表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
130/139

第128話 戦場を作る

最初に動いたのは、食堂だった。リナが鍋の火を強め、棚から残っていたパンをすべて出す。客席へ寄せていた机は再び中央へ並べられたが、食事を楽しむためではない。片側には水差しと布、もう片側には包帯と薬。奥の長椅子には、歩けない者を寝かせるための毛布が敷かれていく。


扉は開け放たれた。まだ避難命令が街全体へ届く前から、近隣の住民が集まり始めている。地下から響いた声を聞いた者。王城の灯りが一瞬消えたのを見た者。理由は分からなくても、何かが起きていると察した者。


「子どもと歩けない人は中へ!」


リナの声が食堂に響く。「荷物は一つだけ! 服より水! 食べられる人は、ここで食べてから行って!」


「北門が開くって本当か?」


「本当。馬車も来る」


「どこまで逃げればいい」


「それを決めるのは外の人。今は列を作って!」


不安を消す言葉ではない。だが、何をすればいいかは分かる。人は動き始めた。


伊織はその様子を見てから、地図へ向き直った。食堂の奥。長机を二つ繋ぎ、王都北部の地図を広げている。王城。北門。外壁。換気塔。岩場。古い採石場。その先に広がる荒地。地下から延びる保守路の位置は完全には分からない。先ほど通った排熱副路と換気塔の位置を基準に、伊織が記憶から線を引いていた。


右肩は固定されている。地図に印をつけるのも左手だ。


「地下中枢は、この辺りですか」


アリアが王城直下を指す。「多分な」


「また多分ですか」


「正確な距離を測ってない」


「足数は」


「数えてない」


「あなたらしくありませんね」


「古代兵器に追われながら数える余裕はなかった」


「それはそうですが」


アリアは換気塔から地下へ延びる線を見る。「追ってきた兵器は三体」


「ああ」


「最初に出会った時点で三体だけだったのでしょうか」


「違うだろうな」


「根拠は」


「三体で施設全体を守れるとは思えない」


地下の規模。複数の観測区画。白い輪。世界を固定する装置。自律防衛が三体で終わるとは考えにくい。


「クラウスは数を教えなかった」


伊織が言う。「聞きませんでした」


「聞いても答えなかっただろう」


「聞くべきでした」


「今さらだ」


「次からは聞きます」


「次があればな」


アリアの目が細くなる。「作るのでしょう」


「ああ」


「なら、あります」


伊織は地図へ視線を戻した。王都軍の軽装兵が三人。ギルドの代表が二人。エルマー。アルド。全員が机を囲んでいる。


「確認できた地下出入口は」


伊織が尋ねる。王都兵の一人が別の地図を広げた。「王城内に二か所。城壁内に四か所。北側換気塔を含めると七か所です」


「封鎖できるか」


「王城内は可能です。ただし、固定機構の影響で扉が王統権限を拒否する可能性があります」


「物理的には」


「古代素材です。通常の工具では破壊できません」


「塞ぐだけなら?」


「石材を積むことはできます」


「古代兵器が出てきたら崩される」


「はい」


「なら、塞がない」


アルドが伊織を見る。「全て開けるのか」


「違う。出たい場所を選ばせる」


「どうやって」


「脅威の差を作る」


伊織は七か所の出入口を順番に指す。「王城内は王統魔力と兵力が集中している。自律防衛から見れば、優先度が高い」


「そこへ集まるのでは?」


「近づかせない。王城側から固定機構へ干渉しない」


「見せかける?」


「ああ。王城の魔力出力を落とす」


アルドの眉が動く。「防壁もか」


「最低限まで」


「王都防衛が薄くなる」


「古代兵器は王都を攻めたいわけじゃない。固定機構への干渉を排除したい」


「北へ誘導するために、北側だけ干渉を強める」


アリアが言った。「そうだ」


「王統魔力を使いますか」


「使えるか」


「できます」


「負担は」


「王都全域を覆うよりは軽いです」


「どこで使う」


「換気塔の近く」


「駄目だ」


伊織は即答した。「なぜです」


「最初から標的になる」


「そのための囮でしょう」


「囮と餌は違う」


「同じです」


「違う」


「どう違うのですか」


「戻る経路があるのが囮だ」


アリアが黙る。「お前は干渉を始めたら、古代兵器が集まるまで動けない」


「風で距離を取れます」


「固定干渉を維持しながら?」


「......通常より遅くなります」


「囲まれたら終わりだ」


「では、どうやって王統魔力を」


「動ける場所で使う」


伊織は換気塔から北西へ指を滑らせた。古い採石場。王都建設時に石を切り出した場所。現在は使われていない。周囲を岩壁に囲まれ、出入口は南側の一本だけ。中央は広く、上から全体を見渡せる段差が残っている。


