第23話:なにわ一水③
「さあ、着いたよ。やっぱり空港から近くていいね」
マークXを駐車場に止め、外に出ると、そこはもう異界の入り口だった。
「わあ、鬼太郎の銅像がいっぱい! ツカサ、あっちにはねずみ男がいるよ!」
サトミが子供のように声を弾ませる。
「水木しげる記念館があるみたいだね。行ってみようか」
「うん、行きたい!」
笑顔で頷くサトミと一緒に、僕たちは不思議な静寂に包まれた館内へと足を踏み入れた。
「ツカサ、見て! 鬼太郎の原画がこんなにたくさん……あ、ツカサ、これ! 鬼太郎と背くらべができるよ」
展示の前で楽しそうにはしゃぐ彼女を見て、僕は自然と目を細めた。
「サトミ、本当に楽しそうだね。……うん、来てよかった。僕も小さい頃にアニメで観たことはあるけど、漫画の原画は初めてだ。これは貴重だね」
妖怪たちの世界を堪能しているうちに、潮風とともに空腹がやってきた。
「ちょっとツカサ! そろそろお腹空いてきたよ」
「あ、そうだね。じゃあ、近くの『和泉』で海鮮丼を食べよう」
「賛成! そこ行こう!!」
お店に着くと、平日の昼下がりということもあって、行列に捕まることなく席へ案内された。
「どれも美味しそう……私、普通の海鮮丼にしようかしら? でも、この『味覚丼』も捨てがたいわ……」
メニューを凝視するサトミを横目に、僕は決めていた。
「僕は潔く、海鮮丼にするよ」 「じゃあ、私も一緒のにする!」
運ばれてきた器を見て、サトミが感嘆の声を漏らした。
「わあ……! きた! すごいよ、これ、宝石箱みたい!」
艶やかに輝く地元の魚介が、これでもかと盛り付けられている。
「境港の海鮮は裏切らないからね。……いただきます」
二人はしばし言葉を忘れ、黙々と北の海の恵みを堪能した。 食後、サトミは満足げに息をつきながら、再び『るるぶ』を開く。
「次は……いよいよ、出雲大社ね!」
「その前に、稲佐の浜は行かなくていいのかな? あそこも神聖な場所だよ」
「あ、そうね! それもセットで行かなきゃ」
マークXに乗り込み、エンジンをかける。 出雲へ向かう道中、僕たちの前にはあの有名な急勾配――『ベタ踏み坂』が待ち構えていた。
「あっ、ベタ踏み坂の手前まで来たよ」
境港の街を抜け、視界が開けた瞬間、僕はアクセルを緩めた。フロントガラスの向こう、江島大橋が信じられないような角度で空へと突き刺さっている。
「……うそ、本当にあれを登るの? 本当に『ベタ踏み』しなきゃダメなの?」
サトミが不安そうに、けれど興奮を隠せない様子で身を乗り出した。
「結構、勾配がキツそうだね……」
「すごい! これ、本当にツカサ行けるの? この車で大丈夫? ツカサのいつものポルシェじゃないと無理じゃない?」
サトミの必死な心配に、僕は思わず吹き出した。
「あはは、多分大丈夫じゃないかな。テレビのCMなんかで有名になったけど、実際は遠近法のマジックなんだよ。……とはいえ、こうして目の当たりにすると、やっぱりすごい迫力だね」
シルバーのマークXは、僕の足の動きに忠実に、グングンと坂を登り始めた。エンジンの回転数が上がり、シートにわずかな重力がかかる。
「わあぁ……! 景色がすごい! 空しか見えないよ!」
頂上に達した瞬間、視界を遮るものが消え、青い世界が広がった。
「いい眺めだね。この坂を越えれば、いよいよ島根県だ」
「私、初めて来たけど……鳥取も島根も、本当になんて素敵なところなの!」
サトミは車窓に張り付くようにして、移りゆく景色を追いかけている。坂を慎重に下りきると、左手には鏡のように穏やかな水面が見え始めた。
「見て、サトミ。あれが宍道湖だよ。今日泊まる宿は、あの湖が一番綺麗に見える場所にあるんだ」
「あの広いのが宍道湖……。なんだか、空と繋がってるみたい」
マークXの静かなエンジン音とともに、僕たちは水辺の街・松江へと滑り込んでいく。 神々の気配をかすかに含んだ風が、車内へと流れ込んできた。




