第4話 他人の記憶を盗む編集
《削除された三年間を復元しますか?》
《復元する》
《黒瀬ジンの記憶から復元する》
二つ目の選択肢が、赤く点滅している。
俺は画面から目を離せなかった。
黒瀬ジンの記憶から、俺の失った三年間を取り戻す。
意味は単純だ。
だが、その代償が分からない。
「レン、触らないで」
姉さんが俺の手首をつかんだ。
「また何か失うかもしれない」
「分かってる」
答えながらも、指先はわずかに震えていた。
三年間。
俺が誰を信じ、何を作り、どんな扱いを受けていたのか。
それをすべて取り戻せる。
しかも、自分の記憶ではなく、俺を裏切った男の中から。
「灰原レン」
九条が画面と俺を交互に見る。
「その選択肢は、あなたにしか見えていないのですか」
「はい」
「内容を説明してください」
俺はそのまま読み上げた。
九条の表情が変わる。
「他人の記憶へ干渉できる可能性がある、と」
「まだ分かりません」
「選択しないでください」
「命令ですか」
「警告です」
九条は一歩近づいた。
「他人の記憶を読み取るだけでも重大な権利侵害です。まして、奪う、書き換える、削除する可能性があるなら、即時拘束の対象になります」
正論だった。
それでも、胸の奥で別の声がする。
証拠がない。
記憶もない。
ジンは嘘をつき、配信記録は欠損している。
このままでは、俺を見捨てた男が英雄のまま逃げ切る。
「俺が選ばなくても、これは消えないんですか」
「何?」
俺は点滅する選択肢を見た。
《選択まで残り五十八秒》
カウントが始まっていた。
「時間制限があります」
「何秒ですか」
「残り五十六秒」
九条はすぐに部下へ指示する。
「対象端末を遮断。灰原本人を画面から離してください」
職員二人が近づいてくる。
俺は反射的にベッドの端へ体を引いた。
その瞬間、視界にタイムラインが現れる。
九条たちの動き。
姉さんの声。
職員の足音。
すべてが編集可能な素材として並んでいた。
使えば止められる。
だが、また記憶を失う。
「レン」
姉さんが俺の肩に手を置く。
「無理に取り戻さなくていい」
「でも、俺は何をされたのか覚えてない」
「覚えてなくても、されたことは消えない」
姉さんの声は震えていた。
「証拠を探せばいい。時間をかければいい。だから、また自分を削らないで」
その言葉に、指の震えが少し止まった。
そうだ。
記憶を取り戻すことと、事実を証明することは別だ。
俺が覚えていなくても、記録は残る。
なら、無理に他人の記憶を盗む必要はない。
「選びません」
俺は画面へ向かって言った。
《選択を放棄しますか?》
新しい表示。
《はい》
《いいえ》
迷わず《はい》を選ぶ。
だが、画面は消えなかった。
代わりに赤い警告が表示される。
《編集者権限により、自動復元を開始します》
「は?」
《復元元:黒瀬ジン》
《接続を開始します》
「止めろ!」
俺は画面から手を離した。
それでも処理は進む。
頭の奥に、鋭い痛みが走った。
視界が暗転した。
次に目を開けたとき、俺は救護室にいなかった。
豪華な会議室。
長い黒い机。
壁にはブラッククラウンの紋章。
俺は椅子に座り、向かい側にいる誰かを見ている。
いや、違う。
これは俺の視点ではない。
ジンの記憶だ。
『灰原レンは、まだ使える』
声が聞こえる。
ジン自身の声。
向かいに座っているのは、白髪の少女だった。
今より少し幼く見える。
赤い瞳。
『《編集》は覚醒前でも、記録補正に向いている。本人に気づかせなければいい』
少女が笑う。
『彼の映像編集は能力の前兆だよ。削除、接続、補正。ずっと練習していたんだ』
ジンが机を指で叩く。
『覚醒時期は』
『深層で死にかければ、たぶん』
胸の奥が冷たくなる。
偶然ではなかった。
俺が深層へ連れて行かれたことも。
ケルベロスの前に置き去りにされたことも。
能力を覚醒させるため、最初から計画されていた。
『失敗したら死ぬぞ』
『それでもいい』
少女は楽しそうに答えた。
『成功すれば、世界を編集できる人間が手に入る。失敗しても、記録は残る』
映像が乱れる。
別の記憶へ切り替わった。
暗い控室。
俺が机に向かい、動画を編集している。
ジンは背後から俺を見ていた。
『レン、少し休んだらどうだ』
映像の中の俺が振り返る。
疲れた顔。
それでも笑っている。
『大丈夫です。明日の公開に間に合わせます』
『無理するなよ』
優しい声。
だが、ジンの内側では別の感情が流れていた。
――こいつは本当に便利だ。
――褒めれば、いくらでも働く。
――覚醒するまで壊れなければいい。
吐き気がした。
記憶そのものより、ジンの感情が生々しく伝わってくる。
俺はこの男を信じていた。
少なくとも、記憶の中の俺は。
映像がさらに進む。
ダンジョンへ向かう前夜。
ジンが白髪の少女と通話している。
『明日、実行する』
『配信は切らないで』
『なぜだ』