「ここへ誘導する」


「袋小路ではないか」


アルドが言う。「古代兵器にとってはな」


「我々にとってもだ」


「先に退路を作る」


伊織は採石場の北壁を指す。「この裏は?」


王都兵が地図を確認する。「細い谷へ続いています。岩壁を崩せば通路を作れるかもしれません」


「崩せる人間は」


「土属性の魔術師がいれば」


ギルド代表が頷く。「三人いる。採石場の地盤を知る元作業員も一人いるはずだ」


「通路を作れ。ただし、古代兵器が通れない幅にする」


「人と犬だけ?」


「装備を持った兵も通す。横幅一メートル半。高さ二メートル」


「崩れない保証はないぞ」


「補強できるか」


「木材が必要だ」


リナが食堂の向こうから声を上げた。「裏の倉庫に梁があるよ!」


全員が振り返る。「聞いてたのか」


「耳は動くからね」


「食堂の修理用では?」


「帰ってくる食堂が残るなら、また集めればいい」


伊織は一度だけ頷く。「借りる」


「返して」


「できるだけ」


「必ず」


アリアが伊織を見る。「必ず返す」


言い直す。リナは満足したように避難者へ戻った。


「採石場へ誘導したあと、どう戦う」


エルマーが尋ねる。「敵の数次第だ」


「分からないまま?」


「だから先に見る」


伊織はクロを見る。黒い犬は机の下で伏せている。疲れている。だが、耳は動いていた。


「クロを地下へ戻すのですか」


アリアの声が硬くなる。「戻さない」


「では」


伊織は左手を開いた。「鋼鉄の具現」


黒い粒子。小型偵察ドローン。以前から使ってきた、伊織の視界と接続できる機体。食堂の中へ低い駆動音が広がる。


「これを換気塔から入れる」


「遠隔操作の負担は」


アリアが聞く。「距離次第だ」


「地下中枢まで?」


「行かせない。古代兵器の出口と数だけ見る」


「視界接続は」


「短時間にする」


「一人で?」


「クロに安定してもらう」


黒い犬が顔を上げた。「疲れています」


「分かってる」


「それでも?」


「必要な時間だけだ」


アリアはクロを見る。クロも彼女を見る。しばらくして、黒い犬が立ち上がった。伊織の左脚へ寄る。


「無理なら止める」


クロが鼻を鳴らす。「本当に止めてください」


「ああ」


「東さんもです」


「分かってる」


「最近、少しではなく?」


「今回は最初から」


アリアはまだ疑っていたが、反対はしなかった。「偵察中、私が魔力を流します」


「負担が重なる」


「直接ではありません」


彼女は伊織の背中を指す。「流れを整えるだけです」


「前と同じ?」


「はい」


「分かった」


アリアの目が僅かに見開かれる。「素直ですね」


「必要だからな」


「必要なら、素直になれるのですか」


「多分」


「また」


「今は作戦が先だ」


伊織は地図へ戻る。「偵察結果が出るまでに、採石場を整える」


「罠は」


エルマーが尋ねる。「古代兵器の装甲に、普通の罠は効かない」


「落とし穴なら?」


「一度使った」


「学習されている」


アリアが言う。「ああ。足場崩しは警戒される」


「では、罠は使えない?」


「同じ罠はな」


伊織は採石場の地形を見る。石を切り出した段差。狭い進入路。上部の岩棚。


「敵を落とすんじゃない」


「何を落とす」


アルド。「視界を奪う」


「岩を落とすのか」


「倒すためじゃない。隊列を分ける」


古代兵器は学習する。盾機が前。損傷機を後ろへ置く。連携する。なら、一体ずつ倒そうとするより、互いを見えなくする。


「採石場入口の上へ、砕いた石と砂を積む」


