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第四章 優しさの味


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「花奈ちゃん……?」

 歌ってみたの配信準備をしていたら、長年合っていなかった妹が私の前に現れた。

配信の疲れでとうとう幻覚でも見たのかと思い、目を擦ったが、花奈ちゃんが、そこにいた。

「お姉ちゃん? ねぇ、本当にお姉ちゃんなの?」

「……ええ、私よ。久しぶりね花奈」

「なんで、なんで今まで家に帰ってこなかったの! 私、今までずっと死んだと思ってた。生きていて本当によかったけど、連絡くらいして欲しかった!」

 花奈ちゃんは髪を激しく振り乱す。花奈ちゃんの言い分も分かる。私は、帰ってこれるのに、帰らなかった。連絡もできたのに、できなかった。それも全て、光のため。

 花奈ちゃんの後ろで黙って見守っている男性が二人。スーツ姿の男性は見たことがなかったが、もう一人は見覚えはあった。

 三枝春。花奈ちゃんと仲良くしてくれていた子だ。花奈ちゃんを見捨てずに、ずっと見守ってくれていたんだ。心の中で三枝くんに感謝する。

「ごめんなさい。言い訳のしようがないわ。でも、私はここで配信をするしかなかったの」

「分かってる。お姉ちゃんはユメユメみたいな配信者なんだよね」

「もしかして、光から聞いてない? 私は身体が弱い光の代わりに、身体を使った配信とかをしているの。声は光の声を前撮りしているのを使っているわ」

「え、じゃあお姉ちゃんはなんで、そんなことをしてるの?」

「少し、昔話をしようか」

 そういって折り畳み式の椅子を三脚を押入れから出して、みんなを座らせる。

私もモーションキャプチャーを外して、机の上に置く。

「私と光は同じ事務所に所属していたんだ。たぶん、事務所に入っていたことを話すのは初めてだよね」

「うん、全然知らなかった」

 花奈ちゃんは悲しそうな顔をする。

「そんな顔しないで。話していなかった私が悪いんだから」

 花奈ちゃんの右頬にそっと手を置いて、微笑む。

「私が全部悪いの。ごめんね」

「そんなことないよ! 私がお姉ちゃんの死んだと思わず探していれば……」

「なってしまったものは仕方がないよ。それよりさ、聞いて。私と光の馴れ初めを」

 花奈ちゃんは頷いた。後ろの男性と三枝くんも同じように横に頷いてくれた。

「私と光は、同じ夢があった。アイドルになるという夢が。私と光は小学生の頃からの友達で、そのアイドルになるために色々調べた結果、養成所に入るのが必要だということを知ったの」

あの頃は幼いながら、インターネットを使わずに大人たちに聞きに行ったりして、アイドルという偶像の知識を頭の中に入れていた。

「それで、二人で養成所に入るために両親に説得して、養成所に入るところまでは上手く行ってたの」

「ってことは、私のお母さんとお父さんも知ってたってこと?」

 花奈ちゃんはまた、悲しそうな表情をする。これ以上彼女を心を悲しませることはしたくなかった。でも、ここまで会わなかった私の責任。だから、どれだけ辛くても、もう逃げない。

「うん、ごめんね。二人とも知ってた。だけど黙っていてもらったんだ。恥ずかしかったっていうのもあったけれど、一番を言えば花奈ちゃんもアイドルになりたいって言っただろうと思ったから」

「なんで! 私も同じアイドルになってもいいじゃない! 私もお姉ちゃんと同じように夢を追いかけたかった!」

「ごめんね。でも仕方がなかったの。養成所に入るにはお金が掛かる。知っての通り私たちの家計は裕福とは言えなかった。それでも花奈ちゃんが知れば、アルバイトをしながらお金を稼ごうとするでしょう。そんな苦労はかけたくなかった。花奈ちゃんには何も知らずに生きていて欲しかったの。芸能界の辛さも、お金を稼ぐ大変さも。知らずに生きていて欲しかった。だから、両親に話さないでと言ったの」

 私にとって花奈ちゃんは護るべき対象で、汚しちゃいけない妹だった。

「だけど、ここまで来たってことは貴方の決意は固いってことなんでしょうね」

「うん、お姉ちゃんが私から去った理由を聞きたくてここまで来たから。それに私は、もう守られるだけの存在なんかじゃない」

 たぶん、私はどこかで間違えたのだ。一人で抱え込まずに花奈ちゃんに話していれば、ここまで苦労することはなかったのだろう。

 彼女の言う通り、もう守られるだけの存在なんかじゃない。

「花奈ちゃんも変わったんだね……私と光はアイドル事務所に入ることに成功した。これが夢の第一歩だと思った矢先、光が倒れたの」

「ユメユメが?」

 後ろで聞いていた男性が立ち上がる。

「あ、声を出してしまってすいません。俺は……ユメユメのファンです」

 ファンという言葉で思い出した。サラリーマンの人が凄く私のファンで! と話していたっけ。

「そっか。貴方が上野さんだね。光から聞いてるよ」

「そんな、恐れ多いです」

 上野くんは顔の前で手を大仰に振る。

「俺の話よりもユメユメの話を聞かせてください」

「ああ、うん。そうだったね。光は昔から身体が弱かったの。アイドルになるために激しめのレッスンをして無理を続けていたんだけど、あの時、倒れて、光は末期の癌で余命二年と宣告されたの」

「余命……?」

 上野くんはその言葉を聞いて、その場に立ち尽くす。花奈ちゃんと三枝くんも目を見開いたまま、喋ることができない。当然だろう。私だって、当時声が出なかった。悲しくて、辛かったのに、感情が追い付かなかった。

「光はそれを聞いて、じゃあ事務所を辞める! って言って辞めたわ。あれほどまでに夢だったアイドルを何故辞めることにしたのか、聞いたわ」

「そしたら……?」

 上野くんは唇が震えたまま尋ねる。

「『私の最終目標は誰かに夢と希望を与える人になることで、アイドルは通過店でしかないんだ。配信ってプラットフォームを使って、誰かに夢と希望を与えたい。でも一人じゃ、難しい。だから、佳奈ちゃんさえよければ手伝って欲しい』と彼女はそう言っていたわ」

「じゃあ、お姉ちゃんが家に帰らなかった理由って、光さんのために活動してたってこと?」

「ええ、声だけの雑談配信とかは光だけで担当することが多かった。最初の頃は自分でも動いていたけれど、途中から身体が自由に動かなくなって、ほとんど私が代わりをするようになっていったわ」

「病気はよくならなかったの?」

「うん、残念ながら。光がこのまま死を待ち続けるだけなのは嫌だった。この現実に抗って、生きた証をこのデジタルの海に残したい、その一心で私は、私たちは、”夢野笑夢”を創ったの」

