表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
108/139

第106話 三つは選べない

 食堂の扉が開いたとき、店内にいた者たちは誰も声を上げなかった。


 伊織の右腕は力なく垂れ、外套の肩口には土と灰がこびりついていた。左側から身体を支えるアリアも、紫の髪を砂で汚し、頬には細い切り傷を作っている。クロの黒い毛には白い粉塵が積もり、その後ろを歩くヴォルフの剣は、刃こぼれこそしていないものの、中央付近が鈍く曇っていた。


 敗れた者たちの姿だった。


 リナは手にしていた皿を静かに置くと、何も尋ねず、食堂の奥にある長机を空けた。


「座って」


「先に地図を」


「座ってから」


「時間がない」


「腕が下がってる人が言っても、説得力がないよ」


 伊織は自分の右腕を見た。


 肩から先が、他人の身体のようだった。指は動く。感覚もある。だが、腕を持ち上げようとすると、肩の奥で熱を持った刃が回る。


「骨は折れていません」


 アリアが先に言った。


「たぶん」


「その言葉を付けると、急に信用できなくなるね」


 リナは伊織を椅子へ座らせ、戸棚から布と薬を取り出した。


 店内には、避難してきた町の者たちが残っていた。老人、子ども、荷物を抱えた商人。皆、話しかけることもできず、こちらを見ている。


 その視線に恐れが混じっていることを、伊織は分かっていた。


 塔から現れた巨大な兵器。


 丘を消した白い光。


 戦いへ向かった者たちが、傷を負って戻ってきた。


 安心させる言葉を求められている。


 だが、勝てると断言するには、まだ材料が足りなかった。


「怪我人は」


 伊織がヴォルフに尋ねる。


「兵士が二人。飛んだ石で腕と頭を切った。死者はいない」


「重傷者は」


「いない。お前が岩を崩したおかげだ」


「アリアの風だ」


「両方だろう」


 ヴォルフは曇った剣を机へ置いた。


 その音に、店内の視線が集まる。


「敵は塔へ戻った。追跡はさせていない」


「それでいい」


「だが、門の兵は怯えている。無理もない。剣が通らず、矢も魔法も弾かれた」


「戦わせるつもりはない」


 伊織の言葉に、ヴォルフの目が細くなった。


「町の兵を使わずに、あれを止めると?」


「正面には立たせない」


「役に立たないと言っているように聞こえるぞ」


「役割が違う」


 伊織は左手で水差しを取り、口をつけた。


 冷たい水が喉を通る。


 採石場の砂埃が、まだ口の中に残っていた。


「町の兵は避難路と封鎖線を維持する。敵を倒すための訓練は受けていない。無理に正面へ出せば、数が多い分だけ死ぬ」


「では、俺は?」


「前に出る」


 ヴォルフの眉がわずかに上がる。


「扱いが違わないか」


「お前は止めても出る」


「よく分かっている」


「だから、使う」


 ヴォルフは不満そうに鼻を鳴らしたが、それ以上は言わなかった。


 リゼルとニコが食堂へ入ってきた。


 ニコは抱えていた記録板を机へ置くと、採石場で取った記録を一枚ずつ広げていく。射撃時刻、敵の反応、装甲移動、光線発射までの間隔。遠方からの観測だったため、細部に不確かな部分はあるが、伊織の記憶と照合するには十分だった。


