錆びた剣が鳴る夜
野獣調査を終えたラックは、夜ふけにシャノアと広場で合流し
シェノアの案内で王都の地下水道の入り口から地下へと向かった。
王都の地下、湿り気が鼻を突く古い礼拝堂。
天井からは雨水が滴り
石畳を叩く音が不気味に響いていた。
ラックは、傍らに立つシャノアから
渡された松明を高く掲げた。
照らし出された先には
二十名の老人たちがいた。
彼らは、かつて滅ぼされた旧王家ベルリックの
旧家臣団。
――今はただの「亡霊」たちだ。
一番近くにいた老兵が立ち上がる。
「・・・シャノア。
ふん。止めにきたのか。無駄だ。帰れ。」
シャノアは沈黙を返した。
ラックが口を開いた。
「僕の名はラック・デストです。
ブリジット様にゆかりのものです」
老人は動揺する。
「デスト家だと!?
いまの当主がブリジット王女殿下と
ご結婚なされたのは知っている。
あのような辛い目に合われても前を向いて
幸せになられたのだと我らも安堵していた。」
「そうか、ブリジット様は動こうとしている。
その時まで力を蓄えて待てないだろうか」
ベルリック旧家臣団がどよめいた。
しかし、老人は複雑な表情を
見せたあと首を横に振った。
「……本気なのか」
ラックの声が、冷えた空気に溶ける。
「我らは30年間、待った。
もう、待ち過ぎたのだ。」
ラックは困惑の表情で説得を続ける。
「いま、ゴルドリア王家は、このまえの騒ぎで
戦力が弱体化しているとはいえ防衛はおそらく堅い。
地下水路から玉座へ向かうなんて
今のあなたたちでは
全滅が確定しているようなものです。
踏みとどまれないだろうか。
今ならまだ、身を隠す手助けができる」
最前列にいた老将ベジュロウが、カツ、と杖を突いた。
三十年前に失ったのか
右腕は袖から先がない。
だが、その瞳だけは、鏡のように澄んでいた。
「若造、我らは『若き日の熱』を
語るためにここにいるのではない。
……見ての通り、我らの指先はもう弓もまともに引けぬ。
膝は雨が降るたびに軋み
明日の朝には立ち上がることすら叶わぬ者もいるだろう」
老将は懐から、ひび割れた王家の紋章が
入った短剣を取り出した。
「復讐という名目なら、もっと良い策があったかもしれん。
だが、我らにとってこれは『けじめ』なのだ。
老いさらばえてベッドで死ぬくらいなら
かつて守りきれなかった玉座の前で
あの主君に捧げた忠義の残滓を叩きつけて死にたい」
周囲の老人たちが、次々と武器を構える。
その所作は重く、鈍い。
しかし、一糸乱れぬ連帯感には
三十年という歳月が磨き上げた「魂の練度」があった。
シャノアが、呆れたように肩をすくめた。
「ラック。あなたでも彼らは聞く耳持たないみたいね。
……どうする? 力づくでも止めた方がいいと思う。
これほど滑稽で
これほど無謀な突撃の目撃者になるのは辛すぎるわ」
ラックは沈黙した。
彼らの言葉は、論理的には破綻している。
だが、彼らが背負ってきた三十年分の沈黙と後悔が
この礼拝堂を支配していた。
ここで止めることは、彼らにとっての
「死」を否定することと同じではないか。
ラックは自らの腰にある帯剣に手をかけ
ゆっくりと鞘から引き抜いた。
鋭利な金属音が、地下に響き渡る。
「……後悔はしないか」
「我らは三十年前に一度死んでいる。
今さら何を恐れることがあろう」
老将ベジュロウが笑った。
その顔には、少年のような清々しさがあった。
ラックは思考した。
(俺が本気を出したらこの人達の晴れ舞台を
台無しにしてしまう。ここは俺は控えめに立ち回って
この老人たちに花を持たせる方がいいんじゃないか。
昔、何かの本で『武士は死ぬことと見つけたり』って
