第三章 泣いた海、青い空
1
私は弱い人間だ。一年前、私はいじめられていた。カースト上位の女子たちにパシりをさせられ、トイレでお腹を蹴られたり、頭からゴミ箱に入っていた生ゴミをかけられたりした。
私は限界だった。このままでは自分が壊れてしまう、そう思い、初めて抵抗した。
するとカースト上位の女子たちは、意味ありげに笑った。
「いいよ、もういじめないであげるし、これからは仲良くしてあげる」
「ホント?」
「その代わり、今から言う台詞を三枝に言って? そうしたら、もういじめないであげる」
彼女たちは、春くんに拒絶の言葉を言わないと、またいじめると脅してきた。いつも助けてくれる春くんに拒絶なんてできなかった。
でも、それをしないと、私はまたいじめられる。いじめられた時の記憶、恐怖が一人の時に襲ってきた。何度考えても、またいじめられるのは嫌だった。
だから、私は春くんに拒絶の言葉を吐いた。
「アンタなんか、大っ嫌い! いつも、いつも私を守らないで! 気持ち悪いのよ!」
言いたくない言葉を無理に言ったので、顔がぐにゃと歪む。あの時の春くんの顔は二度と忘れない。真っ青な顔で絶望していた春くんの顔は、何度も夢に出た。その度に謝った。現実では、まだ一度も謝れていない。
彼女たちは、そんな春くんの顔を見てゲラゲラ笑った。許せなかった。でもそれ以上にまたいじめられると思うと怖かった。だから、彼女たちと一緒になって笑った。
春くんはそれ以来、学校に来ていない。自分が学校に来ると、また私がいじめられると思っての行動なのだろう。
ずっと謝りたかった。でも、できなかった。
いじめられのが怖くて、彼女たちの言いなりになって、今では私もカースト上位の存在だ。
それが心地良かった。みんな、私と話をして、仲良くしてくれる。この関係を壊したくなかった私は春くんと仲直りするのを先延ばしにした。卒業したあとで、あの時はごめんって謝ろうと言えばいいと楽観的に考えていた。
それが良くなかったのかもしれない。きっと、天罰だったんだ。
ユメユメのオフ会で、まさか春くんとまた会えるとは思いもしなかった、また話ができる、そう思っていたら春くんは私に拒絶の言葉を投げた。
当然の報いだ。私が春くんから逃げたんだ、恨まれて当然なんだ。でも悲しかった。
あんなにも仲が良かった春くんと、ここまで溝が深まるだなんて、当時は思いもしなかった。
きっとあの時、いじめられるのが怖くても、春くんに相談して、立ち向かうべきだったんだ。
でも、それを選択しなかった私は、弱い人間なんだ。
惨めで泣きたなる。でも泣かない。泣いたらもっと惨めになる。
せめて、このオフ会の間だけは少しでも楽しめるといいな。
春くんには誤解されたままでいい。私にはとっては当然の報いだから。
ユメユメの本名は、古藤野光というらしい。私と春くんは光さんと呼ぶが、上野さんはユメユメ呼びのままだ。私たちよりもユメユメに愛着があるんだろう。そこまで夢中になれるものがあるのは、正直羨ましい。
上野さんは一歩引いたところで、私たちを見ている。社会人になると、観察眼も身につけないといけないのかもしれない。
光さんは画面の中で配信してるとは思えないくらい私にとって親近感が湧いて話しやすい人だった。
普通の友達みたいにコスメの話や、昨日見たテレビの話をした。私が欲しかったのはこんな友達関係だったのだとその時、気付いた。空気を読んで、発言に注意して、いじめられるのを怯えているのが友人関係なんかじゃないんだ。でも、気付くのが遅かった。もう取り返しがつかない。
だけど、最後に奇跡を願いたくなった。
魔女の家。地元の都市伝説で、この海水浴場から少し歩いたところに森があり、普通なら辿り着けないけど、心の傷ついた者、奇跡を願う者の元に魔女の家は現れて、どんな願い事でも叶えてくれるという
オフ会に行く前に周辺の風土、都市伝説を調べていた。
魔女の家を知った時は、半信半疑だったけれど、今は藁にでもすがる思いだった。
光さんに提案すると、乗ってくれた。春くんたちも渋々といった様子で付いてきてくれた。
歩きながら、考えていた。私が叶えたい願い事。一年前のあの頃に戻って、春くんとまだ友達でいること。
スクールカーストが一番下でも構わない。カースト上位の子たちとつるんで、偉くなった気でいる自分を消したかった。本当に大事な友達を傷つけた。私にとっての不幸はそれが全てだ。
森の奥を進んでいくと、西洋風の家が見えた。一目見て、魔女の家だと分かった。本当にあったんだ。鳥肌が立ち、震えた。中に入った。人の気配はなかった。
願い事はどうやって叶えるんだろう。まずリビングに行き、何かないか調べる。
リビングはあまり使われていないのか、ほとんどの物の埃が被っていたが、テーブルの上にあるティーカップにはそれがなかった。まだ新しく、湯気が立っている。ついさっきまで誰かいたのかもしれない。
辺りをよく観察すると、本棚に一つだけ埃が被っていない本があった。