「初撃から反撃まで、十一秒」


 ニコが言う。


「二度目は?」


「銃撃開始から、六秒です」


「短くなってる」


「こちらの武器を識別したためだと思います」


「胸の砲は」


「装甲が開いてから発射まで、九秒前後。ただし、光が強くなり始める前から内部で反応があったとアリアさんが」


 アリアは伊織の肩へ治療の光を流しながらうなずいた。


「外見上の変化より先に、胸部へ魔力が集まっています。クロはさらに早く気づいていました」


 床に伏せていたクロが顔を上げる。


「何秒だ」


 クロは答えない。


「聞き方を変えます」


 アリアがクロの前へしゃがみ込んだ。


「胸が開くより、どのくらい前に危険を感じましたか」


 クロはしばらくアリアを見つめたあと、前脚で床を三度叩いた。


「三秒?」


 クロが鼻を鳴らす。


「三呼吸でしょうか」


 もう一度、床を三度叩く。


「おそらく、それに近いのでしょう」


 伊織は机の上に広げられた紙へ視線を落とした。


 敵の形を簡単な線で描く。


 四脚。


 両腕。


 胸部砲。


 各部を覆う可動装甲。


 右前脚へ銃弾が入ったとき、一時的に動きが鈍った。


 修復が始まったのは、その直後。


 そして胸部砲を撃つ瞬間、修復は止まった。


「装甲が動いた時刻は」


 ニコが記録を確認する。


「最初の一発の直後。右脚を覆いました。その次に肩、腰。東さんが攻撃箇所を変えるたび、二秒から三秒で移動しています」


「全部の装甲が動いたか」


「いいえ。動いたのは被弾箇所の周辺だけです」


「修復中は?」


「脚の装甲が固定されていました」


「胸部砲の充填中は」


「全身の装甲が止まっています」


 伊織は三つの言葉を書いた。


 防御。


 修復。


 攻撃。


 それぞれを丸で囲み、線で結ぶ。


「これ、同じ力を使ってる」


 リゼルが紙を覗き込む。


「魔力を?」


「魔力か、それを変換した何かだ。防御するときは装甲を動かす。傷を受ければ内部を修復する。撃つときは胸へ集める」


「それが何だというの?」


「同時にやっていない」


 伊織は三つの丸の中央に、斜線を引いた。


「正確には、できないのか、しないのかは分からない。だが、今日の個体は必ず一つずつ選んだ」


 ヴォルフが腕を組む。


「一つしか選べないなら、攻撃させている間に斬ればいい」


「胸部砲を撃たせて近づけるならな」


「アリアの風で逸らす」


「一度目は、射線に角度があったからできた。正面から受ければ、風ごと抜かれる」


 アリアは否定しなかった。


「軌道へ干渉できたのは、光そのものではなく、周囲に形成された魔力の偏りだと思います。正面から受け止めることはできません」


「なら、撃つ方向を決めさせる」


 ヴォルフが言う。


 伊織は顔を上げた。


「どうやって」


「狙わせる者を一人に絞る」


「誰を囮にする」


「俺だ」


「却下だ」


「なぜだ」


「光線を避ける速さがない」


「試してもいない」


「試したあとで死んでいたら、次に使えない」


 ヴォルフの目に怒気が浮かぶ。


 だが、言い返す前に、アリアが机へ指を置いた。


「敵が攻撃する対象は、最も危険だと判断した者でしょうか」


「採石場ではそう見えた」


 伊織は記憶を辿る。


 最初に89式を撃ったあと、敵は伊織へ右腕を向けた。


 次に丘の兵士へ左腕を向けたのは、包囲の一部と判断したからか。


 胸部砲を撃ったのは、ヴォルフとアリアが脚の装甲を剥がし、伊織が内部を撃ち抜いた直後だった。


 脅威の高い対象を排除する。


 単純ではあるが、合理的だ。


「攻撃力だけではないかもしれません」


 アリアが続ける。


「私が風で視界を遮ったとき、敵は私ではなくヴォルフを追いました。けれど、光線を逸らしたあとは、反応が私へ移っています」


「妨害能力も評価してる」


「ええ」


「なら、選ばせられる」


 伊織は新しい紙を引き寄せた。


 採石場の地形を描く。


 入口。


 左右の岩壁。


 丘。


 崩れた場所。


 古代兵器が立っていた中央の窪地。