 光は癌になるべき存在じゃなかった。初めて、古藤野光という存在に出会った時、彼女は輝いて見えた。アイドルという存在を知ってから、光はアイドルになるべくして生まれた存在なのだと確信した。

 自分じゃない他人のために、涙を隠してでも、背中を押す。赤の他人から見たら、その行動原理は狂っているのかもしれない。自分のために生きるのが人間のはずなのに、他者のために全てを投げ売ってでも行動する。

 それが偶像。私の追い求める偶像崇拝の究極の形。

「お姉ちゃんは、それでいいの?」

「どういうこと?」

 首を傾げる。上手く伝わらなかったのだろうか。

「だって、お姉ちゃんの夢もアイドルだったんでしょ? 光さんの代わりみたいで満足なの?」

 心臓の鼓動が早くなる。本当は満足なんかしちゃいない。だけど、それを悟らせないように、冷静に話す。

「うん、私は満足だよ。ごめん、そろそろ光と打ち合わせがあるから帰ってくれないかな?」

 このままだとボロが出そうだったから、出て行くように促す。実際、光との打ち合わせはあった。そろそろ次の配信のネタを考えないといけなかった。

「え、聞いていないんですか? ユメユメは倒れて、今病院にいるんですよ」



 タクシーから降りて、私は無我夢中で走った。彼女はまだ死ぬべき存在じゃない。確かに今年で余命宣告されて、ちょうど二年になる。

 でも、駄目だ。まだ死んじゃいけない。光、貴方はもっとたくさんの人に夢と希望を与えるんでしょ。

貴方は私が夢を諦めたと思っているのかもしれない。でも、それは違う。私は貴方を見て生まれ変わったの。貴方とまだ話したいことがたくさんある。だから、まだ死なないで。

 病室までの道のりは、途方もなく長く感じた。最悪のケースも考えたが、頭を振る。

古藤野と書かれた名前を見て、勢いよく扉を開けた。

 光はベッドの上で本を読んでいた。私に気付くと、本を閉じて手を振った。

「佳奈ちゃん!」

「光! 身体の方は大丈夫なの?」

 ベッドの近くにあったパイプ椅子に座る。

「心配かけてごめんね。ここ最近、無理し過ぎちゃった」

 手をブンブンと回す光。近くで見る彼女の表情は笑っていたが、頬はやつれていた。

「薬は飲んでなかったの?」

 光は発作が出た時、お医者さんから貰った頓服を飲んで痛みを和らげている。それを忘れなければ、滅多なことでは意識を失うことはないはず。

「うん、みんなの前で飲みわけにはいかなかったから」

「そっか……まだ、言ってなかったんだね」

「うん、言ったら、この夏の思い出も終わってしまうような、そんな気がして」

 そこで私は初めて、光が弱音を吐いているのを見た。この小さい身体で色々抱えていたはずなのに、私はそれに甘えていた。気付けたはずなのに、見て見ぬ振りをした自分を恥じた。

「そうだね。元々、オフ会は光が企画したものだもんね」

「あの、それについて一つ聞きたいことがあるんですけど」

 上野くんはおずおずと手を挙げる。

「うん、いいよ。何?」

「そのオフ会を企画したのユメユメだって言いましたけど、そもそもなんであの朝の配信で三人しかいないのにオフ会をしようと思ったんですか? 自分のとってのユメユメのイメージは雑談、歌ってみたの配信で、オフ会をするイメージじゃなかったので、驚いたんです」

 上野くんの横にいた花奈ちゃん、三枝くんは無言で頷く。

「それについては私から説明するね。オフ会をする前から、貴方たちのことを知っていたの」

 光はベッドの手すりを持ち、体勢を変えて、上野くんたちを見る。

「配信をする際、コメント欄をよく見るんだけど、その中でもよく見るのが貴方たち三人だった。コメントから貴方たちのアカウントを見て、時間帯的に一人はサラリーマン。もう二人は学生ということが分かったの」

「コメントからそこまで絞り込めるんですね」

「うん、凄いよね。で、一つのアカウントに見覚えがあった。花奈ちゃんがよくSNSで使う名前だった。最初は半信半疑だったけれど、コメントとアカウントのアイコンを見て花奈ちゃんだと確信した。そこで私はとある計画を実行しようと決めたの」

 光は息を整える。私は彼女の背中を摩る。

「待ってください。花奈ちゃ……石村とお姉さんは分かりますけど、光さんと、石村って知り合いなんですか?」

「あ、うんそうだね。そこから話すね。花奈ちゃんは覚えてないかもしれないけど、中学生の時、同じクラスだったんだよ。花奈ちゃんは特別目立った子じゃなかったけれど、病気で休みがちだった私に親切にしてくれたの」

 過去を慈しむような瞳をする光。花奈ちゃんは瞬きを何度もしている。

「もしかして、あの時の子が光ちゃんなの……?」

「うん、そうだよ。遊んだりすることはなかったし、学校の中だけで私たちの関係は完結していたから覚えていないのも無理はないよ」

 光は苦笑した。

「私は友達がいなかったから。優しく接してくれたのが嬉しかったの。それで覚えていたの。重くてごめんね」

「ううん、重くなんかないよ。むしろ、そこまで思ってもらえて嬉しいよ」

「そう言ってもらえて嬉しい。えっと、どこまで話したっけ」

 光は顎に手を置き、考える仕草をする。計画の話をする前に話が少し脱線してしまった。光の耳元で小声で話す。

「計画のことだよ」

「ああ、うん。そうだった。計画! それを実行しようとして、佳奈ちゃんに手伝ってもらったの」

 光は思い出したかのように手を叩く。光は自分では分かっていないのかもしれないが、薬を飲んでから物忘れがしやすくなっている。少し、考えれば思い出すはずが、一つのことに集中すると過去のことを忘れてしまいがちだ。

 だから、私は光のタスク管理をメモ帳に書いて、時間になると光のスマートフォンに送っていた。

「私は花奈ちゃんと同じ高校に入った。そこで彼女がいじめられていることを知った。貴方のこともね三枝くん」

 光は冷たい瞳で三枝くんを射る。

「それは──」

 途端に暗い表情をする三枝くん。

「なんてね。噓、噓。あれが春くんにとっての最善だったのは知ってるよ。意地悪をしてごめんね。私は花奈ちゃんと春くんの関係を修復したかった」

「それで、オフ会を計画したの?」

「うん、そうだよ。計画を実行に移そうとした時にはもう一つのアカウントが春くんだということも大体掴んでいた。最後の一人だけは分からなかったけどね」

 上野くんを一瞥する光。

「三人全員が見ている時間帯が朝の時間帯だけだったの。だから、その時間帯にオフ会をしようと提案した」

「誘いに乗らないとは思わなかったの?」

 三枝くんは首を傾げる。

「その可能性もあったけど、花奈ちゃんにまた笑って欲しかったから、立ち止まってなんかいられなかったよ。それに、私自身この夏が最期の思い出作りだと思ったから楽しみたかったの」

