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第4章「夜を待つ」

《ルーメンの森 屋敷外縁〜フェリクス〜》


雪は、もう止んでいた。


静まり返る森の中。

音が、妙に噛み合わない。


『……来る』


誰に言うでもなく、呟き

耳を澄ます。


感情の“響き”が、森の奥から流れ込んでくる。


統率された気配。

揃えられた呼吸。


『…うるさい』


はっきりとした敵意。

境界線が壊れる。


その瞬間。


乾いた音が、空気を裂いた。


『——っ』


反射的に身を引く。

次の瞬間、背後の木が弾け飛ぶ。

木片が雪の上に散る。


『…この距離で当ててくるか』


銃か、魔力付与か。

どちらにせよ——


『始まった』


次の“音”が来る前に、動く。

身を翻し屋敷に走る。

同時に、森の中の“響き”が一気に増える。

隠れていた気配が、次々と浮き上がる。


『最初から強気ですね』


だが、問題ない。


「配置通りに」


ヴェスカの声が、静かに——だが確かに響いた。


森のあちこちで、気配が弾ける。


妖精たちが飛び立つ音。

魔力が編まれる気配。

剣が抜かれる微かな擦過音。

屋敷の者ではない怒号。

ーーー


戦いが、広がる。


ーーー


《ルーメンの森 中層〜ユハ〜》


息が白く揺れる。


『……多いなぁ』


森の中に、気配が溢れている。


さっきまでと違う。

もう、隠れてない。


『……やだな、これ』


ため息混じりに呟き屋敷へ走る。


その時——


「見つけたぞ!」


『わっ!?』


反射的に振り返る。


速い。あの時のやつだ。


『また……!』


地面を蹴る。


景色が、歪む。


木の位置がズレる。

距離感が狂う。


——なのに


「無駄だ!」


すぐ後ろまで詰められる。


『なんでっ……!』


思ったよりズレない。

これ、逃げきれないかも。


能力が、うまくハマってくれない。


『やっばいっ……!』


足がもつれる。


一瞬、バランスを崩す。


その隙に——


剣が振り下ろされる。



『きゃっ!!』



転がるように回避する。


雪と泥が跳ねる。


視界の端に、地面の色が変わるのが見えた。


——沼地。


『……あ』


あいつは笑ってる。

完全に油断してる。


……今なら。


『……大丈夫。できる』


小さく、息を整える。

ここなら、能力を使わなくても、


『……走れ』


踵を蹴る。走る方向を変える。

わざと、足場の悪い方へ。


湿った空気。柔らかい地面。


『ここなら……!』


一歩、踏み込ませる。


「っ、地面が——!」


ずぶり、と足が沈む。


沼。


気づいた時には、もう遅い。


さらに一歩。深く、沈む。


「くそっ……!」


もがくほど、沈む。


その上から——


ユハが手をかざす。


『ごめんねっ』


魔力を流す。


冷気が、走る。


——凍る。


水面が、一気に白く閉じる。


兵士の足を、そのまま固める。


「なっ……!」


これで動けない。


『……ふぅ』


小さく息を吐く。


まだ、少し手が震えている。


でも——


『セーフ……』


少しだけ笑って、


『んへへ。ちょっとそこで固まっててねー、兵隊さん』


軽く手を振り踵を返し屋敷の方…ヴェスカたちのもとへ戻る。



ーーーー




《ルーメンの森 屋敷付近〜リアン〜》


金属がぶつかる音。

雪を踏み荒らす足音。

魔力が弾ける気配。


さっきまでの静けさが、嘘みたいだった。


『……来ちゃったか』


小さく呟く。


視線の先。

森の中で、人の流れがぶつかっている。

数が多い。

屋敷側も応戦しているけど、押されているのは明らかだった。

じわじわと、間合いが詰められている。


——それでも。


『……大丈夫』


崩れてはいない。

その理由は、一つ。


視線を上げる。

そこにいるのは——ヴェスカ。


昼だというのに、その動きは一切鈍らない。


むしろ、


『……無駄がない』


少しも余計な動きをしていない。


踏み込ませない。

近づけさせない。


それだけを、徹底している。

すると背後から、軽い足音。


「リアン!」


振り返ると、ユハが戻ってきていた。

少し息が上がっているけど、怪我はない。


『おかえり』


「ただいま……じゃないかも」


