路としてじゃない。使える経路としてだ」
敵は学習した。落下を避けるだけではない。人間が使った道も学ぶ。
「足場を壊しますか」
「駄目だ」
「追ってきます」
「戻る道がなくなる」
アリアは反論しない。次を残す。逃げ道を消さない。
「では」
「追いつかれる前に扉を開ける」
下方。円形の扉。地下へ戻る保守口。以前非常開放した場所。閉じている。王統権限。通常出力で開ける。最後の高出力は残す。
「あと何秒です」
「十五」
「最初より減っていません」
「今、決め直した」
「便利ですね」
「使えるものは使う」
足場が揺れる。上。古代兵器が螺旋路へ入った。一体。二体。重さで金属板が沈む。外に残る機体は、換気塔の周囲へ集まっている。四脚型は開口部を狙い続けている。後方から来た三体も到着した。十三体。すべてが塔へ集まった。
「全部来ました」
アリアが言う。「狙いどおりだ」
「本当に?」
「今はな」
古代兵器が換気塔へ集中した。北門。避難列。採石場。地上の脅威は一か所へ集まる。問題は、自分たちもその中心にいることだった。
扉まで十メートル。上から刃。白い腕が振り下ろされる。アリアが振り返る。双剣。足場の幅は狭い。正面から受ければ押し落とされる。
「止まるな!」
伊織が言う。「止まっていません!」
アリアは走りながら、左の剣を後ろへ振った。刃では届かない。風。古代兵器の攻撃へ横から当てる。白い刃が中央柱へ逸れる。火花。機体の身体が柱へぶつかる。速度が落ちる。その後ろの機体が止まる。隊列。狭い。前が詰まれば後ろも進めない。
「それで十分だ!」
扉。アリアが認証盤へ手を当てる。銀色の光。
『王統権限を確認』
『固定準備工程への干渉を検知』
『開放を拒否』
「またです!」
「通常権限じゃ駄目か」
「高出力なら」
「使うな」
「では開きません!」
「手動がある」
伊織は盤の下を見る。日本語。
『非常開放』
覆い。二本のレバー。「同時操作」
「また二人ですか」
「ああ」
「クロは」
「後ろを見る」
黒い犬が古代兵器へ向き直る。低く唸る。
「無理はするな」
クロは鼻を鳴らす。「信じます」
アリアが右のレバー。伊織が左。「数えない」
「賛成です」
二人が同時に引く。動かない。
「固い!」
右肩は使えない。伊織は左腕へ力を集中する。アリアも。レバーが僅かに動く。背後。古代兵器の刃。クロが横へ跳ぶ。刃が足場を切る。金属板が傾く。
「クロ!」
黒い犬は次の段へ着地した。無事。
「もっと!」
アリアが魔力を盤へ流しかける。「高出力は使うな!」
「これは通常です!」
銀色の光。レバーの抵抗が弱まる。伊織が引く。二本。最後まで。
『非常開放』
扉が上へ動く。遅い。隙間。三十センチ。
「クロ!」
黒い犬が先に潜る。アリア。伊織。だが、右肩の固定帯が扉の縁へ引っかかった。身体が止まる。
「東さん!」
「先に行け!」
「嫌です!」
古代兵器の足音。あと二段。アリアが扉の向こうから伊織の左手を掴む。クロが外套へ噛みつく。
「固定帯を切れ!」
「傷が!」
「今はいい!」
アリアの双剣。左手で伊織を引いたまま、右の剣を滑らせる。固定帯。切断。右肩が自由になる。同時に、傷が開く。血。伊織は息を詰める。
「引け!」
アリア。クロ。二人の力。伊織の身体が扉を抜けた。古代兵器の白い腕が隙間へ入る。扉が閉まり始める。腕を挟む。機体が押す。
「閉まらない!」
「関節!」
アリアが風を隙間へ流す。「右肘の内側!」
伊織は左手。拳銃。グロック17。至近距離。一発。二発。白い光が乱れる。三発目。腕の動力が落ちる。扉が閉じる。白い腕を外側へ残したまま。轟音。隔壁。静寂。
伊織は壁へ背を預けた。右肩から血が流れる。
「見せてください」
「あとで」
「今です!」
「兵器が来る」
「扉の向こうです!」
「別経路がある」
「それでもです!」
アリアが伊織の前へ膝をつく。切れた固定帯。傷。血。顔が強張る。
「開いています」
「分かってる」
「なぜ、平気な顔を」
「平気じゃない」
アリアの手が止まる。「痛い」
伊織が言った。「かなり」
「......最初から、そう言ってください」
「言っても変わらない」
「私が変わります」
アリアは自分の外套の裾を切る。布。傷へ当てる。
「押さえてください」
伊織が左手で押す。アリアはその上から手を重ねた。魔力。薄い。治すためではない。流れを整え、出血を僅かに抑える。