「最期だなんて、そんな!」

 自然と唇から言葉が出た。嫌だ、死んじゃ嫌だ。

「ごめんね。でも、分かるの。自分の身体のことは自分がよく分かっているから」

 光は慈愛に満ちた眼差しを私に向ける。自分の死を覚悟して、準備はできている、そんな瞳だった。

「そんな、何か方法はないんですか!?」

 上野くんが叫ぶ。

「ううん、それは絶対にない。残念だけど。希望を持たせるようなことはさせたくないの」

「持たせてくれよ! 夢と希望を与えるのが夢野笑夢なんだろ!」

 上野くんは両手を握りしめて、感情を吐露する。

「そうね。その夢野笑夢を貴方に託したい」

 光は花奈ちゃんを指差した。

「わ、私……? お姉ちゃんじゃなくて?」

「佳奈ちゃんじゃなく、貴方にして欲しいの」

 真っ直ぐな眼差しを花奈ちゃんに向ける光。

「でも、私、配信とかしたことないし……」

 花奈ちゃんは右手の人差し指と左手の人差し指を合わせて不安げな表情を浮かべる。

「大丈夫! 佳奈ちゃんが全部教えてくれるよ」

「私なのね……まあ、教えられるところは教えるつもりだけど」

「佳奈ちゃんなら、そういうと思っていたよ」

 全部、光の掌の上なのではないかという気がして、顔をしかめた。

「ここに秘伝のメモがあるから、もし配信で困ったら見て」

 光はポケットから四つ折りになった羊皮紙を取り出す。花奈ちゃんはそれを受け取る。

「不安かもしれないけど、貴方なら大丈夫」

 光は花奈ちゃんに次を託した。でも光だって不安なはずだ。死ぬことを覚悟できている人間なんていない。そんなのは噓つきだ。私は光に何か言うべきだと思った。何か心に残る言葉を、感動的な言葉を言うべきだと。

だけど、何も出てこなかった。私は、まだ、この現実を認められない。

大丈夫、光のことだ。すぐに良くなって退院するはずだ。

「また来るね」

 そういって、病室をあとにした。言いたいことは、また考えてから言えばいい。

光には何度だって会いに行けるのだから。

その二日後。電話で光の訃報を聞いた。




 私は、昔から身体が弱かった。体育の授業、水泳の授業はいつも見学だった。

みんなと同じように毎日を過ごしたいだけなのに、そんな簡単なことがどうして難しいのだろう。

 悔しくて辛くて、自分自身の身体を呪ったこともあった。両親に当たったこともあった。

 でも、今は産んでくれて感謝してるよ、ありがとう。

人生に絶望していた小学生の時、私はテレビの中でアイドルたちを見て、魅了された。

 そのアイドルグループ名は「レグルス」ドームライブを即完売されるほどの売れっ子アイドルグループだ。

見ている人、全て笑顔にして、希望を与える。神様みたいな存在だと思った。

 これになりたい。そう思った時から私の人生は変わった。もう泣きごと一つ言わないようにした。嫌いな食べ物も残さずに食べたし、苦手な人とも交流をした。

 私の夢、いや目標は「レグルス」のようなアイドルになること。

目の前に壁があっても、それを超えていく。絶対に諦めない。

 人類全てに好かれる最強の無敵のアイドルになるんだと意気込んでいた。

 だけど、病魔は着実に私の身体を蝕んでいた。

それに気づいたのは養成所で佳奈ちゃんと出会ってからだ。

 養成所に行きたいというと、両親は嫌な顔一つもせずにお金を出してくれた。

養成所で佳奈ちゃんと会った時の第一印象は、凄くストイックな子だった。

 誰よりも早く来て、姿見の前で踊っていた。みんなが帰ったあとでも、一人残って汗だくになりながらも踊っていた。

「どうして、そんなに練習してるの?」

 一度だけそう聞いたことがある。

「私には才能がないから、ただひたすらに努力するしかないんだ。でも貴方ならなれるよアイドルに」

 佳奈ちゃんは柔和な笑みを浮かべた。私はその言葉で、背中を押された。佳奈ちゃんには言えてないけれど、彼女には才能があったんだと思う。本人はそれに気づいていないけれど。

それから私たちは仲良くなった。

 驚くべきことに佳奈ちゃんも私と同じように「レグルス」を見て、アイドルになろうと決意したのだという。

 佳奈ちゃん曰く、「レグルス」の曲は頑張れ! って感じの曲調じゃなく、自分の隣に座って立ち上がるまで待ってくれる、そんな曲だから好きになった、アイドルに憧れたと言っていた。

 私も佳奈ちゃんと同じように朝一に来て、一緒に踊った。二人でカラオケに行って、「レグルス」の曲を歌った。本当に楽しかった。

 学生生活はずっと検査ばかりで、友達がいなかった。あ、でも私に優しく接してくれた子はいたっけ。

確か、花奈って名前だった。

青春っていうものに焦がれていた。だけど、私には手に入らないものだと思っていた。

 人並みの幸せは絶対に手に入らない。

なら、誰にも手に入れられないような特大の幸せをもらって、それをたくさんの人に分け与えたい。そう考えていた。

 なのに佳奈ちゃんと二人で練習をしてると、それだけで満たされて幸せな気持ちになった。

いいのかな、このまま幸せになってもいいのかな。ずっと渇いていた心が潤ったと思えた時、私の身体は意識を失った。

 病室で目が覚めた。検査で慣れているとはいえ、不安に変わりない。隣にはパイプ椅子で座ったまま眠っている佳奈ちゃんがいた。目は真っ赤に晴れていた。母さんもパイプ椅子に座って眠っていたけど、私が起きたのを気配で感じ取ったのか、身体を起こして目を擦る。

「光?! 大丈夫なの?」

「うん、私なら大丈夫だよ」

 手をブンブンと回す。昔観た洋画で無理をして笑う主人公がよくしていた癖だ。タイトルも内容も思い出せないけれど、その癖だけは身体に染み付いていた。これをすれば、みんな笑ってくれる。誰かの笑顔を見るのは好きだ。楽しい気分になれるから。逆に悲しい顔を見るのは嫌いだ。悲しくて、辛い気持ちになるから。

