第二章 砂漠で食べるビスケット
キーボードを叩く音が室内に響く。ブルースクリーンから目を離して、目頭を押さえる。ゲームをしている時は夢中になって忘れられるが、画面から目を離すと現実に戻される。
「今日はキル数少なかったな」
ゲーミングパソコンの横にあるコーラに手を伸ばしながら、独りごちる。
パソコンの画面には「You Lose」と表示されている。
ゲームに集中できない理由が明日に迫ったオフ会だ。ユメユメが主宰で、ユメユメという共通の話題があるので、話を切り出しは何とかできそうだが、そこから何を話せばいいのか分からない。
話すのは昔から苦手だ。話したところで相手のことを理解できるわけじゃないし、話したところで伝わらない。
一年前のあの時だってそうだった。ゲームを再開して、過去のことを振り払う。
「俺は、間違ってなんかいない」
自分に言い聞かせるように呟く。
ヘッドフォンを付けて、虹色に光るゲーミングキーボードを叩く。
一対多数のバトルロワイヤル。勝ち残った時のカタルシスがたまらない。現実では味わえない感覚が好きで一年前からのめり込んでいる。
ロビー画面で待機していると、試合が始まる。
パラシュートで、建物の近くに降り立つ。武器と弾薬を確保する。ヘッドフォンから敵の足音が聞こえてきた。物陰に隠れて、ハンドガンで撃つ。
マップを確認する。敵は中央に集まってきているようだ。先ほど倒した敵が使っていた車を拝借し、中央の乱戦地帯に向かう。
車から降りて、武器をショットガンに変える。敵を撃つ、撃つ。マウス、キーボードを交互に切り替える。試合が終わり、待機画面に変わる。
息を深く吐き、ヘッドホンをキーボードの上に置く。残っていたコーラを飲み干し、一息つく。
自室の扉を一瞥する。耳を当てて、人の気配がないことを確認して扉を開ける。
廊下には味噌汁、ご飯、ハンバーグがお盆に置かれていた。ご飯には全てラップがされており、その上のに白のA4の紙に「今日の晩御飯」と黒の油性ペンで書かれていた。
「はぁ………」
この紙を見る度に、罪悪感が押し寄せてくる。母は悪気があって、書いたんじゃない。何があったのか、何も聞かず。善意で俺に接してくれる。それが、余計に辛い。
明日のオフ会では久しぶりに外に出る。これを機会に少しでも変わることができたらいいな。
俺はお盆を持ち、自室に戻る。折り畳み式の白いテーブルを出して、晩御飯を食べる。
優しさの味がする。座椅子に頭を乗せて、天井に手を伸ばす。
「俺は、間違っていないはずなんだ」
どれだけ手を伸ばしても、相手が伸ばさないと、手は繋げない。
けっきょく、人と人は分かり合えないんだ。伸ばした手をだらりと下ろす。
2
眠ろうとしたが、余計なことばかり考えてしまうので、十試合ほどしたところ、窓から朝日が差し込んでいた。
「噓だろ」
ゲーミングPCの電源を切る。消えたディスプレイに自分の顔が映る。髪はぼさぼさで、目は虚ろだ。これから人と会うのに、これじゃ駄目だ。
洗面台に向かい、冷水で顔を洗う。鏡を見ながら、髭を剃り、クシで頭をすく。
「うん、だいぶスッキリした」
剃った髭の跡を触りながら独りごちる。
いや、待てよ。髪は眉毛までかかるようにしよう。一年前のあの事件から、人の目を見るのが怖い。何を考えているのか、分からない。
言葉では褒めていても、心の奥では気持ち悪いと思われているのかもしれない。人間は醜く、汚い。そんな人間の粗探しをするのが、俺は得意だ。
「いい性格だな、ホント」
誰もいない洗面台で自嘲する。
自室に戻り、Tシャツ、ハーフパンツに着替える。モバイルバッテリーと、財布をポケットの中に入れる。
ヘッドフォンを首に掛ける。自室を出る前にPCの電源と、部屋の電気を消した。
玄関に進む度、動悸がする。外に出るのは久々だ。
「大丈夫だ……大丈夫だ………」
目を瞑り、壁に沿って進んで行く。
手の感触で玄関に到着したのが分かった。目を開ける。
