54 第5章:黒幕(第4の男)の浮上
第4節:前世の死の真実
港区の高級タワーマンション、その最上階ペントハウスのリビングルーム。
三人の男たちが泥沼の醜態を晒して社会的に抹殺され、部屋に静寂が戻った後、妻・愛華が電話で語り合った相手――それは、前世の俺(佐藤一真)のビジネスにおける最大のライバルであり、政財界の暗黒のフィクサーとして君臨する巨大ITホールディングス総帥、黒木宗一郎であった。
愛華が金庫に極秘契約書をしまい込み、勝利の余韻に浸りながらソファで眠りについた後も、ベビーベッドの冷たいマットレスの上に横たわる俺の意識は、一片の眠気すら覚えることなく、極限まで冴え渡っていた。
(……黒木宗一郎。そして、愛華)
前世の俺が命を削って開発し、未来のすべてを懸けていた基幹特許。
それを掠め取り、俺の人生そのものを暗闇へと突き落とした真の首謀者たちの姿が、パズルのピースが噛み合うように、脳裏で一つに繋がっていく。
前世の記憶が、鮮明なフラッシュバックとなって俺の頭脳を駆け巡った。
あの日のことだ。
俺が自社オフィスの開発ルームで過労と寝不足にフラフラになりながらも、次世代AIインフラと分散型暗号処理に関する特許の最終コードを書き上げていた夜。
体に突然襲いかかった、耐え難い激しい倦怠感と、内臓が焼けるような灼熱の苦しみ。
「ぐっ……! こ、これは……!?」
デスクにしがみつき、血を吐くような思いで呼吸を整えようとした俺の前に、当時、献身的な妻としてオフィスに夜食のスープを差し入れしてくれた愛華が立っていた。
彼女の顔には、普段の優しい笑顔のかけらすらなかった。
そこにあったのは、冷酷なまでの無機質な微笑みと、冷ややかな眼差しだけだった。
『お疲れ様、一真。……そんなに苦しまないで。もうすぐ、すべてが終わるから』
愛華が持っていた魔法瓶のカップから注いだのは、温かいスープではなく、無味無臭の強力な神経毒と重金属化合物のカクテルだった。
俺が彼女を信じ切って口にしたそのスープに、数週間前から微量ずつ、しかし確実に致死量の毒物が混ぜ込まれていたのだ。
『なぜだ……愛華……? 俺たちは、夫婦ではなかったのか……?』
床に崩れ落ち、這いつくばる俺を見下ろしながら、愛華は冷たく言い放った。
『夫婦? 笑わせないでよ。私が愛していたのは、あなたじゃないわ。黒木様が持っている莫大な富と、この世のすべての権力よ。……あなたが命を削って作り上げたその特許の暗号化キーを黒木様に差し出すこと。それが、私に与えられた最初で最後の「仕事」だったのよ』
朦朧とする意識の中で、俺のスマホの画面に、黒木宗一郎からの着信が表示されたのを覚えている。
愛華はスピーカーフォンに切り替え、苦しみにもがく俺の声を、黒木に聞かせていたのだ。
『――ご苦労だったな、愛華。佐藤君の技術者としての執念には敬意を払うが、時代を作るのはいつだって勝者だ。彼の遺した知的財産は、我がグループが責任を持って世界最高のビジネスへと昇華させよう。……彼の死因は、過労による急性の心不全および脳血管障害として処理しろ。神条に裏づけのカルテはすべて偽装させてある』
電話の向こうから聞こえてきた黒木の冷酷な嘲笑い。
それが、前世の俺が聞いた「人間としての最後の言葉」だった。
俺はその後は病室で意識朦朧としたまま最後を迎えたのであろう。
愛華は俺が倒れると、すぐに神条に連絡を入れて偽造の遺言状の準備をさせ、陣内に会社側の処理を命じ、そして自らは「悲劇の未亡人」という完璧な仮面を被って、数億の保険金とタワーマンションの権利を手に入れたのだ。
彼らにとって、俺の人生も、俺の愛情も、ただの「踏み台」に過ぎなかった。
俺がどれほど会社のために身を粉にして働き、どれほど愛華を愛し、家庭を守ろうと足掻いたとしても、そのすべてが最初から踏踏みにじられるために用意された「シナリオ」の上での出来事だったのだ。
(――許さない……絶対に、許さない……!)
ベビーベッドの中で、俺は小さな赤ん坊の拳を血が出るほど強く握りしめた。
3人の男たち――神条、陣内、陸斗が社会的に抹殺されたのは、あくまでこの巨大な悪のピラミッドの「末端の掃除」にすぎない。
真の首謀者である黒木宗一郎、そしてすべての裏切りに加担した毒婦・愛華。この二人が手を取り合って、明後日の深夜に世界を揺るがす「特許権の不正売却と巨額資金洗浄の最終決済」を成功させようとしている今、この瞬間こそが、奴らを叩き潰す唯一にして最大のチャンスだった。
俺は目の前のコンソール画面に、前世のエンジニアとしての全知全能を注ぎ込んだ「最終復讐プログラム」のコードを一気に書き上げた。
(黒木、愛華。お前たちが奪い取ったその数百億円の特許は、お前たちを栄光の頂点へ導く切符などではない。……お前たちの全財産、社会的信用、そして自由のすべてを奪い取り、永遠の暗闇へと引きずり込むための『呪われたギロチン』だ)
タワーマンションの最上階。
眠りに落ちる毒婦の寝息が聞こえるリビングの片隅で、赤ん坊の瞳に宿る蒼い光は、怒りと復讐の炎に包まれて、狂おしく激しく燃え盛っていたのだった。




