硝子の国の八尸さん・前
気楽に病めていいですね。
ひっそりと保健室へ向かう女学生を見、そんな言葉が喉元までせり上がった。
5限目。呼吸がおぼつかない、水曜日の昼下がり。
窓際の後ろから2番目の席は、校庭と正門を一望できる。来校者の観察は授業中の数少ない暇潰しだった。
私はやおら現れた女学生を睥睨する。
遅刻ではない。断じてない。絶対保健室登校だ。
『雰囲気』が違う。鼻先まで伸びた前髪、長すぎる袖。校則通り膝下まであるスカートからは陰気が垂れている。陰キャは『長い』。
よくない感想を抱いた自分に驚いてしまう。
私って、そんな性格悪かったっけ?
黒板に目を戻し、冗長な授業に耳を傾けるふりをした。
きっと女学生なりに苦しんでいるに違いない。友達の不和とか、家族の仲違いとか、そのあたり。
カワイソーな子。
私は再度保健室登校の女学生を見下ろした。彼女は正門をくぐり、おどおどと昇降口へと向かっていく。
保健室登校をして周囲からどう思われるか想像できないトコが、保健室登校(笑)になった原因だろ。
沸き立つ思いから目を背けようと、教科書へ視線を落とした。
*
保健室登校の女学生は、5限目に現れる。付き添いの親はいない。うつむきがちに正門をくぐり、鬱々と昇降口へ歩いていく。リボンの色から同学年であることは確からしい。
私が一週間観察して知った事実はそれだけ。
人に話してはいない。だって、想像して欲しい。
5限目にいつもきっかり登校してくる人がいるんだよね。多分、保健室登校だよね?
クラスメイトにそう言われたら?
「へぇそうなんだ」、これが一番無難。ただし会話は広がることなく、教室の床に言葉が沈澱する。
勝手に悪意を嗅ぎ取って、「えー。なんか、ねぇ?」など嘲笑されたら? お前の性格が悪いのは勝手だけど、私を巻き込まないで。
この話題は口にするだけ損だ。
「ね。りんねちゃん」
私は視線をくれてやる。
「次、移動教室だから、ね。行こう?」
視線の先にぷっくりと丸いクラスメイト。低身長で舌っ足らず、おまけにちょこまか動くから、皆おあいそでかわいいと声をぶつける。この子は「かわいい」を真に受けて、頬骨のあたりを赤く染める。とても見られたものじゃない。
私は本心を握りつぶして口角を上げた。
「うん。行こう」
化学室への移動中、クラスメイトは話し続ける。話題は『推し』の話だ。一度付き合いでMVを見たら、この子は調子に乗って推しを押し付けるようになった。煩わしさのあまり生返事をしてしまう。
なぜ『推し』という言葉でパッケージングされた、お前の欲情トークを聞かねばならない?
なんて、私は考えない。それは性格が悪いやつの考えだ。
話を聞かないように、私はこの子のひっつめ髪を注視する。蛍光灯に照らされた黒髪はギトギト光る。
汚ったねぇ髪。
*
翌日、金曜日。
保健室登校を観察するために5限目はずっと外を見つめていた。授業はセルフノイズキャンセル、ノートを取るそぶりすら取る気にならない。
果たして、女学生は現れた。今日も今日とても重役出社。お前午前中何してんの?
5限目と6限目の休み時間、クラスメイトがとこちょこやって来た。
「ね、大丈夫? 5限目ずっと窓の外見てた、でしょう?」
私は努めて目を細めた。人のことチラチラ監視してんじゃねーよ授業聞いてろよだから成績ゴミなんだろ。
「うん、ちょっとね。でも、ノート取りきれなくって。写させて?」
「うん、うん。いいよ、うん」
クラスメイトは小さく息を吐いたのを見逃さなかった。
いつだってこの子が先に私を罵る。だから私もこの子をバレないように、静かにこの子へ毒を吐く。
イライラしていると前の席の話し声が聞こえてきた。
「世の中には『ヤリマン/ややヤリマン/ヤリマンそうでヤリマン/ヤリマンそうでヤリマンではない/ヤリマンではない』という多種多様のヤリマンが存在すると思われるのだ、学友よ」
「大丈夫ですか? その議題10分の休み時間で語り尽くせますか?」
舌打ちが漏れそうになる。男もいるのにこいつら正気か?