もしかしたら、この中に願い事を叶えるヒントがあるのかもしれない。
期待に胸を躍らさせて、本を開くと、願い事のことなど全てが吹き飛んだ。
そこには行方不明のお姉ちゃんと私が写っている写真があった。
そこから、私は頭が真っ白になり、自分でもありえないほど、暴れた記憶がある。
お姉ちゃんと私は仲がよく、二人で出かけたりしていた。大人になっても、ずっと一緒にいようねと言ったお姉ちゃんが失踪した。家族はすぐに戻ってくると言っていたけれど、私は信じなかった。
だって、私のお姉ちゃんなら、家を二日以上空けることなんてありえない。
だから、直感的に私のお姉ちゃんは死んだのだと思った。こんな出来損ないの妹といるのが苦痛になって、自殺した。そうでも思わないと私は前に進めなかった。
自己憐憫に浸ることで、私は私でいられた。だってお姉ちゃんが誰かに殺されただなん思いたくなかった。私にとってお姉ちゃんは自慢の姉。私のヒーロー。
そんなお姉ちゃんが殺されるだなんて、あってはいけない、私を恨んで、自殺した。そう納得していたのに、あの写真を見て、しまい込んでいたお姉ちゃんへの気持ちが溢れた。
お姉ちゃんは殺された、何か重大な事件に巻き込まれたのだ。そう確信した私は、足音の正体を掴むべく襲い掛かろうとしたが、上野さんに止められた。
裏口から出て、春くんにおんぶされる形でその場から去った。
だけど、私は見た。足音の正体を。私と春くんの通っている学校の保健室の先生だ。
目が覚めると、私は風鈴がなる四畳半の部屋にいた。
あんなにも感情的になったのは久しぶりで、記憶が朧気だ。チリン、風鈴の音で徐々に覚醒する。
お姉ちゃんは誰に殺された、それが、保健の先生。
「殺してやる………報いを受けさせてやる………」
布団から這い出る。
光さんたちの声は聞こえる。音を立てないようにして、会話を盗み聞きする。
「うん。だからこそ、私たちで学校に行って謎を解明するべきだと思うの」
「でも、石村はあんなだし、置いていくしか──」
「私も、行く」
這い出て、みっともない状態だったけど、声を大にして言った。ここで置いて行かれるのはごめんだ。私はあの教師を殺す。だけど、その前になんで殺したのか、死体は何処に捨てたのか、それを聞かなくては。
意外にも殺意で頭がいっぱいだと思ったが、冷静に物事を見れるようになっている。
光さんも同じ学校に通っているとは思わなかった。このままだと光さんも一緒に学校に行くと言い出しそうだ。先に手を打たないと。上野さん、光さんは先に帰り、私と春くん二人だけになる。
「学校、来てよ。約束」
春くんに向かって、小指を立てる。
「約束はできないな」
「あの時は本当にごめんなさい。でも、私は春くんに学校に来て欲しいの」
「そう単純じゃないんだよ」
「ううん、単純だよ。きっと。春くんが問題を難しくしているんだよ」
たぶん、それは私も同じ。あのスクールカースト上位の連中と金輪際、つるむことをしなければ、私は、またいじめられるけど、春くんと友達でいられる。
「何も知らないくせに、よく言えたもんだな」
「知ってるよ、私。春くんは私を守るために学校にこないんでしょ? でも私なら大丈夫だから」
私はもう大丈夫。春くんと仲直りできるのなら、またいじめられても平気。
「なんだよ、それ。全部分かっていて、俺と話をしていたっていうのか」
春くんに私の言いたいことは伝わらなかったみたいで、春くんはその場から走り去った。
春くんと何度も、何度も叫んだ。でも彼は帰ってこなかった。
「自業自得だ」
水面を見ながら、ポツリと呟く。カースト上位の子たちとつるむようになってから、言葉遣いが乱暴になった気がする。
どうしたら、思っていることが、春くんにキチンと伝わるんだろう。フィルターにもなんにも通さない純粋な想いを伝えたい。
頭を振る。今はお姉ちゃんのことだ。春くんはきっと協力してくれる。
仲直りは、そのあとにすればいい。
2
数時間ぶりなのに、家のベットで眠るのが二年ぶりのような気がした。
きっと、止まっていた時間がまた動き出した。
寝そべりながら、春くんに連絡をする。
『春くん。明日、二人で学校に行こう』
『俺は行かないよ』
思った通りの返信が来た。私は構わずにメッセージを送る。
『ううん、春くんは来るよ。私を止めるために』
『何を言ってるんだよ。行かないって言ってるだろ』
『私ね、春くんに抱っこされてる間、見たんだ。魔女の家での足音の正体』
『見たって、誰を?』
『保健室の先生。あの人が魔女の家にいた。あの人がお姉ちゃんを殺したんだ』
あの時の記憶を手繰り寄せる。スマートフォンを持つ力が強まる。
『待て待て、まだ君の姉さんが死んだってことは分からないだろ』
春くんは信じていないどころか、お姉ちゃんが生きていると言ってきた。生きているわけがないんだ。もし生きていたら、お姉ちゃんは真っ先に私に連絡するはず。
