表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
南海トラフ燃ゆる  作者: 防人2曹


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
25/30

第二十五話 灰の夜を汚す者たち

 九月九日、午後十時。


 東京の夜は、久しぶりに少しだけ澄んでいた。


 富士山噴火による降灰は弱まり、首都圏の空は、数日前までのような白い膜を薄くしていた。だが、地面にはまだ灰が残っている。道路の端、歩道橋の階段、避難所の入口、病院の換気口、学校の校庭、ビルの屋上。風が吹くたびに細かい粉が舞い上がり、人々は咳をしながらマスクを押さえた。


 南海トラフ巨大地震の被災地では、仮設住宅の準備と避難所生活の長期化が重なっていた。相模トラフ・首都直下地震の被災地では、湾岸部の道路啓開と港湾機能の仮復旧が続く。富士山麓では、泥流警戒と帰宅困難区域の管理が続き、南西諸島では、中国艦艇が去った後も、海上保安庁、自衛隊、米軍が監視を継続していた。


 国会では、捏造動画事件に関わった被告人全員の死刑判決が確定していた。


 内乱罪。

 外患誘致罪。

 憲政史上初。


 その言葉は、国民の胸に重く残っていた。


 しかし、判決が確定したからといって、国が静まるわけではなかった。

 むしろ、判決の重さに耐えきれない者たちが、最後の暴発へ向かっていた。


 革新マルクス戦線。

 赤衛中核同盟。

 その周辺の極左暴力集団。

 外国政府系工作に関わった疑いのある外国籍活動家。

 国外の情報工作網とつながる匿名アカウント群。


 彼らは、判決を「政治裁判」と叫びながら、次の攻撃対象を政府から被災地へ移し始めた。


 避難所。

 物資配布所。

 除灰拠点。

 災害ボランティアセンター。

 自衛隊の給水拠点。

 海上保安庁や警察への献花台。


 そして、SNS上の人々の感情。


 彼らは、国を麻痺させるには、官邸を攻撃するより、弱った場所を殴る方が早いと知っていた。




  ☆☆☆ ☆☆☆




 午後十時三十分。


 官邸危機管理センター。


 羽鳥真紀(はとりまき)危機管理監が、警察庁からの警戒情報を読み上げていた。


「判決確定後、革新マルクス戦線、赤衛中核同盟、および周辺団体が、全国の避難所周辺で同時多発的な抗議行動を呼びかけています。表向きは死刑判決反対、国会閉鎖反対、政治裁判反対ですが、一部投稿では避難所、配布所、自衛隊拠点への直接行動を示唆しています」


 高嶺紗枝(たかみねさえ)首相は、画面を見た。


 地図上には、赤い点が増え始めていた。


 東京。

 横浜。

 川崎。

 千葉。

 静岡。

 甲府。

 名古屋。

 大阪。

 神戸。

 高知。

 徳島。

 宮崎。

 鹿児島。

 福岡。

 沖縄。


 南海トラフ、相模トラフ、富士山噴火、南西諸島危機。日本中が被災地と準被災地になっている状況で、彼らはあえて避難所周辺を狙っていた。


 警察庁長官が報告する。


「SNS上では、判決への抗議に加え、被災者への侮辱、支援物資を受け取る人々を政府支持者と決めつける投稿、自衛隊の給水支援を妨害する呼びかけが確認されています」


 内閣サイバー・情報分析室長が続けた。


「さらに深刻な事案があります。動物虐待を示す動画を、モザイク処理なしで投稿するアカウント群が確認されました。捕獲した犬や猫を殺害したと称し、その映像を使って被災者や政府支持者を脅す文言が添えられています」


 会議室の空気が凍った。


 高嶺は、声を低くした。


「拡散を止めてください」


「プラットフォーム各社へ緊急削除要請。警察庁サイバー、生活安全、公安で発信者特定に入っています。児童や避難者が閲覧してしまう危険があり、自治体へ注意喚起を出しています」


