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婚礼の席で私を売った父へ、花嫁はまだ決まっていません  作者: あずきまんま


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2/5

鐘楼の裏階段

馬車の幌は古く、エリナが足を載せると布が大きく沈んだ。先に降りたセドリックが下から抱きとめ、二人は幌の内側へ潜り込んで、祭具箱の横に身を伏せた。窓から父が顔を出し、警備兵に怒鳴る。


「門を閉めろ! 娘が逃げた!」


御者は振り返った。セドリックは身分を示す徽章を見せたが、男は困り果てた様子で首を振る。


「伯爵様、旦那様からは誰も乗せるなと」


「僕が責任を取る。君はこの荷を鐘楼へ運ぶ仕事を続けてくれ」


「しかし門が」


「門の前まででいい」


御者は迷いながら馬を進めた。エリナは箱の陰で膝を抱え、門番の声を聞いた。誰を乗せているか確認するため幌を開けろと命じている。セドリックが降りようとしたとき、エリナは彼の袖を引いた。


「待って。幌を落とすわ」


「ここで?」


「馬が驚けば、門番は荷台どころではなくなるわ」


エリナは幌の留め紐をほどき、荷台の前方へ滑らせた。布が門番の足元に落ち、馬が驚いて横へ跳ねた。


「馬を押さえて!」


門番が手綱へ走る間に、二人は荷台の反対側から降り、鐘楼の倉庫へ駆け込んだ。御者を巻き込んだことにエリナは胸が痛んだが、彼は馬を落ち着かせながら、二人へほんの少し顎を上げた。見逃してくれたのだ。


倉庫には鐘楼の清掃道具が並んでいた。壁際の木棚を押すと、細い扉が現れる。エリナは母と通った日の記憶を頼りに閂を外した。狭い階段には乾いた埃が積もり、天井から蜘蛛の巣が垂れている。


「本当にここを通るのか」


「伯爵様には狭い?」


「君が先に行くなら、どこへでも」


「口がうまいのね」


「君にしか言わない」


セドリックは冗談めかして答えたが、彼の手はエリナの背中を支えたままだった。暗がりで階段の縁が欠けているところでは、必ず先に足を置いて強度を確かめる。エリナはその慎重さをよく知っていた。検疫所でも、彼は危険な仕事を人に任せる前に必ず自分で確かめた。


階段を半分ほど上がったところで、上から物音がした。誰かが鐘の綱をいじっている。予定の時刻には早い。エリナは足を止めた。


「誰かいるわ」


「神官かもしれない」


「神官なら祭具を持って上がるはず。まだ箱は下にある」


二人は壁のくぼみに身を寄せた。上階から男の声が降ってくる。


「綱は三度引けばいいんだな」


「そうだ。鐘さえ鳴れば、伯爵が後から何を言っても婚礼は済んだことになる」


もう一人は父の執事だった。エリナは声を覚えている。男たちは鐘の綱を細工していた。新郎新婦が鐘楼へ来なくても、下階から鐘を鳴らせるようにしているのだ。


エリナは拳を握った。父は儀式を偽造するつもりだった。街の慣習に詳しくないカロリーヌは、ただ衣装を着て誓いの場に立てばいいと考えているだろう。だが、鐘が鳴れば婚礼が成立するという話は正しくない。神官が当人の意思を確かめ、鐘楼に置かれた誓約帳へ二人が署名する必要がある。


