第126話 排熱路
赤い光は、白い通路の奥から追ってきた。壁。天井。足元。導線が一斉に脈打ち、そのたびに古代兵器の足音が近づく。重いはずの機体が、狭い保守路をほとんど速度を落とさず進んでいた。
伊織は走りながら背後を見た。三体。一体目は右腕を失っている。二体目は射撃機構を損傷。三体目は無傷。だが、壊れた二体も止まっていない。使用不能になった部位を捨て、残った機能だけで追跡を続けている。
「学習しています」
アリアが言った。「ああ」
「先ほどより隊列が整っています」
前に無傷の一体。その後ろへ損傷機。盾を持つ機体が射線を塞ぎ、後方二体を守っている。さっきまでの戦い方は通じない。同じ方法を使えば、その隙を狙われる。
伊織は前へ向き直った。排熱副路。幅は一メートル半。高さは二メートルほど。白い壁は途中から赤黒い金属へ変わり、空気には熱が混じっている。奥へ行くほど、温度が上がっていた。
「外へ繋がっているのですよね」
「排熱ならな」
「途中で焼かれる可能性は」
「ある」
「先に言ってください」
「今言った」
「遅いです」
クロが先頭を走る。黒い身体が角を曲がる。すぐに戻ってきた。耳が伏せられている。
「熱い?」
クロが鼻を鳴らす。「かなり?」
もう一度。アリアが風を前方へ流した。温度。圧力。空気の動き。彼女の表情が硬くなる。
「正面から熱風が来ます」
「周期は」
「一定ではありません」
「施設の出力が上がってる」
白い導線が赤へ変わる。
『固定準備工程 第四段階』
無機質な声。
『境界出力を排熱系統へ接続』
「来るぞ!」
伊織が叫ぶ。前方の暗闇が赤く光った。低い轟音。空気が膨らむ。アリアが両手を前へ出す。風。壁ではない。正面から来る熱流を左右へ分ける。狭い通路。逃がせる空間は少ない。それでも、熱は二人と一頭の身体を避けるように壁際へ流れた。
赤い光。髪が後ろへ吹き上がる。防護服の表面が熱を持つ。呼吸するだけで喉が焼ける。
「長くは無理です!」
「あと何秒」
「十!」
「十分だ」
「何にですか!」
伊織は壁を見る。日本語の表示。
『排熱弁 C-14』
その下。手動レバー。クラウスが後から追加したもの。
「弁を閉じる」
「排熱を止めたら」
「別の経路へ逃げる」
「本当に?」
「こいつなら、逃げ道を作ってる」
「信じるのですか」
「仕事は信用する」
伊織はレバーへ手を伸ばした。動かない。熱で固着している。右手は使えない。左だけ。力が足りない。
「アリア!」
「今、手を離せません!」
「風で押せるか」
「方向を!」
「下だ!」
アリアは正面の熱流を受け止めたまま、右手の指だけを動かした。風の一部がレバーへ回る。下。金属が軋む。動かない。
「もっと!」
「これ以上分ければ、熱が来ます!」
「三秒だけ持て!」
「最初から十秒しかないと言いました!」
「もう七秒だ!」
「数えないでください!」
クロがレバーの根元へ走った。黒い前脚。金属へかける。押す。動かない。
「クロ、離れろ!」
黒い犬は動かない。低く唸る。身体の周囲へ黒い揺らぎ。魔力ではない。世界との接続を強める力。レバーそのものが、この場所へ深く固定される。逆だ。動かしにくくなる。だが、同時にクラウスが後付けした金属部と古代施設の接続境界が浮かび上がった。継ぎ目。
「そこか」
伊織はレバーを下へ押すのをやめた。横。僅かに引く。次に下。安全機構。日本の設備にもある動き。レバーが落ちた。
『排熱副路 閉鎖』
轟音が途切れる。熱流が急速に弱まった。アリアが風を解く。その場へ膝をつく。
「アリア」
「平気です」
呼吸が速い。額に汗。両手が僅かに震えている。
「今度はお前が平気じゃない」
「動けます」
「その言い方をするな」
アリアが顔を上げる。「あなたが言いました」