これを開ければ、外に出れる。そして、一年前から止まっていた俺の時間が動き出す。また裏切られるもしれない。怖い、それでもあの配信で、俺は希望を見た。
だから、その希望を見るために俺は外に出る、また裏切られたら、また引き籠もればいいさ。
諦観のような淡い期待を抱いて、玄関の扉を押して外に出る。
初夏の眩しい日差しが照らしつける。手で傘を作りながら、目的地の鎌倉のカフェまで向かう。
少し歩いただけで、息切れと筋肉通がひどい。やっぱり、俺は外に出るべきじゃなかった。家に引きこもってゲームをしておけばよかった。振り返ると、まだ家が見える。
まだ、引き返すことができる。何もかも諦めて、また自分の世界に籠ることもできる。
だけど、そうはしなかった。ユメユメに会えるのも勿論だが、オープンチャットで話していた「ハナ」と会って話してみたい。その気持ちが俺の歩く活力をくれる。
なんとか最寄り駅まで着いた。自販機で600mlのペットボトルを購入して、渇いた喉に注ぐ。
「はぁ………死ぬところだった」
手の甲で口を拭く。駅の券売機で鎌倉までの切符を買う。一六二〇円もするのか。幸い財布の中には三万円が入っていた。母さんに感謝だ。
改札機に切符を入れて、ホームで電車を待つ。夏の心地良い風が服を揺らす。初夏は一番過ごしやすい。真夏になると、少し歩いただけで汗ばむし、アスファルトからの熱が暑すぎて、体力と気力を奪われる。
今とあまり変わらない気がする。ずっと籠っていたから体力がゴミカスになっている。さすがに筋トレとかした方がいいなと思い始めた。
首に掛けていたヘッドフォンは汗で蒸れている。そのまま耳にすっぽり入れる。Bluetooth接続できるタイプのヘッドフォンなので、コードレスなのが良いところだが、充電が切れると使えないのが玉に瑕だ。だが、このヘットフォンの連続再生時間は、十四時間もあるので今日一日で切れるということはない。
スマートフォンで音楽アプリを起動し、お気に入りのプレイリストを再生する。九〇年代のロックが十五曲ほど入っている。
このプレイリストを聞くと、どんな高い壁があっても、ぶち壊していく、そんな気概を与えてくれる。
目を閉じ、音楽に集中していると、後ろからつつかれる。ビニール袋を持ったお婆さんが怪訝な顔で口をパクパクしている。
そうだった、音量を最大にしていたのを忘れていた。お婆さんは目の前に電車が来ているから、早く乗れと言いたいのだろう。
「すいません」
お婆さんに頭を下げて、電車の中に入る。
弱冷車だったので、冷房がガンガンに効いている車両に移る。端っこの方の座席に座り、壁に寄りかかり、眠りにつく。電車の揺れというのは不思議なもので、ものの数分間で目を閉じた俺は、そのまま意識を失う。
人間の本能というのも不思議なもので、目的地の最寄り駅に着いた瞬間、目が覚める。目を擦りながら、駅のホームに立つ。降りる駅で目が覚めるのは日本人が持つ特性だと、前にテレビで言っていた気がする。そんなどうでも良いことを考えながら、背伸びをする。
駅から海は見えないが、潮の香りがする。地図アプリで確認すると、ここから徒歩十分ほどで着くようだ。
到着する頃には、集合時間くらいになっているだろう。ちょうどいい。身体全身で潮の風を感じながら、目的地のカフェまで歩いていく。
日差しが強く、思わず目を細める。電車の中でだいぶ涼めたが、初夏の暑さと引き籠もりの俺にとってはかなりの強敵だ。でも、それを今日会うユメユメたちには知られたくない。
改札機の外にある自販機で350mlの炭酸飲料の缶を購入して、一気に飲み干し、ゴミ箱に捨てる。喉の乾きと暑さは、さっきよりも幾分かマシになったが、それも一瞬だ。俺は集合場所のカフェまで早歩きをする。走ると汗が出るし、それで汗臭いと思われるのが嫌だ。
汗が出ないよう、調整しながら早歩きをしていると、インターネットで見たカフェに外観が現れた。書かれていた通り、カフェと海は目と鼻の先で、窓際の席からは海が見える。外観は古民家カフェといった感じで、雰囲気もかなりいい。都会はいつも人が多くてうんざりするが、パッと見たところ、人もそこまで多くなく、ゆっくりできそうだ。