苦笑いみたいな顔。

でも、その奥に少しだけ焦りが残っている。


『どうしたの?』


「なんかね、うまくいかないんだよね」


短く言って、手をぎゅっと握る。


「さっきね、能力使ったけど……ズレるっていうか……んー、よくわかんない」


『そっか』


それ以上は聞かない。

今は、それどころじゃないしね。


「ユハ」


静かな声が落ちる。


ヴェスカ。


軽く振り返ると、その背に広がる影が揺れた。


「前には出ないでちょうだい」


迷いのない指示。


「後方で支援。魔術でいいわ」


一瞬だけ間があって、ユハが頷く。


「わかった!」



「リアン」


『はい』


「負傷者、任せるわね」


『了解です』


短いやり取り。

それだけで、役割が決まる。



再び前を見る。

状況は、変わっていない。


むしろ——


『……少し、押されてる』


一人倒しても、すぐ次が来る。

消耗戦か。

でも一線は、越えさせない。


ヴェスカがいる限り。

踏み込んできた兵が、次の瞬間には吹き飛ばされる。

火。風。血のように濃い魔力。


昼なのに、関係ないみたいに。


『……すごいな』


ぽつりと漏れる。

ただ強い、じゃない。

——崩れさせない。

それが一番、厄介で心強い。


「左。前線が崩れてます」


別の声…フェリクス。


その声に、空気が少しだけ引き締まる。


「一度下がってください。範囲魔術で距離を取ります」


無駄がない。

冷静で、正確。


その指示で、崩れかけたラインが持ち直す。


「っ……!」


少し前方から上がった声。

視線を向けると、小柄な妖精——ティアの腕に先決が走る。


『ティア、下がって。ユハ、カバーお願いできる?』


「任せて!」


二人はすぐに位置を入れ替える。


『大丈夫。すぐ治すからね』


傷に触れると一瞬で、ティアの傷が消える。

同時に、自分の腕に赤い線が浮かぶ。

ティアは一度頷いて、また前線へ戻っていった。


「リアン!それ大丈夫なの⁉︎」


『僕は大丈夫だよ』


軽く手を振る。


『ほら、今はそれどころじゃないでしょ』


ユハはまだ何か言いたげだったけど、口を閉じた。



時間だけが、過ぎていく。



気づけば、光が傾いていた。

森の色が、少しずつ変わっていく。


『……夕方』


その時。


敵側の動きが、変わった。


「……引け!」


一人の声をきっかけに、流れが後ろへ下がる。


『……あれ』


一気に、圧が抜ける。




撤退。




『……終わった?』


誰に言うでもなく呟く。

まだ森はざわついている。

でも、さっきまでとは違う。


『……良かった』


小さく息を吐く。


張り詰めていた空気が、少しずつほどけていく。

完全に終わったわけじゃない。

でも、ひとまずは。


「一度、屋敷へ戻るわ」


ヴェスカの声。


「警戒は維持。各自、周囲を確認してから移動してちょうだい」


それぞれが頷き、動き始める。


周囲へ視線を巡らせる。

ユハは少し疲れた様子で、その場に座り込んでいる。


負傷者の確認と点呼。

監視役を残し、他の者たちはすでに屋敷へ戻り始めていた。


ふと、外へ視線をやる。


——屋敷に背を向ける影。


『ティア?』


小柄な妖精が、森へ入っていくのが見えた。


……胸騒ぎがする。



「……リアン?」



歩き出す。


屋敷から、少し離れる方向へ。



『ティア』


「リアンさん!」


振り返ったティアは、少し焦った様子だった。


『どうしたの?こんな所で』


「子供の泣き声みたいなのが聞こえて……

巻き込まれていたら危ないと思って、探しに来たんですけど……」


視線を巡らせる。


——気配が、薄い。


子供の姿はない。


その時。


「きゃぁっ!」



『え』



ティアの背後。


気づいた時には、もう遅い。


「……花霊族。リアンだな」


低い声。


見たことのない男。


でも——


嫌な感じがする。


『……どなたでしょうか』


問いながら、一歩下がる。


——けれど。


「動くな」


空気が、張り詰める。


『……っ』


「目的はお前だけだ」


「大人しく従えば、その妖精は助けてやる」


細い刃が、ティアの首元に触れる。


うっすらと赤い線。


『……分かりました』


迷わない。


『彼女を離してください。貴方に従います』


「賢明だな」