『観測者が多いほど、編集は安定するから』
『灰原が生き残った場合は?』
少女は少し考え、笑った。
『記憶を使い切るまで、何度でも編集させる』
そこで映像が止まった。
《復元率:一八%》
《追加接続を行いますか?》
「やめろ!」
俺は叫んだ。
救護室へ意識が戻る。
ベッドの周囲で、姉さんと九条が俺を押さえていた。
「レン!」
「何が見えました」
九条の声が飛ぶ。
俺は荒い呼吸を繰り返した。
頭が割れそうに痛い。
だが、思い出していた。
ジンの声。
俺を見る目。
優しさの裏にあった軽蔑。
そして、白髪の少女。
「全部、仕組まれてた」
「何がですか」
「俺が深層へ行ったことも、置き去りにされたことも」
救護室が静まる。
「能力を覚醒させるためです」
九条の目が鋭くなる。
「誰が計画した」
「黒瀬ジンと、あの少女」
「名前は」
「分かりません」
「証拠は?」
その一言で、俺は黙った。
見たのは他人の記憶。
記録ではない。
俺にしか見えていない。
それだけでは証拠にならない。
九条も理解しているらしく、表情を崩さなかった。
「灰原さん」
彼女は静かに言う。
「今の内容が事実でも、あなたの証言だけでは動けません」
「分かっています」
「さらに問題があります」
「何ですか」
「黒瀬ジンの記憶を読み取ったこと自体が、法的には未整理です」
「俺が選んだわけじゃない」
「それを証明できますか」
何も答えられない。
画面はもう消えている。
自動復元の表示も、接続の記録も残っていない。
まただ。
この能力は、俺に情報を与える。
だが、証明する手段までは与えてくれない。
そのとき、九条の部下が慌てて救護室へ入ってきた。
「課長、黒瀬ジンが逃走しました」
「何?」
「事情聴取室から姿を消しました。監視映像は三十秒間だけ欠損しています」
九条が俺を見る。
俺も彼女を見る。
三十秒の欠損。
偶然とは思えない。
「ほかのメンバーは」
「残っています。ただし、全員が同じ証言をしています」
「内容は」
部下は一度、俺を見た。
「灰原レンという人物を知らない、と」
姉さんが息をのむ。
「そんな……」
「三年間、同じパーティーにいたんですよ」
俺が言うと、部下は首を横に振った。
「所属記録も消えています」
「何?」
「ブラッククラウンの公式登録、給与記録、入場履歴、動画クレジット。灰原さんに関するデータだけが、すべて削除されています」
背筋が冷たくなる。
記憶だけではない。
記録まで編集されている。
俺は証拠を集めると言った。
だが、その証拠自体が消され始めている。
「鎖は?」
俺が証拠袋を見る。
そこにあったはずの鎖が消えていた。
袋だけが空のまま残っている。
「いつから……」
職員が青ざめる。
九条がすぐに命じる。
「施設を封鎖。全記録を紙媒体へ複製してください。電子データは信用しないで」
「了解!」
全員が動き出す。
俺は空の証拠袋を握りしめた。
思い出せない。
記録も消される。
このままでは、俺という人間そのものが世界から削除される。
そのとき、姉さんがスマートフォンを取り出した。
「これ」
画面には、一枚の写真が表示されていた。
俺と姉さん。
その隣に、ブラッククラウンのメンバーたち。
ジンも写っている。
「個人端末に保存していた写真。まだ消えてない」
「姉さん」
「電子データが消されるなら、今すぐ外へ残す」
姉さんは写真を紙へ印刷するよう職員へ頼んだ。
俺はその写真を見る。
そこにいる俺は、笑っていた。
ジンの隣で。
何も知らずに。
「俺は、あの人を信じてたんだな」
「うん」
「それなら」
俺は写真を受け取った。
「この写真は残します」
復讐のためだけじゃない。
消されていく自分を、つなぎ止めるために。
九条が戻ってくる。
「灰原レン。あなたを管理局の保護施設へ移送します」
「拘束ではなく?」
「現時点では保護です」
「断ったら」
「あなたの存在記録が消えている以上、外に出す方が危険です」
反論できなかった。
俺はうなずこうとした。
その直前、印刷された写真の裏側に文字が浮かんだ。
黒いインクが、何もない紙の上に染み出していく。
《記録は記憶より弱い》
《次は、名前を消す》
俺は反射的に自分の名前を思い浮かべた。
灰原レン。
まだ覚えている。
だが、救護室の外から職員の声がした。
「すみません」
扉の前に立つ若い職員が、困惑した顔で俺を見る。
「あなたは、どちら様ですか?」
姉さんが振り返る。
「何を言ってるの。この子は灰原レンよ」
職員は端末を確認し、首をかしげた。
「その名前の患者は、登録されていません」
俺の視界に、新しいタイムラインが現れる。
表示されていたのは、俺自身の名前だった。
《編集対象:灰原レン》
《削除まで残り五分》
数字が減り始める。
俺は自分の胸元をつかんだ。
「今度は、俺そのものを消すつもりか」
写真の中で、白髪の少女だけがこちらを向いて笑っていた。