 母さんは私の様子を見て、安堵のため息を漏らす。

「父さんは?」

「仕事で……でも、すぐに向かってるって言ってたわ」

「そう……」

 父さんは仕事人間だ。私の身体を心配はしてくれるが優先順位はいつも仕事だ。コンサルト会社の社長らしいけれど、詳しくは知らない。

 養成所に行かせてくれたお金を出してくれた。それだけで私的には十分だった。

「んん、光……?」

 母さんとの会話で目が覚めた佳奈ちゃんは、あくびを噛み殺しながら呟く。

「やっほ、佳奈ちゃん」

「よかった! 私、本当に心配したんだから! カラオケルームで突然倒れたからビックリしたよ!」

 そうだった。カラオケルームでいつも通り「レグルス」の曲を歌っていたら、身体が軽くなってそのまま倒れたんだ。

「心配かけてごめんね。たぶん、大丈夫だよ」

「それならいいんだけど……」

 佳奈ちゃんは不安気な表情を浮かべる。

「そろそろお医者さんが来ると思うんだけれど、私呼んでくるわね」

「うん、ありがとう母さん」

 母さんは鞄を置いたまま、病室を出た。

「本当に大丈夫なの?」

 佳奈ちゃんは心配性だ。レッスンでも、どこか足りない。間違っていると自分を疑っている。ほとんど場合、それはなんてことないことだったりするが、ごく稀に間違っていることもあった。そういうこともあって、佳奈ちゃんはドが付くほど心配性だ。

「うん、大丈夫だよ。ただの立ちくらみだから心配ないよ」

 きっと大丈夫だ。そう思っていたけれど、母さんが連れて来たお医者さんの顔は神妙な面持ちだった。

それを察した佳奈ちゃんは「先に帰るね」と言い残し、病室を後にした。

 病室には、私と母さん、お医者さんの三人だけになった。

「いいですか、心して聞いてください」

 母さんとお医者さんはパイプ椅子に座る。お医者さんは肩で息をしている。

「古藤野光さん。貴方は末期のガンで、余命二年となります」

 最悪を想像したが、いつだって最悪は私を超えていく。息をするのも忘れて、先生を見つめる。

「ですが、余命は予測に過ぎません。ガンというのは複雑な病気で、人によって進行状況や性質、治療法が異なります。まずは光さんに合う治療方法────」

 そこからのことはよく覚えていない。化学療法と抗がん剤治療を試す方法などがあると言っていたけれど、頭に入らなかった。

お医者さんが出て行き、母さんと二人きりになった。

 母さんは「大丈夫! きっとよくなるわ! 試せることは全部試しましょう!」と言ってくれた。だけど、私はどれも試す予定はなかった。療法で遅らせても、完治の可能性は低い。

 これから先、苦しい思いをしながら、二年間も過ごしたくない。最期のその時まで笑って生きていたい。

だけど、それを言えば母さんは悲しい顔をする。母さん、父さんは私に生きていて欲しいはずだ。二人の気持ちを考えると、何が正しいのか分からなくなってきた。

 母さんの言葉に黙って頷いた。けっきょく父さんは来なかった。分かってはいたけど、寂しいな。

二日後、身体もよく動くようになって退院できるようになった。

 お医者さんは、何か療法を試した方がいいと何度も言ってきたが、私は帰ってから考えますと答えた。

病院の外では父さんが車を停めて、私たちを待っていた。

「光、大丈夫だったか」

 後部座席に座ると、父さんが声を掛けてきた。父さんは寡黙な人だ、娘の私でさえ会話をするのが苦手だ。表情筋も変わらないので、いつも何を考えているのか分からない。

「倒れたんだよ、大丈夫なわけないじゃない」

 父さんは私なんか見ていない。八つ当たりのように父さんに言葉を吐き捨てた。

「それは………そうだな。すまない」

 中指で眼鏡を上げる父さん。母さんは後部座席に座り、無言で私たちの様子を見ている。

「余命二年だってさ。笑っちゃうよね」

「…………すまない。私は今までお前たちを見てやれていなかった」

「今さら言い訳? そんなの聞きたくない! いいよもう! 私、抗がん剤も化学療法もやらないから!」

 左頬に鋭い痛みが走る。ビンタされたと気付いたのは、数秒後だった。

いつもほんわかとした雰囲気を漂わせている母さんが、目に涙を浮かべて私を睨んでいる。

「そんな馬鹿なこと言わないで! 治療をすれば長く生きれるかもしれないのよ! なんでそんなこと!」

「治療すれば必ず治るなら、私だってそうするよ。でも、そうじゃない。抗がん剤なんて髪の毛が全部抜けちゃうんだよ! そんなの絶対に嫌だ!」

「そんなことの為に………」

「そんなことじゃない! 私にとっては死活問題なの! アイドルにとって髪の毛は何よりも大事なの!」 

 余命宣告をされても、私は私の夢を諦めていなかった。

「そんなに好きなのね、アイドルが」

「私にとってはそれが全てなの、それが生きる意味なの」

 母さんは私の言っている意味が分からないとでもいうように俯いて、そのまま黙っていた。

「光の好きにすればいいと思う」

 父さんの表情は見えなかったけど、いつもより柔らかい声音だった。

「貴方ね、そんなこと言って! 光が大切じゃないの?」

「大切だよ。大切だからこそ光がしたいようにすればいいと思う、光の人生なんだしな。私もできる限り支えるよ」

「ふーん。どうやって?」

 口でならなんとでも言える。父さんの発言に私は一つ、一つを疑っていた。

「昨日、仕事を辞めたんだ」

「何それ、聞いてないわよ! 生活費とかどうするの?!」

「ある程度の貯金はあるし、なんとかなるだろう。最悪アルバイトでもすればいいが、時間は戻って来ないんだ」

 父さんは短く息を吸う。

「光が倒れたって聞いて、私は目が覚めた。今まで仕事を第一にやってきた。それもこれも家族のためだった。でも私はその家族の時間を蔑ろにしていた。本当にすまない」

 父さんは後部座席に顔を向けて、頭を下げる。その表情はいつもの眉間に皺が寄った表情ではなく、頬はこけて憔悴しきった表情だった。父さんのこんな表情を見るのは初めてだったので、戸惑った。何を言えばいいか考えていると、母さんが口を開く。

「………貴方の決意は分かった。私はパート量を増やすわ。抗がん剤受けたくない光の気持ちも分かった。でも、せめて化学療法だけでも試して欲しいの。これは学校に行きながら、通院できる。少しでも、貴方が生きている未来を私たちは生きたいの。だからお願い」

