灼熱あぽかりぷす
「東北ときたら、山に惑えば狐に化かされた、逢引の灯を見られれば狐火だ、不運に逢えば狐の祟り、肉を喰らう僧侶は狐。狐きつねキツネ。狐ばかり。
関東平野の昔話や民話では、狐はそれほど幅を利かせていません。せいぜい異類婚譚の一類型として顔を出す程度です。
敢えて誤読誤解を招く発言をしましょうか。東北は、山の民は、まつろわぬ我らは、狐に心を奪われ過ぎている」
とある放課後、学友との雑談より
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『一盃森は肩夫山の西がわにある、小さな山みたいな森です。森合小学校が近くにあります。そこにすんでいた長次郎狐は、いたずらばかりするので、みんなにきらわれていました。村の若者の頭の毛を引っぱって、食べてしまったりするのです。若者たちはみんな、頭がつるつるになってしまいました。まだ、頭の毛がある若者が、「おいらは、長次郎狐のせいで、頭がつるつるなんかにはならないぞ。悪いあいつをつかまえて、とっちめてやろう」と考えました。夜に、一盃森の木のかげにかくれて待っていたのですが、なんだかねむくなってきました。そこへようやく、長次郎狐がしっぽをふりふり、やってきました。
長次郎狐は、道に落ちていた馬のわらじ(わらで作ったくつ)をひろって、ペッペッとつばをかけ、手でたたきました。そうしたら、あらあらふしぎ、美しい花嫁のすがたになったのです。また同じことをすると、子守娘やかわいい赤ちゃんになりました。その花嫁さんは赤ちゃんをおんぶすると、子守娘をつれて森合のお大尽(お金もちのこと)のやしきへ入っていきました。
お大尽の家では、お嫁に行った娘が、孫の赤ちゃんをおんぶして、ひさしぶりに帰ってきたので、大よろこびです。ごちそうを作ってみんなで楽しく食べているところへ、さきほどの若者がとびこんできて、さけびました。「その娘も孫も、みんな狐だぁー! おいら、化けっとこ見たんだ。だまされるな!」。はじめは、お大尽も本気にしませんでしたが、若者が何回も大声でいうので、なんだか、心配になってきたのです。
娘たちを部屋にとじこめ、木をもやしてけむりをモクモク、その中へいれました。こうすると、狐が化けて人間になっているのかどうか、わかるのです。しばらくして、部屋に入ってみて、びっくり。娘たちや赤ちゃんは、けむりにまかれて死んでしまっていました。お大尽は気がくるったようにおこって、「娘やかわいい孫を、けむりで苦しませて、ころしてしまった。もとどおり、生かして返せ!」と若者につめよりました。
若者はこまってしまって、何回もあやまりましたが、お大尽は「娘と孫を返せ!」とさけぶばかり。ちょうど、家の前をとおりかかったお坊さんが、その話をきき、「仏さまにおねがいして、しっぱいをお大尽にゆるしてもらうためには、頭の毛をそって、お坊さんになるしかないよ。コンコン」といいました。その若者もとうとう、頭をつるつるにされてしまったのです。
若者は何がなんだか、わかりませんでした。実は、一杯森で花嫁たちと出会った場面から、お大尽が「娘と孫を返せ!」とさけぶところまで全部、長次郎狐が悪さをして、若者に夢を見させたのです。長次郎狐は魔法が使える、すごい狐だったのですね。「コンコン」としゃべる変なお坊さんも、長次郎狐が化けていたのです。だから、娘さんや赤ちゃんたちは、本当に死んでしまったわけではないので、安心してくださいね。』
『しのぶ・あだたらの昔話』1)より引用
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私は異性にモテたい。しかし、モテるための努力一切合切を放棄したい。その上で異性から言い寄られたい。たとい寝癖で髪が爆発し、頬に鼻くそがついていようとも、邪悪で怠惰な我が内面を合切承知した上で睦言を交わしたいのである。
当然ながら、そのような舐め腐った性根では異性どころか同性からも好かれない。苦い経験を経て、最低限身だしなみと本性を隠すすべを学んだ。
問題は、多少小綺麗に化けたところで異性から言い寄られない点である。
話が違うではないか。
益体もない事柄を悶々と考えているのには訳がある。外の世界が暑過ぎるのだ。
金夏の月、その盛り。外気温は35度を優に超え、一歩踏み進むごとに汗が垂れる。私は汗袋か?
