第3話 俺を見捨てた英雄を、俺は知らない
白髪の少女の姿が、砕けた画面の向こうへ消える。
同時に、救護室の照明が戻った。
停止していた医療機器が一斉に起動し、警告音を響かせる。
「電力、復旧しました!」
「通信回線も正常です!」
管理局の職員たちが慌ただしく動き始めた。
俺はベッドの上で、割れたモニターを見つめていた。
《次の編集地点を設定しました》
《深層門:第零階層》
さっき表示された言葉は、もうどこにも残っていない。
配信も終了している。
まるで、最初から何も起きなかったように。
「レン」
隣にいた姉さんが、俺の顔をのぞき込む。
「本当に大丈夫?」
「……たぶん」
答えながら、自分の記憶を確認する。
姉さんの名前は灰原アキ。
母さんは三年前に病気で亡くなった。
父さんは十二年前、ダンジョン事故で死亡したと聞かされていた。
だが、父さんは生きているかもしれない。
それだけは覚えている。
問題は、そのほかだ。
俺がブラッククラウンというパーティーに所属していたこと。
三年間、荷物持ちと動画編集をしていたこと。
そして今日、仲間に見捨てられたこと。
知識としては分かる。
けれど、思い出としては何も残っていない。
知らない誰かの経歴を読まされているようだった。
「灰原レン」
九条シオンが俺のベッドの前へ立つ。
停電中も乱れていなかった長い黒髪を、片手で後ろへ払った。
「先ほど見た映像について説明してください」
「父親が映っていました」
「十二年前に死亡したはずの?」
「はい」
「場所は?」
「分かりません。白い部屋で、機械につながれていました」
九条は部下へ視線を向ける。
「記録を」
「録画には残っていません」
部下が端末を見ながら答える。
「停電中の映像はすべて欠損しています。救護室の監視記録も、配信の保存データも同様です」
「モニターに表示された文章は?」
「復元できません」
九条が小さく息を吐いた。
俺を疑っているというより、理解できない状況を嫌っている顔だった。
「白髪の少女に心当たりは?」
「ありません」
「《第零階層》という言葉は?」
「初めて聞きました」
「嘘はついていませんね」
「つく理由がありますか」
「あなたは現実を改変できる可能性がある」
九条の声が低くなる。
「私たちが見たものも、聞いたものも、すでに編集されているかもしれません」
救護室の空気が張り詰めた。
姉さんが俺の前に立つ。
「弟を犯罪者みたいに言わないでください」
「可能性の話です」
「レンは殺されかけたんです。能力を使わなければ死んでいました」
「それと、能力の危険性は別の問題です」
九条の言い分は正しい。
俺自身、《編集》がどこまでできるのか分かっていない。
攻撃を消した。
音を消した。
カメラ越しの現象にも干渉した。
将来、もっと大きな現象まで編集できるようになったら。
人間の発言。
事件の証拠。
誰かの生死。
すべてを書き換えられる可能性がある。
「拘束するんですか」
俺が尋ねると、九条はすぐには答えなかった。
「現時点では保護観察です」
「保護、ですか」
「あなたを狙う者が現れる可能性があります。能力を利用したい者も、危険と判断して排除しようとする者もいるでしょう」
九条は割れたモニターへ目を向けた。
「すでに二百万人以上が、あなたの能力を目撃しています」
胃の奥が重くなる。
俺は生き残ることだけで精一杯だった。
その様子を、二百万人が見ていた。
能力の存在も。
記憶を失う代償も。
姉さんとの会話も。
すべて知られている。
「ブラッククラウンは、どうなっていますか」
俺が聞くと、姉さんの表情が険しくなった。
九条は部下から端末を受け取る。
「地上へ帰還後、事情聴取を受けています。ただし、黒瀬ジンはあなたを意図的に置き去りにしたことを否定しています」
「映像があるでしょう」
「配信記録の一部が欠損しています」
「欠損?」
「あなたが鎖につながれる直前から、転送門が閉じるまでの映像です」
俺は思わず右足を見る。
切断された鎖の一部が、透明な証拠袋に入れられていた。
「鎖があります」
「黒瀬は、あなた自身がパーティーを救うため使用したと主張しています」
姉さんが声を荒らげた。
「そんなわけないでしょ!」
「配信の視聴者も、黒瀬の説明に疑問を持っています。しかし、刑事処分には証拠が必要です」
