25 第5章:開いた開梱(第4の存在)
第5節:本当の「父親」の影
深夜2時、静寂に包まれた港区の高級タワーマンション。
インターホンすら鳴らさず、慣れた手つきで合鍵を使って不法侵入してきた「黒い影」――
暗闇のなか、ベビーベッドの柵に手をかけ、俺――前世の記憶を宿したまま赤ん坊として転生した佐藤一真を見下ろす男の威圧感は、これまで現れたどの男たちとも一線を画していた。
弁護士の神条が持っていた知性、IT役員の陣内が誇っていた権力、そしてトレーナーの陸斗が振りかざしていた若さと肉体の暴力性。そのすべてを遥かに凌駕する、圧倒的なまでの冷酷さと支配の狂気が、この男の全身から濁流のように溢れ出していた。
(お前だ……。前世の俺を病死に見せかけて殺し、愛華を裏から手懐け、そしてすべての糸を引いていたのは……お前だったのか……ッ!)
赤ん坊の未熟な心臓が、破裂せんばかりの勢いで激しく脈打つ。
俺は呼吸を押し殺し、無垢な赤ん坊の寝顔を装いながら、薄開きの瞼の隙間からその男の表情を捉えようと全神経を集中させた。
外から差し込む月光と、遥か眼下に広がる街のネオンが、男の輪郭をうっすらと浮かび上がらせる。
完璧に仕立てられた高級なダークスーツ。手首に光るクロノグラフの腕時計。そして、整えられた髪の毛の隙間から覗く、鋭く冷たい鷹のような目。
男はゆっくりと腰を落とし、顔を俺の至近距離へと近づけてきた。
その鼻腔をかすめたのは、神条の安っぽいコロンでも、陣内の金属的な香水でも、陸斗の sweat とムスクの匂いでもない――高級な葉巻の残り香と、冷ややかなミントの香り。
前世の俺が、かつて仕事のパートナーとして、あるいは人生の先輩として、誰よりも信頼し、尊敬の念を抱いていた「あの男」の匂いそのものだった。
男は小さな手足のまますやすやと(あるいは殺意を煮詰めて)眠る俺の顔を、慈愛など微塵もない、しかしどこか満足げな、狂気的な笑みを浮かべてじっと見つめていた。
そして、すらりと伸びた長い指先を伸ばし、俺の頬を優しく撫で上げた。
その冷たい指先の感触に、俺の全身の皮膚が蛇に撫でられたかのように激しく粟立った。
男は、至近距離で俺の顔立ち――色素の薄い肌、わずかに波打つ髪、そしてハーフのように整った眉間の骨格――を舐めるように視線で辿りながら、低く、絹を擦り合わせるような魅惑的な声で、ぽつりと呟いた。
「……ふっ……。やはり、俺にそっくりだ」
――ふっ……やはり俺にそっくりだ。
その言葉がリビングの暗闇に溶け込んだ瞬間。
俺の脳裏で、これまでに集めたすべてのパズルのピースが、恐ろしいほどの精度で一瞬にして合体し、残酷な真実の絵を完成させた。
(……っ!!!!)
絶叫しそうになる喉を、俺は死に物狂いで押し潰した。
「俺にそっくりだ」――。
その一言が意味するもの。それは、単なる比喩でも親愛の情でもない。
神条は「自分は代用品に過ぎない」と冷笑して去り、陣内は海外の極秘DNA鑑定で「父子確率0.0%」の現実に打ちのめされて狂乱し、陸斗は「最初から避妊していた」と吐き捨てて逃げ出した。
3人の男たち全員が「愛人」ではあっても「実の父親」ではなかったというあの異常な全否定の果てに――ついに現れたこの第4の男こそが、この赤ん坊の肉体を形作った「真の遺伝子の持ち主(種馬)」であり、前世の俺を殺害した真の黒幕だったのだ!
(そうだったのか……! 愛華の周囲にいたあの3人の男たちは、警察の目や俺の目を逸らすための『ダミーの盾』に過ぎなかったんだ……! 愛華が本当に愛し、心から服従し、そして俺を殺してまでその種を宿したかった本物の男は……お前だったんだな……ッ!!)
背筋を極限の悪寒が駆け抜ける。
前世の俺・佐藤一真は、自分が心血を注いでいた仕事の裏で、妻を寝取られ、自らの人生を乗っ取られ、挙げ句の果てに毒殺されて命を奪われた。
そして、そのすべての計画は、目の前にいるこの男によって、寸分の狂いもなく計算し尽くされていたのだ。
男は俺の頬からゆっくりと手を離すと、立ち上がり、懐から一枚の小さな暗号化記憶メディア(USBメモリ)を取り出した。
そして、リビングのガラステーブルの上に置かれていた愛華のスマートフォンの横に、それを静かに置いた。
「愛華……。小者どもはすべて片付いた。これで、邪魔者は一人もいなくなったな」
男は寝室の方へと一瞥をくれ、誰もいない空間に向かって語りかけるように呟いた。
「お前が手に入れた生命保険金も、このタワーマンションも、そして……この俺の血を引いた子供も。すべては最初から、俺たちのものだったのだからな」
男の言葉には、一片の迷いもなかった。
彼は最初から、前世の俺の資産、妻、そして命のすべてを奪い取り、自分の完璧な王国を築くためにこの犯罪を仕組んだのだ。
神条、陣内、陸斗という3人の哀れな男たちは、その完璧な犯罪を覆い隠すための「捨て駒」として利用されていたに過ぎない。愛華すらも、この男の巨大な野望の手先として踊らされていたのかもしれない。
男は再びベビーベッドのほうへと視線を向け、冷酷な笑みを深めた。
「すこやかに育てよ、我が子よ。お前が大きくなった時……この世のすべてはお前のものだ」
男はそう言い残すと、足音を殺して玄関へと戻り、入ってきた時と同じように静かにドアを閉めて、夜の闇の中へと姿を消していった。
ガチャリ、と鍵が閉まる音が響く。
タワーマンションの最上階に、再び完璧な静寂が戻ってきた。
しかし、その静寂は、先ほどまでの絶望的なものとはまるで違っていた。
ベビーベッドの中で、俺はゆっくりと目を開けた。
暗闇の中、赤ん坊の小さな瞳に宿っていたのは、もはや混乱やパニックの色ではなかった。そこには、氷のように冷たく、そしてどこまでも深く燃え盛る、絶対的な殺意と復讐の炎が宿っていた。
(……分かったぞ、黒幕。お前が誰であり、どれほどの絶大な権力と知恵を持っていようとも関係ない)
俺は小さな拳をギュッと握りしめ、前世の自分が遺した未公開の日記が隠されている書斎の方角を、そして男が去っていった玄関の方角をじっと見つめた。
第1の候補・弁護士の神条。
第2の候補・IT企業役員の陣内。
第3の候補・パーソナルトレーナーの陸斗。
3人の「父親候補」を巡る泥沼の人狼ゲームは、ここに完全な終止符を打った。
しかし、それは破滅の終わりではない。
真の実父であり、前世の俺を殺した真の黒幕の存在が、ついに暗闇の底から浮き彫りになったのだ。
(待っていろよ……。お前が築き上げたその完璧な王国の頂点から、この『お前自身の血を引く赤ん坊』の手で、お前を地獄の底へ引きずり降ろしてやる……!)
赤ん坊の小さな胸の中で、復讐のカウントダウンが静かに、しかし確実に刻まれ始めていた。
物語は、真の黒幕との直接対決を描く、怒涛の「第2巻」へと引き継がれていくのだった。