でも、本当にお姉ちゃんを信じているのなら、生きていることも信じなくてはいけないのではないか。一番お姉ちゃんを信じていないのは私じゃないのか。
思考にぐるぐると絡め取られて、分からなくなった。
私が信じているのは何なのか、お姉ちゃんの死。それを本当に信じていいのか
『ううん、私は分かるの。お姉ちゃんなら、きっと戻ってくる。それなのに何の連絡もなく一年が経つことはありえない。だから、殺されたんだよ』
春くんに悟らさないように、極めて冷静に返信をした。これ以上何を考えないように、これ以上自分が壊れてしまわないように。
『分かった。明日学校に行く。ただし放課後だ。そこで二人で保健室の先生に会いに行き、話を聞く。それでいいか?』
『うん、それでいいよ』
メッセージを送り、スマートフォンを机の上に置く。今は何も考えたくない。
朝は誰にでも平等にやってくる、太陽を憎々しげに睨みつけながら、ベットを捲り起き上がる。
洗面所で顔を洗い、歯を磨く。朝は慌ただしくて嫌いだ。
ポーチから化粧品を出して、メイクをする。きちんとしないとまた、いじめられる。
朝ご飯は食卓に出ていた。味噌汁と白ご飯、卵と、ソーセージとごく一般的な朝ご飯だ。
「花奈。私、もう行くから、戸締りよろしくね」
お母さんは、髪の毛をお団子にまとめて、スーツを着ている、母さんは編集会社に勤めており、その中で営業をしているらしい。見ず知らずの人に営業だなんて、私には絶対に無理だな。
「うん、分かった」
母さんは私の返事を待たずに、出て行った。
忙しいから仕方ないけれど、朝の家族の会話というものをあまりしたことがない。
父は海外出張中で、ここ最近は帰ってきていない。ベンチャー企業で勤めているらしいけど、詳しくは知らない。
朝ご飯を食べ終わった私は、食器を流し台に置く。
もう学校に行く時間だ。戸締りをして、スクールバックを背負い、鍵を閉めて家を出る。
家から学校までは十分ほどで着くけど、ギリギリまで寝ていたいのと、あのカースト上位の女子たちと早めに会いたくないので、いつもギリギリだ。
教室の扉を開ける前に深く深呼吸をする。今日も自分を偽るんだ。
扉を開けて、カースト上位の子たちに向かって作り笑いをする。
「花奈っち~! 今日もギリギリだね~!」
花奈っちは私のあだ名だ。あだ名で呼んだ方が仲良くなれるでしょ? とリーダー格の子は言っていた。断るとまたいじめられので、愛想笑いをして頷いた。
「ごめん、ごめん、ちょっとギリギリまで寝ててさ~」
リーダー格の子の馬鹿っぽい喋り方を真似する。
「ちょっと〜、授業中まで眠らないでよ~!」
「眠らないよ~!」
自分の席に座ると同時に担任の先生が教室に入ってくる。朝の予鈴のチャイムが鳴る。
「さ、朝礼を始めるぞ」
みんなにとっては当たり前の一日。でも私にとっては、生きづらい一日の始まりを告げるチャイムで憂鬱になる。
だけど、今日はいつもよりも頑張らなければ、放課後、お姉ちゃんを殺した教師を会う予定なのだから。
3
放課後、彼女たちの誘いをやんわりと断り、保健室の前で春くんを待つ。
壁に寄りかかり、ポケット越しにそれの感触を確認する。準備は満タンだ。
「待たせたな」
「ううん、全然」
今の私は、春くんを見ていない。この扉の先にいる保健の先生を見ている。
「じゃあ、中に入るか」
「うん」
春くんが先に保健室の扉に手を掛けて、中に入る。
服装は白衣を着ていて、あの時と違ったけれど、顔を見ただけで分かった。アイツだ。アイツがお姉ちゃんを殺した。
「アンタがお姉ちゃんを殺した!」
私はポケットの中に忍ばせていたカッターナイフを持ち、ソイツに向かって、突進する。
あと数センチのところで、刃は喉元に刺さる。春くんがそれを止めている。余計なことをして。心の中で舌打ちをする。
「貴方、石村さんの妹さんね?」
人殺しが口を開く。喋るな、今殺してやる。
「だったら? お姉ちゃんと同じように殺すの?」
「殺す? 何を言ってるの?」
「とぼけるな! 殺してやる!」
「石村、いいから止めるんだ! こんなことして何になるんだ!」
春くんがカッターナイフを持ちながら、全力で私を止めている。私の心は冷え切っている。コイツを殺すのは確定なんだ。
「コイツを殺して、私も死ぬ」
「貴方、誤解してる。お姉さんは生きているわ」
その一言で、私は息が止まりそうになる。
「じゃあ、なんで魔女の家に私とお姉ちゃんの写真があったんだ! あれは高校に入る前におお姉ちゃんと撮ったもので、大切なもの! それが、なんで!」
感情が溢れ出る。噓だ、噓だ。心を保とうとするが、ジェンガのように崩れ落ちる。
「魔女の家……? ああ、あそこのことね。私はただ頼まれただけよ。あの場所に週二~三ほど食材の調達をして欲しいって。貴方のお姉さんに頼まれたの」
「生きてる……? お姉ちゃんが生きてるの?」
安堵と、お姉ちゃんを信じれなった罪悪感でごちゃまぜな感情が頭を駆け巡り、持っていたカッターナイフが手からこぼれ落ちる。春くんが寸前のところで止める。