 学校に行きながら、通院できるのは魅力的だった。たぶん、お医者さんが説明してくれていたんだろうけど、あの時は正常な判断ができなかった。

「少し、考えさせて」

 頭の中がぐちゃぐちゃで、とにかく疲れていた。

「うん。分かった。色々あって疲れたよね。家でゆっくり休みましょう」

 母さんがそういうと、父さんも頷いた。車はようやくエンジンを入れ、夏の青空の下を走り出していく。

佳奈ちゃんにも言わないと。いつまでも黙っているわけにはいかない。なんて言葉にするかを考えていたら、いつの間にか目を閉じて眠っていた。

 翌朝。重たい身体を引きずって、ベッドから這い出る。

サンダルを履いて、ベランダに出る。蝉が木に止まって鳴いていた。

『今、電話いい?』

 佳奈ちゃんにメッセージを送る。一分も経たないうちに返ってきた。

『うん、大丈夫だよ』

『じゃあ、掛けるね』

 通話のボタンをタップする。一コール後、佳奈ちゃんが電話に出る。

「もしもし。光? 体調は大丈夫? 今日のレッスンには来られないよね?」

「うん、ごめん。行けない」

 昨日、寝る前に踊ってみたところ、身体に激痛が走った。身体を動かすこと自体が難しいのだろう。

「そっか。でも、戻ってくるんだよね?」

「どうだろ、戻らないかも。っていうか事務所辞めると思う」

「なんで!? 光、あんなにアイドルになりたかったのに」

「アイドルにはなるよ。でもそれは違う方法でなる。私の最終目標は誰かに夢と希望を与える人になることで、アイドルは通過店でしかないんだ。配信ってプラットフォームを使って、誰かに夢と希望を与えたい。でも一人じゃ、難しい。だから、佳奈ちゃんさえよければ手伝って欲しい、いいかな?」

 遠慮がちに聞く。寝る前に考えた穴だらけな計画だけど、佳奈ちゃんが無理だと言えば、一人でやるしかない。

「うん、いいよ」

 佳奈ちゃんは二つ返事で了承してくれた。嬉しかった。

「実は、私、末期のガンでね。余命が二年なんだって」

 明日の天気は雨らしいという何気ない日常会話風に佳奈ちゃんに伝えた。

「…………その二年の間にやりたいことが、その違う方法でアイドルになることなの?」

 佳奈ちゃんの声の震えが電話越しでも伝わる。

「そうだよ」

「…………分かった。私、家から出て、この二年間は光、貴方に捧げるわ」

 私とっての二年と佳奈ちゃんの二年は圧倒的に違う。私は二年で終わるけれど、佳奈ちゃんの人生は続く。

「二年だよ? 長いよ? 本当にいいの?」

「うん、それが私のしたいことだから」

 佳奈ちゃんの声は凛とした声で決意表明をした。私たちは準備を始めた。

まず第一に、違う方法でアイドルになること。今の時代、どこにいても配信ができる。Vチューバーというものがあるのは前々から知っていたので、父さんにお願いをしてモーションキャプチャー用スーツを買って貰った。

 機材も全部買って貰った。私がVチューバーをしたいというと、ただ「分かった」と言ってお金を出してくれた。父さんはあれ以降、家にいて家事、洗濯をしている。不器用ながらも頑張っている後ろ姿を見ると応援したくなる。

 配信をするにあたっての準備はできたけれど、もう一つの準備が場所だった。

家は壁が薄いので、歌ったり踊ったりすると近所の人にバレてしまう可能性があるということだ。

 その問題も父さんが解決してくれた。家から少し遠いけど鎌倉に別荘があるらしい。その家に地下室を特注で作ってもらった。発注など詳しいことは全部、父さんに任せた。

 ここまで父さんに甘えっぱなしだ。私が死んでも父さんと母さんの人生は続くのに、ここまでしてもらって言葉が出ない。

 地下室ができるまでの間。学校に通いつつ、母さんの提案通り、化学療法を試すため通院を何度か繰り返していた。

 これじゃ、中学校の頃と変わらない。もっと青春をしたいな、と思いながら校舎をうろうろしていると、私に親切にしてくれた花奈ちゃんが図書室にいた。

 声を掛けようとしたところ、クラスのカースト上位の女子が図書室に入ってきて、奈ちゃんを連れて行った。バレないように後ろから付いて行く。花奈ちゃんは私の隣のクラスだったみたいだ。

 チャイムが鳴ったので、教室に戻った。

花奈ちゃんのことが気になって、授業に身が入らなかった。

 それから私は教室の外から、佳奈ちゃん観察することが日課になった。

いくつか分かったことがある。花奈ちゃんの苗字は石村で、佳奈ちゃんの妹であるということ。三枝春という男子と仲が良かったけれど、今は疎遠になっているということが分かった。彼は学校に来ていない。

 花奈ちゃんと彼の間には何かがある。助けになってあげたいけれど、私に何ができるのだろうか。

佳奈ちゃんにそのことについて話したが、当人たちの問題だから私たちは口を挟むべきではないと言った。

 確かに私たちは他人だ、それでも何かできることはないのだろうか、頭を捻り出している頃に、地下室ができた。

 Vチューバー名は何をするのか、佳奈ちゃんに聞かれた。当然決まっていた。「夢野笑夢」それが私のもう一つの名前で、アイドルとしての私の名だ。養成所に行っていた頃ノートに自分がアイドルになったら使う芸名をたくさん書いていた。その中で一番しっくり来たのが、「夢野笑夢」という名だ。

 夢野笑夢は絶対に諦めない。夢野笑夢は夢と希望を与えるアイドル。絶対無敵のアイドル。

 それは夢野笑夢のコンセプトだ。

モーションキャプチャー用のスーツを着ると、別人になったような気分になる。

 初配信は緊張したけれど、SNSで宣伝した効果もあり、それなりに人が来た。自己紹介をして。これから何をしていくのかを話して、そのあと少し雑談をして終わった。

 最初の半年間は、学校に通いつつ、地下室で配信をしていた。

 だけど、それも難しくなってきた。予想していたよりも化学療法の副作用で家から出ることが難しくなっていた。痛みがひどい時はお医者さんから処方された薬を飲んでいた。

 幸い、こういうことを想定して半年分の声の収録はしていた。モーションキャプチャーは佳奈ちゃんに任せて、私は療養を続けた。

 一年半続けていたが、ガンの進行は以前のままで変わりない。私の余命もあと少し。

それまでの間にもっと、たくさんの人の背中を押したい。

 配信のアーカイヴを見ていると、いくつか気になる名前を見つけた。「ハナ」「スプリング」「上野公園」

何気なく、三人のアカウント画面に移動する。「ハナ」のアイコンをインターネット検索をかけると、彼女のSNSが見つかった。毎日、その日のことを呟いている。

 メディア欄を見ると、彼女の自撮り写真があった。顔の一部を加工しているけれど間違いない。彼女は「花奈ちゃん」だ。

 もう一方の「スプリング」もインターネット検索をしたら、同じくSNSを見つけた。こちらはゲームのスクショばかりで、特定するのは難しかったけど、一年前の出来事について後悔している呟きを頻繫に見る。「ハナ」のSNSでも一年前について後悔していると何度も呟いている。内容については書かれていないけれど、時期などを鑑みればおそらく「スプリング」が花奈ちゃんと仲が良かった三枝春という男子だろう。