格言が書いてあった気がするし。)
「分かった。なら、俺もその死地とやらに付き合うよ。
玉座の扉の前まで、一番若くて使える盾として働こう」
ラックの言葉に
老人たちの顔に波紋が広がる。
シャノアは、小さくため息を吐き
地図を丸めて懐に納めた。
「ねぇ、どうしてそういう流れになるのよ。
……すごく嫌だけれど
もう、とことん付き合うしかないようね。」
松明の明かりが、闇の中へと消えていく。
二十名の老人と、二人の若者。
錆びついた剣の音を響かせながら
彼らは王城の心臓部へ向け
地下水路へと足を踏み入れた。
地下水路の重苦しい湿気は
老人たちの肺を容赦なく蝕んでいた。
膝を突き、肩で息をする老兵。
水面に映る自らの老いた顔を直視できず
ただ暗闇を睨みつける者。
それでも彼らは歩みを止めない。
ラックが先頭でほどほどの力で刃を走らせ
シャノアが後方から気配を消す。
「止まれ」
ラックの短く鋭い声に、一行は静止した。
前方、水路の合流地点。
そこには現王家が設置した鋼鉄の格子と毒矢の罠が
仕掛けられていた。
センサーの役割を果たす細い糸が、張り巡らされている。
「……さすがに老いたな」
一人の老兵が自嘲気味に呟く。
「現役時代なら、この程度の罠は
風を感じるだけで回避できたというのに
今は糸の一本すら目を細めても見えにくい」
シャノアが前へ出る。
「無理もないわ。
ここは三年前の王城の改築に伴い警備が強化された場所。
私の持っている地図よりも、一歩先を行っている」
絶望的な沈黙が流れる――かと思われた。
しかし、老将はにやりと口角を上げた。
彼は懐から、真鍮製の小さな楽器を取り出した。
三十年前、王城の庭園で
奏でられた、今は失われた国の旋律を刻む笛だ。
「防衛システムは機械的だ。
だが、この水路の設計をしたのは
三十年前の我ら旧王家の技師たちだ」
老将ベジュロウが笛を吹く。
高音の、郷愁を誘うような音色が地下水路に反響した。
すると、どういうわけか
毒矢の発射装置がカチリと音を立て
内側に折り畳まれて沈黙した。
「周波数の共鳴……?
いや、この水路そのものが
楽器の旋律に反応するような仕掛けがあるとか」
シャノアが目を見開く。
「そうだ。王城の心臓部は
我ら家臣の誇りと共に作られた。
……時代が変わっても
血脈の響きまでは忘れんよ」
老兵たちは、昔の感覚を取り戻したように
まるでダンスでも踊るような軽やかな足取りで
難所を通り過ぎていった。
かつて王宮の宴で、主君のために見せた流麗な所作。
彼らは、復讐の鬼ではなく
かつてその城を愛し
その場所で青春を捧げた「宮廷の残照」だった。
格子の向こう側、王城の基礎部分まであと一息。
突如、水路の奥から
冷徹な機械音と共に、重装甲の警備兵の足音が近づいてきた。
「……追手が来たか」
ラックは剣を握り直す。
老人たちの顔に、最後の「輝き」が灯った。
彼らは武器を構え、背中を合わせる。
それは、数十年間の空白を埋める、完璧な陣形だった。
「若造、背中は任せたぞ」
「ああ。……悔いの無いよう、存分に暴れてください」
暗い水路に、錆びついた剣の音が
澄んだ高音となって響き渡る。
彼らの戦いは、復讐という名の救済へ、また一歩近づいた。
鋼鉄の鎧に身を包んだ警備兵たちが
松明の明かりを反射させながら水路の角から現れた。
その数、十名。王城を守る精鋭部隊だ。
無機質な金属音と、老人たちの荒い息遣いが混ざり合う。
「侵入者か! 」
警備兵が冷笑を浮かべ、長槍を突き出す。
しかし、老兵たちは怯まなかった。
むしろ、その罵倒を心地よいリズムか何かのように受け止め
老将ベジュロウが小さく合図を送る。
「第一班、円陣!