九条が端末を俺へ向ける。
画面には、黒瀬ジンの記者会見が映っていた。
整えられた黒髪。
傷一つない顔。
高級そうな探索者用の制服。
俺を置き去りにした男。
そのはずなのに。
「……誰だ、こいつ」
何も感じなかった。
憎しみも。
恐怖も。
親しみもない。
画面の中の男は、完全な他人だった。
『レンを見捨てる意図はありませんでした』
ジンが沈痛な表情で話している。
『彼は自分から囮になると言った。私たちは仲間として止めましたが、彼の決意は固かった』
記者たちの声が重なる。
『では、なぜ鎖が使われたのですか』
『灰原さんの能力について知っていたのでは?』
『配信映像が欠損している理由は?』
ジンはゆっくりと首を横に振った。
『鎖については、レンが魔物を引きつけるために使用したと認識しています。映像の欠損は、ダンジョン内の通信障害でしょう』
堂々とした態度だった。
少なくとも、本人はそう信じているように見える。
「この人が、俺を見捨てたんですか」
俺が尋ねると、姉さんが唇をかんだ。
「そうよ」
「俺は、この人を信じていた?」
「……たぶん」
「仲が良かったんですか」
「あなたは、悪く言わなかった」
姉さんは悔しそうに拳を握る。
「どれだけ無茶な仕事を任されても、ジンさんたちには恩があるって言ってた」
俺は改めて画面を見る。
三年間信じた相手。
命を懸けて支えた英雄。
俺を殺そうとした裏切り者。
だが、そのすべてを忘れてしまった。
「証言できますか」
九条が尋ねる。
「洞窟で何をされたのか」
「事実は分かります」
俺は慎重に答えた。
「鎖でつながれ、置き去りにされた。自分が残ると言った覚えはない。第1話の……いや、配信の内容としては理解しています」
「あなた自身の記憶としては?」
「ありません」
九条の目がわずかに細くなる。
「裁判では不利になります」
「分かっています」
記憶を失った被害者。
証言能力を疑われてもおかしくない。
相手は有名探索者。
金も支持者もいる。
感情だけでは勝てない。
「それでも、証拠を集めます」
俺は証拠袋に入った鎖を見た。
鎖の刻印。
視聴者が保存した配信映像。
現場に残った転送門の記録。
俺が編集してきた過去の動画やデータ。
覚えていなくても、記録は残っている。
「俺は動画編集者だったんですよね」
姉さんがうなずく。
「そうよ」
「なら、映像を調べます」
「でも、記憶がないのに……」
「記憶がなくても、技術までは消えていません」
さっきから九条の端末に映る映像を見て、違和感があった。
ジンの会見映像。
表情も音声も自然だ。
だが、動画編集者としての感覚が警告している。
何かがおかしい。
「巻き戻してください」
九条に頼む。
「どの部分ですか」
「鎖について質問された直後です」
映像が戻る。
記者の質問。
ジンが一度まばたきをする。
それから回答する。
「もう一度」
再生。
「さらにもう一度」
三回目で確信した。
「編集されています」
九条が画面を見る。
「生中継です」
「映像の編集じゃありません」
俺はジンの口元を指す。
「音声が切られています」
「どういう意味ですか」
「質問を聞いた直後、ジンは何か別の言葉を発しています。でも、その音だけが消されている」
姉さんが画面へ顔を近づける。
「分かるの?」
「唇の動きが、回答と合っていません」
ジンの唇が一瞬だけ動く。
映像に音はない。
それでも、何を言ったのか読み取れた。
――レンは、すべて忘れたんじゃないのか。
背筋が冷たくなる。
「こいつは知ってる」
「何をですか」
九条が問う。
「俺の記憶が消えることを」
その瞬間、ジンの背後に立つスタッフの一人が、カメラを見た。
黒い帽子で顔を隠した、小柄な人物。
白い髪が、帽子の隙間からのぞいている。
赤い瞳。
救護室のモニターに映った少女と同じだった。
少女は口元に指を当てる。
そして、こちらへ向けて笑った。
ライブ映像が突然停止した。
画面が黒くなる。
代わりに、一行の文字が表示された。
《削除された三年間を復元しますか?》
その下には、赤い選択肢が二つ並んでいた。
《復元する》
《黒瀬ジンの記憶から復元する》
俺が触れていないのに、二つ目の選択肢がゆっくり点滅を始めた。