 最後に「上野公園」をインターネット検索した。先ほどの二人と同様にSNSを見つけたが、ほぼ仕事の愚痴ばかりだ。大人って大変なんだ………スクロールして過去の呟きを見ると、そこには可愛くデフォルメされたキャラクターが描かれていた。何のキャラクターかは分からなかったけど、心を掴む絵柄だと思った。

 だけど、彼の呟きでは自分なんて才能のないゴミだと自身を卑下する投稿ばかりをしていた。

この三人を救いたい。そう思った瞬間、ノートとシャープペンシルを机の上に開いて頭の中で描いている「計画」を書き始めた。

 三人が一緒に見ている時間が大切だった。三人のSNSを見つつ、朝の通勤時間に合わせて雑談配信をした。ただし、この配信は三人だけには配信開始の通知を出して、三人しか入れない限定配信にした。それを三人にバレてはいけない。

 時間になり、配信を開始した。三人だけしかいないことに「上野公園」は不安を覚えてコメントしたが、「そういう日もあるよねー」と言うと納得して、それ以上深く追求するコメントはしなかった。

 配信終わりに、ここにいるメンバーでオフ会をする旨を伝えた。

オフ会当日。来る前に薬を飲んできたし、最近は身体の調子が良い。副作用はあるけれど、家から出られないほどじゃない。これも薬のおかげなのかもしれない。

 春くんと花奈ちゃんの口論で気まずい雰囲気になったけれど、二人を観察していると、お互いがお互いを大切にするあまり、突き放した言い方になっている。私が間に入らなくても、この二人ならきっと問題を解決できる。そういう力を持っているとカフェでの口論を見て感じた。

 逆に引っ張って上げた方がいいのは、上野くんだ。彼の精神は疲弊してボロボロだ。そんな彼の背中を押すことで、私は本物のアイドルになれると確信していた。

 彼にはこのオフ会が終わったら、絵を送って欲しいとお願いをした。

なんでイラストが描けることを知っているのか、驚いていたが、オープンチャット欄の詳細で見たと誤魔化した。

 実際に書かれていたのだし、噓じゃない。君のSNSを知っているというとさすがに気味悪がられるだろう。

 このままオフ会が終わるだろうと思っていたら、花奈ちゃんが近くにある魔女の家に行こうと提案してきた。話を聞く限り私たちが配信を行っている別荘宅であることが分かった。

 断ると不自然なので了承したけれど。内心では冷や冷やしていた。

オフ会終わりに、収録をして帰ろうと思ってわざと近くのこの場所に指定したのがよくなかったのかもしれない。

 でも、三人とも地下室のことは知らないので、リビングで手がかりを探していた。間取り図があれば分かるかもしれないけれど。

 人の気配がすると言って、私たちは山を下っていった。今日は先生が来る日だったのをすっきり忘れていた。ということは地下室では佳奈ちゃんが踊ってみた撮っているところだろう。危ないところだった。

 少し疲れたといって、上野くんにおんぶしてもらった。彼の背中は大きく、暖かかった。私にもまだ時間があれば、こうやって好きな人と出会って、付き合って、飲みすぎたーといって笑いながらおんぶしてもらったりしたのだろうか。

 そんな「もしも」を考えて苦笑する。私にはそんな未来はやってこない。悲しいことだけど仕方がない。悲観していても時間は前に進む。なら、前を向いて、歩いた方がいい。

 それに私は、「夢野笑夢」になった時からもう二度と泣かないって決めたから。



 ああ、まずった。みんなといるのがあまりにも心地良いものだから、薬を飲むのを忘れていた。担架に運ばれてながら、私のことを呼ぶ声が聞こえる。ああ、嬉しいな。私は愛されている。私は世界で一番の幸せ者だ。

 目が覚めると病室にいた。隣には父さんがパイプ椅子に膝を組んで眠っている。

ガサゴソ動く音で父さんは目を覚ました。

「んん、光か」

「父さん。来てくれたんだ」

「当たり前だろ。娘が倒れたと聞いて、飛んできた」

 眼鏡のブリッジを人差し指で上げる。

「聞いてって誰から?」

「確か……三枝って名乗っていた」

「そっか、うん」

 彼と初めて出会った時のことを思い出す。ぶっきらぼうだけど、優しさを隠し切れない子。

そっか、彼が父さんに電話をしてくれたんだ。

 倒れた時の記憶はないけれど、花奈ちゃんと春くんは、少しずつだけど元に戻ってきているのだろう。私は二人の元の関係を知らない。これは余計なお世話なのかもしれないけれど、二人の力になりたかった。

例え、それが偽善でも構わない。

「でも、良かった。母さんに続いて、光まで倒れた時は腰が抜けそうになったよ」

「母さんに続いてってどういうこと?」

「母さんは疲労で倒れたんだ。偶然にもこの病院に運ばれた」

「母さんは大丈夫なの?」

「疲労だから大丈夫だよ。今はゆっくり休んでおきなさい」

 父さんはあくびを噛み殺して、立ち上がる。

「どこに行くの?」

「母さんだけに無理をさせてしまったからね。アルバイトだけど警備の仕事を始めたんだ。大丈夫だよ。きっと、光はよくなる」

 父さんのその言葉は自分自身に言い聞かせているようだった。

「父さん…………」

 自分の身体ことは自分がよく分かっている。私はもう長くない。それを父さんに伝えたかったけれど、病室から出て行った。

 父さんは私がよくなることを願っているのかもしれない。だけど父さんだって知っているはずだ。お医者さんから私の身体の状態を聞かれたのだから。

 私は目を覚ました時、お医者さんにもって数日の命だと伝えられた。私はそれを受け入れた。今まで、私は恵まれ過ぎていた。最期に青春っぽいことをできてよかった。

 左の机には父さんが置いてくれた本が置かれていた。紙のブックカバーを取る。タイトルは「星光」と書かれていた。確か、アイドル志望の子がトップアイドルになるまでの物語を書いた小説だ。トップアイドルになるまでの過程が、人間を描いていると絶賛されている。