「高出力は残せ」
「分かっています」
「負担は」
「今、聞きますか」
「必要だ」
「なら答えます。まだ動けます」
「それは聞いてない」
アリアが伊織を見る。同じ言葉。「少し、苦しいです」
「止めろ」
「嫌です」
「アリア」
「あなたも止めなかったでしょう」
「俺は」
「私もです」
紫の瞳。濃い。怒り。恐怖。決意。
「一人で決めないでください」
伊織は言葉を失った。かつてクラウスへ向けた言葉。今度は伊織へ。
「分かった」
「何が」
「一緒に決める」
「本当に?」
「ああ」
アリアは少しだけ手の力を緩めた。「では、あと十秒だけです」
「長い」
「短いです」
クロが扉の奥へ鼻を向けた。唸る。
「来る?」
一度。別経路。この通路の先。
「終わりだ」
アリアが手を離す。布をきつく結ぶ。「これ以上は戻ってからです」
「戻る?」
「食堂へ」
「ああ」
「必ず」
「必ず」
三人は立ち上がる。白い通路。研究区画へ続く保守導線。以前通った道。だが、同じではない。壁の照明が脈打っている。日本語の保守札。
『冷却水』
『排熱確認』
文字の一部が白く滲み、輪郭を失いかけている。
「固定の影響か」
「文字まで?」
「物じゃない。見る側の時間がずれてる」
伊織は目を瞬く。文字が戻る。次の瞬間。通路の奥から兵士が走ってきた。王都兵。一人。地下の別区画に残っていたのか。
「殿下!」
男がアリアを見つける。「固定が、王城まで――」
言葉が止まった。身体も。走る姿勢のまま。右足が床から浮いている。目は開いている。呼吸は。胸が動かない。
「何が」
アリアが近づく。「触るな!」
伊織が止める。兵士の周囲。空気が僅かに白い。局所固定。ベルタ村の家族と同じ。制御されているかどうかは分からない。一秒。二秒。三秒。兵士の足が床へ落ちた。
「――来ています!」
言葉の続き。本人は止まったことに気づいていない。アリアの顔が変わる。
「あなた」
「何でしょう」
「今、止まりました」
「何を」
「三秒ほど」
兵士は自分の手を見る。理解できない。「意識は」
伊織が尋ねる。「ありました。走っていました」
「間があった感覚は」
「ありません」
固定中の認識はない。少なくとも、この兵士には。だが、全員が同じとは限らない。
「王城は」
アリアが聞く。「各所で同じ現象が出ています。人も、火も、水も。長い者で五秒」
「避難者は」
「街の外でも一部」
距離では逃げられない。クラウスの言ったとおり。固定範囲は王都から広がっている。
『固定準備工程 第九段階へ移行』
白い通路。声。最後の一段階。兵士の顔から血の気が引く。
「第九」
アリアが呟く。「次で終わりだ」
伊織は通路の奥を見る。研究区画。白い輪。クラウス。指揮機。残る古代兵器。時間は、もう分単位ではない。
「兵士」
「はい」
「地上へ戻れ」
「殿下を残しては」
「命令です」
アリアが言う。「王女として?」
男が尋ねる。アリアは一瞬だけ伊織を見る。「今回は王女としてです」
声が変わる。「王城へ戻り、父上に伝えてください。固定は最終段階。地下中枢へ向かう。王都民の避難を続け、止まった者を無理に動かさないように」
「承知しました」
「それから」
アリアは僅かに息を吸う。「父上に、あとで話すと」
兵士は頷く。「必ずお伝えします」
走り去る。あとで。その言葉を残す。
「行くぞ」
伊織が言う。「はい」
クロが先へ出る。白い通路。奥。低い足音。一体。重い。人型ではない。四メートルを超える指揮機。地下中枢を守っていた最後の一体が、こちらへ向かっている。胸部の白い輪。両腕の盾。周囲の壁へ光の線を伸ばし、施設そのものと繋がっている。
『中枢侵入対象を確認』
『最終固定工程を優先』
「待っていてくれたようですね」
アリアが双剣を構える。「歓迎はされてない」
「十分です」
「倒す必要はない」
「通るだけ」
「ああ」
指揮機が両腕の盾を開いた。その奥。胸部の輪が白く燃える。通路全体が光に満たされる。
「二十秒」
アリアが言った。「何が」
「この機体を抜ける時間です」
「根拠は」
「今、決めました」
伊織は左手に拳銃を構える。右肩から血が流れている。クロが低く唸る。
「長いな」
「では十五秒で」
「それでいい」
三人は、最後の守りへ向かって走り出した。