「じゃあ、なんでお姉ちゃんは私に連絡をくれなかったの……? せめて生きてるって無事だってことくらい知りたかった」
その場に座り込む。お姉ちゃんが生きていてくれて、嬉しい。だけど、やっぱりお姉ちゃんは、私を捨てたのかな。お姉ちゃんと会って話がしたい。
「それは私には分からない。ごめんなさい。私はただ頼まれただけで、それ以上のことは聞いていないの」
「どうやったら、お姉ちゃんに会えるの? 私、お姉ちゃんに会いたいよ……」
「ごめんなさい。いつも指示はメールだけで、食材は指定の場所に置いてとだけしか書かれていないの。よっぽど外部との接触を拒絶しているみたいね」
先生は申し訳なさそうに頭を下げる。何から拒絶しているのだろうか、世界かそれとも私からなのか。
「じゃあ、先生はお姉ちゃんに会ったことがないの?」
「ううん、一度だけあるわ。食材を届ける際に、いつもの場所が異なる場所だったことが一度だけあったの。それで君たちの言う、魔女の家でお姉さんと会ったわ。だからさっき言えたの。生きてるって確信を持って」
「何を、話したの?」
喉が渇く。続きを聞くのが怖い。お姉ちゃんが私のことを嫌っていたら、立ち直れない。
「他愛のない雑談とか。あとは妹さんのことを聞かれた。彼女、君のことすごく心配してた。だから、私は言ったの戻ってきたら? って」
「そしたら、なんて?」
声が震えていた。怖い、怖い。ギュッと奥歯を噛みしめ、目を閉じ祈る。
「自分にはやるべきことがあるから、まだ会えないって。全てを終えたら必ず会いにいくって言ってたよ」
「そっか。お姉ちゃん。私を見捨てたわけじゃないんだ。よかった」
本当に良かった。緊張の糸が切れ、両手をだらんと床に下ろすが、すぐに拳を握りしめる。
私を見捨てたんじゃないのなら、何か理由があって、魔女の家にいるはずなんだ。それを突き止めて、一緒に家に帰って「ただいま」って言うんだ。
「でも、それなら尚更のことお姉ちゃんに会わないと。なんとかして会う方法はないんですか?」
「私は分からないけれど、分かる人なら紹介できるかも」
「本当ですか?」
先生の言葉に飛び起きる。先生は一瞬、面食らった表情をするが、すぐに柔和な笑みを浮かべる。
「ええ、不動産屋さんなんだけど。家の見取り図を見せてもらえば分かるかもしれない」
「不動産屋か…………」
春くんが呟く。私たち学生には縁のない言葉だ。
先生はキャビネット棚からファイルを取り出して、その中から一枚の紙を渡してくれた。
不動産屋の名前と、あの魔女の家の名称が書かれていた。あとは小難しい文章が並べ替えていた。頭が痛くなる。春くんが隣に来て、書類を盗み見る。
「聞いたことない名前だ。石村は知ってる?」
首を横に振る。
「とりあえず、今回の件、オープンチャット内で報告するぞ? いいな?」
この書類に、お姉ちゃんを助ける鍵になるんだ。目を逸らしてはいけない。じっと書類を見つめながら、春くんの返答に応える。
じっくり書類を読んでいると、スマートフォンが震える。うるさいな。画面を見ると、オープンチャットからの通知だった。ロックを解除し、チャット欄を見る。
上野さんが働いているところが、不動産業をしているらしく、ここの物件について詳しく知れるかもしれない。光が繋がっていく気がした。
私は迷わず、オープンチャット内で行きますと送信した。
待っていて、お姉ちゃん。
春くんのへんてこりんなスタンプに『可愛くないよ』とレスをして、スマートフォンを閉じる。彼は気付いていないと思っているけど、口角が不自然に上がっていた、
笑うのだけは昔から苦手だったね春くんは。
4
先週、保健室であの資料を見つけてからオープンチャット内でみんなの予定が合う日を決めた。それが今日、土曜日だ。
不動産屋には上野さんが社用車で送ってくれるようだ。私たちを連れて行くのを上の人に説明したところ、ひと悶着あったらしい。目的の上野さんの会社までは、各自現地集合となっている。
まだ初夏だというのに、ジメジメとし暑さで目的の場所へと行く足を遅らせる。照りつける陽射しもきつい。日焼け止めクリーム塗ってくればよかった。
ジーンズズボンのポケットから、ハンカチを取り出し、額の汗を拭くが拭いても、数分後にはまた汗が鼻先まで落ちてくる。
見栄えは悪いが、額にハンカチを押し付けたまま上野さんの会社へと向かう。
十字路の交差点を右折し、細い路地を抜けた先に上野さんの会社。津島商事があった。二階建てで何の変哲もない会社に見える。
インターネットで調べたところ、多岐に渡って色々な事業をしているようだ。上野さんのいる支部は小さく、事務所のソファーには穴が開き、掃除機は変な匂いがするといってぼやいていた。
勝手なイメージだけど、オフ会で会うまで上野さんのことは仕事がバリバリでき、サラリーマンといったイメージだった。
