第7話 門の向こうの編集者
《第二深層門》
《開門率 一〇〇%》
重い金属音が地鳴りのように響く。
高さ三十メートルを超える鋼鉄の門が、ゆっくりと左右へ開いていく。
冷たい風が吹き抜けた。
風ではない。
門の向こうから流れ込んできた、濃密な魔力だった。
地面の石畳が軋み、周囲の照明が一斉に明滅する。
「魔力濃度が異常です!」
管理局の隊員が叫ぶ。
「計測不能! 計器が振り切れています!」
俺と九条シオンは転送陣から飛び出した。
目の前には巨大な広場。
門を囲むように特殊部隊が展開し、重火器や魔導砲が照準を合わせている。
その中央に立つ男。
黒瀬ジン。
俺を見捨てた男。
「止まれ!」
九条の声が広場に響く。
「黒瀬ジン! 管理局命令です! 門から離れなさい!」
ジンはゆっくり振り返る。
その顔を見ても、不思議なくらい怒りは湧かなかった。
俺の中から三年間の記憶が消えているからだ。
憎しみより先に、違和感が浮かぶ。
「ああ」
ジンは静かに笑った。
「本当に生き残ったんだな、レン」
名前を呼ばれる。
その声に親しみは感じない。
ただ、頭の奥が鈍く痛んだ。
「父さんはどこだ」
俺は真っすぐ尋ねた。
ジンの笑みがわずかに止まる。
「……そこまで見たのか」
「答えろ」
「答える必要はない」
ジンは肩をすくめた。
「どうせ、お前はまた忘れる」
その一言で、胸の奥に冷たいものが走る。
こいつは知っている。
俺の能力の代償を。
いや、それ以上のことを。
「黒瀬!」
九条が銃口を向ける。
「門から離れろ!」
「無理だ」
ジンは背後を振り返る。
「もう始まっている」
門の向こう。
闇しかなかった空間に、一つの白い光が灯る。
まるで巨大な編集画面のカーソルのように。
次の瞬間。
俺の視界に、見覚えのあるタイムラインが現れた。
だが、今までとは桁が違う。
一本ではない。
何千本。
何万本。
人。
建物。
空。
地面。
風。
この世界そのものが、一本一本の映像素材として並んでいた。
「……なんだ、これ」
《世界編集領域を検出》
《編集権限:閲覧のみ》
世界編集領域。
俺が今まで編集していたのは、その中のほんの一部だった。
門の向こうには、本物がある。
「レン!」
九条の声で意識が戻る。
門の中から何かが出てくる。
巨大な黒い腕。
人間の腕ではない。
岩石のような皮膚に、無数の文字が刻まれている。
腕だけで十メートル近い。
「撃て!」
九条の命令。
魔導砲が一斉に火を吹く。
爆発。
衝撃。
炎。
しかし。
巨大な腕は止まらない。
表面へ着弾した魔法弾が、紙くずのように弾き返される。
「効いてない!」
「第二射!」
再び砲撃。
結果は同じだった。
腕はゆっくりと地面へ触れる。
その瞬間。
世界が一度だけ止まった。
本当に止まった。
風も。
爆炎も。
人の動きも。
全部。
時間が止まっている。
動けるのは俺だけだった。
「……え?」
巨大な腕の前に、一人の少女が立っていた。
白い髪。
赤い瞳。
いつもの笑顔。
「やっとここまで来たね」
少女は楽しそうに拍手した。
「合格」
「何がだ」
「編集者候補試験」
言葉の意味が理解できない。
「試験?」
「そう」
少女は巨大なタイムラインを指差す。
「君が今まで編集していたのは、練習問題」
「ケルベロスも?」
「うん」
「存在削除も?」
「それも」
「父さんも!」
少女は少しだけ表情を変えた。
「そこは本物」
その一言だけは、嘘ではない気がした。
「父さんは生きてるのか」
「生きてるよ」
「どこにいる」
「第零階層」
「返せ」
「無理」
少女は即答した。
「まだ資格がないから」
「資格?」
「編集者になる資格」
少女は俺の胸へ指を向けた。
「レン。君はまだ、自分の記憶を編集される側だから」
その瞬間。
世界が再び動き出した。
爆音。
悲鳴。
巨大な腕が地面を叩きつける。
轟音とともに広場が崩壊した。
「伏せろ!」
九条が俺を突き飛ばす。
石畳が吹き飛び、管理局の隊員たちが宙へ投げ出される。
俺は転がりながら立ち上がった。
巨大な腕だけではない。
門の向こうから、ゆっくりと全身が姿を現している。
高さ五十メートルを超える黒い巨人。
顔がない。
目も鼻も口もない。
全身に無数の編集マークのような紋様が刻まれている。
視界に名前が表示された。
《編集執行者》
《権限:Administrator》
心臓が止まりそうになる。
管理者。
つまり。
俺よりも。
少女よりも。
上位の存在。
「なんだ、あれ……」
九条でさえ言葉を失う。
隊員たちも動けない。
そのとき。
黒い巨人が右手を持ち上げた。
手のひらには、赤いタイムラインが一本だけ浮かんでいる。
《対象:地球》
世界。
一本だけ。
「待て……」
嫌な予感しかしない。
《編集内容:初期化》
「初期化?」
少女が小さく笑う。
「今回も失敗だったから」
「何を言ってる」
「この世界」
少女は空を見上げた。
「作り直すね」
巨人の指が赤いタイムラインへ触れる。
《実行》
世界が赤く染まる。
その瞬間。
俺の視界にも、初めて見たコマンドが現れた。
《編集権限の競合を検出》
《管理者編集へ割り込みますか?》
《必要容量:不明》
不明。
今までで最悪の表示だった。
成功する保証はない。
代償も分からない。
だが。
ここで何もしなければ。
世界そのものが消える。
「レン!」
九条が叫ぶ。
「何が見えている!」
俺は答えなかった。
答える時間がない。
俺は赤いタイムラインへ手を伸ばす。
「止める」
《警告》
《この編集を実行した場合、現在の灰原レンは維持できません》
「どういう意味だ」
《編集者へ昇格しますか?》
世界が静かになる。
少女は笑っている。
黒い巨人は指を下ろそうとしている。
俺だけが、その間に立っていた。
「編集者になるって」
小さくつぶやく。
「人間をやめるってことか」
少女は初めて真面目な顔になった。
「そうだよ」
短い沈黙。
その一秒が、永遠のように長かった。
もしここで編集者になれば。
父さんを救えるかもしれない。
世界も守れるかもしれない。
だが。
灰原レンとして生きる人生は終わる。
姉さんとの約束。
母さんの思い出。
配信で出会った人たち。
全部、人間だった俺の記録になる。
「選んで」
少女が静かに言う。
「世界か」
黒い巨人の指があと少しでタイムラインへ届く。
「自分か」
視界に二つの選択肢が浮かぶ。
《編集者になる》
《灰原レンでいる》
俺はゆっくりと息を吸った。
その瞬間だった。
誰かが俺の肩をつかむ。
温かい手。
聞き慣れた声。
「レン」
振り返る。
そこに立っていたのは――。
機械につながれているはずの父、灰原誠一だった。
「選ぶな」
父は俺を真っすぐ見つめる。
「その選択肢自体が編集されている」
世界が止まる。
少女の笑顔が、初めて崩れた。