「私の空想上、『ヤリマンそうでヤリマンではない』が一番モテるらしいんだ。しかし悲しきかな、繊細微妙な匙加減故に成ろうと思い成れるものではない。
もういっそヤリマンになってしまうのがモテの第一歩だと愚考する」
「愚考すると言って、本当に愚かしい考えをする人がいるんですねぇ」
切り損なった前髪の猫背早口女と、身なりに隙のない敬語キャラ。このクラスの珍獣コンビ。
「繊細微妙が分かる男性ではなく、大味な男性との不純異性交遊はいかがですか?
マヨラー男子とか女と遊べればなんでもいいと思ってますよ」
「マヨネーズ吊るせばマヨラー鹵獲できるかしらん?」
「えー。図書委員ちゃんモテとか意識するんだ。おもろ」
会話に乱入するはクラスの一軍女子。彼女は皆に『図書委員ちゃん』とあだ名されている早口女にバックハグした。
「女として生まれたならば!
おのこを手玉に取って千切っては投げ」
「投げる必要あります?」
「ギャウ子ちゃん、アドバイス求ム!」
「メイクがんばりなー」
「アタシ図書委員ちゃんのメイクやってみたーい」
クラスの一軍女子の背中に、また新たなギャルがハグをする。場の華やかさが増し、それが呼水となって珍獣どもの周囲に人が集まってくる。
早口珍獣女さぁ。アンタ、音のなるおもちゃとしてもてあそばれてるよ? ばかなの?
口に出さない警告は心でわだかまり、吐き出す先を失って私の心身を傷つけた。
*
私はその日の放課後、クラスメイトとの下校を拒み保健室へ向かった。保健室登校の女学生のことを知りたかったからだ。
ここまであの女学生が気になる理由がわからなかった。女学生に会えば、胸に広がるモヤモヤが解決する気がしたのだ。
普段用がない保健室は、扉の前に立つだけで妙に緊張する。ひと呼吸置いて、白い横開きの扉を開いた。放課後ということもあり、ベッドの使用者はおらず、保健室の先生がひとり机に向かって書類を作成しているらしかった。
こんにちは、どうしたの、と先生の声をかけてくれる。私は先生の物腰の柔らかさにほんの少し安堵し、正直に自身の要件を伝えた。
私の話を聞くなり、先生の顔は訝しむような表情になる。普段の私ならここで引くが、探求心が気まずさに勝っていた。
みだりにこういうこと聞きに来ちゃダメよ、と軽い注意ののち先生は言う。
「いないわ。今学期に入って、保健室で特別授業をしている子」
5限目から登校している子の話も聞いていない、とさらに先生は付け加えた。
「いたら話題になるもの」
先生の話を脳内で噛み砕き、理解するのに時間を要した。とても信じられなかった。
「でも、いましたよ。私、毎日、その子、見てます!」
言葉が震え語気が強くなる。自分の鼻息が耳についた。
先生は私を背もたれのない回転椅子に座らせ、お茶を出してくれた。私の動悸はおさまらない。
「今日はもう帰りなさい」
先生は見間違いと断定しなかった。ただ、病人に向ける作り笑いを顔に貼り付けていた。
*
酸素が足りない月曜日。
保健室の先生がウザくて、保健室登校の女学生が謎にムカついて、せっかくの土日もまともに遊べなかった。
昼休み、私の席のそばでクラスメイトのチビがご飯を豚のように食べていた。母親の手作りだという弁当がいかにも幼稚に見える。
少し離れた島では一軍女子三人衆がショート動画を浴び、男たちはソシャゲに勤しむ。
停滞したクラスに、闖入者が現れる。
「休んでるところすまないね。メイクやってみたんだが、ご講評いただけないだろうか」
身の程知らずの早口珍獣が長いスカートをひるがえし、一軍女子の島に乱入した。顔を見るなり彼女らは苦笑&失笑。
「図書委員ちゃんがんばったじゃーん」
「甘やかしちゃダメだって。要練習!