 小森進一(こもりしんいち)防衛大臣が、画面越しに眉を寄せた。


『避難所の子どもが見る可能性があるのか』


「はい」


 小森の声が硬くなった。


『許されません』


 高嶺は、静かに言った。


「対象を広げます。避難所周辺での暴力、脅迫、動物虐待動画の投稿、外国工作との連動。警察、公安、検察、自治体、自衛隊、海保で連携してください」


 橘義隆(たちばなよしたか)官房長官が確認した。


「合法的抗議との線引きは」


「維持します。判決反対を叫ぶだけなら対象外。避難所を襲う、物資配布を妨害する、被災者を脅す、動物虐待映像で恐怖を煽る、外国政府と連動して暴動を誘発する。それらは対象です」


 警察庁長官が頷いた。


「全国警察に即時通達します」


 高嶺は、画面の赤い点を見つめた。

 判決で終わらない。

 むしろ、判決によって追い詰められた者たちが、被災者の前に姿を現し始めていた。




  ☆☆☆ ☆☆☆




 九月十日、午前零時。


 最初の暴動は、東京湾岸部の避難所周辺で起きた。

 仮設の物資配布所に、黒い服を着た集団が現れた。彼らは、死刑判決反対を叫びながら、配布列へ向かって拡声器を向けた。


「政府の配給を受け取るな!」


「高嶺独裁に加担するな!」


「災害を利用した戦争国家を許すな!」


 避難者の多くは、疲れ切っていた。

 彼らにとって、配布される水と食料は政治ではない。

 生きるためのものだった。

 列の中の高齢女性が、震える声で言った。


「水を受け取るだけです」


 活動家の一人が叫んだ。


「その水は、国家暴力の水だ!」


 その瞬間、周囲の空気が変わった。

 避難所を守っていた警察官が前に出る。


「配布業務を妨害しないでください。警告します」


 集団は引かなかった。


 ペットボトルの箱が倒された。

 配布用テントの脚が揺れた。

 子どもが泣き出した。


 即応予備自衛官の班長が、避難者を後ろへ下げる。


「下がってください。列を崩さず、建物側へ」


 警察官が一斉に動いた。

 最初の逮捕者が出た。

 威力業務妨害、公務執行妨害、暴行、器物損壊。

 その映像は、すぐにSNSへ上がった。


 極左系アカウントは「国家権力による弾圧」と投稿した。


 だが、避難者側の別角度映像も出た。



   《水の列を邪魔していたのは活動家側》


   《子どもが泣いていた》


   《配布所を壊すな》


   《政府批判と避難所妨害は違う》



 世論は、活動家側へは傾かなかった。




  ☆☆☆ ☆☆☆




 午前二時。


 大阪、名古屋、福岡、鹿児島、宮崎、沖縄でも、同様の事案が相次いだ。


 避難所前での座り込み。

 物資搬入車両への立ちはだかり。

 自衛隊給水車への落書き。

 海上保安官犠牲者への献花台破壊未遂。

 外国人避難者を装った工作員による挑発。

 被災者を罵倒する動画配信。


 そして、複数のSNSアカウントから投稿された、動物虐待を示す映像。


 投稿文には、被災者への侮辱や政府関係者への脅迫が添えられていた。



   《次はお前たちだ》


   《高嶺の犬ども》


   《国家に従う者はこうなる》


   《避難所にいる連中を許さない》



 多くのユーザーが通報した。


 削除は進んだ。


 だが、一度見てしまった者の心には残った。

 東京の避難所では、子どもが泣きながら母親にしがみついていた。スマートフォンで偶然その映像を見てしまったのだった。

 鹿児島出身の女性は、母親とともに子どもを落ち着かせていた。


「大丈夫。ここには来ない。今、警察の人が止めているから」


 子どもは泣きながら言った。