実際会ってみると、ずいぶんと気さくで、私たちが気付かないことにも気づく人だと感じた。
オープンチャット内で愚痴を言ったのは、最初の頃のイメージからはそぐわなかったけれど、他人のイメージは、その人がこうであって欲しいという願望だ。私は無意識のうちに上野さんに偏見を持っていた。多分、それはみんな持っているもので、恥ずべきことじゃない。それを気付けた時点で凄いことなんだ。
上野さんもあのオフ会で何か気付いたんだ。
そう思ったのは、津島商事の前で、朗らかな笑顔で手を振っていたからだ。
春くんと光さんは既に会社の前で待っていた。
「待ってたよ! 車、すぐに出すから待っていて!」
オフ会での服装とは違い、今日はかっちりとしたスーツ姿だ。仕事着だから当たり前といえば当たり前なのだが、光さんと春くんもオフィスカジュアルの服装を着ていた。
上野さんが裏から白のスズキの車を出して、会社の前で停停車する。
車内はクーラーがガンガンに効いていた。
「あ〜、生き返る~」
「あはは、今年の夏は特に暑いらしいから、みんな水分補給をしっかりね」
上野さんはバックミラーでみんなが乗ったのを確認してから、ドアをロックする。
助手席には光さん、後ろの座席には私と春くんが座る。
「それ、ニュースで毎年言ってる気がします」
春くんは眉を寄せて、言う。
「そのうち地球温暖化で世界は異常気象で滅びるんだよ」
「え、そうなんですか?」
「いや、噓だよ」
噓なのか。真面目なトーンで喋っていたので、ニュースで何か報道されていたのかと思った。
「まあ、噓だけどさ。でも、俺たちが生きてる間に何が起こるかは誰しも分からないじゃない? だから、後悔しないように生きなきゃなって思うよ」
「それは確かに、そうですね」
「だから、俺は会社を辞めるよ」
「へ?」
「会社を辞めて、何をするの?」
私と春くんは上野さんの「だから」の意味を考えていたが、光さんは迷うことなく聞いた。
「俺は夢があったんです。でも、自分にはなれないと思って、諦めていました。でも、諦めるには、まだ早いかなと思ったんです。だから、イラストレーターになる、そう決めました」
「そっか。君の夢の第一歩の背中を押すことができて、よかった」
「ユメユメ、貴方のおかげです。貴方が夢と希望を与えてくれたんです」
ハンドルを握っていて、上野さんの表情を見えなかったけれど、初めて会った時よりも声が跳ねていた。この先の未来が楽しみで仕方がないといった声だ。
「うん、私はみんなに、ううん貴方に夢と希望を与えるから」
一瞬、光さんとバックミラー越しに目が合った。ううん、きっと気のせいだ。私に夢はない。お姉ちゃんと会って話すことは希望だけれど、お姉ちゃんが家に帰れば、それは当たり前の日常になる。
希望は、願いと同じで持ち続けてこそ意味がある。春くんにも、きっとそれがあるのだろう。
私には、なんにもない。
頬杖をつきながら、外の景色を眺める。トンネルの中に入り、ガラス窓に私と春くんが反射して映る。春くんは何か言いたげだったが、諦めて、私と同じように外の景色を眺める。
不動産屋ホームルームと書かれた看板の横を通り過ぎ、そこの駐車場に到着し、上野さんは綺麗に止めた。
「みんな、着いたよ。すぐそこだけど、外暑いから気を付けて」
春くんと私は同時に頷く。
上野さんと光さんは、それを見て微笑む。
何かとてつもない勘違いをされて気がするので、早めに訂正しようとしたが、二人は早々と不動産屋の中に入っていく。私たちも付いていく。
中は車内よりも冷房が効いていて、肌寒く感じた。
上野さんは、四人が座れる大きなソファーに座り、スーツ姿の眼鏡を掛けた男性と話をしていた。
光さんは、上野さんの隣に座り、その隣に私と春くんが座った。
「上野さん、この子たちが例の?」
「ああ、そうだ。だからあの物件を見せてくれ」
「分かりました。少々お待ちください」
男性は奥にある鍵のかかったキャビネット棚から、A4ファイルに入った書面をテーブルの上に置いた。
「えっと、確かこれですね」
ファイルの中から、魔女の家の間取り図を取り出して私たちに見せてきた。
「みなさんは、この間取り図が見たかったってことでいいんですよね?」
「そうだ、それと、この家のことを詳しく聞きたい」
「詳しく……担当者はもう辞めちゃって連絡は取れないんですけど、引き継ぎで教えてもらった程度なんですけど、それでもいいですか?」
男性はジャケットの胸ポケットからミニリングノートを広げて、中を見る。
「ああ、構わない。みんなもそれでいいよね?」
上野さんが私たちの方を向く。私と春くんは頷く。光さんはよく通る声で「うん!」と言った。
「じゃあ、話します。この間取り図を見て欲しいんですけど、地下室があるんです」
二枚目の間取り図を取り出した。地下室の間取り図だ。階段を降りた先にトイレとシャワー室があり、もう一つの部屋は仕切りがある。ここでお姉ちゃんは衣食住を過ごしているのだろうか。でも、何の目的があって?
