数字が示したこと、示せなかったこと
数字を集め、比較し、分析する。
その作業を続けてきたことで、少なくとも、以前は感覚だけでは捉えにくかった夜勤の実態を、具体的な形で示せるようになった。
2026年3月から5月までの実績では、荷物量の割合は夜勤が約60%、日勤が約40%という傾向が確認された。
夜勤は荷物が少ない。
そうした認識だけでは、実際の業務負担を正確に評価できなかった。
便の種類によって、到着する時間帯も違う。
日勤と夜勤では、目にする荷物の流れも異なる。
一日の中で荷物が均等に到着するわけでもない。
夜勤では、短い時間帯に大量の荷物が集中することがあった。
例えば、2026年6月19日には、午前2時30分から午前5時15分までの2時間45分で、2,021個、40.2トンの荷物を処理する時間帯があった。
こうした実績を示すことで、夜勤の負担を、単に「忙しい」「大変だ」という言葉だけで説明する必要はなくなった。
どれだけの荷物があったのか。
どの時間帯に集中したのか。
何人で作業していたのか。
具体的な数字を基に、検討できるようになった。
ただし、数字が明らかにしたことと、数字だけでは決められないことは、分けて考える必要があった。
荷物量が多いからといって、それだけで必要な人員数が決まるわけではない。
同じ荷物量でも、到着する時間帯や作業の集中度によって負担は変わる。仕分け以外の作業があれば、その分だけ仕分けに充てられる人員も変わる。
また、日勤帯と夜勤帯では、扱う便も、作業の流れも異なる。
単純に人数だけを並べて比較しても、実際の負担を正しく捉えられるとは限らなかった。
だからこそ、個数や重量だけでなく、時間帯、作業人数、一人当たりの負荷、付随する作業なども含めて考える必要があった。
数字は、判断のための材料だった。
それ自体が、唯一の正解を示すものではない。
それでも、判断の材料がなければ、経験や印象の違いを確かめることも難しい。
「夜勤は荷物が少ない」という認識と、実際の集計結果が異なっていたなら、その違いを確認する必要がある。
「一人で作業できる」という意見があったなら、個々の作業が可能かどうかだけでなく、その体制を継続して維持できるのかも検討する必要がある。
数字を示すことによって、議論の出発点を変えることはできた。
だが、その数字をどう解釈し、どのような判断につなげるかは、別の問題だった。
俺は、数字によってすべてを決められると思っていたわけではない。
数字があれば、少なくとも、実態を確認せずに結論を出すことは避けられる。
判断の根拠を問い直すこともできる。
そして、運用を変更した後に、その判断が適切だったのかを検証することもできる。
数字が持っていた力は、すべての答えを出すことではなかった。答えを出す前に、確かめるべき事実を明らかにすることだった。
俺が続けてきた分析の意味は、そこにあった。




