↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
60/89

60 第6章:決着(対決へのカウントダウン)

第5節:ラスト(引き)


港区の高級タワーマンション、その最上階ペントハウスのリビングルーム。


窓の外を覆う漆黒の夜空の向こうで、午前0時を告げる電子時計の数字が、静かに、そして冷酷に点滅を刻んでいた。


【00:00:00】


ついに、その刻限が訪れた。


神条、陣内、陸斗という三人の男たちが泥沼の同士討ちの果てに一人残らず社会的な死を遂げて去ったこの密室は、いまや深海の底のような重々しい静寂に包まれていた。


ソファの上で、妻・愛華は乱れたシルクの部屋着の襟元を整え、何度も手鏡で自分の顔を確かめていた。

陸斗に殴られた左頬の腫れは薄化粧で巧みに隠されていたが、その瞳の奥で燃え盛っているのは、か弱い被害者の怯えなどでは決してない。

前世の夫である俺(佐藤一真)を毒殺し、三人の男たちを囮として使い潰し、そしていまや、これから訪れる黒木宗一郎すらも手元の秘密データで脅し上げて数百億円の特許売却益を全額横取りしようと目論む、底なしの狂気と強欲の炎だった。


「フフ……来たわ……。ついに、私(わたくし)の時代が来るのよ……」


愛華は震える唇で甘い息を吐き出し、胸に抱いたプライベート・スマートフォンの画面を指先でなぞった。画面上には、スイスのプライベートバンクにおける巨額のエスクロー口座(仮保全口座)と、決済完了を待つ暗号化データのステータスバーが、緑色に点滅している。


そして――。


ベビーベッドの特等席。

冷たいシーツの上で小さな体を横たえる俺――前世の記憶と大人以上の知性を保持したまま赤ん坊として転生した佐藤一真は、呼吸すらも極限まで静め、暗闇の中でハッキング端末のスクリーンを見つめていた。


シーツの奥深く、俺の小さな指先の下には、このペントハウス全体を支配するIoTスマートホームの緊急オーバーライド・システム、部屋中に隠された超高感度防犯カメラ群、そして黒木が実行しようとしている「Project-ZERO(特許不正送金決済)」を即座に破滅へと導く最終キル・スイッチが、完璧にセットアップされていた。


(――来たぞ、黒木)


俺のハッキング端末の画面上で、タワーマンションのプライベート・エレベーターのセキュリティ認証が解除されたことを示す警告インジケーターが、静かに赤く点滅を始めた。


地下のプライベート・ロータリーから、最上階ペントハウス直通の専用エレベーターが、一切の振動もなく高速で上昇してくる。


エレベーターの中にいるのは――政財界の暗黒のフィクサーであり、巨大ITホールディングス総帥・黒木宗一郎。

前世の俺から命と特許を奪い取り、愛華と密通して俺の病死を捏造した真の仇敵。そして……この赤ん坊の肉体の生物学上の父親(種主)である男。


『――ピンコーン……』


重厚で静かな電子チャム音が、静まり返ったリビングルームに低く響き渡った。


その音を聞いた瞬間、愛華の身体が歓喜と緊張で大きく跳ね上がった。

彼女は手鏡を弾くようにテーブルへ置き、胸を高く張って、一歩一歩、踏みしめるような足取りで豪華な玄関ドアの前へと向かった。


「お待たせいたしました……黒木様……っ」


愛華の手が、電子ロックの解錠レバーへと伸びる。


ガチャリ――。


重厚な防音構造を持つ金属ドアのラッチが外れる、乾いた金属音がリビングの静寂を切り裂いた。


ゆっくりと、滑らかに、大理石の玄関ホールへ向けて巨大な扉が開かれていく。


扉の向こう、プライベート・エレベーターホールの上質な照明の中に、一人の男が静かに佇んでいた。


仕立ての良い高級な暗紺色のオーダーメイド・スーツに身を包み、老いを感じさせない堂々とした体躯。白髪交じりの髪を完璧にオールバックに整え、切れ長の瞳からは、政財界の頂点で数多の人間を支配し、潰してきた絶対的な権力者だけが持つ、底知れぬ圧迫感と冷酷な眼光が放たれていた。


政財界のフィクサー――黒木宗一郎。


その両脇には、黒いスーツを纏った巨漢のシークレットサービス(護衛)が二名、影のように控えている。


「……黒木様……っ!」


愛華は感極まった声を上げ、うっとりとした表情でその場に膝を折り、ひれ伏すように頭を下げた。


「お待ちしておりました……! 神条も、陣内も、陸斗も……邪魔なハエどもはすべて自滅し、消え去りましたわ……! さあ、中へ……お入りくださいませ……!」


黒木は愛華のその平伏する姿を、まるで路上に転がる一粒の石ころでも見るかのように冷ややかな目で見下ろした。

その顔には、勝利の笑みも、愛人に対する情愛の欠片すら存在しなかった。そこにあるのは、すべてを自分の思い通りに支配し終えた王の、冷徹なまでの「余裕」だけだった。


「……フッ。見苦しい騒ぎを起こした愚か者どもだったが、結果として警視庁も世間もあの三人の泥沼劇に目を奪われた。我が『Project-ZERO』の最終決済を隠蔽するには、最高の上着(スモーク)となったな」