「なんで、そんなことするの」


 誰も答えられなかった。

 東京の男性が、スマートフォンを伏せた。


「もう、見ない方がいい」


 女性は頷いた。


「でも、見てしまった子は消せません」


 避難所の掲示板に、新しい紙が貼られた。



   こわい動画を見たら、ひとりで抱えない

   近くの大人へ

   職員へ

   警察へ

   見せ返さない

   広げない



 災害避難所は、ついに情報外傷への対応まで始めなければならなくなっていた。




  ☆☆☆ ☆☆☆




 午前三時三十分。


 警察庁緊急対策本部。


 全国からの通報と現場報告が集中していた。

 警察庁長官が指示を出す。


「避難所、配布所、給水所、医療拠点、献花台、自治体庁舎周辺を重点警戒。暴力、業務妨害、動物虐待動画投稿、脅迫、外国工作連動を優先摘発」


 サイバー部門が報告する。


「動物虐待動画投稿アカウント群の一部が、国外サーバー経由ですが、国内端末からの投稿と判明。複数は極左暴力集団系の連絡網と接続。一部は外国籍者名義の端末」


 公安担当が続ける。


「革新マルクス戦線、赤衛中核同盟の関係者が、全国の行動を調整している疑い。外国籍活動家グループ、複数の中国政府系連絡先との接触あり」


 生活安全部門が、怒りを抑えた声で言った。


「動物虐待事案は、動物愛護法違反だけでなく、脅迫、威力業務妨害、児童への心理的加害、社会秩序攪乱として総合的に扱います」


 警察庁長官は頷いた。


「映像を拡散するな。証拠保全は専門班で行う。一般職員へ必要以上に見せるな。閲覧職員の心理ケアも準備」


 現場は、怒っていた。

 だが、怒りで捜査してはならない。

 証拠で、法で、動く。


 その原則が、何度も確認された。




  ☆☆☆ ☆☆☆




 午前六時。


 全国で一斉摘発が始まった。


 東京、神奈川、千葉、静岡、愛知、大阪、兵庫、高知、徳島、宮崎、鹿児島、福岡、沖縄。

 避難所周辺で暴れていた者。

 物資搬入を妨害した者。

 SNSで被災者を脅迫した者。

 動物虐待動画を投稿した者。

 極左暴力集団の指示役。

 外国籍活動家の連絡役。

 国外からの資金提供を受けた疑いのある者。


 その数は、朝になるにつれ膨れ上がっていった。



  ――――

  ニュース速報

  避難所周辺の暴力・脅迫事件

  全国で一斉摘発

  逮捕者多数

  警察庁、外国工作との関連も捜査

  ――――



 午前八時の時点で、逮捕者は数百名に達した。

 正午には、千名を超えた。

 九月十日夕方までに、逮捕者は総勢千五百名を超えた。


 その中には、極左暴力集団関係者、暴力行為の実行役、SNS投稿担当、外国籍活動家、資金仲介者、動画撮影・投稿担当、脅迫文作成者が含まれていた。


 外国籍者は多数に上った。


 法務省と入管庁は、刑事手続きと並行し、在留資格違反、暴力行為、治安妨害、外国工作関与の疑いが確認された者について、退去強制手続きへ入った。


 そのうち、七百四十九名について、即日国外退去処分の方針が決定された。


 政府は、発表で慎重に言葉を選んだ。



  ――――

  政府発表

  暴力・脅迫・動物虐待動画事件

  外国籍者七百四十九名を退去強制処分へ

  国籍ではなく個別行為に基づく措置

  一般外国人住民への差別を禁ずる

  ――――



 高嶺紗枝首相は、会見で言った。


『今回の措置は、外国人一般を対象とするものではありません。避難所周辺での暴力、脅迫、業務妨害、動物虐待動画投稿、外国工作との連動など、個別の違法行為に基づくものです。一般の外国人住民、留学生、労働者、避難者を攻撃することは断じて許されません』