次の瞬間。


背後に、気配。


『……っ』


冷たいものが首元に触れる。


魔力。


さっきまでの兵とは違う。


もっと、直接的で——重い。


首輪と、腕輪。


拘束具……抵抗は、しない。


「よし」


ナイフが、ティアの首から離れる。

安堵しかけた、その時。



「——その妖精は殺せ。目撃者は残すな」



空気が、凍る。


「……了解」


『……っ』


まずい。


一歩、踏み出す。


『ティア——』




——ぐらり




視界が、大きく歪む。


空間が、ズレる。


距離感が、狂う。




『……これ、ユハの……』




一瞬で理解する。

近くにいる。


足元が崩れる。


身体が、傾く。


倒れ込み土が口に入る。


『ユハ! ティアを連れて逃げて!』


叫ぶ。


その“気配”へ。


「えっ——!」


「ティア、こっち!」



『……良かった』



小さく、息を吐く。


足音が遠ざかる。


「待て——!」


男の声。


でも、追う気配はない。


……もう、見えない。

逃げられた…かな。


『……なら、いいや』


ぼんやりと思う。

近づいてくる足音。


「……面倒だな」


「さっさと運ぶぞ」


布が、口元に押し当てられる。


……あ、これ——


甘い匂い。


思考が、途切れる。



視界が、暗く落ちていく。



意識が、沈む。



《ルーメンの森 屋敷 〜フェリクス〜》


扉が、勢いよく開かれる。


「ヴェスカ!!」


荒い声。


振り向くより先に、空気が変わる。


そこにいたのは——ユハと、ティア。


ユハは呼吸が乱れている。

顔はぐしゃぐしゃで、言葉になっていない。


「リアンがっ……」


声が途切れる。


「ごめん……っ、行っちゃった……っ」


言葉が崩れる。


「どうしよ……ヴェスカ……」


隣で。


ティアが震えながら一歩前に出る。


「……申し訳、ありません」


小さく、頭を下げる。


「私の不手際です……」


途切れながらも、言葉を繋ぐ。


「リアンさんが……敵兵に、攫われました……」


静寂が落ちる。


誰も動かない。


いや——動けない。


その中で。


フェリクスは、わずかに視線を落とす。


『……』


奥歯を噛み締める。

警戒していた。

油断したつもりもない。


——気づけたはずだった。

『……くそ』


喉の奥で、低く漏れる。


「……そう」


ヴェスカの声。


顔色は、変わらない。

ただ静かに、頷く。


「報告、ありがとう」


ユハにも、ティアにも。

分け隔てなく。


「今は、動かないわ」


その一言で、空気が止まる。


「完全に日が落ちてから、動く」


「詳しい指示は後で伝える。それまで各自、身体を休めなさい」

迷いのない声。


「……以上よ」


それだけ告げて、ヴェスカは踵を返す。

そのまま、部屋を後にした。残された空気は、重い。


ユハはその場に崩れ落ちる。


「……やだ……」


「リアン……」


小さく、繰り返す。

ティアは、ただ隣で背中をさすっている。


フェリクスは——

『……』


何も言わない。

ただ一つ。違和感が残る。


『(……あの方が)』


静かすぎる。

感情も、言葉も。



足を動かす。

向かう先は、決まっていた。



《屋敷 ヴェスカの私室 〜フェリクス〜》


扉の前で、足が止まる。


…ノックを、忘れそうになる。


一度、息を整える。


それから、静かに扉を開けた。


中は——乱れていた。


机の上には地図。

床には広げられた資料と魔術式。


普段の整った空間は、そこにはない。

窓際にヴェスカが、一人で座っていた。


地図を広げたまま。

動かない。

声をかけるべきか、一瞬迷う。


その時。


「……ごめんなさい」


小さな声。


「私がいながら……こんな事になるなんて」


振り向かないまま。

ただ、零れる。


その背中が——

いつもより、ずっと小さく見えた。


『……』


一歩、近づく。


こんなことは、したことがない。


それでも——


隣に膝をつく。


そっと、手を取る。



一瞬だけ躊躇う。


それでも、離さない。


『大丈夫です』


静かに告げる。


『取り返しましょう』


強くはない。


だが、揺れない。



その手は——


わずかに、震えていた。


ヴェスカは、何も言わない。


