31 第1章:リビングの三つ巴(修羅場開幕)
【第2巻】~現代ツールの罠ハメと泥沼の同士討ち(反撃・修羅場編)~
第1節:3人の愛人たちの対峙
港区の高級タワーマンション、その最上階に位置するリビングルーム。かつて前世の俺――佐藤一真が血の滲むような努力でローンを組み、手に入れたはずの優雅で洗練された空間は、今や人間の醜悪な欲望と底知れぬドロドロとした殺意が充満する、足の踏み場もない地獄の坩堝と化していた。
重厚なオーク材のフローリングの上に佇むのは、三人の男たち。
属性も、年齢も、社会的な立場もまったく異なる男たちが、狂乱と猜疑心に目を血走らせ、鋭い爪と毒牙を剥き出しにして対峙していた。
「……おいおい、冗談だろ。どういうことだ、これは?」
真っ先に痺れを切らしたように唾を吐き捨てたのは、第三の男――パーソナルトレーナーの陸斗だった。
トレーニングウェアの上に羽織ったレザージャケットの胸元からは、鍛え抜かれた厚い胸板が見え隠れしている。かつて愛華の前で見せていた爽やかで人懐っこい「若い好青年」の仮面は影も形もなく剥ぎ取られ、ギラギラとした野生の凶暴さと、奪われた金に対する露骨な執着心が剥き出しになっていた。
陸斗は鋭い眼光で、部屋にたたずむ二人の四十代の男たちを交互に睨みつけた。
「愛華、説明しろよ。なんなんだよ、このオッサンたちは? 俺に『あなただけが私の救いなの』とか甘い声で囁いておきながら、陰じゃこのくたびれたオッサンどもとデキてたってわけか?」
「くたびれた……だと? 貴様、口のきき方に気をつけろ!」
激昂した声を上げたのは、第二の男――俺の前世の上司であり、大手IT企業取締役の陣内だった。
高級ブランドの仕立ての良いスーツは大きく乱れ、結び目が歪んだネクタイがその心の動転を無残に物語っている。エリート役員としての矜持も冷徹な威厳もどこへやら、海外の極秘DNA鑑定によって突きつけられた「父子確率0.0%」という絶望と、自らの会社での地位を脅かされる恐怖によって、その表情は鬼気迫るものに歪んでいた。
陣内は拳を強く握り締め、陸斗の胸元へ一歩踏み出した。
「社会の底辺で体を売っているような若造が、調子に乗るな! 俺がこの家と愛華にどれほどの資金を投資してきたと思っている! 不妊治療の裏支援から生活費まで、すべて俺の手のひらの上だったのだ! お前こそ、どの面下げて死んだ俺の部下の家に上がり込んでいるんだ!」
「はっ! 投資だあ? 笑わせんじゃねえよ!」
陸斗は鼻で笑い、嘲笑を浮かべながら陣内の胸を軽く突き飛ばした。
「金で女を買ってただけの不細工なオッサンが、カッコつけてんじゃねえよ。愛華が本当に求めてたのは、あんたの小汚い金じゃなくて俺の肉体なんだよ! あんたみたいな老いぼれに、女を心から満足させられるわけねえだろ!」
「な……なんだと……っ!? 貴様ッ!」
陣内の顔が怒りで朱に染まり、額に青筋が浮かび上がる。
「おやめなさい。実に醜く、品性の欠けた罵り合いだ。見苦しいですよ、二人とも」
その二人の間に、氷のように冷ややかな声が滑り込んできた。
第一の男――エリート弁護士の神条だ。
フチなし眼鏡の奥に刃物のような冷徹な瞳を光らせ、整えられた髪と隙のないダークネイビースーツを纏った神条は、手にした革製のアタッシュケースを軽く持ち直しながら、二人を冷笑混じりに見下ろした。
「神条……! 貴様までなに食わぬ顔でここへ戻ってきたのか!」
陣内が牙を向ける。
「裏で俺の会社の機密データや個人情報に探りを入れ、俺を社会的に失脚させようと画策していたのは知っているんだぞ! 弁護士という立場を利用して、佐藤一真の遺産をごっそり横取りしようとしていた悪徳弁護士が!」
