34 第1章:リビングの三つ巴(修羅場開幕)
第4節:前世の死の責任転嫁
愛華の冷酷な嘲笑――「全員、私に都合よく利用されていた道具に過ぎなかった」という告白は、男たちの最後のプライドと精神的支柱を粉々に打ち砕いた。
自分こそがこの未亡人を救い出し、すべてを我が物にする勝者だと信じ込んでいた男たちは、自分たちがただの「使い捨てのダミー」に過ぎなかったという現実の前に、正気を失いかけていた。
だが、狂乱の底に落ちた男たちの憎悪と猜疑心は、やがて愛華個人のみならず、すべての発端である「あの男の死」そのものへと向かっていく。
――佐藤一真の死。
前世の俺が、過労と病魔、そして周囲の人間たちの悪意に絡め取られ、この世から消え去ったあの凄惨な死の真相。
「……ふざけんな……ふざけんなよ……!」
最初にその沈黙を破り、身悶えるように叫んだのは、IT企業役員の陣内だった。
血走った目を大きく見開き、その場に崩れ落ちそうになりながらも、陣内は震える指で弁護士の神条と、トレーナーの陸斗、そして冷ややかに見据える愛華を順に指さした。
「俺じゃない……俺はただ、会社のためにあいつを働かせていただけだ! 過労で倒れたのはあいつの体力がなかったからで、俺が直接手を下したわけじゃない……! だが、お前らはどうだ! 神条、お前は一真が死ぬ前から、遺産の配分や保険金の仕組みをしきりに調べて俺に探りを入れてきたじゃないか! お前が裏で奴を追い詰めたんだろう!」
陣内の言葉に、神条の表情からわずかに余裕の仮面が剥ぎ取られた。
しかし、エリート弁護士としてのプライドが、神条に即座の反論と責任のすり替えを強いる。
「何をバカなことを言っているんです、陣内さん! 責任転嫁もそこまで見苦しくないと恥をかきますよ」
神条は冷ややかな声を張り上げ、フチなし眼鏡を押し直しながら陣内に鋭い視線を突き刺した。
「私が遺産や保険金の法的手続きに関与したのは、あくまで一真氏の『死後』の事務処理としてです。彼を生前から精神的・肉体的に極限まで追い詰め、毎日のように終電まで過酷なプロジェクトを押し付け、逃げ道を断っていたのは――他でもない、あなた自身の上司としてのパワハラと搾取ではないですか!」
「なっ……!?」
「あなたが彼に与えたプレッシャーと過労働こそが、彼の免疫力を奪い、病魔を悪化させた最大の原因だ。医者も言っていましたよ、『これほど慢性的なストレスに晒されていれば、健康な人間でもひとたまりもない』とね。つまり、一真氏を間接的に死に至らしめた最大の殺人鬼は、他ならぬあなた、陣内健一、あなた自身だ!」
「き、貴様……何を勝手な屁理屈を……っ!」
陣内は顔を真っ青に染め、息を荒くした。図星を突かれた恐怖と、自らの加害性を突きつけられた動揺が、彼の頭脳を激しく揺さぶる。
「二人とも、いい加減にしろよ……!」
そこに割り込んだのは、若い肉体派トレーナーの陸斗だった。
陸斗はレザージャケットの袖口で額の冷や汗を拭い、苛立ちを隠さない荒々しい足取りで、二人のオッサンを睨みつけた。
「お前らな、自分が可愛いからって責任の擦り付け合いばかりしやがって、ちゃんちゃらおかしいぜ! 綺麗事並べてるけどよ、あの男が死んだとき、お前ら全員で何を企んでた? 陣内、お前は会社の不正隠蔽のために一真をスケープゴートにしようとしてたし、神条、お前はちゃっかり愛華と結託して保険金を山分けする算段をつけてただろ!」
「なんだと、この若造が……!」
「俺は関係ねえよ! 俺はただ、愛華に言い寄られてこの部屋に出入りしてただけで、一真の野郎がどうなろうと知ったこっちゃなかった! だがな……!」
陸斗は冷酷な笑みを浮かべ、愛華のほうをぎょっとするような目で振り返った。
「一番怪しいのは、この女じゃねえのか? 一真が一番苦しんで、病床で喘いでいたとき、毎日のように看病していたはずのこの妻が――裏で何食わぬ顔で俺とホテルに行き、このオッサンたちから金を巻き上げていたんだぞ!」
陸斗の指先が、冷たく立ち尽くす愛華をビシリと指し示す。