本屋大賞を取ってメディアで報道されていたので、あらすじだけは知っている。

「ありがとう、父さん」

 父さんは、いつも私を思ってくれていた。なら、最期まで信じさせてあげよう。

最期まで私は「夢野笑夢」でいよう。

 本を読んでいると、病室の扉が開く。佳奈ちゃんが真っ青な表情で飛び込んできた。

後ろには。春くん、花奈ちゃん、上野くんがいた。

 佳奈ちゃんは、私の顔を見ると胸を撫で下ろす。

 佳奈ちゃんとみんながここに来たということは、全部話したということだ。

私は大丈夫だということを伝えた。本当は大丈夫じゃないし、あと数日で私は死ぬ。覚悟はできていたはずなのに、怖い。笑ったはずだけど、ちゃんと笑えているのかな。

 暗い考えは頭から捨て、春くん、上野くん、花奈ちゃんに計画のことを話した。

三人は驚いていたが、納得していた。

自分の身体のことは黙っているつもりだったあが、ポロっと口から出た。

「そんな、何か方法はないんですか!?」

 上野くんは叫んだ。心の叫びだ。この中だと、彼が一番私のファンで、彼が一番、私の本質を理解しているのかもしれない。

「ううん、それは絶対にない。残念だけど。希望を持たせるようなことはさせたくないの」

 だからこそ。ここは突っぱねた言い方をするべきなんだ。私にこれ以上、依存せずに前に進むためにも。

「持たせてくれよ! 夢と希望を与えるのが夢野笑夢なんだろ!」

 痛いところを突かれた。プロ失格だな。私が死んで、「夢野笑夢」も死ぬのは駄目だ、彼女は生き続けなくてはいけない。そう思うと、不意に言葉が出た。言うべきでなかった言葉を。

「そうね。その夢野笑夢を貴方に託したい」

 花奈ちゃんのことを真っ直ぐ見る。

本当は誰にも譲るつもりなんてなかった。

でも、「夢野笑夢」は夢と希望を与えるアイドルなんだ。こんなことで死なない。

「夢野笑夢」は絶対無敵の負けないアイドルなんだ。

 それをできるのは、石村花奈ちゃんだと思った。

佳奈ちゃんと迷った。でも彼女なんだ。自分の弱さを知っている彼女だから、人の背中を押せる。彼女になら「夢野笑夢」を託せる。

「不安かもしれないけど、貴方なら大丈夫」

 不安げな花奈ちゃんに言葉をかけた。佳奈ちゃんは何か言いたげな表情をしていたが、言葉をぐっと飲み込んで、「また来るね」と言って病室から去って行った。

 みんなが出て行ったあと、妙に寂しくなった。普段はこんなことないはずなのに、心がざわつく。ああ、まだ生きたかったな。瞳から雫が落ちる。

 病室の扉が開かれる。佳奈ちゃんたちが戻ってきたのかもしれない。ブラウスの裾で顔を拭いた。

 そこにいたのは、汗だくで走ってきた父さんだった。きっちり決めていたスーツは着崩れていた。

「光、ごめん。ごめん」

 父さんは何度も、何度も謝っていた。

「父さん、仕事はどうしたの?」

「行くのを辞めた。光があと数日の命だというのに、私はその事実から逃げようとしていた。本当にすまない。逃げないと決めていたのに、逃げてしまった。光の死が怖かった、でも、逃げない。最期のその時まで母さんと三人でいよう」

 いつもの仏頂面ではなく、父さんの本当の笑顔を見た。

それから、退院して家に帰った。家には頭に包帯を巻いた母さんと一緒に帰った。

 母さんは「こんなの大袈裟よ」と笑っていたが、もう二度と無理しないでと、釘を刺した。

久しぶりに家族で外食をした。レストランとかではなく、安価なファミレスだ。でも、そこのハンバーグが頬がとろけるくらい美味しい。私はけっきょく、どこまでいっても庶民なんだなと感じた。

 ファミレスの後に家族で温泉に入った。

壺湯の中で肩までゆっくり浸かり、星を眺める。

ああ、幸せだな。

 家に帰り、みんな宛の手紙書き、床に就く。

私は幸せだった。とても良い夢を見れた。父さん、母さん、佳奈ちゃん、上野くん、春くん。ありがとう。

 生まれ変わったら、次は丈夫な身体だといいな。

そう、願いを込めて、私は目を閉じた。


 4


 暗い部屋の中で、布団に包まっている。光が死んで、一週間が経った。

私は連絡をもらってから、外に出られていない。葬式にも出なかった。もしも出て、光のその素顔を見たら、光が死んだという現実に耐えられない。

 部屋の扉が二回叩かれる。母さんかな。外には出なくなったけれど、お腹は空く。朝昼晩は母さんが扉の前にサランラップをしてご飯を置いてくれている。何も聞かず、何も言わず、私がここから出てくるのを辛抱強く待ってくれている。

 ずっとこのままっていうわけにはいけない。でも、今はこのまま何も考えずに布団に包まっていたい。怠惰は決して悪じゃない。

 布団を取って、扉を開ける。そこにご飯はなく、花奈ちゃんが息を潜めて私のことを待っていた。

 私は反射的に扉を閉めようとした。こんな威厳のない姉の姿を見せたくない。だけど、扉は花奈ちゃんの足で止められた。

「中に入れて、お姉ちゃん」

 少し迷ったが、花奈ちゃんは強情だ。私が扉を開けるまで何時間だって居続けるだろう。

私は諦めて扉を開ける。

花奈ちゃんは、暗い雰囲気の部屋に顔をしかめたが口にはしなかった。

「窓、開けるよ? いい?」

 私は頷く。締め切ったカーテンをタッセルで止める花奈ちゃん。

「暑いけど、外の空気も入れなくちゃね」

 生ぬるい風が外から入ってくる。花奈ちゃんはベッドに腰掛ける。

「…………なんで、来なかったの?」

 何が、と言わなくても分かった。光の葬式だ。

「行ったら、それを認めてしまう気がして嫌だった。私の中で光はまだ生きている」

 葬式は昔から嫌いだった。亡くなった人の死を言葉ではなく形にすることで、その人が死んだと子供の頃から分かっていた。死は誰にも来るし、平等だ。

 でも、死を認めざるを得ない。その空間が私には気持ち悪かった。

胃の中からこみ上げてきて、終わる頃には顔が真っ青になっていた。好きだった人、愛していた家族も、認めたくなくても、死という形にされて、みんな日常に戻る。それが怖かった。