黒木の低く、重厚な声が、リビングルームの空気を一瞬にして氷点下へと叩き落とした。


彼は踏みしめるような重い足取りでペントハウスの敷居を跨ぎ、大理石の玄関ホールから、広大なリビングルームの中央へとゆっくりと歩みを進めてきた。

両脇の護衛たちが静かにドアを閉め、背後で『ガチャン』と電子ロックが自動施錠される。


黒木は部屋の中を見回し、散乱したガラス片や倒れた家具の惨状を一瞥すると、鼻で冷たく笑った。


「愛華。前世の一真という男は、死ぬまで自分が作った特許の真の価値にも、お前の正体にも気づかぬまま消えた哀れな男だった。そして今、その一真が死んだこの部屋で、我が手元に数百億の特許権と資金が完遂される……。最高の舞台ではないか」


「ええ……ええ、まったくですわ、黒木様……!」


愛華は立ち上がり、黒木の腕にすがりつくようにして媚びた笑みを向けた。


「ですが、黒木様……! 何よりもまず、ご覧になってくださいませ……! あなたが待ち望んでいらした……あなたと私の『真の血筋』……あの子の姿を……!」


愛華は誇らしげに胸を張り、リビングの片隅に鎮座する高級なベビーベッドへと、黒木を誘導した。


黒木宗一郎の足音が、ゆっくりとベビーベッドへ向かって近づいてくる。


ザッ……ザッ……ザッ……。


その足音は、前世の俺を暗闇へ追い詰めた絶望の足音であり、同時に、この男が己の完璧な完全犯罪と「我が子との対面」を確信して踏み出す、狂おしい高揚の足音だった。


「……ほう」


黒木が、ベビーベッドの木枠の上から、ゆっくりと覗き込んできた。


そこには、黒木宗一郎の冷酷で鋭い顔が、至近距離で広がっていた。

彼の瞳には、自らの遺伝子を受け継ぎ、将来この巨大な暗黒の帝国を引き継ぐはずの「実の息子(後継者)」に対する、歪んだ所有欲と満足感が溢れ出ていた。


黒木は細く固い指先を伸ばし、シーツの上に横たわる赤ん坊(俺)の幼い頬へと触れようとした。


「……私の血を引く子供か。……よくぞ生まれてきた。お前は将来、我が手で鍛え上げ、この国の頂点に立つ王として育ててやる……」


黒木宗一郎が、誇らしげに、そして絶対的な勝利を確信して、そう呟いたその瞬間――。


ベビーベッドの冷たいマットレスの上で。


俺――佐藤一真は、目を閉じたふりをするのをやめ、ゆっくりと、その両足をシーツの上で動かした。


そして、幼い瞼を静かに見開き――。


自分を殺し、妻を奪い、特許を掠め取った「実の父親」であり「最大の仇敵」である黒木宗一郎の顔を、至近距離から真っ直ぐに見つめ返した。


その赤ん坊の瞳には――生後間もない乳幼児の無垢さなど、欠片も存在しなかった。


そこに宿っていたのは、前世のエンジニア・佐藤一真としての冷徹なまでの知性と、お前たちのすべてを地獄の底へと叩き落とすために死の淵から舞い戻ってきた、絶対的な復讐者の「殺意」そのものだった。


「……むっ……!?」


黒木の指先が、空中でぴたりと止まった。


政財界の数多の修羅場を潜り抜けてきた黒木の本能が、目の前の「赤ん坊」の瞳から放たれる異様な、そしてあまりにも冷酷な眼光を捉え、背筋に強烈な悪寒を走らせたのだ。


赤ん坊が自分を見つめるその眼光の中に、かつて自らが病床へと追いやり、冷笑しながら息の根を止めたはずの男――佐藤一真の面影が、確かに重なって見えたからだ。


「な……なんだ……このガキの目は……!?」


黒木が思わず息を呑み、一歩後ずさりかけたその瞬間。


俺の小さな足の親指の腹が、シーツの下に隠されたハッキング端末のスクリーン上、輝く緑色のボタン――【特許決済改変&全証拠一斉同時暴露(EXECUTE_KILL_SWITCH)】の文字を、力強く踏み抜いた。


ピコンッ――。


静まり返ったリビングルームに、小さく、しかし絶対的な終わりの始まりを告げる電子音が響き渡った。


壁面の超高画質カメラのインジケーターが一斉に血のような赤色に点灯し、スマートホームの電子ロックがガチャンと音を立てて閉鎖される。

そして、黒木のスマートフォンと、愛華のスマートフォンの両方の画面が、パッと血の気が引くような真紅の警告画面へと一斉に切り替わった。


『――警告:特許権決済システム「Project-ZERO」は異常終了しました。資金数百億円は国際警察および国税庁の口座へ強制凍結・リダイレクトされました。同時に、殺人教唆および不正取引の全データが全国の検察庁および報道機関へ送信されました』


「な……なに……!? 何が起きた……!?!?」


黒木の顔から、絶対的権力者としての余裕が一瞬間で吹き飛んだ。

愛華の絶叫が、密室と化したペントハウスの中に狂ったように響き渡る。


その阿鼻叫喚の地獄絵図の只中で、ベビーベッドの中の小さな復讐者・佐藤一真は、冷ややかに口角を上げ、実父・黒木宗一郎に向かって、静かなる「宣戦布告」の笑みを浮かべていた。


(――ようこそ、地獄へ。黒木宗一郎、そして愛華)


前世の宿敵との、すべてを賭けた最終決戦の火蓋が――いま、ここに切って落とされた。


【第2巻・完/第3巻「泥沼の最終決戦・完全崩壊編」へ続く】

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。