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見捨てられた動画編集者、現実をカットする  作者: 黒猫


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12/15

第13話 父親だったもの

落下している。

上下の感覚はない。

黒い塔の内側を、俺と九条は吸い込まれるように落ち続けていた。

周囲には、無数の文章が浮かんでいる。

――灰原誠一は十二年前に死亡した。

――第二深層門は存在しない。

――第零階層への侵入者はいない。

――灰原レンはブラッククラウンに所属していない。

どれも赤い波線がない。

《事実として承認済み》

「事実って、何なんでしょうね」

九条が落下しながらつぶやいた。

「急に哲学的ですね」

「笑い事ではありません」

「笑ってません」

「口元が上がっています」

「怖いときの癖かもしれません」

自分でも分からない。

記憶を失ったせいなのか。

もともとそういう人間だったのか。

頭の中で、もう一人の俺が答える。

『昔からだ』

「そうか」

「誰と話しているのですか」

「もう一人の俺です」

「まだ慣れません」

「俺もです」

『俺は慣れた』

「お前は黙ってろ」

『独り言にしか見えないぞ』

九条が冷たい目で俺を見る。

「今のやり取りは、説明になっていません」

「後でまとめます」

「あなたの“後で”は信用できません」

そう言った瞬間。

落下が止まった。

正確には。

俺たちだけが空中へ固定された。

目の前に巨大な扉が現れる。

黒い金属。

中央には人間の顔ほどの鍵穴。

その上に、白い文字。

《第三権限層》

《原典保管領域》

《入室条件:原文との一致》

「原文?」

九条が眉をひそめる。

扉の表面に、俺たちの文章が表示された。

――灰原レンは記憶を失った能力者である。

――九条シオンは灰原レンを監視する管理局職員である。

その下に判定が出る。

《一致率》

《灰原レン:六八%》

《九条シオン:九一%》

「私の方が高い」

「自慢するところですか」

「あなたより原文に近いという意味です」

原文。

この世界で最初に記録された情報。

編集される前の、元の状態。

第三権限層は、それと一致する者だけが入れる。

《必要一致率:九五%》

俺は到底足りない。

九条も四%不足している。

「記憶が欠けているからですか」

九条が聞く。

「俺はたぶん」

「私は?」

「俺を忘れたから」

九条の表情が固まる。

失われた記憶は、原文との差異として扱われている。

「復元できますか」

「やってみます」

九条のタイムラインを開く。

《灰原レンに関する記憶》

《状態:削除》

《復元元:なし》

「無理です」

「即答ですか」

「削除された記憶のバックアップがない」

俺の記憶は配信や紙に残っていた。

だが、九条の記憶は個人的なものだ。

外部記録だけでは、体験そのものを戻せない。

「では、私を置いていきなさい」

九条はあっさり言った。

「無理です」

「なぜ」

「一人で行くと判断を間違える」

「あなたの中には二人いるのでしょう」

『数に入れるな』

「片方が怒っています」

「都合がいい人格ですね」

九条は扉を見上げる。

《入室拒否まで残り二分》

「時間がありません」

「分かってます」

原文と一致させる。

記憶を戻せないなら。

現在の文章を原文へ近づける。

俺は赤いペンを呼び出した。

《文章編集》

九条の文章へ触れる。

――九条シオンは灰原レンを監視する管理局職員である。

これは今の九条だ。

しかし、おそらく原文には別の記述がある。

「九条さん」

「何ですか」

「俺をどう思ってましたか」

「覚えていません」

「記録から推測してください」

九条は少し黙った。

「保護対象」

「それだけ?」

「危険な能力者」

「ほかには」

「面倒な人物」

『合ってる』

「お前は黙れ」

九条が続ける。

「記録を見る限り」

一度、言葉を止める。

「私はあなたを守ろうとしていた」

「なぜ」

「分かりません」

「なら、それを書きます」

――九条シオンは灰原レンを監視する管理局職員である。

《監視する》に赤線。

その上へ。

《守ろうとする》