その誓約帳が、いま鐘楼の上にある。


「どうする?」


セドリックが耳元で尋ねた。


「私が先に出る。あの二人は私がここを知っていると思っていない」


「危険だ」


「あなたが出たら、伯爵が式の前に鐘楼を荒らしたと言われるわ。私なら、自分の式を見に来ただけと言える」


セドリックは口を結んだ。エリナの判断を尊重したい気持ちと、危険から遠ざけたい気持ちが争っているように見えた。


「君を一人で行かせたくない」


「一人じゃないわ。すぐ後ろにいて」


「必ず」


エリナは階段を上がり、上階の扉を開いた。鐘の綱に新しい滑車が取り付けられ、床には長い縄が伸びていた。執事と職人が同時に振り向く。


「お嬢様!」


「何をしているの」


執事は縄を足で隠した。


「鐘の点検です。式の前に不具合がないか」


「だったら誓約帳も見せて。私の名前が書かれているはずよ」


「それは神官様が」


「神官様はどこ?」


執事は答えられなかった。職人が出口へ向かおうとした瞬間、セドリックが扉の前に立った。彼は剣を抜かず、職人に言った。


「鐘の点検なら、仕事の内容を説明してくれ。君の責任を問うつもりはない。誰に何を頼まれたか知りたい」


「男爵様に、鐘を下から鳴らせるようにと。今日だけの仕事だと聞きました」


執事が職人の腕を掴んだ。


「黙れ!」


「放してください。私は鐘を直しに来ただけだ。人の結婚を偽るなんて聞いてない!」


エリナは鐘楼の机に向かった。誓約帳の表紙には古い傷がある。母が何度も磨いた木箱の中に収められていたものだ。鍵は掛かっていない。ページをめくると、すでに新郎セドリックと新婦カロリーヌの名が書かれていた。しかも署名欄には、二人の筆跡をまねた文字がある。


「これを書いたのは誰?」


執事は黙っていた。セドリックが帳面を覗き、眉を寄せた。


「僕の署名ではない。字の癖が違う」


「私の名前はどこにもない」


エリナは帳面を閉じた。署名の偽造だけなら、父は『執事が勝手にした』と逃げるだろう。婚礼そのものを止めるだけでは足りない。父が何を得ようとしたのかを明らかにしなければ、同じことを繰り返す。


執事は突然、エリナの手から帳面を奪った。


「これはお嬢様が持っていいものではありません!」


セドリックが動いたが、執事は帳面を胸に抱えて後ずさった。窓の向こうには中庭が見える。執事は窓を開け、帳面を投げ捨てようとした。


「待って!」


エリナは飛びつかなかった。代わりに、壁際に置かれた小さな鐘を持ち上げ、力いっぱい鳴らした。母が使っていた、鐘楼管理人の緊急用の呼び鐘だ。


鋭い音が上階に響き、執事が驚いて手を止めた。セドリックはその隙に帳面を取り戻した。


「何の音だ!」


階下から神官の声がした。祭具を運ぶ人々が階段を上がってくる。エリナは執事に向かって言った。


「この鐘は、鐘楼で不正や事故が起きたときに管理人が鳴らすものよ。母が教えてくれた。鳴ったら神官は必ず立ち会って、帳面を確かめなければならない」


神官が現れ、誓約帳を開いた。署名を見た瞬間、顔をしかめる。


「これは正式な婚姻記録ではありません。私は二人の意思を確認していない」


「父が書かせたのです」


エリナは職人の証言と滑車の細工を説明した。神官は執事を鐘楼から出さず、記録の保全を命じた。


セドリックがエリナの肩を抱いた。


「よく気づいた。君がいなければ、僕は偽物の署名を見つけられなかった」


「母が教えてくれたの。人の誓いを扱う場所だから、鐘楼の管理人は誰よりも疑い深くなれって」


「君の母上に礼を言いたい」


エリナは壊れた真珠を掌に載せた。母の教えが、今日も自分を守ってくれた。


だが階下から駆け上がってきた警備兵が、事態を変える言葉を告げた。


「伯爵様! 男爵が別の婚礼会場を用意しました。鐘楼での式は取りやめると言っています!」


エリナはセドリックを見た。父はまだ諦めていない。むしろ、最初から鐘楼での偽装が失敗した場合を考えていたのだ。


「別の会場って、どこ?」


「ヴェスタ商会の大広間です。すでに招待客が集まっています」


その場所には、エリナが会ったことのない商会主がいる。


そして父は、エリナ自身をその男へ引き渡すつもりだった。

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