 私は光の一番の親友だと思っていたし、今でもそうだ。死んでも変わるわけがない。だけど、みんなは死という形を認めて、日常を過ごしている。

忘れない。私は絶対に光のことを忘れるものか。

「お葬式っていうのは亡くなった人の場所でもあると思うんだよ」

 隣の花奈ちゃんは、穏やかな表情を浮かべている。

「亡くなった人が、お葬式を見て、ああ私死んじゃったのかーって自分自身を認める場所でもあると思うの」

 確かにそれはあるかもしれない。

「信じられないかもしれないけどね、夢で光さんが出てきたんだ」

「光が? 何か言ってた?」

「うん、お姉ちゃんをお願いってそれだけ言って消えちゃった。色々あって疲れていたから見た夢なのかもしれないけれど、私はみんなの中にも光さんは生きていると思うよ。お姉ちゃんが一番光さんの傍にいたんだし、それが認められないのかもしれない。私の言っていることが上手く伝わっているのか、分からないけれど………」

 えへへ苦笑いをして、少しの間黙る花奈ちゃん。自分の中で私に伝わる言葉を頭の中で紡いでいるのだろう。

 花奈ちゃんは大きく息を吸って、吐く。さきほどの真剣な表情で私を見る。

「でもね、私は信じているからお姉ちゃんを。一ヶ月、一年、十年だって待てるよ」

「十年は待ち過ぎじゃない? でも、ありがとう花奈ちゃん」

 花奈ちゃんの言葉に心が暖かくなる。花奈ちゃんは立ち上がり、扉の方まで歩く。

「ううん、違うよ。私は夢野笑夢。みんなに夢と希望を与える偶像なんだよ」

「うん。そっか。頑張れ夢野笑夢」

 いつの間にか大きくなった背中を見つめる。夢野笑夢。決して私じゃできなかった。花奈ちゃんなら夢野笑夢を完成させられるだろう。やっぱり、光のあの計画は間違っていなかった。

 ドアノブを回す手が止まり、その場で立ち止まる花奈ちゃん。

「お葬式はね、立ち上がるための場所なんだよ」

 そう言い残して、部屋を出た。

「立ち上がるための場所………か」

 自身の掌を見つめながら呟いた。


 二日後、久しぶりに外に出た。電車を乗り継いで、一時間。よくもまあこんなところでオフ会をしようとしたものだ。

 額から流れる汗を拭き、店内に入る。中にはもう三人が座って、私を待っていた。

「連絡くれてありがとう。お姉ちゃん」

「ううん、私の方こそみんなを集めてくれてありがとう」

 家が一緒に住んでいるのだから、一緒に来ればいいのだが、気恥ずかしかった。

上野くんは目の下にクマができていて、スーツはヨレヨレだった。きっと、昨日そのまま寝てしまったのだろう。ブラックコーヒーを睨み付けながら飲んでいる。

 春くんは憑き物が落ちたような表情を浮かべている。

「で、何の用事で呼んだんですか?」

 上野くんはブラックコーヒーに大量の角砂糖を入れる。

「実はね。光のあとを継ぎたいの。夢野笑夢がもっと自由にできるように事務所に入らない? っていう提案」

 私がいうと、三人は顔を見合わせる。

「ね? 私が言った通りでしょ?」

「預言者だな」

「姉妹だと通じるところがあるのかもしれませんね」

 三人は納得したように頷く。

「ちょ、ちよっと何のこと?」

「お姉ちゃんがそういうと思って、先に行動していたんだよ。でもどこも受け入れてくれる事務所はなかったの。だから、新しい事務所を作ろうとしているの! ちなみに上野さんは新事務所のために今必死にお金をかき集めてくれているの」

「ユメユメのためなら、このくらいお安い御用です。ちなみに新衣装は俺が書きました」

上野くんは胸を張って答える。

「出たよ! 厄介ファン〜!」

 春くんが茶化すが、上野くんをそれを無視している。

「で、その新事務所はどこであるの?」

「あ〜それは………」

 上野くんはバツの悪そうな顔をする。

「ここにしようと思うの。かつて、魔女の家と呼ばれていたあそこで」

「でも、あそこは都心から遠いし、利便性は皆無だよ?」

 たまたま、別荘としてあってのがここで、地下室の設備も光のお父さんがいなければ、夢野笑夢は生まれてすらいなかったかもしれない。

いや、たとえ設備がなくても光はなるのだろう。夢野笑夢は概念なんだ。

「それでも、あの場所がいいの。あの場所で再びお姉ちゃんとで出会えたんだから」

 確かにあの場所がなければ、花奈ちゃんと再会することはなかった。私はまだ当分、先の話だと思っていたけれど、光は全て分かっていたようだった。

「分かった。そこを新しい事務所にしよう。名前は決めてあるの?」

「いや、それが実はまだでして……」

 上野さんは頭を抱える。苦労人だな。

「じゃあ、私が決めていい?」

 三人の顔を見る。みんな、同じように頷いた。

「新事務所名はレグルスにしよう!」

私と光が目指したアイドルの究極形。まだ、目指すことができるだなんて夢みたいだな。

「じゃあ、そのレグルスに決まりましたっていう記念配信をしよう。っていうか、決まらなくても今日の十六時から配信枠は取っていたから」

 時計を見る。時刻は十五時三十四分。花奈ちゃんは考えなし行動する癖があったのを思い出した。

「もうすぐじゃない! 早く行くよ!}

 こうしちゃいられない。早く別荘にいかないと。

「手伝ってくれるの?」

「当たり前じゃない」

「やっぱり、お姉ちゃんはお姉ちゃんだね」

 そうだ。私はまだ、お姉ちゃんなんだ。


 5


 今日も慌ただしく、世界は回っている。

満員電車、歩行者天国、外に出るだけでノイズだらけだ。それでも、私は今日を歩く。

 私が歩く姿に誰かが希望を抱き、明日へと向かって歩いていく。

誰かに夢と希望を与える、そんな偶像に、私はなるんだ。

 黒の全身タイツにモーションキャプチャーを取り付けた状態でカメラの前に立つ。

手足を伸ばし、その場でジャンプをする。うん、いい感じだ。

自分の器に「夢野笑夢」が憑依されるのを感じる。

「準備はいい?」

「うん、いいよ」

 お姉ちゃんの声に頷く。緊張して声が震える。足が痙攣する。あんなに練習したのに情けないな。

それでも、私は、前に進む。

お姉ちゃんがボタンを押して、配信が始まる。カメラが赤く光る。

まだ話していないのに、チャット欄のコメントが滝のように流れる。「来た!」「ユメユメ!」「この時の為に生きてきたんだー!」

「盛り上がっているね」

 思わず口角が上げる。私のために待ってくれている人がこんなにもたくさんいる。

ああ、幸せだな。私はちゃんと「私」になれているかな?

大丈夫、きっと明日は綺麗だ。

 きっと、私たちはどこまでだっていける。

 翼なんてなくたって。どこにだっていける。



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