「この家自体は昔からあの場所に元々あった家なんですけど、地下室はわざわざ特注で作らせたものらしいんです。その地下室はどれだけ叫んでも泣いても、外には声が聞こえない完全防音にして欲しいって」
「何のために?」
「僕もそれが不思議だったので、前の担当者が聞いたんです。事件性があったら困るとか何とかで、で返ってきた答えが、バーチャルユーチューバーの配信で使うからということでした」
刹那、バラバラだったピースが組み合わさる。お姉ちゃんは光さんと同じバーチャルユーチューバーだったんだ。
「配信? 確かにそう言ったのか?」
上野さんも私と同じことを思ったのだろう。立ち上がって、男性に詰め寄る。
「ええ、衝撃的だったので一言一句覚えてます。間違いないです」
男性は少しずれた眼鏡の真ん中に人差し指を押して上げる。
「そうか……分かった」
上野さんは席に座り、私の方を見る。
「あの家に行きましょう。そこでお姉ちゃんになんで、私の元から去ったのか。全ての謎と解き明かすんです!」
「そうだな、そうしよう」
「うん、私もそうすることが一番良いと思う。私たちの夏の思い出にもなるし──」
光さんは最後まで言い終わる前に、人形のようにその場に倒れ込む。
突然のことで、みんな思考が追い付かず、数秒、時が止まる。
「ユメユメ……?」
最初に声を発したのは狂信的に光さんを信仰している上野さんだった。
私と春くん、男性も止まっていた時間から動き出す。
「光さん?! 大丈夫ですか?」
「駄目だ。反応がない。石村、これ救急車呼んだ方がいいんじゃないか?」
「え、ええ。そうだね」
「僕が呼びますので、お二人は、その方の意識の確認をお願いします」
男性は眼鏡を上げて、電話をするためにその場から去る。上野さんは私たちを導いていた大人の余裕は消え、倒れた光さんを見て、うろたえている。
「どうしたらいいんだ、この場合は何が正解なんだ」
「上野さん、さっきの男性が救急車呼んでくれたから大丈夫ですよ」
「救急車? あ、そうか。そうだ、なんでそれを思いつかなかったんだ俺は」
上野さんは光さんのことになると自分を忘れることはあったが、ここまで取り乱す姿を見るのは初めてだった。
「救急車、あと五分で来ます!」
男性が戻ってきて、私たちに声を掛けてきた。
「ありがとうございます」
「ありがとう、吉見。何てお礼を言えばいいか……」
「今度、飯奢ってくださいよ。それでチャラです」
「すまない……ありがとう……」
上野さんは吉見という男性に何度も頭を下げた。
「石村。俺たちで光さんをソファーに寝かせよう」
「うん、分かった」
春くんは、上野さんに聞こえないトーンで話す。
私は両足、春くんは両腕を持ち、近くにあった低反発クッションに寝かせた。
「なあ、光さんの親御さんの連絡先とか知ってるか?」
「ごめん、知らない」
「いや、謝ることじゃない。俺も知らないし。かくなるうえは」
春くんは光さんのポケットからスマートフォンを取り出す。
「ちょ、ちょっと! 何してるの!?」
「仕方ないだろ、俺だってこんなことしたくはないけど、誰も光さんの連絡先を知らないんだ。これで連絡するしかないだろ」
「あ、そういうことね……」
「むしろ、どういうことだと思ったんだ。俺がいつだって考えがあって行動してるぞ、あの時だって──」
そこまで言いかけて春くんは止める。なんで、そんなに辛そうな顔をしてるの。
「悪い、そういうことじゃないんだ。ごめん、なんでもない。忘れてくれ」
「忘れられるわけないよ。私のせいで春くんは、学校に来られなくなった。私が自分勝手なせいで」
「なんで、そうなるんだよ! 全部俺が悪いんだ! それで、この話は終わりなんだ」」
春くんは全て一人で抱え込もうとしている。それは駄目だ。過去に私が春くんに救われたように今度は私は春くんを助けるんだ。
「春くん、逃げないで。ちゃんと話そうよ」
「逃げてなんかいない。だいたい、いつだってそうだ、花奈ちゃんは──」
春くんは眉をしかめて、口を閉じる。今、少し春くんのポケットに触れられた気がする。
花奈ちゃん。昔、私と遊ぶ時、そう呼んでくれた。高校に入ってから苗字で呼ばれて、他人行儀で少し嫌だったけれど、そうすることで私から距離を置いていたんだ。
救急車のサイレンが聞こえる。思考を中断し、目の前にいる光さんに意識を集中する。
「続きはまた今度、ちゃんと話そう」
春くんの耳元で囁く。
付き添いとして私たちは車内に入る。担架に乗せられて、運ばれる様子はあまりに現実感がなく何かのドラマのワンシーンのように思えた。
私たちは、お互い何も喋らず、横になって目を覚まさない光さんを見つめていた。
5
病院に到着し、光さんはオペ室へ緊急搬送された。
医療用ゴーグルとマスク、紺色の手術着姿の男性が座って、待っている私たちに声を掛ける。
「ご家族の方はいらっしゃいますか?」