「なぁ、愛華。お前、夫の食事や薬に何か変なものを混ぜてたんじゃねえのか? あいつが急に悪化して死んだとき、一番冷静だったのはお前だろ? 『これで保険金が入る』って、心の底で喜んでたんじゃねえのかよ!」
その言葉の瞬間、リビングの空気が音を立てて凍りついた。
「……っ!」
愛華の美しい顔が、初めてほんのわずかに強ばった。
だが、彼女はすぐにその動揺をかき消すように、冷ややかな美笑を張り付けて陸斗を睨み返す。
「失礼ね、陸斗。そんなの、ただのあなたの勝手な妄想じゃない。夫が病気で亡くなったのは、お医者様の診断書にもある通り、あくまで自然死……過労と病気によるものよ。私が何かをしたっていう証拠があるわけ?」
「証拠? そんなもん、この泥沼の部屋を探せばいくらでも出てくるだろ!」
陣内が狂ったように叫ぶ。
「そうだ……そうだ、思い出したぞ! 一真が亡くなる少し前、お前、海外の怪しげな薬やサプリメントをしきりに取り寄せていなかったか? 『夫の滋養強壮のため』とか何とか言って、毎日のように奇妙なカプセルを飲ませていたはずだ……あれは一体、何だったんだ!」
陣内のその指摘に、神条の目が鋭く光った。
「ほう……? 妻であるあなたが、夫に海外の未承認サプリや正体不明の薬を投与していたとすれば、それは単なる『病死』では片付けられない法的な重大な瑕疵になり得ますね。愛華さん、あなた、まさか……」
「うるさい! 黙って、もう誰も喋らないでっ!!」
ついに精神の限界を迎えた愛華が、ヒステリックな金切り声を上げて耳を塞いだ。
完璧に構築したはずの「未亡人の悲劇」という仮面が剥ぎ取られ、男たちの口から次々と暴かれる不都合な真実と、互いの罪の擦り付け合いが、彼女の精神を鋭く切り刻んでいく。
「私が何をしようと勝手でしょ! あんたたちだって、夫が死んだとき、誰も助けようとしなかったじゃない! 陣内は仕事を押し付けて見殺しにし、神条は遺産のことしか頭になく、陸斗は私の体にしか興味がなかった! みんな同じ泥船に乗っていた共犯者のくせに、いまさら誰が一番の悪人かなんて言い争って、何の言い訳になるっていうのよ!」
愛華の絶叫が、リビングの壁に虚しく反響した。
――その通りだ。
ベビーベッドの冷たいマットレスの上で、俺――佐藤一真は、その醜い責任の擦り付け合いのすべてを、冷徹なまでの冷静さで聞き届けていた。
誰もが「自分は被害者だ」と思い込み、誰もが「自分は騙されていただけだ」と主張し、誰もが「あいつが殺した(見殺しにした)」と他人のせいにしている。
だが、真実は一つしかない。
前世の俺を心身ともに追い詰め、過労死の瀬戸際にまで追い込んだのは、会社組織の歯車として俺を使い潰した陣内という男の冷酷な搾取であり、
俺の死の苦しみの最中に、その財産と保険金を奪い取る計算を裏で進めていたのは、エリートの皮を被った弁護士・神条であり、
俺の妻をたぶらかし、家族の崩壊を面白がりながらあざ笑っていたのは、野獣のようなトレーナー・陸斗であり、
そして何より、そのすべての男たちの欲望を手玉に取ると見せかけて、最終的に俺の生命と尊厳を踏みにじり、毒牙にかけたのは――目の前で泣き喚いている妻・愛華、その人自身にほかならない。
誰一人として、無実の人間などいない。
このリビングに集った四人の人間は、全員が紛れもない「佐藤一真殺害の共犯者」であり、互いの業によって共倒れしていく運命にあったのだ。
「お前が殺したんだ……!」
「違う! お前が見殺しにしたんだ!」
「全部お前らのせいだろ、このクズどもが……!」
男たちの罵声はもはや言葉の意味をなさず、ただの獣の唸り声のようになっていく。
愛華はその場で膝をつき、絶望に満ちた瞳で崩れ落ちていた。
(いいぞ……もっとやれ。互いの首を絞め合い、その醜い魂の汚れを骨の髄まで曝け出し合え……)
俺は小さな赤ん坊の手足をふんすと動かし、この泥沼の修羅場が最高潮に達する瞬間を、静かに、そして圧倒的な優越感と共に待ち構えていた。
幕切れは近い。
そして、この同士討ちの果てに待ち受ける真の恐怖が、いよいよその姿を現そうとしていた。