「言いがかりは慎んでいただきたいですね、陣内さん」
神条は薄く唇を歪め、静かに眼鏡の枠を押し上げた。
「私はただ、佐藤一真氏の死亡に伴う複雑な相続手続きと、残された遺族の法的な保護を行っていたに過ぎません。……もっとも、あなたのように立場を利用して部下の妻に手を出し、不当な支配を試みていた犯罪的行為者に比べれば、私の立ち振舞いなど遥かに清廉潔白ですがね」
「清廉潔白だあ?」
陸斗が割り込み、神条の肩を小突くようにして顔を近づけた。
「気取った口叩いてんじゃねえよ、弁護士のオッサン! あんただって裏じゃ『俺は種馬の代用品に過ぎない』とか吐き捨てて、愛華から保険金の山分けを取りつけようとしてただろ! 探偵の真似事みたいな真似して俺の周りを嗅ぎ回ってたのも知ってんだぞ!」
三人の男たちが、リビングの中央で互いの首を絞め合うような至近距離で対峙する。
「お前が妻の男か!」
「黙れ! 貴様こそ愛華を騙して金を貪っていた寄生虫だろう!」
「横取りしようとしてんのはお前らオッサン二人だろ! 邪魔なんだよ!」
怒号と罵声が激しく交錯し、男たちの膨れ上がったプライドと抑えきれない欲望がぶつかり合う。
彼らはこれまで、自分こそが愛華という美貌の未亡人を独占し、死んだ佐藤一真の遺した莫大な資産とタワマンを手に入れる「唯一の覇者」だと疑わなかった。 他の男たちの存在など、精々「つまらない遊び相手」程度に高をくくっていたのだ。
だが今、全員がこの密室で一堂に会したことで、自分たちが一人の毒婦に都合よく弄ばれ、互いに利用し尽くされていたという残酷な現実に直面していた。
「やめて……! お願いだからやめてよ! みんな、出て行って……っ!」
ソファの傍らで小さく丸まり、頭を抱えて悲鳴を上げたのは愛華だった。
かつて男たちを思いのままに操り、甘い蜜で魅了していた「女王」の面影はどこにもない。髪は乱れ、化粧は涙と汗でドロドロに崩れ、己の自滅と男たちの暴走に対する恐怖で全身を激しく震わせている。
「うるさいぞ、愛華!」
陣内が激昂して叫ぶ。
「貴様が俺に嘘をつき、この男たちとも不貞を重ねていたからこうなったのだ! 俺の子だと偽って俺から金を絞り取ろうとした罪、タダで済むと思うなよ!」
「そうだぜ愛華、俺に『あのガキ(俺)さえいなければ』って甘えておきながら、このオッサンたちにも同じこと言ってたのか? 酷え女だな!」
陸斗も唾を飛ばして畳みかける。
「愛華さん、あなたの無計画で浅はかな虚飾が、すべての破滅を招いたのです。もはや法的な擁護も不可能ですな」
神条もまた、冷酷な宣告を突きつけた。
三人の愛人たちは、己の保身と奪われた自尊心、そして欲望の対価を相手に擦り付け合おうと、さらに激しく罵り合いを加速させていく。
――醜い。あまりにも醜く、滑稽な地獄絵図だ。
ベビーベッドの柵の隙間からその光景を見つめながら、俺――佐藤一真は、赤ん坊の小さな体の中で冷徹な嘲笑を浮かべていた。
弁護士、IT企業役員、パーソナルトレーナー。
社会的な仮面を被り、俺の死を狂喜し、俺の遺産と妻を貪ろうとしたハイエナどもが、俺の仕掛けた罠と自らの猜疑心によって自滅の泥沼へとはまり込んでいく。
だが、お前たちはまだ何も分かっていない。
この三つ巴の醜い争いすら、これから始まる本当の復讐劇の「前菜」に過ぎないということを。
そして、お前たち全員を操っていた「第4の存在」――真の黒幕の影が、すぐそこまで迫っているということを。
俺は小さな拳をぎゅっと握り締め、泥沼の泥仕合を繰り広げる男たちを、冷ややかな瞳で見つめ続けた。