「今、ここに向かっているそうです」
光さんのスマートフォンを使って、光さんの親御さんと連絡をしていた春くんが医師に伝える。医師は頷く。
「分かりました。手術は成功し。危険な状態からは脱しましたが、予断を許さない状況です。今日と明日、様子を見て何事もなければ退院できるでしょう」
「光さんは、そんなに悪いんですか?」
「今の状況では何とも言えませんが、症状としましては──」
医師が症状について説明しようとした時、背後から走ってくる音が院内に響き渡る。
「先生! 光は、光は無事なんですか?」
黒のスーツに、丸眼鏡を掛けた五十代くらいの男性が医師の肩を揺らす。
「落ち着いてください。ご家族の方ですね」
医師は私たちを一瞥する。家族間だけでのプライベートな話なのだろう。ここにいるのは得策じゃない。
春くんと目配せをし、椅子に座ったまま項垂れている上野さんを引き擦って、待合室で座る。
「さて、これからどうしたものやら」
「春くんはどうしたいの?」
「俺? 俺は……光さんの傍にいてあげるべきだと思う。ここまで俺たちを導いてくれたのは彼女なんだから」
「そうだ……ユメユメが俺たちを導いてくれたんだ。そんな彼女が死ぬわけがないんだ!」
ずっと項垂れていた上野さんが突如立ち上がって、声を上げる。
「俺にとってユメユメは全てなんだ。君たちには分からないだろう。生活全てを捧げてきた人間の気持ちが! ユメユメがいたから俺は変われたんだ!」
「上野さんが変われたのは、それは自分自身が変わりたいと思ったからなんだと思います」
「ありがとう三枝くん。それでも入口はユメユメなんだ。ユメユメを消すなんてできない。俺はここでユメユメが目を覚ますのを待つよ」
上野さんは無理に笑う。春くんもそれに頷く。でも私だけは、違う。
「ねぇ、みんな。魔女の家に行こう」
「なあ、今の状況を見てもそう言えるのか?」
春くんは呆れたように、ため息を吐いた。
「光さんが今、大変な状況だっていうのは分かる」
「だったら!」
「でも、だからこそなんだよ。魔女の家に行って謎を解く。それが光さんの望みであり、私たちの望みなんだよ」
上野さんは腕を組み、瞑目する。
「石村がそこまで言うなら、付いていくよ。一人だと心配だし」
春くんは眉までかかった髪をかき上げる。私は胸ポケットに刺さっていたヘアピンを渡す。
「ありがとう」とお礼を言い、髪を右に寄せる。黒く真っ直ぐな瞳が見える。
「うん、こっちの方がいいよ」
上野さんは目をゆっくりと開ける。
「ユメユメの望みか………思えば、俺は彼女から与えられるばかりだった。だから、その謎をユメユメに話すのは俺でありたいな」
「うん、光さんへの愛がこの中で一番あるのは上野さんだと思いますし、それが一番だと思います」
「ありがとう。さっきは取り乱してすまない。俺はユメユメに救われたし、ユメユメを狂信的に信仰しているけれど、ユメユメに恋しているとかじゃないんだ。俺にとってユメユメは神様なんだ」
「神様……確かに。オフ会一回目の時から上野さんだけ熱意が違うかったですもんね」
「あー、確かに。それは思った。上野さんだけ何か違う雰囲気があるなって思ってたんだよね」
「二人にはそう思われてたんだね……恥ずかしいな」
上野さんは頬を掻く。
「早く行って、早く帰ってこよう」
「ここからあの魔女の家ってなると、一時間三十分はかかりますよ?」
「車なら一時間弱で到着できる」
「でも、それって社用車じゃないんですか?」
「どうせ辞めるし関係ないさ。それに会社よりも大切なものがこの世界にはある」
上野さんはポケットから車の鍵を取り出して、人差し指で回す。
光さんにはあの、お父さんがいるから大丈夫。娘のことを心配してすぐに来たのだから家族間の関係は良好なのだろう。
上野さんの社用車は、不動産屋の駐車場に置いてきているので、そこまではタクシーに乗って来た。タクシー代くらいは出すと言ったけれど、上野さんは断固として、私たちに財布を出させなかった。
カーナビで魔女の家を打ち込み、走り出す。まさか、また魔女の家に行くことになるなんて思わなかった。車は高速道路に入る。
ボタンを押して、窓を下げる。近くにあった田んぼの匂いがする。
「俺はもう逃げないからな」
隣で春くんが呟く。
春くんの方を向く。私と同じように窓を開けて、その景色を眺めている。
6
魔女の家の近くに車を止める。前は歩いて魔女の家に向かっていったけれど、今回は山道を無理矢理獣道を走行した。上野さん曰く、この社用車は馬力が凄いとのこと。
「上野さん、先に中に入っていてください。私は春くんと話すことがあるので」
「分かった。先に入っておくよ」
上野さんが魔女の家に入ったのを確認して、口を開く。
「春くん、魔女の家に入る前に貴方にどうしても言いたいことがあるの。この胸のしこりを残したままにはしたくなかったから」
