56 第6章:決着(対決へのカウントダウン)
第1節:黒木のタワマン訪問予告
港区の高級タワーマンション、その最上階ペントハウスのリビングルーム。
神条、陣内、陸斗という三人の手駒たちが泥沼の同士討ちの末に一人残らず社会的・法的に抹殺され、部屋に残された妻・愛華が密かに連絡を取り合っていた真の黒幕――政財界の暗黒のフィクサーであり、巨大ITホールディングス総帥の黒木宗一郎。
そして、ハッキング端末の最深部で発見された極秘の遺伝子鑑定報告書により、いまベビーベッドの特等席に横たわる俺(佐藤一真)の生物学上の父親が、他でもないその仇敵・黒木自身であるというあまりにも歪んだ絶対的真実が判明した深夜から、さらに時間が経過した。
(――来るつもりか、黒木)
暗闇の中で、俺は小さな赤ん坊の手足を動かしながら、ハッキング端末を通じて黒木側の暗号化された通信回線、および愛華のプライベートスマートフォンへとリアルタイムで流れるメッセージのやり取りを傍受し続けていた。
愛華のスマホ画面に、黒木からの新たなメッセージ通知がポップアップする。
『――愛華。例の特許権の国外流出および資金洗浄の最終決済は、予定通り明後日の深夜に完了する。それに伴い、私はその決済の直後、直接タワーマンションへ赴く』
メッセージの文字を見た瞬間、愛華のスマホを握る手が微かに震えた。
『あなたが……このペントハウスにいらっしゃるのですか……!?』
愛華からの即座の返信に対し、黒木の冷徹で重厚な文字が冷たく打ち返されてくる。
『そうだ。すべてのスキームが完了し、我が手元に数百億円の権利と資産が確実に入ったその瞬間、私とお前、そして我が血を引く「あの子」を正式に引き取る。……我が後継者となるその赤ん坊の顔を、直接この目で確かめ、スイスへの出国準備をその場で最終確認する』
画面の向こうの黒木は、明後日に迫った歴史的かつ巨大な不正取引の成功を確信し、自らの血を引く「後継者(=俺の肉体)」に対面することを、最高潮の余裕と高揚感をもって心待ちにしていた。
彼にとって、神条や陣内や陸斗のような使い捨ての駒どもとは異なり、「自分の血を引く息子」であり、自らの巨額の帝国を将来引き継ぐはずの存在――それが、このベビーベッドの中にいる赤ん坊だったのだ。
「フフ……あははっ……!」
ソファの上でメッセージを読み終えた愛華は、嬉しさのあまり声を漏らし、狂気的な歓喜に満ちた笑みを浮かべた。
彼女の脳裏には、黒木宗一郎というこの国の頂点に君臨する絶対的権力者の正式な妻として迎え入れられ、スイスのプライベートバンクに眠る巨額の富を手にしながら、世界を我が物顔で闊歩する自分の未来図が描き出されていた。
前世の俺(一真)を毒殺し、三人の男たちを地獄へ送り込んだことの罪悪感など、彼女の心には一欠片も存在しない。あるのはただ、勝利の美酒に酔いしれる毒婦の醜い高揚感だけだった。
「黒木様が……この部屋にいらっしゃる……。私と、この子を迎えに来てくださるわ……!」
愛華はベッドの傍らに駆け寄り、眠っているふりをする俺の小さな頬を熱っぽく撫でた。
その肌から伝わってくるのは、母親の温もりではなく、権力と金に狂った狂人の体温だった。
「よかったわね、一真……ううん、あなたじゃないわ。この子は、私と黒木様の、至高の血を引く選ばれた人間なのよ。あなたの成し得なかったすべての栄光を、この子が引き継ぐの……!」
(――ほざけ)
俺は赤ん坊の小さな体の中で、冷徹なまでの殺意を瞳に宿しながら、愛華のその狂った独り言を聞き流した。
黒木がこのペントハウスに自ら足を運ぶ。
それは、愛華にとっては「栄光の迎え」であり、黒木にとっては「我が子と百億の富の抱擁」なのだろう。
だが、そのシナリオが彼らにとってどのような意味を持つのか――。
俺の手元にあるハッキング端末の画面には、すでに黒木の全資産データ、全口座情報、そして明後日の深夜に実行される「特許権の最終決済システム」のバックドアとキル・スイッチが、完璧なまでにセットアップされていた。
黒木宗一郎がこの高級タワーマンションの最上階、このリビングルームに足を踏み入れた瞬間――。
それこそが、神条、陣内、陸斗を飲み込んだものとは比較にならない、数千億規模の破滅と破綻という名の「完全なる処刑の引き金」が引かれる瞬間だった。
俺は小さな唇の端を、暗闇の中で美しく、そして冷やかに吊り上げた。
(――いいだろう、黒木。お前がこのタワマンの扉を叩き、我が子の顔を拝もうと誇らしげにやってくるその時を、俺は心の底から歓迎してやろう)
父と子。
その生物学的な血の繋がりなどという気色悪い幻想を、俺の手でズタズタに引き裂き、お前の積み上げてきたすべての帝国を、この赤ん坊の手によって永遠の地獄へと叩き落としてやる。
決戦のカウントダウンは、音を立てて最終章へと突入していくのだった。