この苦行にも訳がある。今日は祝日、両親が家にいた。勉強もせず家事も手伝わずいれば、否応なく母上の怒りは急上昇、居心地は悪くなるばかり。
耐えきれるはずもなく、適当な理由をつけて外界への逃避行に打って出た。逃避行を始めて1分たらずでエアコンのある世界が恋しくなった。
先を見やれば今日も世界ゆらゆらシュリーレン現象。人っ子ひとりいない。人の息吹は、時折熱風をぶつけてくる室外機からしか感じ取れぬ。
立ち止まり、振り返る。
車の走らぬがらんどうの県道。
切れ間のない蝉時雨がどこか遠くに感じられた。
まるで世界に私ひとり残されたみたい。
ぞっとするような孤独感と、どこかでそれを甘受する歪んだ万能感。学友に連絡を取ろうとポケットを探り、携帯を家に忘れてきたことに気づく。冷や水を差された思いであった。
引き返すべきか。だが戻れば、閉塞した空間で不機嫌な母と一日を過ごす羽目になる。
逡巡の末、背中の水筒がぽちゃりぽちゃりとないたので、水筒が空になるまで歩くことにした。
困ったらとりあえず向かう市立図書館。
三車線道路に出ても、一向に車は来ない。気味の悪さが足元から這い登ってきたその時、からころと、下駄がアスファルトに削れる音がする。
目を向ければ、人がいた。
褐色肌を持った黒髪の男だった。
涼やかな目元は言うに及ばず、通った鼻梁に息を飲む。がっしりとした体つき、見上げるほどの高身長はどこにいても目を惹くだろう。黒き着物と高下駄をしゃなりと着こなす美丈夫であった。しかも我が人生最推しの茶渡泰虎に似てる。ほんとそういうのやめてほしい。
男は静かに私の手を取ると、音もなく信夫山の方角を指差した。長いまつ毛に縁取られた翡翠の瞳が私を頷かせる。私たちは炎天下の中、そろそろと歩き出す。そこに私の意思の介在する余地はなく、結末が取り決められた昔話のように淡々と物事が進んでいく。
男の厚い唇が、淫らな三日月型に歪んだ。
*
『信夫山トンネルの入り口右側に税務署がありますが、その周辺を狐塚といって、昔、信夫の三狐が集まっては、人を化かす相談をしていたところだったといいます。
例えば「一盃森の長次郎」です。この狐はとても頭が良くて、どんなにだまされまいと頑張っても人間は出しぬかれて、コロリと化かされてしまうのでした。
ある日、様子をうかがっていた馬子の目の前で長次郎が葉っぱを頭に乗せてくるりと三回転すると、見事に美しい嫁子に化けました。そして山を降りて庄屋の屋敷に入って行ったのです。
庄屋はかわいい娘が帰ってきたと大喜び、さっそくごちそうを並べだしたのですが、そこに馬子が飛び出し、今日こそ狐の正体をあばこうと大騒ぎに。庄屋を説き伏せて嫁子を納屋に押し込め、松葉でいぶします。
しばらくして納屋から出してみると、嫁子はぐったりとして死んでしまった様子でした。驚いた庄屋は怒り狂い、娘のかわりにお前の命をもらうと怒鳴り散らします。真っ青になった馬子は平謝り。通りがかった僧がとりなし、おわびに頭をそって丸坊主になり、命からがら退散したのでした。それを物かげから見て大笑いしていたのが僧に化けた長次郎狐でしたとさ。』
HP『信夫山おもしろ話』2)より引用
*
美丈夫と私の間に言葉はない。からころ、からころと、下駄ばかりが饒舌だ。
気を遣って二、三言、男の背に言葉を放ってみるも、曖昧な表情を浮かべるばかり。