「敵は攻撃を受けると、攻撃元を分析する。危険度を付け、優先順位を決める」


「それを利用するの?」


「一番危険に見えるものを用意する」


「囮か」


 ヴォルフが言う。


「人間じゃない」


 伊織は左手を開いた。


 黒い粒子が少しだけ集まり、手のひらの上で小型無人機の輪郭を作る。しかし完全には具現せず、すぐに粒子へ戻った。


「飛行機械ですか」


 アリアが尋ねる。


「偵察用の小型機だ。武器も積める」


「それを囮に?」


「一機では足りない」


 伊織は採石場の上空へ、三つの印を描いた。


「最初の一機で観測させる。二機目には攻撃させる。三機目は何もしない」


「何もしない機械を飛ばす意味は」


「敵がどれを選ぶかを見る」


 リゼルが眉を寄せた。


「試験をするつもり?」


「向こうが俺たちにしたのと同じことをする」


 食堂の奥で、子どもが泣き始めた。


 母親が抱き寄せ、小さな声で宥めている。


 伊織はそちらを見なかった。


 見れば、焦る。


 焦れば、必要な段階を飛ばす。


 守るためには、急がなければならない。


 だが、急ぐことと、考えずに動くことは違う。


「その機械は、どの程度動かせるのですか」


 アリアが問う。


「距離で消耗が増える。視界を繋げば、さらに使う」


「三機同時は」


「長くは無理だ」


「今の肩では、銃も満足に扱えません」


「肩は使わない」


「魔力は使います」


「クロがいる」


 伊織の言葉に、クロの耳が動いた。


 鋼鉄の具現が成長していることは、すでに分かっていた。クロとの繋がりが強まるほど、伊織の魔力量は増し、維持に必要な負担も少しずつ下がっている。


 だが、無制限ではない。


「足りなければ、私が補います」


 アリアが言った。


「風で機体を支えるのか」


「それもできます。ですが、魔力そのものを渡す方法もあります」


 伊織はアリアを見る。


「前にやったやつか」


「あなたが無理に重兵装を出そうとしたときです」


「倒れたな」


「ええ。ですから、今度は倒れる前に止めます」


「止まらなかったら」


「止めます」


 声音は静かだった。


 しかし、細い紫の瞳には、議論を許さない強さがあった。


「手を背中へ置く必要があります」


「戦場でか」


「あなたが動かなければ」


「難しい注文だ」


「では、動かなくて済む配置を考えてください。戦術を考えるのは得意なのでしょう」


 伊織はわずかに息を吐いた。


 アリアは冗談を言ったつもりではない。


 それでも、少しだけ肩の力が抜けた。


「狙撃位置を作る」


「そこへ私も入ります」


「敵に見つかる」


「風で隠します」


「魔力を使いすぎる」


「配分を考えます」


 以前なら、アリアは伊織の作戦に参加するため、剣を持って前へ出ようとしただろう。


 今は違う。


 何を斬るかではなく、どこに立ち、何を支え、どの瞬間に力を使うかを考えている。


 伊織は採石場の西側に印を付けた。


「ここに観測位置を作る。岩壁の陰。敵の胸部と脚が見える高さ」


「風向きは」


 アリアが尋ねる。


「今日と同じなら北西から南東」


「砂を使えます」


「最初の一機が接近したら、機体の周囲だけ風を切れ」


「音を消すのですね」


「完全には無理でいい。気づく時刻をずらしたい」


 ニコが羽根ペンを走らせる。


 ヴォルフが地図を指した。


「俺はどこだ」


「東側の岩陰」


「また脚を狙うのか」


「まだ斬るな」


「何をする」


「見せる」


 伊織はヴォルフの位置から、敵の右側面へ線を引いた。


「剣を抜いて、近づく。敵が装甲を脚へ寄せる距離まで」


「斬らずに戻るのか」


「そうだ」


「つまらんな」


「次は斬れる」


「次?」


「装甲を脚へ寄せたら、上が薄くなる」


 伊織は敵の肩と胸の間へ印を付ける。


「ドローンで上から攻撃する。敵は装甲を上へ戻す。その間に、ヴォルフが脚を開ける」


「前と同じでは?」


 リゼルが聞く。


「前は偶然、脚を開けた。次はこっちが開けさせる」


「そのあと、また修復されるわ」


「だから修復を選ばせる」


 伊織は三つの丸のうち、修復へ指を置いた。


