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51 第5章:黒幕(第4の男)の浮上

第1節:静寂の中の恐怖


港区の高級タワーマンション、その最上階ペントハウスのリビングルーム。


神条が手錠を掛けられて連行され、陣内が3億円の横領と社内チャットへの録音データ誤爆の末に夜の街へと失踪し、そして最後の陸斗もまた、ペットカメラのライブ配信による暴力暴露とSNSでの大炎上を経て現行犯逮捕された。


悪徳弁護士、横領役員、そして暴力トレーナー。

前世の俺(佐藤一真)の遺産と生命保険金を狙い、愛華と共謀して俺を過労死・病死の暗闇へと追い詰めた「3人の男たち」は、一人残らず社会的な抹殺を遂げ、この密室から姿を消した。


部屋の中に残されたのは、荒らされた室内の残骸と、重苦しいまでの絶対的な「静寂」だけだった。


床には割れたガラス花瓶の破片が散らばり、踏みにじられた書類や高級万年筆が転がっている。つい先刻まで怒号と悲鳴が渦巻いていたのが嘘のように、リビングはしんと静まり返っていた。


ソファの傍らで、膝を抱えたまま床に崩れ落ちていた愛華は、ゆっくりと、まるで全身の関節が錆びついているかのように身を起こした。


彼女の顔は泣き腫らされ、陸斗に殴られた左頬は痛々しく赤紫色に腫れ上がっている。口の端には乾いた血の跡が残り、高級なシルクの部屋着は乱れ切っていた。


――だが。


ベビーベッドの特等席から、息を殺してその様子を観察していた俺の瞳は、ある異常な違和感を捉えていた。


(……何だ? この違和感は……)


3人の男たちが失脚し、警察や世間の目がこのマンションへと向けられた今、愛華は自らの罪が暴かれる恐怖に怯え、頭を抱えてすすり泣くか、あるいは警察の捜査から逃れるためにパニックを起こして荷物をまとめるはずだった。


しかし、彼女の顔から「涙」が消えていた。


腫れ上がった顔の奥に潜む彼女の瞳から、先ほどまでの悲惨な被害者としての怯えや動揺が、急速に失われていく。代わりにそこに浮かび上がってきたのは――氷のように冷たく、どこか無機質な「冷徹さ」だった。


愛華は震える手で、乱れた髪を耳の後ろへと掻き上げた。

そして、床に散乱した書類の隙間に転がっていた、自分専用のプライベート・スマートフォンへとゆっくりと手を伸ばした。その動作には、先ほどまでの半狂乱なパニックの面影など微塵もなかった。


「……ハァ……ハァ……」


彼女は小さく息を整えると、腫れた唇を固く結び、スマホの画面をタップした。


彼女が画面を操作する手つきは、恐ろしいほど迷いがなかった。

警察に通報するわけでもない。弁護士に相談するわけでもない。SNSの炎上を確認するわけでもない。


彼女が開いたのは、通常の連絡先リストには登録されていない、暗号化通信アプリの特殊な非表示インジケーターだった。


(な……何だと……!?)


ベビーベッドの木枠の隙間から、俺は赤ん坊の小さな体内で息を呑んだ。


神条、陣内、陸斗。

俺をハメた悪党どもは全員片付けたはずだった。愛華はこの3人の男たちを手玉に取り、互いに牽制させ合いながら、俺の遺産と保険金を極限まで吸い上げようとしていた「主犯」であり「毒婦」であったはずだ。


だが、彼女が今、スマホの画面に表示させているダイヤル画面、そしてその先に繋ごうとしている相手の存在――。


愛華は周囲を警戒するように一度部屋を見回すと、震える指で画面上の【発信】ボタンをタップした。

そして、スマホをそっと耳元へと押し当てた。


コール音が鳴る。

プルルルル……プルルルル……。


その音が静まり返ったリビングに虚しく響く間、愛華の表情には安堵の色など一切なかった。むしろ、3人の男たちから暴力を振るわれ、脅迫されていた時以上の、底知れぬ「真の恐怖」がその顔を支配していた。


