表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
104/139

第102話 白い輪

 北の見張り台は、町で一番風が強い。


 石段を登るたび、乾いた風が外套を鳴らした。


 伊織は右腕を動かさないよう、左手で手すりを掴む。


 肩はまだ重い。


 踏み外すほどではないが、咄嗟に右腕を使えば痛みが走る。


「ゆっくりです」


 後ろからアリアが言う。


「急いでない」


「急ぎたい顔です」


「分かるか」


「ええ」


 クロが二人より先を歩く。


 灰色の縞は首筋だけ。


 振り返る回数が、普段より少し多かった。



 見張り台へ着くと、衛兵が二人待っていた。


 若い兵士は額へ汗を浮かべ、年配の兵士は望遠鏡から目を離さない。


「東さん」


 若い衛兵が振り返る。


「あれです」


 北。


 鋼鉄塔。


 昼の空へ、白い輪が浮かんでいた。


 眩しいわけではない。


 雲より白く、光より淡い。


 空へ描かれた円だけが、ゆっくり回転している。


 塔そのものは見えない。


 距離が遠い。


 それでも輪だけは、町のどこからでも見えるほど大きかった。


「大きくなってるか」


「はい」


 年配の衛兵が答える。


「最初は塔の上に小さく見える程度でした」


「今は?」


「三十分ほどで二倍近くです」


 伊織は望遠鏡を受け取る。


 左手だけで支え、右肩を庇う。


 鋼鉄塔の頂上。


 白い輪は空中へ固定されているわけではなかった。


 塔の先端から、細い白い糸が何本も伸びている。


 その糸が輪を支えていた。


「糸……」


 伊織が呟く。


 アリアも望遠鏡を覗く。


「見えます」


「魔力か」


「はい」


「一本じゃありません」


 彼女は目を細めた。


「塔からだけではありません」


「どういう意味だ」


「見えないだけです」


 アリアは空を見る。


「もっと遠くからも、同じ流れが集まっています」


「第二観測所か」


「可能性はあります」


 ヴォルフが腕を組む。


「第三は」


 アリアは首を横へ振った。


「ここは動いていません」


「まだ、か」


「はい」


 伊織は望遠鏡を下ろした。


 白い輪は静かだった。


 だが、静かなだけで不気味だった。


 爆発もしない。


 雷も落ちない。


 ただ、空が少しずつ形を変えている。


「町の様子は」


 ヴォルフが聞く。


 若い衛兵が答えた。


「皆、珍しい雲だと思っています」


「騒ぎは」


「まだありません」


「よし」


 ヴォルフは短く頷く。


「余計なことは言うな」


「はい」



 クロが突然、耳を立てた。


 北ではない。


 東を見る。


 そのまま石壁の縁まで歩き、鼻を高く上げる。


「どうした」


 伊織が呼ぶ。


 返事の代わりに、小さく唸る。


 アリアも東を見る。


「魔力があります」


「塔か」


「違います」


「町の中です」


 ヴォルフが眉を寄せた。


「敵か」


「分かりません」


 クロは階段へ向かった。


 止まらない。


「クロ!」


 伊織が呼ぶ。


 クロは一度だけ振り返った。


 それから走り出す。


「追うぞ」


「右肩!」


「後で聞く」


 伊織も階段を駆け下りる。


 肩が痛む。


 構わない。


 クロが誰かを見つけた。


 その時点で放ってはおけない。



 町の東側。


 井戸のある小さな広場。


 子どもたちが遊んでいる。


 老婆が洗濯物を干している。


 普段と変わらない昼だった。


 クロは井戸の前で止まった。


 鼻を地面へ近づける。


 石畳を一周する。


 唸る。


「ここか」


 伊織が息を整えながら言う。


 クロは井戸を見た。


 アリアが縁へ近づく。


 風を落とす。


 目を閉じる。


「……下です」


「水か」


「もっと下」


「空洞があります」


 ヴォルフも井戸を覗いた。


「昔の避難路か」


「違います」


 アリアは首を振る。


「人工物です」


「地下室?」


「もっと深い」


 伊織は井戸の石積みを見る。


 古い。


 だが、一か所だけ色が違う石があった。


 丸い傷。


 金属が擦れたような跡。


 見覚えがある。


「鋼線拘束具……?」


 VR時代。


 暴走遺跡の扉。


 同じ擦り傷を何度も見た。


 拘束具ではない。


 何か重い金属を何度も固定した痕だ。


「ここにも観測所があるのか」


「違います」


 アリアが答える。


「流れが細すぎます」


「なら」


「通り道です」


「何の」


「魔力です」


 アリアは井戸の縁へ手を置く。


「第三観測所へ流れていません」


「第一か」


「はい」


 伊織は空を見た。


 白い輪。


 塔。


 そして井戸。


 一本の線になった。


「町の下を流してる」


「何を」


「扉を開くための魔力だ」



 その時だった。


 井戸の底から、小さな音がした。


 ――コン。


 誰かが石を叩いたような音。


 子どもたちは気付かない。


 老婆も洗濯物を干している。


 聞こえたのは四人だけだった。


「今の」


 ヴォルフが低く言う。


 再び。


 ――コン。


 今度は二回。


 クロの毛が逆立つ。


 井戸の底へ向かって吠えた。


 水面が揺れる。


 波紋が広がる。


 その中心へ、小さな白い光が浮かんだ。


「魔力反応!」


 アリアが叫ぶ。


 井戸の中からではない。


 さらに深い。


 岩盤の向こう。


 見えない地下。


「離れろ!」


 ヴォルフが叫ぶ。


 周囲の子どもたちを押し退ける。


 伊織は井戸から一歩下がる。


 その瞬間。


 石畳の隙間へ、細い白い線が走った。


 一本。


 二本。


 三本。


 町中へ張り巡らされるように広がっていく。


 子どもが歓声を上げる。


「きれー!」


 大人には光が見えていない。


 伊織たちだけが見ていた。


「認識阻害……」


 アリアが息を呑む。


「観測者だけが見える」


 白い線は井戸から伸びる。


 家の下へ。


 道の下へ。


 広場の下へ。


 まるで町そのものが、一つの巨大な魔法陣だった。


 伊織の掌が熱を持つ。


 五本の痕が白く光る。


 井戸の底から、今度は声がした。


 遠い。


 かすれている。


 日本語ではない。


 共通語でもない。


 それでも意味だけが頭へ入る。


 **――見つけた。**


 クロが激しく吠えた。


 空の白い輪が、一瞬だけ強く輝く。


 井戸の底の光も、それに応じるように脈打った。


 伊織は掌を押さえた。


 熱い。


 まるで誰かが、痕の向こうから手を重ねているようだった。


 そして井戸の底から、三度目の音が響く。


 ――コン。


 今度は返事だった。


 誰かが、こちらの存在に気付いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