古戦場の静寂と、崩れる日常
昼過ぎ、ラックが宿屋、通称『鶏亭』へ戻ると
カウンター前には不機嫌そうに腕を組んで待つヴァルカと
《銀牙の月》の面々がいた。
「遅いぞ、ラック!
ギルドから魔獣調査の緊急依頼が入ったんだ。
さっさと準備しろ!」
狼族ヴァルカが銀色の尾を苛立たしげに揺らす。
その横では、猪獣人のガストンが苦笑し
イタチ系獣人のミュラが鋭い視線をラックに向けていた。
ミュラは隙あらばラックを小突こうと
殺気混じりの威圧感を放っている。
「……緊急依頼ですか。
ギルドも、随分と無茶な仕事を回してくれますね」
「そんなこと言ってる場合か!
王都北の古戦場跡で
封印の守護石が異常な魔力反応を示しているらしい。
放置すれば封印が解け、この辺りは死の大地になるんだぞ!」
ガストンが重々しい足音を立てながらフォローを入れる。
「ラック、すまないな。ヴァルカが朝から気が立っていてね。
封印の異常は、俺たち獣人の故郷にも関わる問題なんだ。頼む」
「あんたがノロノロしてる間に被害が出たら
このミュラ様が許さないからね!」
ミュラがチッと舌打ちをするが
その目はリーダーであるヴァルカの
微かな焦燥を隠すようにラックを睨んでいた。
猫族リリスもいつものように控えめに頷く。
(現場の管理が忙しいというのに、冒険者稼業も楽じゃないな)
古戦場への道中、ヴァルカはいつも以上に饒舌だった。
「ラック、お前はこの国の王城で何をしていたんだ?
王城から、妙にコソコソして出てきたとギルドで噂を聞いたぞ」
「街の復興関連の……仕事の引き継ぎですよ。
俺もいつまでも冒険者でいられるわけじゃない。
宮廷関係の仕事を積み重ねて
いずれ門番あたりに就職も考えているんです」
「ふん、相変わらず夢のない奴だ。
冒険者こそが最高だろう? この剣一つで
世界を変えることもできるんだからな!」
ヴァルカはそう言うと
ラックの背中をバシッと力強く叩いた。
その手の熱さに、ラックは一瞬だけ眉をひそめる。
古戦場跡に到着すると、そこは既に異様な光景が広がっていた。
立ち並ぶ墓標の奥、かつて瘴気竜が封印された中央広場に
黒いローブを纏った一団が陣取っていた。
彼らの手にする魔法陣から
ドロドロとした紫黒色の霧が噴き出している。
「……やっぱりか。奴ら、封印を狙っている!」
ヴァルカが即座に剣を抜き放つ。
その背中には、冒険者としての気迫が漲っていた。
「ガストン、前衛だ! リリス、防御術式!
ミュラ、右翼を制圧! ラック、お前は私の援護に回れ!」
一団が振り返り、冷笑を浮かべる。
「遅い。儀式は既に完了している――!」
そういうと一団は砂煙を巻き上げて姿を消した。
地面が大きく鳴動し
ひび割れた大地から巨大な黒い影が這い出してきた。
腐食した鱗、死臭を放つ翼。かつての災厄、瘴気竜が
数百年ぶりの咆哮と共にその巨躯を現したのだ。
「……冗談だろ、本物かよ!」
ガストンが巨大な盾を構えるが
衝撃波だけで足元が大きく崩れる。
「ひるむな! 行くぞ、みんな!」
ヴァルカは迷うことなく
瘴気竜の咆哮に向かって駆け出した。
その姿はいつものポンコツさを感じさせないほど
獲物を狩る捕食者のそれだった。
ラックは鞘に手をかけ、走り出す仲間の背中を見つめた。
(……今のヴァルカの動き。
あれは、ただの冒険者じゃない。
さすが、Sランク冒険者というところか)
竜の吐く瘴気が空を覆い、戦闘の火蓋が切って落とされた。
ラックは小さく呟き、紫の魔力を指先に灯す。
「……さて、これも仕事だ。
せいぜい、邪魔にならない程度の援護はさせてもらうよ」
瘴気竜が放つ咆哮は、物理的な衝撃波と
なって古戦場の土砂を吹き飛ばした。
「ミュラ、右から回り込め! 隙を作るぞ!」
ヴァルカの指示に
ミュラは「言われなくても!」と毒づきながら
音速に近い速度で地面を蹴った。
しなやかな体躯を躍らせ
イタチ系獣人特有の俊敏さで竜の死角へと入り込む。
ガストンは猪獣人としての圧倒的な重量感で
大地を踏みしめ巨大な盾を突き出した。
「ぐっ……! なんて重厚な瘴気だ……!」
竜が振るった尻尾がガストンの盾を直撃し
火花と共に彼が十数メートル後方へ吹き飛ばされる。
だが、その衝撃の瞬間に
リリスの防御術式がガストンの背後を補強し
彼を崩壊から守り抜いた。
「今だ、ラック!」
ヴァルカの声が響く。
彼女は竜の目前に躍り出て
剣ではなく素手で竜の顎を跳ね上げた。
並の獣人には不可能な膂力。
その瞬間、ヴァルカの瞳の奥で、
異質な純白の光が一度だけ明滅した。
ラックは冷静に戦況を解析していた。
(……瘴気竜の核は心臓部だ。
だが、今の攻撃では届かない。
ガストンたちが作った一瞬の隙、それを維持するには……)
ラックは足元の小石を蹴り、無造作に空間へ踏み出した。
「ミュラ、高所から首元を狙え。
ガストンは盾を竜の口にねじ込む」