チーク濃過ぎ! アイラインズレてる!」
「おいで〜。直したげる」
椅子に珍獣は座り、一軍女子たちに化粧落としシートでぐりぐりやられている。
「私が言った眉の書き方してる! えらーい。ただちょっと濃いね。次からは気をつけて」
「へむへむ承知」
「図書委員ちゃん、緑のアイシャドウと紫のアイシャドウ、どれが良い?」
「緑!」
「こらー。図書委員ちゃんで遊ばないの」
他の女子や敬語珍獣も加わり、メイクの講習会じみた雰囲気が流れ出す。腹の底から煮え立つ憎悪が滲みだす。
ウザ。昼休みくらい静かにしてろよ。「私たち身分の垣根を越えて仲良いんです〜」アピールか? キモ。ウッザ。死ね。
ふと視線をやるとチビデブがその様子をキラキラとした瞳で眺めていた。
「いいなぁ」
その言葉、その言葉で私の堪忍袋の緒が切れた。
「私といるのがつまらないってこと!?」
私の怒声がクラスを揺らす。嫌味ったらしい和やかな空気が凍り、皆の視線が突き刺さる。
が、それも数秒の間。
「おすすめのコスメを教えてくれまいか?」
陽気な珍獣の声が教室に跳ねる。その陽気さに一軍女子はホッとため息。
「んー。今度一緒遊んでみる?」
「図書委員ちゃんの私服見てみたーい」
「弟からは共に歩むをためらわれる服装だとほめそやされているぞ」
「くそだせぇじゃんそれ!」
彼女らの笑い声に引っ張られ、クラスの雰囲気が元に戻って行く。結局、教室が凍りついたのはほんの十数秒程度。目の前のチビデブは状況を掴めておらず涙目で狼狽えている。
救いの始業チャイムまで、私は忸怩たる思いでやり過ごす。
授業中、私は窓の外を睨めつけていた。どうしたって昼休みの出来事がフラッシュバックする。呆気に取られた陽キャ、こそこそ目配せする男ども、強張った表情の珍獣。
皆、私を馬鹿にし、冷笑している。メンヘラだって思ってる。SNSのヤバいやつと同一視してる。このクラスメイト全員が私を嫌っているんだ。
私の醜態を見たやつらが嫌いだ。全員嫌いだ。
チビデブクラスメイトは始業まで、謝罪を吐き出すだけの置き物と化した。
「ごめんね、ごめん、ね」
正直に話すと私はチビデブを見下し、毛嫌いしている。しかし、クラスで私に話しかけ、気を遣ってくれるのはチビデブだけ。
嘲り嫌う存在と協力せねば、私はこのクラスで生き残ることができなかった。そんな自分が情けなくて涙が出そうだった。
チビデブキモいから死ね。珍獣ウザいから死ね。一軍女子私を馬鹿にしてるから死ね。このクラスのやつら全員死ね。
消えろ、消えろ!
シャープペンをにぎる指先に力がこもる。
その時、保健室登校が現れた。
叫び出したかった。思いつく限りの悪罵を放ちたかった。私は唇をきつく噛む。
お前はいいよな、病めて、ざらついた人間関係から離れられて! 私だってクラスにいたくない! それでも我慢して我慢してやり過ごしてるのにお前さぁ!
女学生を殺さんとする勢いで睨み、やっと気がつく。
こいつ、珍獣に雰囲気が似てる。
だから気に障った。だから許せなかった。だから憎かった。
衝動的に拳を振り上げていた。女学生が映る窓ガラスを殴りつける。けたたましいガラスが割れる音がする、はずだった。
どぷん。
ガラスはまるで湖の如く拳を受け入れ、水面の如く鏡面が揺れた。拳の勢いは止まることなく、むしろ鏡内に引きずり込まれるように私の体はガラスの中へ中へ中へ。
叫び声を上げる間もなく、あらゆる理解を置いてけぼりにして、私は揺れるガラスの世界へ堕ちていく。
↑↓
夕焼け小焼けで日が暮れて。
山のお寺は廃寺となりて。
「なんてことをしてくれたんですか、あなたは!」
「、。」
「無関係な人間を棲家へ招き入れましたね? 度し難い契約違反です、今すぐ彼女を解放なさい!」
「!、@?
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「詭弁です」
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「……彼女が? そんな……」
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「……」
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「……彼女は幼かった。思春期特有の、誰もが罹患し得る愚かしさです。
その代償として『驚異』に喰われる? あまりに罰が重すぎます」
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「無辜の若人を見捨てろと云うのですか? 怪物め!」
「……、@『』?」
「!」
「@。
@。
@?
@。
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@。」
「……!」
「、@。
。
。
。」
夕焼け小焼けで帰りましょう。
帰らば路は永久に閉ざされ。
読んでいただきありがとうございます!
明日もおんなじくらいの時間に投稿いたします。
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