 その上で、彼女は声を低くした。


『被災者を脅し、避難所を荒らし、動物を傷つける映像を使って恐怖を広げる行為は、思想でも抗議でもありません。犯罪です』


 その言葉は、多くの国民に共有された。




  ☆☆☆ ☆☆☆




 九月十日、午後六時。


 全国の避難所周辺には、警察官の姿が増えた。

 自衛隊や自治体職員は、物資配布と給水を続けていた。警察が外周を守り、ボランティアが中で動き、医療班が巡回する。

 高知の避難所で、井ノ口は、給水所の外に立つ警察官を見て言った。


「災害で避難しちゅうのに、警察に守ってもらわんといかんとはな」


 森下三曹は、水の箱を運びながら答えた。


「すみません」


「森下くんが謝ることやない」


 井ノ口は、少し怒った声で言った。


「水を邪魔するやつが悪い」


「はい」


「犬猫を殺して動画にするやつも悪い」


 森下は、目を伏せた。


「はい」


 井ノ口は、森下を見た。


「怒っちゅうか」


 森下は、少し沈黙した。


「怒っています」


「怒ってえい」


「でも、任務中です」


 井ノ口は頷いた。


「それでえい。怒っても、水は配る。そういう人が国を支えちゅう」


 森下は、何も言えなかった。

 ただ、次の箱を持ち上げた。




  ☆☆☆ ☆☆☆




 九月十一日、午前九時。


 事件は、さらに深い場所へ進んだ。

 警察庁、公安調査庁、首都地検特捜部、米国側情報機関の連携により、避難所周辺暴動と動物虐待動画投稿事件の実行犯・首謀者の一部が、中国政府系連絡先と接触していたことが判明した。


 通信ログ。

 資金移動。

 暗号資産口座。

 匿名アカウント管理表。

 動画投稿の時刻指示。

 避難所リスト。

 警察配置の予測。

 「判決反対運動を被災地混乱へ転換せよ」という指示文。


 そして、その中に、一人の古い名前が浮上した。


 かつて日本国内に巣くっていた国際テロ組織「東亜赤軍連盟」の元最高幹部。


 現在の名は、重原房江(しげはらふさえ)