忘れてはおらんだろう、あの夜のステップを!」
その瞬間、老人たちの動きが「変貌」した。
関節の痛みなど微塵も感じさせぬかのように
彼らは水の上を滑るように錯綜する。
三十年前、王宮の晩餐会で披露するために
死ぬほど稽古した、あの優雅な剣舞。
それは殺し合いには不向きな演舞のはずだった。
だが、彼らはその舞の中に
殺傷のための「重み」を乗せていた。
パキン、と乾いた音が響く。
老兵の一人が、警備兵の槍の柄をわざと己の脇に挟み込み
そのまま体重をかけて捻り上げる。
テコの原理。かつて王宮の道化師と
競い合った際に見せた、あのおどけた仕草だ。
「なっ……!?」
体勢を崩した警備兵の首筋に
別の老兵の錆びた短剣が吸い込まれる。
鮮血が水路を赤く染めた。
ラックもまた、その「連舞」の
隙間を縫うようにして跳躍する。
老人たちが作り出す「円」の中心で
ラックは暴風のような勢いで現れる敵の急所を
的確に叩き潰していく。
シャノアは後方から毒針を放ち、援護射撃で死角を消す。
戦場はもはや地下水路ではなく
彼らにとっては懐かしい王宮の舞踏会場へと変わっていた。
「……息が、切れるな」
一人の老兵が、最後の一人を斬り伏せると同時に膝をついた。
剣先を杖のように地面に突き立て
激しく肩で喘ぐ。その背中に、返り血と冷や汗が混ざり合っている。
「だが、どうだ。……まだ、我らも捨てたものではなかろう?」
老将ベジュロウがラックを見上げて笑う。
その顔には、先ほどまでの「死を覚悟した諦念」ではなく
勝利を確信した戦士の矜持が漲っていた。
ラックは静かに頷き、血を拭った刀を納めた。
「ああ。……見事だった。
だが、時間はもうない。次の扉を開ければ
そこはもう王城の内部に入るための入り口だろう」
一行は、倒れ伏した警備兵の死体を
冷たい水の中に沈め、さらに奥へと進む。
行く先には、三十年間、彼らが夢に見続けた「玉座」へと続く
最後の階段が、暗闇の中で待ち構えていた。
地下水路の重苦しい石扉が、鈍い音を立てて開いた。
その先に広がっていたのは
かつての記憶通り――王城の地下聖域であった。
壁には磨き上げられた黄金の装飾が施され
無数の灯火が静かに揺らめいている。
三十年前と何も変わらない光景。
しかし、そこを歩く自分たちの姿だけが
あまりに変わり果てていた。
「……夢を見ているようだな」
老兵の一人が、黄金の壁に触れ
指先に残る煤を眺めて呟く。
彼らの足元は泥と返り血で汚れ
その歩みは明らかに重くなっていた。
先ほどの戦闘で
五名の老兵が深手を負い、動けなくなっていた。
一行はついに十五名となっていた。
「ここからは、音を立てれば全城に響くわ」
シャノアが低く警告する。
しかし、そんな忠告はもはや不要だった。
玉座の間の大扉を目前にした廊下で、一行は立ち止まる。
そこには、ゴルドリア王家の誇る近衛騎士団長『豹人』パテシが
たった一人で待ち構えていた。
彼は冷徹な瞳で、ボロボロの装備を纏った老人たちを見下ろす。
「臭い、臭いぞ。
この掃き溜めのネズミどもが
ネズミの分際で太陽の光を浴びようとするとはな」
騎士団長が長剣を抜き放つと
鋭い風切り音が廊下を支配した。
若さと鍛錬に満ちた、圧倒的な「強さ」の圧力。
それに比べ、老人たちの身体は
極限の緊張と疲労で今にも限界を迎えようとしていた。
「我らはネズミかもしれん」
老将ベジュロウが前に出る。
その歩き方はもはや千鳥足に近かった。
だが、彼はかつての
旧王家ベルリックの誇りを冠した、凛とした笑みを浮かべた。
「だがな、若造。
この城の『本当の形』を知っているのは
我らだけだ。……皆、配置へ」
老兵たちが、迷いなく廊下の四方に散る。
それは戦闘隊形ではなく
彼らがかつて仕えていた王を護衛するための
「儀礼陣形」だった。
彼らは攻撃することよりもラックという唯一の「矛」を
玉座へと通すための「盾」になることを選んだのだ。
ラックは少し迷いが生まれた。
ここで老人たちを見捨てて前に進む選択に対してだ。
老人たちの覚悟を見せられたら
ここで気持ちがひよるのは
彼らへの侮辱であろうと覚悟を決めた。
「僕はみなさんを無視して、玉座へ向かう」
ラックは、老将ベジュロウの横を通り過ぎる際、短く告げた。
老将は短く笑い、騎士団長に向かって錆びついた剣を突きつける。
「行ってこい。
我らの魂の置き場所は、貴殿のその剣の先にあるのだから」
その瞬間、老兵たちが一斉に叫んだ。
かつては王への
忠誠を誓う際に使われた、今は誰も知らない古い祈りの言葉。
それと同時に、彼らは身を挺して騎士団長の前に立ちはだかる。
ラックは振り返ることなく
玉座の間へと続く巨大な扉に手をかけた。
背後で、剣と剣がぶつかり合う
悲痛なほどの金属音が響き始める。
「あのお爺ちゃんたち
明日には動けなくなるって感じのことをいうから
看取りのつもりで着いてきたけれど
めちゃくちゃ動けてるんだよなぁ。
やっぱ、お爺ちゃんたちの王城襲撃を
止めときゃよかったのかもなぁ。」
老人たちの獅子奮迅の戦い。
それは、三十年を賭けた、最期の輝きだった。