伊織が言う。「敵が通過したら落とす」


「装甲には効かない」


「視覚と観測光は遮れる」


「熱や魔力で見る可能性は」


「ある。だから一種類に頼らない」


「風も使います」


アリアが地図へ指を置く。「砂を採石場全体へ広げられます」


「敵も学習するぞ」


「最初の一度で十分です」


「その間に隊列を切る」


「はい」


「王都軍は正面へ出さない」


アルドが言う。「では、どこへ」


「岩棚の上」


伊織は左右の高所を示す。「弓兵と魔術師は上。敵が登れない位置から、関節と発光部だけを狙う」


「通常の攻撃は通じないのだろう」


「倒さなくていい。向きを変えさせる。盾を上へ向けさせる」


「正面が空く」


エルマーが理解する。「そこを俺たちが?」


「まだ出る気か」


「腕一本なら動く」


「俺に言われたくない?」


「分かってるじゃないか」


「前には出す。ただし、止める役じゃない」


「何をする」


「敵を誘導する」


「囮か」


「戻る道は作る」


「ならいい」


エルマーは笑う。「簡単に言うな」


「お前が言った」


ギルド代表が地図へ別の印をつける。「冒険者は左右の岩棚へ分ける。近接は下へ置かない方がいいな」


「古代兵器が倒れたとき巻き込まれる」


「ああ」


「動ける連中は退路の警護へ。避難者と兵器の進路を交差させるな」


アルドが王都兵へ命じる。「北門から出す避難列は西へ流せ。採石場方面へ近づけるな」


「東門は」


「東へ。その後、南へ迂回させろ」


「貴族の馬車が道を塞ぐ可能性があります」


「軍が退かせろ」


「抵抗した場合は」


「馬を外せ」


「荷物は」


「捨てさせろ」


「陛下」


「人が先だ」


王都兵は頷き、食堂を出た。次々に命令が外へ流れていく。


伊織は地図へ残った空白を見る。採石場。王都軍。冒険者。アリア。クロ。自分。まだ足りない。古代兵器が三体なら戦える。十体なら。二十体なら。固定機構そのものが別の兵器を持っているなら。


「火力が足りない顔ですね」


アリアが言う。「分かる?」


「最近、少し」


「使うな」


「便利です」


「認める」


食堂の外。馬の蹄。先ほどより多い。一頭や二頭ではない。地面が低く震えている。避難用の馬車ではない。統制された騎馬の音。止まる。扉の外で誰かが声を上げた。


「道を開けろ!」


荒い。王都兵の声ではない。「負傷者が先だ! 馬を下がらせろ!」


別の声。今度はよく通る。聞き覚えがある。伊織は扉を見る。リナが先に開けた。夜明け前の街路。黒い鎖の旗。騎馬。革鎧。傷だらけの装備。先頭の馬から、一人の男が降りる。大柄。古い外套。腰には剣。以前より傷が増えている。それでも、口元の笑い方は変わらない。


ゼクトだった。


「遅かったな」


伊織が言う。「随分な挨拶だ」


ゼクトは食堂の中へ入る。伊織の右肩を見る。固定帯。顔を顰める。


「死にかけてるようには見えん」


「借りを取りに来たんだろ」


「ああ」


「なら、生きてる」


「それでいい」


ゼクトは地図を見る。王。王女。冒険者。避難者。食堂。誰にも頭を下げない。


「何と戦う」


「世界を止めようとしてる男と、そいつの古代兵器」


「面倒そうだ」


「帰っていいぞ」


「断る」


「なぜ」


ゼクトは黒い鎖の旗を親指で指す。「世界が止まれば、借りを取り立てられん」


「それだけか」


「十分だ」


鉄鎖団の男たちが次々に食堂の外へ並ぶ。三十ではない。騎馬の後ろ。徒歩。荷車。さらに多くの影。数は百を超えている。以前の鉄鎖団とは違う。装備は不揃い。身なりも。だが、視線は同じ方向を向いている。