ただ。


その手を、振り払わなかった。






《ルーメンの森 屋敷 〜フェリクス〜》


窓の外は群青に沈みきらず、森の輪郭だけがぼんやりと浮かんでいる。


広間に全員が集まる。

誰も大きな声は出さない。


けれど、沈黙の質が違う。


その中央。


ヴェスカが、立っていた。


いつもと同じ姿勢。

同じ表情。


……けれど。


わずかに、空気が鋭い。



「全員、揃っているわね」


静かな声。


それだけで、場が整う。



「結論から言うわ」


一拍。


「リアンは——グラディス王国に連れていかれた可能性が高い」


空気が、重く沈む。


ざわめきは起きない。


でも、それぞれの呼吸がわずかに乱れるのが分かる。


ユハが、小さく息を呑む。


「……行く」


ぽつりと零れた声。


「私、行く。今すぐ——」


「ユハ」


被せるように、ヴェスカが呼ぶ。


強くはない。


けれど——。


ユハの言葉が、止まる。


「気持ちは分かるわ」


一瞬だけ、視線が落ちる。


けれどすぐに戻る。


「だからこそ、無駄な動きはできない」


はっきりと、切り分ける。


「今動けば、相手に察知される」


「そして——」


わずかに間を置く。


「リアンの命が危険に晒される可能性がある」


その言葉で、ユハの肩が小さく揺れる。


『……』


何も言わない。


予想はついていた事だった。

ただ、その言葉の重さがより明瞭になる。


「だから」


ヴェスカは、ゆっくりと視線を全体に巡らせる。


「夜を待つわ。」


「完全に日が落ちてから、行動を開始する」


地図が、机の上に広げられる。


「三つに分かれて動くわ」


空気が、変わる。


“待つ”から、“動く”へ。


「第一班」


指先が、森の外縁をなぞる。


「森に残るグラディス軍への対応」


「こちらの動きを悟らせないための牽制と、戦力の足止め」


数名が、静かに頷く。



「第二班」


指が、地図の中央——城を示す。


「本隊。城へ侵入し、リアンを奪還する」


一瞬だけ、空気が重くなる。


ここが——核心。


フェリクスの視線が、わずかに動く。


「第三班」


地図の外側。

街道と周辺領域。


「撹乱」


「外部との連絡、支援ルート、周辺警備を攪乱する」


「敵の視線を分散させる役割よ」


静かな説明。

無駄が一切ない。


「配置は——」


その時。


「……私、城行く」


ユハの声。

全員の視線が向く。


迷いのない声。


「リアン、連れ戻すの」


「ダメよ」


視線を上げるまでもなく即答。


空気が、一瞬固まる。


「…なんで?」


「今の貴方では、足手まといになる」


容赦がない。

けれど、それは否定じゃない。

“判断”だった。


ユハの表情が、歪む。


「でも——」


「貴方には、別の役割がある」


遮る。


「撹乱班として行動してもらう」


一瞬、意味を理解できていない顔。


「貴方の能力は、不安定」

「だからこそ、予測できない」


静かに、続ける。


「それは“武器”になるわ」


ユハの瞳、揺れる。


「前に出すには不安定すぎる」

「でも、外から乱すには——最適よ」


沈黙。


ユハは、何も言えない。

拳を、ぎゅっと握る。


「……っ」


悔しさ。

でも。


『(理解は、している)』


フェリクスは、そう感じた。


「……わかった」


小さく。

でも、確かに頷く。


ヴェスカは、それ以上何も言わない。


「フェリクス」


『はい』


「貴方は第二班」

「索敵と状況判断を任せる」


『了解しました』



「リアンを——連れ戻す」


ヴェスカの声が、静かに落ちる。


それは宣言でも、鼓舞でもない。

“事実のように”響いた。


「各自、準備を」

「日没と同時に、動くわ」


会議は、それで終わった。

誰も、余計な言葉を発さない。

それぞれが、それぞれの役割を抱えて動き出す。


フェリクスは、その場に少しだけ残った。


視線の先。

ヴェスカの背中。


『……』



少し前、部屋の時。

“揺れ”は、確かにあった。


でも今は。

一切、見せていない。


『(本当に強い人だ)』


夜が、落ちる。


完全な闇が、森を包み込む。



戦いが、始まる。

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