《文章編集》

《原文との矛盾を検出》

失敗。

「違う」

九条が言った。

「私が、あなたを守るとは限りません」

「記録では守ってた」

「行動と意志は同じではない」

その言葉に引っかかる。

守ろうとした。

ではない。

結果として守った。

「九条さんは、正しいことをしただけか」

「おそらく」

俺を信じていたからではない。

好きだったからでもない。

正しいと判断したから助けた。

なら。

――九条シオンは灰原レンを監視する管理局職員である。

《監視する》を消す。

《必要なら止め、必要なら守る》

文章が確定する。

《原文との一致率:九六%》

扉の九条側が白く光った。

「通れる」

「あなたは?」

俺の一致率は六八%のまま。

俺の原文。

灰原レンは何者だったのか。

動画編集者。

ブラッククラウンの雑用係。

姉の弟。

父の息子。

能力者。

どれも今の俺を完全には表していない。

「原文は、過去の俺か」

『たぶんな』

「お前なら分かる?」

『記憶はある。でも、原文が何を指すかは分からない』

俺たちは二人に分かれた。

それ自体が原文から外れている。

一致率を上げるには、統合するしかないのかもしれない。

《入室拒否まで残り一分十秒》

九条が俺の腕をつかむ。

「無理に入ろうとしないでください」

「父さんがいる」

「父親ではない可能性があります」

「だから確かめる」

「あなたが消えたら、確かめる意味もありません」

正論。

けれど、止まれない。

十二年前に死んだ父さん。

今まで俺に接続してきた存在。

白が持っていた首。

塔の奥から聞こえた声。

全部の正体を知る必要がある。

「原文に合わせるんじゃない」

俺は赤いペンを見る。

第二権限層で校正から奪った権限。

原文を超える創作はできない。

だが。

原文そのものへ到達できれば。

「原文を書き換える気ですか」

九条が気づく。

「できるか試します」

「世界の根本を変える可能性があります」

「俺一人の定義です」

「あなた一人で済まない可能性を考えてください」

『九条の言う通りだ』

頭の中のもう一人まで反対する。

「じゃあ、どうする」

『原文を探せ』

「時間がない」

『見えてる文章だけが全部じゃない』

表示レイヤー。

重なった情報。

隠された文章。

俺は扉に表示された自分の文を分離する。

――灰原レンは記憶を失った能力者である。

一層目。

――灰原レンは動画編集者である。

二層目。

――灰原レンは灰原アキの弟である。

三層目。

――灰原レンは灰原誠一の息子である。

さらに奥。

黒いノイズ。

見えない文章が一つある。

赤いペンを当てる。

ノイズが剥がれる。

そこに書かれていたのは。

――灰原レンは、第零階層から複製された人格である。

呼吸が止まった。

「複製?」

九条の声が遠く聞こえる。

《原文一致率:六八%》

俺は第零階層の外で生まれた人間じゃない。

ここから複製された。

では。

本物はどこにいる。

『俺じゃない』

頭の中のもう一人が言う。

『俺も、お前から削除された記憶の集合だ』

第9話で現れた、もう一人の俺。

あいつも原文ではない。

さらに元になる人格がいる。

第三権限層に。

「もう一人の灰原レン」

ジンが言っていた。

失った記憶の集合体ではなく。

本当に元になった存在。

《入室拒否まで残り四十二秒》

「原文に近づく方法が分かった」

俺は文章へ手を伸ばす。

――灰原レンは記憶を失った能力者である。

違う。

現在の俺は、原文から複製された人格。

なら、その事実を認めれば一致率が上がる。

《灰原レンは、第零階層から複製された人格である》

その一文を表層へ移す。

《文章レイヤー移動》

《一致率:九四%》

あと一%。

何かが足りない。

『俺だ』

もう一人の俺が言う。

「何?」

『今のお前は一人じゃない』

原文では、複製人格は一つだった。

今は二人格が接続されている。

その差異。

「切断するのか」

『一時的にだ』

「嫌だ」

『子どもか』

「切ったら戻れないかもしれない」

『俺も怖い』

初めて、あいつが素直に言った。

『でも、ここで止まれば父さんの正体は分からない』

「父さんへの感情は、お前の方が強い」

『だから、お前に行ってほしい』

意外だった。