「増えたな」


伊織が言う。「減った」


「何?」


「ついて来られない奴は置いてきた」


「百以上いるぞ」


「東部は広い」


「全員、鉄鎖団?」


アリアが尋ねる。ゼクトは彼女を見る。「違う」


「では」


「鉄鎖団に借りのある連中だ」


傭兵。村の自警団。元盗賊らしい者。獣人。旅商人の護衛。鉄鎖団そのものではない。それでも、ゼクトの旗を目印に集まってきた。


「借りを返しに?」


アリアが言う。「取りに来た奴もいる」


「どちらです」


「生きていれば、あとで決められる」


ゼクトは伊織を見る。「そうだろ」


「ああ」


「作戦を聞かせろ」


「俺が指揮する」


「気に入らんな」


「帰る?」


「断る」


「なら従え」


ゼクトの笑みが深くなる。「いいだろう」


大きな手が地図の端を押さえる。「ただし、一つ条件がある」


「何だ」


「一番危ないところを寄越せ」


「囮になるか」


「借りは高い方が取り立てやすい」


「死んだら取れないぞ」


「だから生きる」


東部編で交わした言葉。形を変え、王都の食堂へ戻ってきた。伊織は採石場の入口を指す。「ここだ」


「狭いな」


「古代兵器を通す」


「俺たちは」


「最後まで引きつける」


「何体」


「分からない」


「武器は効くか」


「ほとんど効かない」


「面白い」


「笑うところじゃない」


「効く敵なら、お前が一人で倒すだろ」


ゼクトは採石場を見た。「俺たちが必要なのは、倒せないからだ」


「そうだ」


「なら、やる」


迷いがない。だが、無謀ではない。伊織の説明を聞くまで剣へ手を伸ばさず、地形を見ている。以前のゼクトとは少し違う。


「鉄鎖団は入口で誘導」


伊織が言う。「正面戦闘はしない。接触したら離れる。追わせる」


「逃げろと?」


「生きろと言ってる」


「同じだ」


「違う」


「お前も細かくなったな」


「仲間が増えた」


言ってから、伊織は自分の言葉に気づいた。ゼクトも。アリアも。誰も何も言わない。クロだけが尾を床へ一度打つ。


「そうか」


ゼクトが言った。「なら、その仲間ごと借りに入れておく」


「高くなるぞ」


「望むところだ」


地図の上。最後の空白が埋まる。戦力は揃った。まだ敵の数は分からない。時間も足りない。勝てる保証などない。それでも、戦場の形は見え始めていた。


王都の地下から、再び低い振動が届く。今度は長い。食堂の窓が揺れる。天井から細かな埃が落ちる。


『固定準備工程 第六段階へ移行』


街へ響く声。外にいた者たちが空を見上げる。王城の下から、細い白い光が立ち上がった。夜明け前の空を、垂直に貫く。


「あと何段階だ」


ゼクトが聞く。「分からない」


「またか」


「十まであると考える」


「根拠は」


「管理番号は切りがいい方を使う」


「日本人の考えか」


「技術者の考えだ」


「なら、残り四段階」


アリアが白い光を見る。「四段階ある、ではありません」


「何?」


「四段階しかない」


伊織はドローンを左手へ乗せる。クロが立つ。アリアが伊織の背後へ回った。右肩へ触れない位置。背中へ掌を置く。


「準備は」


「できてる」


「無理なら止めます」


「ああ」


「私が決めます」


「分かった」


彼女の魔力が薄く流れる。直接満たすのではない。伊織の中で乱れかけた経路を整える。クロの黒い揺らぎが足元から重なる。偵察ドローンの羽根が回り始めた。


「見てくる」


伊織が言う。「何体いるか」


小さな機体が食堂を出る。夜明け前の空へ上がり、白い光の根元へ向かった。それを見送りながら、ゼクトが剣の柄へ手を置く。


「多い方がいい」


「なぜ」


「借りが大きくなる」


「取り立てる相手が残ればな」


「残す」


伊織はドローンの視界へ意識を繋ぐ。王都。北壁。換気塔。白い光。その周囲で、岩が動いていた。違う。岩ではない。地中から、白い装甲が次々に姿を現している。一体。三体。五体。さらに。視界の端で、数字が増える。


伊織は息を吐いた。「何体です」


アリアの手が背中にある。「今、十二」


「今?」


「まだ出てくる」


十五。十七。換気塔だけではない。王城北側の地面。古い水路。閉鎖された地下入口。複数の場所から白い機体が現れる。二十。その中に、形の違うものがいる。人型ではない。四脚。背部に長い発光機構。遠距離型。


「二十三」


「全部、採石場へ誘導できますか」


「やる」


「できるかではなく?」


「やるしかない」


ゼクトが笑う。「その答えは好きだ」


ドローンの視界。最後に、ひときわ大きな影が地下から上がってきた。人型。高さ四メートル以上。両腕に盾。胸部には白い輪。周囲の兵器が、その個体を中心に隊列を組み始める。指揮機。学習した戦闘を共有する中枢。


伊織は視界接続を切った。胸の奥が重い。アリアの魔力が流れを整える。クロが脚へ身体を寄せる。


「二十四」


伊織が言った。食堂が静かになる。「最後の一体は指揮機だ」


「勝てるか」


アルドが尋ねる。伊織は地図を見る。採石場。王都軍。冒険者。鉄鎖団。アリア。クロ。自分。


「今のままでは無理だ」


誰も目を逸らさない。「だから、変える」


「何を」


ゼクト。「作戦を」


伊織は地図の採石場へ、二本目の線を引いた。「二十四体を相手にする作戦へ」


夜明けが近づいていた。だが、王都の空は白い光に照らされ、朝より先に戦場の色へ変わり始めていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