聖女の不正 — 精算交渉の副産物
精算合意の翌週。思わぬ展開があった。
精算交渉の際に提出した証拠書類の中に、聖女エリアーナの不正を示す文書が含まれていたのだ。わたくしの帳簿が、自らの意思を持ったかのように真実を浮かび上がらせた。
わたくしが意図的に入れたのではない。三年分の政治工作の記録を丹念に整理した結果、自然と浮かび上がったものだ。数字を正直に並べれば、嘘は自ずと輪郭を現す。それが帳簿の力だ。
「リゼル殿、宰相閣下から書状です」
マリアが持ってきた封書を開いた。赤い蝋の封印を指先で丁寧に割る。宰相オスヴァルト公の直筆だ。藍色のインクが整然と並んでいる。宰相の筆跡は帳簿をつける者のそれに似ていた——正確で、感情を排した文字。
『精算交渉時に提出された証拠書類第十四号について、追加調査を行った結果、看過できない事実が判明しました。
聖女エリアーナ・フォーシスは、王太子への助言と称して以下の行為を行っていたことが確認されました。
一、ヴァルディエン家の政治工作の情報を事前に漏洩し、交渉を妨害
二、王太子の魔力検定の結果を偽装し、リゼル殿の魔力供与の事実を隠蔽
三、社交界において、事実に反する風聞を意図的に流布
これらは聖女の職権濫用に該当します。現在、教会と宮廷の合同調査が進行中です。
なお、聖女の行動の背景に教会上層部からの指示があった可能性も浮上しております』
わたくしは書状を読み終え、テーブルに置いた。
指先が書状の端に触れたまま、少しだけ動きを止めた。教会上層部からの指示——もしそれが事実なら、聖女エリアーナもまた、より大きな構造の中の駒だったのかもしれない。許す気はない。けれど、一人の人間が全ての悪意を背負っていたわけではないという事実は、帳簿のように冷静に認識しておくべきだ。
「マリア」
「はい、お嬢様」
「わたくしの帳簿が、聖女の不正を暴いたわけではありませんわ。帳簿は事実を記録しただけ。不正を行ったのは聖女自身です」
「……お嬢様は、知っていたのですか?」
マリアの声に心配の色が混じっていた。わたくしは穏やかに首を振った。
「全てではありません。ただ、魔力検定の数字が合わないことには気づいていました。殿下の公表魔力値と、わたくしが供与した魔力量の帳簿。二つを並べれば、差分が出ます。その差分を埋めるには、検定結果の偽装しかあり得ない。帳簿をつけていれば、数字の矛盾は自ずと見えますから」
辺境伯が執務室に来た。同じ情報を受け取ったらしい。書状を手にした彼の表情は、怒りではなく静かな憤りだった。顎の線が硬い。
「リゼル殿。聖女の調査について、何か対応が必要か?」
「いいえ。わたくしたちは何もしなくて結構です」
「何もしない?」
「ええ。帳簿の数字が真実を語っています。それ以上のことをわたくしがする必要はありません。数字に復讐心はありませんから——わたくしにもね」
ペンを手に取り、手元の帳簿に一行だけ書き添えた。「聖女関連:対応不要。帳簿は事実を語る」。それだけで十分だ。
わたくしは窓の外を見た。秋の陽光が領地の屋根を照らし、交易所から荷馬車が出発していくのが見える。この風景は、帳簿の一行一行が積み重なってできたものだ。復讐のために帳簿をつけたのではない。この風景のためにつけたのだ。
「復讐は——わたくしの仕事ではありませんわ。わたくしの仕事は帳簿をつけることです」
クレイグが頷いた。その横顔が、ほんの少しだけ和らいだ。
「あなたらしい」
「当然ですわ」
数日後、王都から続報が届いた。マリアが持ってきた手紙と、公式の通達書。テーブルの上に並べると、事態の全容が浮かび上がった。
聖女エリアーナは教会の審問会に召喚された。王太子殿下は聖女を庇おうとしたが、証拠が揃いすぎていた。全てリゼルの帳簿から辿れる数字の矛盾——聖女が改竄した記録と、わたくしが保全していた原本の差異。帳簿は記憶より正確で、弁舌より雄弁だ。
王太子の信用は、宮廷で大きく毀損された。聖女は教会の修道院に軟禁され、彼女を担いでいた貴族たちは沈黙した。王都の社交界では、半年前にわたくしを嘲笑った者たちが、今度は聖女を嘲笑っている。人の口は、風見鶏よりもよく回る。
わたくしは帳簿に新しいページを開いた。インクの瓶を開け、ペンを浸す。この動作だけが、いつでもわたくしを正しい場所に戻してくれる。
——旧関係の清算は完了。新しい帳簿に書くべきことは、もっと先にある。