こいつなら、自分が主導権を取ると言うと思っていた。

「どうして俺なんだ」

『今を生きてるのはお前だからだ』

胸の奥が痛む。

『俺は過去を持ってる。でも、選んできたのはお前だ』

九条が俺を見る。

「何を話しているのですか」

「一度、人格接続を切ります」

「危険性は」

「分かりません」

「却下します」

「でも、ほかに方法がない」

《残り二十五秒》

『レン』

頭の中の声。

『切断条件を設定しろ』

「条件?」

『第三権限層に入ったら、自動再接続』

タイムラインを開く。

《人格間接続》

《一時切断》

《再接続条件:第三権限層への入室》

《実行しますか》

俺は迷う。

あいつは俺だ。

記憶を守ってくれた。

失った感情を返してくれた。

初めて、一緒に決めた。

「必ず戻るか」

『お前が呼べば戻る』

「約束できる?」

『俺との約束なんて、自分との約束だろ』

「一番破りやすいやつだ」

『確かに』

少し笑う。

《残り十五秒》

「また会おう」

『当然だ』

「一時切断」

頭の中から、気配が消えた。

突然。

世界が静かになる。

自分の呼吸しか聞こえない。

寂しい。

数時間前まで一人だったはずなのに。

今は、半分を失ったように感じる。

《人格数:一》

《原文一致率:九五%》

扉が開いた。

「行きます」

九条が俺の手をつかむ。

二人で白い光へ飛び込む。

背後で扉が閉じた。

《第三権限層への入室を確認》

《人格間接続を復元します》

待つ。

頭の中の声を。

だが。

何も聞こえない。

「おい」

返事がない。

「戻れ」

沈黙。

視界にエラーが出る。

《再接続対象が見つかりません》

足が止まる。

「どうしました」

九条が聞く。

「もう一人の俺が」

言葉が続かない。

消えた。

切断した瞬間。

第三権限層に回収された。

「探します」

九条が即答する。

「必ず」

その言葉に救われる。

だが、目の前の光景を見て、俺たちは動けなくなった。

第三権限層。

巨大な図書館。

天井は見えない。

無数の本棚が、暗闇の奥まで続いている。

本ではない。

一冊一冊が、人間の人生。

背表紙に名前が書かれている。

灰原アキ。

九条シオン。

黒瀬ジン。

白。

ナギ。

そして。

灰原レン。

同じ名前の本が、棚一面に並んでいた。

数百冊。

数千冊。

すべて、灰原レン。

「どれがあなたですか」

九条がつぶやく。

「分かりません」

そのとき。

図書館の奥で、椅子が回る音がした。

一人の男が座っている。

父さんと同じ顔。

灰原誠一。

だが、年齢が違う。

俺の記憶に残っていた父さんより若い。

白衣。

その胸には名札。

《主任編集者 灰原レン》

「……何だ、それ」

男はゆっくり振り返る。

父さんの顔で。

俺の名前をつけた男。

「ようやく帰ってきたか」

穏やかな声。

今まで接続越しに聞いてきた父さんの声と同じ。

「試作人格七号」

俺の視界に、新しい文章が表示される。

――灰原誠一は十二年前に死亡した。

その下へ、別の一文。

――灰原レンは灰原誠一の人格を元に作成された。

「俺が」

声が震える。

「父さんから作られた?」

男は首を横へ振った。

「逆だ」

彼の背後。

巨大な透明な容器の中に、一人の人間が浮かんでいる。

俺と同じ顔。

眠ったまま。

頭部から無数の線が伸びている。

「灰原誠一という父親人格は」

男が立ち上がる。

「君を安定させるために作った設定だ」

九条が銃を向ける。

「あなたは何者です」

男は微笑む。

「私が、原典の灰原レンだ」

その瞬間。

図書館中の本が一斉に開いた。

数千人分の俺の声が響く。

『返せ』

『身体を返せ』

『人生を返せ』

『外の世界を返せ』

透明な容器の中で、原典の灰原レンが目を開く。

同時に。

俺の胸へ赤い文字が浮かんだ。

《試作人格七号》

《稼働期限終了》

《原典への統合処理を開始します》

身体が透け始める。

指先から文字へ変わっていく。

男は俺へ手を差し出した。

「安心しろ」

父さんと同じ声で。

原典の俺は言った。

「君の経験は、私が引き継ぐ」

《統合完了まで残り六十秒》


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