「ああ、俺も逃げないって言ったしな。ちゃんと逃げないで聞くよ」
「ありがとう。私ね。春くんにずっと謝りたかったの。あの時、酷いことを言ってしまって、本当にごめんなさい。自分のことばかりで、春くんのこと何も考えなかった。本当にごめんなさい」
頭を深く下げる。あの頃は私は自分のことしか考えていなかった。春くんの失望された顔が今でも夢に出る。もう、春くんを裏切りたくない。彼の吐息が頭の上から聞こえた。
「頭を上げてくれ。俺も久しぶりにあったのに、ひどいことを言ってごめん」
「ううん、わざとそういうことで、私から距離を取っていたんでしょ? そうすることで、私は貴方と関わらないからいじめられない」
「……やっぱり、気づいてたんだ」
「気が付いたのは、春くんとまたこうやって出会えたからだよ。貴方が何と言おうと、私たちは関わり続けるべきなんだよ。辛くて、苦しくても、もう春くんを知ってしまったから」
だから、知る前にだなんて戻れない。春くんは私と会った時、思ったんだろう。何もかも終わらせて、赤の他人としてお互い生きていくって。
たぶん、光さんがオフ会をやると言ってくれなかったら、高校を卒業したまま私たち関わり合うことはなくなっていたかもしれない。
私は春くんの黒い瞳を真っ直ぐ見る。
「俺も、関わり続けたい。でも、俺と関わると、石村はまたいじめられる。それを見るのが辛い。それに石村は、俺のように腐って欲しくないんだ」
春くんは奥歯を嚙みしめ、強く拳を握りしめる。彼はずっと耐えている。今にも感情が爆発しそうなところを必死で耐えている。
「またいじめられても大丈夫。だってあの人たちは友達なんかじゃなかった。本当の友達は、今目の前にいるんだもの。友達がいる限り、例え地獄に堕ちても大丈夫だよ。だから、お願い、また学校に来て」
「だけど、怖いんだ。そんなことないと頭で理解しても。また石村に裏切られるかもしれないと思うと怖くて。手が震える。俺はいつから、こんな弱くなってしまったのかな」
昔の春くんは目つきは悪くても、社交的で色々な人と話して、私はそんな彼に憧れていた。
「春くんは弱くなんかないよ。言葉を大事にしているだけなんだよ」
「言葉を……?」
私の言葉を反芻する春くん。春くんの瞳は潤んでいた。
「そうさせてしまったのは、私のせい。だからこそ、もう春くんを見捨てないよ」
もう絶対に、一人ぼっちにはさせない。自殺しようとした人を止めて、自分はもう二度とその人と関わらないのは無責任だ。助けたのなら、最期のその時まで面倒を見るべきだ。
でなきゃ安易に助けちゃいけない。助けた人はテレビで表彰され、チヤホヤされる。インタビューで「当然のことをしたまでです」と言う。なら、面倒も見ろよ、と私は思う。
この社会のシステムは弱者に優しくない。どれだけ足掻いても強者に追い越される。
なら、せめて同じ弱者同士は優しくしたい。
「人を信じるのが臆病になったのなら、何度だって私が手を伸ばすから。だから、お願い、学校に来て」
春くんは震える手で、私の伸ばした手を掴んだ。やっと、掴めた。
「ありがとう。花奈ちゃん。明日から学校に行くよ」
「うん! 待ってる!」
春くんは相好を崩す。
私たちは握りしめた腕を離さず、そのままにして見つめ合う。
木に止まっていた蝉が一斉に大合唱をし始めた。
夏は、まだ始まったばかりだ。
7
「もう大丈夫か?」
上野さんは、魔女の家の地下室へと続く扉の前でスマートフォンを弄って待っていた。正確に言えば、本棚に見せかけた扉だ。あの間取り図がなければ、この場所が地下室に繋がっているとは夢にも思わないだろう。
「ええ、もう私たちは大丈夫です。お待たせしました」
「そんなに待ってないよ。ユメユメの過去のアーカイブ見てたりしてたし」
「本当に光さんが好きなんですね」
「ああ、大好きだ」
間髪入れすに答える上野さん。
「ていうか、蝉鳴いてるな。もうそんな時期か」
「これからもっと暑くなるんですね」
「夏は好きだけど、これ以上暑くなるのは勘弁して欲しいな」
上野さんは肩を竦める。
「それは同感ですね」
暑すぎると匂いも気になる。横にいる春くんを見るが、気にしていないようだ。
「準備はいいか?」
扉の奥は階段が下に続いていて、もう一つ扉がある。
「とっくにできているわ」
「ここまで来たんだ。もう逃げるわけにはいかない」
上野さんは頷くと先に進む。階段は急で手すりもなかったので、壁を伝って、階段を降りる。
「気を付けろよ」
「ありがとう、春くんもね」
下の扉は木製の扉で鍵は掛かっていなかった。上野さんは、ゆっくりと押して中に入る。
間取り図にあった通り、トイレとシャワー室がある。その仕切りの先に人の気配がする。
私たちは息を殺して、仕切りを開く。
そこにいたのは、全身黒タイツにモーションキャプチャースーツを着たお姉ちゃんが踊っていた。