何より世界が暑すぎた。太陽が皮膚を炙り、熱風が頬を害する。男が何人も現れては重なって消える。めまいがする。男の手は汗ひとつかかず、ざらりと乾燥している。
男の手を離す気にならなかった。そもそもそんな考えさえ浮かばなかった。
炎にあぶられているかのような暑さを前に、私は熱中症について考えていた。
死に至る病。
昔は熱射病と呼ばれていたもの。名前が変わり、定義が変わり、やがて誰もがその恐ろしさを忘れていく。それこそ、昔はそこかしこにいたと云われる化け狐のように。
私はついに膝を折ってしまう。鉄板の如く熱されたアスファルトが、ついた膝と手を灼いた。激痛に悲鳴すら上げられない。息が吸えない。熱が、喉と鼻とを焼き、うまく呼吸できないのだ。煙くて、目が開けられない。
煙い?
私は周囲に目を走らせた。信夫山の麓にあるはずの高校は私を囲む土壁となっていた。壁を支える梁柱から、もうもうと煙が立ちのぼる。
煙の向こうに美丈夫はいる。
男は私に顔を向けてはいなかった。
男の美しい顔が、横へずれていく。
いや、違う。顔がずれているのではない。人の顔を模した何かが、男の頭部から剥がれ落ちようとしていた。
その奥から、黒い粘液があふれ出した。粘液は炎を孕み、男の輪郭を呑み込んでいく。肩が、胴が、人の形を失っていった。
やがてそれは、深海魚じみた異形の姿をとった。
ただひとつ、人間の頃と変わらぬものがあった。
美しい人間の面だけが、冗談みたいに粘液に張り付いていた。
「なにこれ」
咄嗟に出る言葉ほど、凡庸なものはない。
*
飢饉のつめ跡深々と残る仁孝の御代、長次郎狐は今際の際にありました。
長次郎はにゅうどうにならんと志すも、飢えの苦しみから人間を喰らい、そのごう故にこの世ならざるものに成り果てたけものでした。親類縁者はことごとく死に絶え、ひとりぽっちの長次郎。
長次郎を介抱した者がいました。米問屋の一人娘です。口が裂けても器量がいいとはいえぬ娘でしたが、心根は誰よりも優しい娘でした。
娘は長次郎に食べ物を与え、体を清めました。衰弱で長次郎の毛が抜け果て、凍えていると気づけば髪結床へ行き、髪を分けてくれと頼み込みました。村の人々は米問屋の娘が気狂いになったと噂しました。
娘のおかげですっかり元気になった長次郎は、信夫のお山で娘と遊びました。
月日は流れ、娘は成長しました。
大人になった娘の足はお山から遠のき、長次郎と会う機会が減りました。娘は山をみつよつ越えた先の、商人の家へ嫁に行くことが決まりました。
何も知らぬ長次郎は、信夫の山でじっと、帰らぬ娘が遊びに来るを待ち続けました。
子を産んだ娘は初めて里帰りをしました。もちろん一番は親に孫を見せるため。そしてなにより、慌ただしさから疎遠になってしまった古き友の長次郎に我が子を見せるために。
娘は、長次郎の知らぬ匂いをまとっていました。乳の匂い、見知らぬ家の匂い、そして、長次郎の知らぬ年月の匂い。
娘は昔と同じように笑って、腕の中のふくふくとした赤子を見せたのです。
長次郎は、娘にこう言い放ったといいます。
会わねば、死んだものと諦めもついたのに。
なぜおれではなく気狂い不器量となじる同族を選んだ。
なぜおれと生きてはくれなんだ。
長次郎は愚かな若者をそそのかし、娘と子を炙り殺しました。長次郎は笑っていたと言います。笑うことしかできなかったのでしょう。
人をふたりも殺し、ひとりの男の人生までも狂わせた長次郎は、ごう故に狐の姿を失い、娘にもらった人間の毛は四六時中燃え続け、言葉を失いました。