「脚を傷つければ、修復する。その間は装甲が止まる」


「でも、胸の砲を撃たれたら」


「撃たせる」


 店内の空気が止まった。


 ヴォルフさえ、すぐには言葉を返さなかった。


「誰に」


 アリアが静かに尋ねる。


「ドローンだ」


 伊織は採石場の正面上空へ、最後の印を付けた。


「攻撃用の機体を胸部の正面へ置く。敵が一番危険だと判断する位置に。脚を修復しながら撃てないなら、どちらかを選ぶ」


「攻撃を選べば、脚の修復が止まる」


「修復を選べば、胸部砲は撃てない」


「どちらを選んでも」


「隙ができる」


 伊織は紙の中央へ一本の線を引いた。


 西の観測位置から、敵の胸部へ。


 狙撃線。


「その瞬間に撃つ」


「何で?」


 リゼルが問う。


 伊織は答えず、黒い粒子を左手へ集めた。


 長い銃身。


 太い機関部。


 大型の照準器。


 具現しかけた対物狙撃銃は、机の上に輪郭だけを現し、すぐに消えた。


 右肩では支えられない。


 伏射でも、反動を受ければ傷が悪化する。


 それでも一発なら撃てる。


「敵の中へ届く弾だ」


 ヴォルフが対物狙撃銃の消えた場所を見る。


「一発で倒せるのか」


「倒せないかもしれない」


「なら、何のためだ」


「次に倒す場所を見つけるためだ」


 誰もすぐには口を開かなかった。


 今度の戦いも、勝つためではない。


 さらに調べるための戦い。


 敵は一度の接触でこちらの兵器を覚えた。


 ならば、こちらも同じ速度で敵を理解しなければならない。


「もう一度、負けるつもり?」


 リゼルの声には、責める響きがなかった。


 確認だった。


「負ける準備はしない」


 伊織は地図の外側へ、退避経路を二本描いた。


「ただし、倒せなくても全員戻す」


「それを負けと呼ぶ者もいるわ」


「呼ばせておけばいい」


 伊織は食堂を見渡した。


 避難してきた者たち。


 不安を隠せない大人。


 泣き疲れ、母親の胸で眠り始めた子ども。


 厨房からは、温め直されたスープの匂いが漂っている。


 戦場から戻れば、ここに食事がある。


 それを守るために、勝ち方を選ぶ。


 英雄に見える必要はない。


 無傷で勝つ必要もない。


 最後に、この場所が残ればいい。


「準備はいつまでに」


 ニコが尋ねた。


「日暮れまでに観測位置を作る。採石場の住民を完全に退避。入口には誰も置くな」


「敵が先に動いた場合は」


「鐘を三回。全員、地下へ入らず西門から外へ避難する」


「食堂は」


 リナが聞いた。


 伊織は言葉に詰まった。


 戦術上なら、町の中心部に近いこの建物は放棄すべきだった。


 地下の導線も近い。


 敵が狙う可能性がある。


「閉める」


 ようやくそう言った。


「今日から?」


「ああ」


「料理は」


「避難所で作れる場所を探す」


 リナは少しだけ考え、鍋の蓋を開けた。


 湯気が立ち上る。


「なら、これを食べてからにして」


「時間が」


「空腹で考えた作戦なんて、ろくなものにならないよ」


 誰かが小さく笑った。


 ほんのわずかな音だった。


 それでも、店内に張り詰めていたものが少しだけ緩んだ。


 リナは器へスープを注ぎ、伊織の前へ置いた。


 右手が使えないことに気づき、木匙の向きを左側へ変える。


「食べたら、好きなだけ考えて」


 伊織は左手で木匙を持った。


 具材を掬い、口へ運ぶ。


 温かかった。


 敗北の味はしなかった。


 机の上には、敵の図と作戦線が広がっている。


 その中央には、防御、修復、攻撃の三つの丸。


 敵は強い。


 速い。


 学習する。


 それでも、何もかもを同時には選べない。


 伊織はスープを飲み込み、もう一度、三つの丸を見た。


「選ばせるぞ」


 独り言に近い声だった。


 だが、アリアには聞こえていた。


「ええ」


 彼女は伊織の背後へ立ち、治療の光を右肩へ流しながら、地図を見下ろした。


「こちらが望むものを」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