「俺が言うのはいい」
「よくありません」
クロが二人の間へ入る。後方。古代兵器の足音。近い。弁を閉じたことで熱は止まった。同時に、音もはっきり聞こえるようになった。
「休めませんね」
「ああ」
伊織は先へ進む。だが、十数歩で足を止めた。前方。分岐。左。右。どちらにも同じ赤い光。表示。
『主排熱路』
『地上換気塔』
「右だ」
「理由は」
「地上換気塔」
「読めるのは便利ですね」
「今はな」
三人は右へ入る。背後。古代兵器が分岐へ到達する。一瞬の停止。迷わない。右へ。
「位置を把握されています」
「施設の中だ」
「では、罠も」
「あるだろうな」
通路の先。床が途切れていた。縦穴。直径六メートル。底は見えない。中央へ太い柱。その周囲を螺旋状の足場が上へ続いている。
「換気塔」
伊織が見上げる。遠い。上方に小さな光。地上。
「上りますか」
「ほかに道はない」
「後ろから来ています」
「上からも来るかもしれない」
「嬉しくない情報です」
クロが螺旋足場へ飛び乗る。二人も続く。金属板。細い。手すりは片側だけ。下から熱気。上へ風。足場が僅かに揺れる。伊織は右腕を身体へ寄せ、左手で手すりを掴んだ。アリアが後ろ。
「私が先に」
「クロがいる」
「あなたの肩を見ています」
「前を見ろ」
「両方見ています」
「器用だな」
「褒めても誤魔化されません」
足音。古代兵器が縦穴へ入る。螺旋足場。巨体には狭い。だが、止まらない。先頭機が盾を前へ出し、足場へ踏み込む。金属板が大きく沈む。
「足場が持たない」
伊織が言った。「なら、落とせます」
「機体を?」
「足場ごと」
「俺たちも落ちる」
「先に上へ行けばいいのです」
「簡単に言う」
「急いでください」
三人は上る。古代兵器も。距離。二十メートル。十五。機体は人間より速い。盾が足場を削り、手すりを折りながら進む。アリアが振り返る。双剣。
「待て」
「このままでは追いつかれます」
「分かってる」
伊織は左手を開いた。黒い粒子。拳銃。グロック17。掌へ馴染む重さ。引き金へ指をかけない。マガジンを抜く。スライドを引く。薬室を確認。戻す。マガジンを叩き込む。具現物。弾薬は魔力。不具合など起きない。確認する意味はない。
「何をしているのですか」
アリアが聞く。「確認」
「具現したばかりですよね」
「ああ」
「壊れているのですか」
「壊れてない」
「では、なぜ」
伊織は拳銃を握り直した。「これをやると落ち着く」
アリアが伊織を見る。短い沈黙。「南条さんですか」
伊織の指が一瞬止まる。「何で分かる」
「あなたが意味のないことを大切にするときは、誰かから受け取ったものだからです」
「意味はある」
「落ち着くのでしょう」
「ああ」
「なら、意味はありますね」
アリアは前へ向き直る。「落ち着きましたか」
「ああ」
「では、お願いします」
伊織は振り返った。古代兵器。盾。装甲。撃っても止まらない。狙うのは本体ではない。足場。支柱。螺旋板を中央柱へ固定している接合部。古代施設の金属。拳銃弾では破壊できない。だが、一か所だけ色が違う。クラウスが後から補修した金属帯。この世界の材料。細い。
「アリア」
「はい」
「下から三段目。中央柱との接合部」
彼女が見る。風を流す。「内部に亀裂があります」
「どの位置」
「右端。指二本分」
伊織は照準を合わせる。足場が揺れる。古代兵器が近づく。距離十メートル。クロが伊織の脚へ身体を寄せる。黒い粒子が落ち着く。銃口。標的。呼吸。一発。銃声。弾丸が金属帯へ当たる。火花。壊れない。
「もう少し左です!」
二発目。亀裂。三発目。金属帯が裂ける。足場が傾いた。古代兵器が一歩止まる。盾を中央柱へ打ちつけ、姿勢を支える。学習している。
「落ちません!」
「分かってる」