みなさんは長次郎のように、分を弁えぬ行いをしてはいけませんよ。
*
「イケメンのまま殺してくれればよかったのに」
灼熱の中私はうわごとを吐いた。
私はうつ伏せになり体を丸め、できるだけ火炎に触れる面積を減らしていた。それしかできなかった。
「イケメンじゃない『本当』のお前なんていらない、私にとって心地よく都合のいい姿だけ見せてよ。
だってそうじゃないか。
誰も彼もが、華やかに加工した自分に似て非なるものを垂れ流してさ。嘘でもいいんだ、楽しければ。
私だってそう。空疎と知ってなお、虚無を喰む」
茹だった脳で悟る。これは辞世の句だ。
「そう、私なんて、毒を吐く私なんて、寝癖のついただらしない私なんていらない。
望まれる私以外の『私』はいらない」
燃え盛る深海魚が私を見下ろしているらしい。気配を背に感じた。衣服は燃え、皮膚が溶け血液がマグマの如くあふれ出た。
「もう、疲れた。嘘に疲れたんだよ。
殺してくれ」
深海魚が覆い被さるように燃え盛る体を押し付け、我が神経を蒸発せしめ骨を溶かし臓腑を灰にした。痛覚は遠のき絶叫だけが残った。
車の振動で我に返る。
体を起こすと、もろに車の排気ガスをくらった。どうやら私は一方通行道路の路肩に倒れていたらしい。左手には信夫山の麓にある例の高校が見えた。
「えぇ……」
なんてことない真夏の白昼夢。私の肩を叩く蝉の声はどこまでも冷ややかだった。
*
恒例となりつつある後日談。
私はしばらく縁石ブロックに腰掛け、ぼぅと汗を垂らしていたが、図書館へ寄る気力も湧かずそのまま帰宅した。何事もなく一日が終わるかと思いきや、弟が私のうなじに黒いあざを見つけた。あろうことか弟は私の服を剥ぎ、背中全体が赤黒く変色していることを指摘した。
痛みはないし、生活に支障もない。そう説明したのだが、弟は聞く耳を持たず、私を緊急外来へ連行した。
医者は「原因不明の軽度な接触性皮膚炎」と結論づけた。軟膏を出してやるから様子を見ろ、とのこと。
怪我の心当たりはないかたずねられるも、白昼夢の話をすれば、次に行くのは皮膚科ではなく精神科である。わかりません、と言い張るしかなかった。
その日の晩は、医者の見せてくれたカルテの写真が頭から離れなかった。私の背中に広がったあざは、まるで背後から誰かに強く抱きすくめられたようにも見えたのだ。
祝日明けの私を見るなり、学友が言葉を吐いた。
「獣臭っ!」
学友はしかめしい顔でぼそりとぼやいた。
「……狐に憑かれましたか。なんと気の毒な」
私の心臓が嫌な音を立てた。
学友の語る狐に関しての心当たりはない。
しかし、気のせいだと思い込もうとしていた、視界の端に映り続ける黒い着物と高下駄は間違いなく『在る』のだと、不思議な確信が覆い被さってきた。
まだ何も終わっていない。
私は生唾を飲み込んだ。
引用文献
1)麦わらぼうしの会『しのぶ・あだたらの昔話』歴史春秋社 23p
2)特定非営利活動法人ストリートふくしま『信夫山>信夫山おもしろ話> その17 信夫山の狐塚の話』https://www.shinobuyama.com/storys/564.html
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続きは明日出せそうなんで明日出します。
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