 数年前に刑期を終えて出所していた人物だった。


 実在の過去を持つ組織を想起させる存在だが、この物語では、彼女も組織も架空の名で語られる。

 重原房江は、出所後、表向きには反戦・人権活動家として小さな講演会に出ていた。だが、公安は彼女が極左暴力集団の残存ネットワークと接触していることを把握していた。

 今回の事件で、彼女は首謀者の一人として浮上した。


 彼女の端末からは、中国政府系連絡先との暗号化通信が見つかった。



   >判決確定後、国民の怒りを政府へ向け直す

   >避難所周辺で国家の無力を演出

   >動物映像は恐怖喚起に有効

   >外国人処分を誘発し、排外主義批判へ転換

   >高嶺政権を国際的に孤立させる



 捜査員が、その文面を見て表情を硬くした。

 動物虐待動画すら、彼らにとっては戦術だった。

 被災者の恐怖も、子どもの涙も、外国人への反発も、政府批判も、すべて誘導可能な材料として扱われていた。




  ☆☆☆ ☆☆☆




 午前十時三十分。


 重原房江は、東京都内の潜伏先で身柄を確保された。

 老いた体だった。

 だが、目だけは鋭かった。


 警察官が令状を示す。


「重原房江。避難所周辺暴動、動物虐待動画投稿、外国政府系関係者との共謀、威力業務妨害、暴力扇動、外患関連法制に関わる容疑で同行を求めます」


 重原は、薄く笑った。


「また国家権力ですか」


 警察官は答えない。


「昔も今も、あなたたちは変わらない」


 警察官は静かに言った。


「変わったのは、あなたが被災者を狙ったことです」


 重原の表情が、わずかに動いた。


「革命には犠牲がつきものです」


 その言葉に、若い捜査員の顔が歪んだ。

 だが、上官が目で制した。


 怒るな。

 記録しろ。

 法で進めろ。


 重原は、淡々と連行された。


 その速報は、昼前に流れた。



  ――――

  ニュース速報

  避難所周辺暴動事件

  旧国際テロ組織元最高幹部を逮捕

  中国政府系連絡先との通信確認

  警察庁・公安・特捜部が合同捜査

  ――――



 国民の怒りは、一気に高まった。



   《今度は元テロ組織トップ?》


   《被災者を革命の材料にしたのか》


   《犬猫の動画まで戦術とか人間じゃない》


   《外国人全体を責めるな。でも関与したやつは裁け》


   《中国政府とどこまで繋がってるんだ》


   《避難所を狙った時点で許せない》



 共産系、社会民主系、令明系の残存勢力が出した抗議声明は、もはやほとんど届かなかった。

 国民は、彼らの言葉を聞かなくなっていた。


 それは支持を失ったというより、信用を失ったということだった。




  ☆☆☆ ☆☆☆




 九月十一日、午後二時。


 官邸。


 高嶺紗枝は、重原房江逮捕の報告を受けていた。


 羽鳥が言った。


「重原房江、身柄確保。中国政府系連絡先との通信、極左暴力集団への指示、動物虐待動画投稿グループとの接続、外国籍活動家への資金移動が確認されています」


 警察庁長官が続ける。


「暴動事件全体の逮捕者は、現時点で千五百名超。外国籍者の退去強制対象は七百四十九名で確定。追加対象については精査中です」


 法務大臣が言った。


「退去強制は、個別行為と在留資格違反に基づきます。一般外国人住民への影響を抑えるため、多言語説明と相談窓口を設置しています」


 高嶺は頷いた。


「そこを徹底してください」


 小森防衛大臣が、険しい声で言った。


『避難所を狙う行為は、災害派遣そのものへの攻撃です』


「はい」


『現場隊員の怒りは強いです。特に動物虐待動画を見た隊員、子どもを泣かされた避難所を担当した隊員は、精神的にかなり来ています』


 高嶺は、少し目を伏せた。


「隊員ケアを増やしてください。警察官、自治体職員、動画を証拠保全したサイバー担当者もです」


 羽鳥が頷いた。


「はい」


 高嶺は、画面の事件関係図を見た。


 重原房江。

 革新マルクス戦線。

 赤衛中核同盟。

 外国籍活動家グループ。

 中国政府系連絡先。

 避難所周辺暴動。

 動物虐待動画。

 国外追放。


 それらが線でつながっている。


 彼女は言った。


「これは、判決への抗議ではありません。社会を壊すための作戦です」


 橘が答えた。


「はい」


「政府発表では、抗議と作戦を分けてください。死刑判決に反対する人、手続きに疑問を持つ人、政府を批判する人を、彼らと同一視しない」


「はい」


「その線を守らないと、相手の思うつぼです」


 高嶺は、強く言った。




  ☆☆☆ ☆☆☆




 午後五時。


 東京の避難所。

 掲示板の前で、鹿児島出身の女性は、新しい紙を貼っていた。



   こわい動画を見た人へ

   あなたが悪いのではありません

   ひとりで抱えないでください

   職員・医療班・警察へ話してください

   広げないことが、次の被害を止めます



 東京の男性が言った。


「今度は、子ども向けじゃなくて大人向けですね」


「大人も傷つくので」


「そうですね」


 避難所には、昨日から表情の暗い大人が増えていた。


 動物虐待動画を見てしまった人。

 避難所前で活動家に怒鳴られた人。

 外国人避難者が、自分たちまで疑われるのではと怯えている姿を見た人。

 政府への怒り、活動家への怒り、中国への怒り、外国人差別への不安。


 あらゆる感情が、避難所の空気を重くしていた。


 その中で、中国系の女性避難者が、鹿児島出身の女性に近づいた。


 たどたどしい日本語で言った。


「私たち、ここにいて、いいですか」


 女性は、一瞬、息を呑んだ。


 そして、すぐに答えた。


「もちろんです」


 東京の男性も言った。


「避難所は、困っている人の場所です」


 中国系の女性は、目に涙を浮かべた。


「ニュース、怖い。中国人、みんな悪いと思われる」


 鹿児島出身の女性は、首を横に振った。


「悪いことをした人が悪いんです。あなたではありません」


 そのやり取りを見ていた子どもが、掲示板にクレヨンで書かれた一枚の紙を貼った。



   ここでは なかよくする



 誰も笑わなかった。

 その短い言葉が、今の避難所には必要だった。




  ☆☆☆ ☆☆☆




 九月十一日、午後八時。


 政府は、暴動事件に関する中間報告を発表した。



  ――――

  政府中間報告

  避難所周辺暴動・虐待動画事件

  逮捕者千五百名超

  外国籍者七百四十九名を退去強制へ

  中国政府系連絡先との共謀確認

  旧国際テロ組織元最高幹部を逮捕

  ――――



 高嶺は会見で述べた。


『今回の事件は、判決への抗議を装い、避難所、物資配布所、給水拠点、被災者、動物、外国人住民への不安を利用して、日本社会を再び分断しようとしたものです。中国政府系連絡先との共謀が確認されており、関係機関が全容解明を進めています』