「命令しないでよ!」と叫びながらも
ミュラは反射的にラックの指示に従った。
彼女の短剣が竜の皮膚を切り裂き、黒い血が飛び散る。
その隙にガストンが突撃し、盾を巨大な顎の間に叩き込んだ。
「ガアアアァァ!!」
瘴気竜の動きが止まる。
ラックは紫の魔力を剣に収束させ、一直線に竜の懐へと疾走した。
「殺気だとかパワハラだとか
面倒なやり取りをしている暇はなさそうですね」
ラックの剣が紫の稲妻を纏い、一閃する。
竜の硬い鱗を無視し、その深淵にある魔核を正確に貫いた。
ドロリとした黒い霧が霧散し
巨大な瘴気竜が断末魔と共に崩れ落ちていく。
戦闘が終わった古戦場に、静寂が戻る。
しかし、砂塵が舞う中で一人
ヴァルカだけが呼吸を荒くし、その場に跪いていた。
「……ハァ、ハァ……っ。何だ、今のは……」
先ほどまでの捕食者のような冷徹さは消え失せ
ヴァルカは己の震える手を見つめていた。
その表情には、自分が何をしたのか理解できない困惑と
ほんの少しの恐怖が浮かんでいる。
「リーダー……?」
ミュラが殺気立った表情を解き
心配そうに駆け寄ろうと足を踏み出す。
ラックは剣を鞘に納めると
ヴァルカの背後に立ち、その様子を観察した。
(今の咆哮は、明らかに人間のものではない。
……やはり、器の綻びか)
「ヴァルカさん、大丈夫ですか」
ラックが淡々と声をかけると
ヴァルカは驚いたように顔を上げた。
その瞳の中の「白」は、
今はまだ深い闇の中に隠れている。
「……ああ。ちょっと、力が入りすぎたみたいだ。
……ラック、お前、今私の動きを……」
瘴気竜が塵となって消え去り、
古戦場に重苦しい静寂が戻った。
立ち込めていた紫黒色の霧が晴れると、
そこには一閃で竜を葬ったラックが、
何事もなかったかのように剣を鞘に収めて立っている。
沈黙を破ったのは、ガストンだった。
「……おい、嘘だろ。あの瘴気竜を一撃で?」
巨大な盾を引きずりながら、
猪獣人のガストンが唖然とした表情でラックを見上げる。
さっきまで、竜の尻尾の一撃で
吹き飛ばされそうになっていた自分たちの
死闘は何だったのかと言わんばかりの呆然ぶりだ。
ミュラは短剣を握りしめたまま、その場に固まっていた。
いつもは「新人」「ラックのくせに」と
敵意や殺気を向けていた相手。その背中から放たれた、
今の一瞬の魔力の波長が、
今のミュラには到底理解できない巨大な「何か」で
あることを本能が告げていた。
「……アンタ、何者だよ。そんな力、どこに隠してたんだ」
殺気は消え、
代わりに混じり気のない困惑がミュラの声に混じる。
リリスは杖を取り落としかけ、
震える手でそれを拾い上げた。
防御術式の専門家である彼女には、
今の一撃がどれほど常軌を逸した精度であったか、
痛いほど理解できた。
竜の硬い皮膚を裂くのではなく、
構造そのものを一点で崩壊させる
――それは、達人を超えた「理」の領域だ。
「ラック……さん?」
リリスの呟きに、一同の視線がラックに集まる。
しかし、中心にいるラックは、
まるで他人の戦果を報告するかのような淡々とした口調で返した。
「たまたま、核の位置が分かりやすかっただけですよ。
運が良かったんです」
「運だと……?」
ミュラが短く笑ったが、その表情は険しいままだ。
ラックの言葉はあまりに説得力がなく、
かといって嘘をついているようにも見えない。
その「普通すぎる」態度こそが、
今の彼らには何よりも不気味に映っていた。
ヴァルカは跪いたまま、深く息を吐き出した。
先ほどまでの高揚感や、
自分が自分ではないような感覚が、
今は遠ざかっていく。彼女はゆっくりと
立ち上がり、ラックの方を向いた。
「ラック……お前、今までその力を隠して、
何のつもりだ?」
ヴァルカの銀の瞳が、ラックを射抜く。
そこには、仲間としての信頼よりも、
未知の強者に対する警戒心が強く宿っていた。
ラックは気まずそうに目を逸らし、
門番への就職を考えているただの新人冒険者らしく肩をすくめる。
「隠していたわけじゃありません。
……ただ、これ以上目立つと、
次の仕事探しが面倒になるだけですから」
その言葉を聞いても、
メンバーの凍りついた空気が解けることはなかった。
彼らは知ってしまったのだ。
いつも荷物持ちのような顔をしていた新人が、
自分たちとは全く別の次元で生きる「何か」であることを。
張り詰めた空気の中、ガストンが不器用に笑い声を上げた。
「は、はは……。まあ、助かったのは事実だ。
だがよ、ラック。お前、本当に門番になろうとしてんのか?」
その問いに、ラックは少しだけ困ったように微笑んだ。
「……ええ。静かな場所で、定時で上がれる仕事が理想なんです」
その言葉が嘘か真か。
霧の晴れた古戦場で、一行の間に流れる空気は、
以前までのそれとは決定的に異質なものへと変わっていた。