伊織は上を見る。次の接合部。同じ補修。一か所では足りない。
「アリア、上を切れるか」
「どこです」
「次の固定帯」
風。彼女が位置を探る。「見つけました」
「撃つ」
「待ってください」
アリアが足を止める。双剣を抜く。上段の接合部へ風を集める。「私が先に開きます」
「遠い」
「届かせます」
右剣。振る。刃は接合部へ届かない。だが、風が刃先の軌道を延ばす。見えない斬撃。金属帯へ浅い傷。二撃。同じ位置。三撃。亀裂。
「今です!」
伊織が撃つ。一発。亀裂が開く。二発目。金属帯が切れた。上下二か所。螺旋足場の一部が中央柱から外れる。傾く。古代兵器が盾を支柱へ押しつける。残った固定部へ重量が集中。金属が軋む。
「クロ!」
黒い犬が吠えた。黒い波が中央柱と足場の境界へ走る。固定するのではない。すでに切れた接続を、この世界から一瞬だけ浮かせる。足場が外れた。大きく傾く。古代兵器の足が滑る。盾。支柱から外れる。白い巨体が縦穴へ落ちた。後方二体を巻き込む。金属。光。三体が重なり、暗闇へ消えていく。落下音。長い。最後に、遠くで轟音。
伊織は拳銃を下ろした。「倒したのでしょうか」
「止めただけだ」
「この高さから落ちても?」
「古代兵器だ」
「頑丈すぎます」
「戻る前に出る」
三人は再び上り始める。足場の一部が失われている。上段まで三メートルの空白。
「飛びます」
アリアが言った。「クロから」
風が黒い身体を包む。クロが跳ぶ。上段へ。着地。次にアリア。風。軽く越える。伊織。右肩。跳べる。着地時に手をつけない。
「来てください」
アリアが上段から手を伸ばす。「届かない」
「跳べば届きます」
「一人で行ける」
「知っています」
「なら」
「手を出したいのです」
伊織は彼女を見る。断る理由はない。走る。跳ぶ。左手。アリアの手を掴む。風が身体を押し上げる。彼女が引く。二人で上段へ倒れ込む。伊織は右肩を庇い、左半身から床へ転がった。アリアも隣へ膝をつく。
「大丈夫ですか」
「ああ」
「約束は」
「覚えてる」
「処置します」
「外へ出てから」
「必ず」
「必ず」
手はまだ離れていなかった。アリアが先に気づく。指が僅かに動く。それでも、すぐには離さない。
「東さん」
「何だ」
「立てますか」
「手を離せば」
「そうでした」
ようやく離れる。アリアは前を向いた。頬が僅かに赤い。伊織は何も言わない。クロも。換気塔の上。光が近づく。外気。冷たい。地上の匂い。
「出口です」
最後の扉。円形。中央に古代文字。その下へ日本語。
『非常開放』
「また二人ですか」
左右にレバー。「そうらしい」
伊織とアリアが一つずつ掴む。「今度は三つ数えません」
「なぜ」
「途中で何か来るからです」
「分かった」
「同時に」
「ああ」
引く。扉が開く。夜空。王都の外壁。換気塔の出口は、城壁北側の岩場へ繋がっていた。冷たい風が顔へ当たる。三人は外へ出る。扉が背後で閉じる。
夜。星。遠くに王都の灯り。まだ動いている。人が歩き。火が燃え。時間が進んでいる。だが、王都の地下から白い光が少しずつ漏れ始めていた。固定機構。第四段階。正午を待たず、起動は進んでいる。
「戻りましょう」
アリアが言った。「どこへ」
「皆のところへ」
「王城?」
「違います」
彼女は王都の灯りを見た。「私たちが帰る場所です」
食堂。仲間。次の朝。クラウスにはないと決めたもの。伊織は拳銃を解除した。黒い粒子が夜風へ散る。右肩が熱い。身体は重い。だが、頭は静かだった。
南条に教わった動作。意味のない確認。落ち着くための儀式。最後に使うときが来るなど、今は考えない。
「行くぞ」
クロが先へ走る。アリアが並ぶ。三人は王都の灯りへ向かった。
その背後。地下の奥で、落下したはずの古代兵器の目が再び白く灯った。