 記者が問う。


「外国籍者七百四十九名の即日国外退去は、国際的批判を招くのではありませんか」


 高嶺は答えた。


『個別の違法行為と在留資格上の問題に基づく措置です。国籍や出自を理由とするものではありません。一般の外国人住民への差別や嫌がらせは、政府として断じて許しません』


「旧国際テロ組織元最高幹部が関与したことについて」


『極めて重大です。災害時の社会不安、判決への反発、外国政府の認知戦が結びついたものと見ています。思想そのものを取り締まるのではなく、暴力、脅迫、業務妨害、外国政府との共謀を取り締まります』


 高嶺は、最後に言った。


『避難所を襲うこと、被災者を脅すこと、動物を傷つけて恐怖を広げることは、いかなる政治的主張でも正当化されません』


 その言葉は、広く共有された。




  ☆☆☆ ☆☆☆




 九月十二日、午前零時。


 日付が変わった。


 九月九日夜から続いた暴動と動画事件は、ようやく鎮静化へ向かっていた。

 逮捕者は千五百名を超えた。

 外国籍者七百四十九名の退去強制処分が決定した。

 重原房江は逮捕された。

 革新マルクス戦線、赤衛中核同盟の複数拠点が捜索された。

 中国政府系連絡先との通信、資金移動、指示文、投稿計画が押収された。

 しかし、心の被害は残った。

 避難所で怖い映像を見てしまった子ども。

 配布所で怒鳴られた高齢者。

 自分たちまで疑われるのではと怯えた外国人避難者。

 動画を証拠保全した警察官。

 荒らされた献花台を片づけた海上保安官。

 自衛隊給水車に書かれた落書きを洗い落とした隊員。

 怒りを飲み込みながら水を配った災害派遣隊員。

 彼らの中に残ったものは、逮捕者数では測れなかった。


 官邸危機管理センターで、高嶺紗枝は、午前零時の報告を受けていた。


 羽鳥が言った。


「全国的な暴動は沈静化傾向。避難所周辺の重点警戒は継続。SNS上の虐待動画は主要プラットフォームでほぼ削除。ただし、再投稿と国外サイトへの転載が残っています」


 警察庁長官が続ける。


「逮捕者千五百名超。外国籍者七百四十九名の退去強制手続き開始。重原房江を含む首謀者グループの取り調べを継続。中国政府系連絡先との共謀について、追加証拠を整理中です」


 法務大臣が言った。


「退去強制については、国際的説明資料を準備しています。一般外国人住民への差別防止も並行します」


 小森が言った。


『自衛隊、海保、警察、自治体職員の心理ケアを増強します。特に動画を見た者、避難所暴動に対応した者への支援が必要です』


 高嶺は頷いた。


「お願いします」


 片倉皐月が画面越しに言った。


『災害復旧財政に、避難所警備、情報外傷ケア、外国人避難者支援、動物保護関連の費用も追加します』


「お願いします」


 高嶺は、六つの画面を見た。


 南海。

 相模。

 富士山。

 南西諸島。

 通信空間。

 国会。


 そして、画面にはないもう一つの被災地がある。


 人の心。


 彼女は、静かに言った。


「この国は、何度、同じ場所を殴られるのでしょうね」


 羽鳥は、答えに迷った。


 高嶺は続けた。


「でも、殴られた場所を放置しなければ、少しずつ強くなる。そう信じるしかありません」


 羽鳥が頷いた。


「はい」


 高嶺は、水を一口飲んだ。


 外では、夜の風が灰をわずかに舞わせていた。

 避難所では、子どもの寝息が聞こえていた。

 南西の海では、巡視船の灯が揺れていた。

 国会では、再開へ向けた準備が続いていた。

 警察署では、取り調べが続いていた。

 入管施設では、退去強制手続きが進んでいた。


 そしてどこかの避難所で、子どもが書いた紙が掲示板に貼られていた。



   ここでは なかよくする



 午前零時。


 九月十二日が始まった。


 日本は、また一つ、暗い夜を越えた。

 だが夜明けは、まだ遠かった。


 それでも、誰かが水を配り、誰かが灰を掃き、誰かが傷ついた子どもの背をさすり、誰かが外国人避難者に「ここにいていい」と伝え、誰かが嘘の証拠を集め、誰かが巡視船の上で海を見張っていた。


 国は、そうやって続いていた。

 壊されかけながら。

 それでも、壊れ切らないように。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