やがて、カチリと通話が接続された。


『――私だ』


スマホのスピーカーから、ごく微かに漏れ聞こえてきたのは、低く、低音の響く、一切の感情を削ぎ落とした男の声だった。


神条の声でもない。

陣内の声でもない。

陸斗の声でもない。


重厚で、圧倒的な威圧感を纏った、これまでこのリビングの会話には一度たりとも登場しなかった「第4の男」の声。


その声を聞いた瞬間、愛華の身体が目に見えて強張った。彼女はまるで絶対的な支配者の前にひれ伏す奴隷のように、背筋をピンと伸ばし、かすれた声で電話口へと囁いた。


「あ……あの方……ですか……?」


あの方――。


愛華の口から漏れ出たその一言が、静まり返ったリビングの空気を一瞬にして氷点下へと凍りつかせた。


「神条も、陣内も、陸斗も……全員、終わりました。……あの3人は、自滅して……警察に連れて行かれたか、逃亡しました……」


愛華の声は激しく震えていた。

だが、その震えは3人の男たちに対する恐怖からくるものではない。今、電話の向こう側にいる「この男」に対する、根本的な生存本能からの恐怖だった。


『……ふむ。あの愚か者どもが、予定通り使い物にならなくなったか』


電話の向こうの男は、眉一つ動かしていないかのような淡々とした口調で言い放った。

3人の男たちが社会的抹殺を遂げたという報告を聞いても、何の動揺も見せない。まるで、最初からそうなることが既定路線であり、すべては計算通りの「駒の処分」にすぎないと言わんばかりの冷酷さだった。


『神条の法的スキームも、陣内の横領資金も、所詮は下の下。……まあいい。奴らが勝手に騒ぎ立てて自滅してくれたおかげで、警察や世間の目はあの3人に集中した。こちらの本命の動きには、何の影響もない』


「は、はい……っ……! ですが、私の周りの口座や、このタワマンの権利関係まで捜査の手が及ぶかもしれません……! 私は……私はこれからどうすれば……!?」


愛華がすがりつくようにスマホにしがみつく。


『動くなと言ったはずだ、愛華』


男の低い声が、ナイフのように鋭く愛華の言葉を切り裂いた。


『お前が余計な欲を出してあの愚か者どもを弄んだせいで、無駄な火種が大きくなったのだ。……だが、安心しろ。一真の残した「本当の核心資産」――あの海外特許権と、極秘の知的財産権の譲渡スキームは、すでに私の手元で処理されている』


(なに……!? 一真の残した……本当の核心資産だと……!??)


ベビーベッドの中で、俺の全神経が沸騰した。


前世の俺(佐藤一真)が死ぬ間際、俺が社内で開発し、個人名義で保有していたはずの高度なアルゴリズム特許と、次世代ITインフラに関する知的財産権。

俺はあれが会社(陣内たち)に不当に買い叩かれ、消滅したものだと思い込んでいた。


だが、違う。

陣内も、神条も、陸斗も……そして愛華すらも、ただの「表層の囮(オトリ)」にすぎなかったのだ。


俺を過労死へと追いやり、その影で俺の持つ巨額の「知的財産権」を根こそぎ奪い取り、裏で巨大なメガバンクや国際ファンドと繋がって莫大な富を貪っていた「本当の黒幕」――。


『愛華。お前の役割は間もなく終わる。警察の聴取には、すべてあの3人の男たちに脅されて従っていた被害者として振る舞え。……お前に約束した『報酬』は、すべて処理が完了した後に渡す』


「あ……ありがとうございます……! 『あの方』……ありがとうございます……っ!」


愛華は泣きながら、何度も何度もスマホに向かって頭を下げた。


『……それと、一真の残したあのガキはどうしている』


突然、電話の向こうの男が、俺のことへと話題を向けた。


愛華は一瞬ギクリとして、リビングの片隅のベビーベッドへと視線を向けた。


「あ……あの赤ん坊ですか……? 今は……ベッドで静かに寝ています。何の影響もありません……ただの赤ん坊です……」


『そうか。ならばいい。……余計な証拠を残すなよ』


プツッ――。


無機質な切断音が響き、通話が途切れた。


愛華は力なくスマホを床に置き、大きく息を吐き出すと、そのままソファに倒れ込むようにして深く身を沈めた。その顔には、先ほどまでの絶望ではなく、黒幕からの指示を受けたことによる、どこか狂気じみた「安堵の笑み」が浮かんでいた。


静まり返ったリビング。


ベビーベッドの冷たいマットレスの上で、俺(佐藤一真)は小さな両手をぎゅっと握り締め、暗闇の中で瞳を血走らせていた。


(……黒幕。第4の男……! お前が……お前こそが、前世の俺を死に追いやった「真の首謀者」だったのか……!)


神条、陣内、陸斗の3人を踊らせ、愛華を裏で操り、俺の命と引き換えに数億、数拾億という巨大な「特許権」を掠め取った黒幕の存在。


復讐劇の第1幕は終わった。

だが、本当の地獄のゲームは――いま、この静寂の中から、新たな幕を開けようとしていたのだった。

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