配信者ともなると、こういう場所をたくさん知っているのか。もしくはユメユメがカフェが好きで知っていたか。どちらでも構わないが、せっかく招待してもらったんだ、今日は楽しもう。
扉を押すと上に設置されていたドアベルがカランコロンと心地良い音色を奏でる。
「いらっしゃいませ! お一人様ですか?」
「あ、えっと」
家族以外で人と話すのが久しぶり過ぎて、上手く喋れない。大丈夫だ呼吸を整えろ。
店員さんは、俺が話すのを、待ってくれている。
「えっと、その、古藤野って名前で、予約を、して、います」
変な区切りのある喋り方をしてしまったが、店員さんは嫌な顔一つせずに席まで案内をしてくれた。マニュアルなのだろうが、それでも顔に出さないでくれるのは嬉しい。
「では、ごゆっくり」
店員さんは元にいた場所に戻っていく。
窓際の席に座っていたのは二名。左側と右側にそれぞれ一人ずつ座っていた。
左側の女性は、髪を肩まで伸ばして、青色の長袖のカーディガンを萌え袖のようにして腕は隠して、透明のスカートを履いている女性は間違いなく、ユメユメこと古藤野光だろう。
ここに来る前に本名をグループチャットで送ってきてくれた。
「ネットリテラシーw」と揶揄ったが、光さんは「君たちを信用しているから」と真っ直ぐな言葉が返ってきて、俺はそれ以上に何も言えなかった。コミュニケーションが下手くそ過ぎる自分を恥じた。
相手が言いそうなことを予想して、会話のボールを投げる。なんて難しいのだろう。
そのことを謝ろうとして、口を開こうとしたが、先に光さんが口を開く。
「君が「スプリング」君だよね? ささ、正面に座って!」
声も配信している時のユメユメでビックリしたが、本人なのだから当たり前か。
俺は促されるまま、右側のサマーニットを着た女性の隣に座る。
目は合わせないが、俺が気付いたということは、きっと向こうも気付いたのだろう。はあ………なんだって一年前のあの事件を思い出させる奴と会うことになるんだよ。憂鬱だ。
正直、コイツが、石村一人だけなら俺はすぐに帰っていた。だが、目の前にはあのユメユメがいる。誘ってもらったのは俺だ。だから今日だけは我慢する。次にもし誘われても、都合がつかないとか何とか言って行かないようにすればいいだけの話だ。
大丈夫、何も難しいことなんてない。
「じゃあ、あとは上野公園くんだけだね~! んん? ちょっと待ってね」
光さんがスマートフォンを見て眉を顰める。同時に俺のも震えた。オープンチャットの通知のようだ。
どうやら上野公園さんは、仕事の連絡が入って少し遅れるようだ。
「そっちにも通知きた?」
「ああ、はい」
「はい」
俺と石村は答える。
「うーん、上野公園くんが来るまでに私たちでお喋りする? あ、でもそれだと上野公園くんが仲間外れみたいになっちゃうよね」
光さんは顎に手を置き思案している。
「ねぇ、花奈ちゃんからは何かない?」
「え? いや、その………」
石村は名指しされ、しどろもどろになっている。というか下の名前で呼ぶってことは、俺が来る前にかなり二人で話し込んでいるな。
「大丈夫? さっきまではいっぱいお話してたのに、身体の具合でも悪いの?」
ああ、やっぱりか。和気あいあいと二人で話していたところに俺が来たから、口数が減ったのだ。おそらく、光さんは純粋な善意から聞いているが、ここで石村が余計なことを言う前に俺の方から言っておかないと。
「すいません、俺たち学校が同じだったんですよ。でも、色々あって、気まずい感じなんです」
早口で、端的に分かりやすく伝わるように言った。これなら深く突っ込まれることはないだろう。色々の色々は光さんが勝手に色々と解釈してくれるはずだ。
「へぇ~! 同じ高校だったんだ! 部活は何やってたの?」
光さんには逆効果だったようだ。チワワのように瞳をウルウルさせて聞いてくる。配信者ユメユメも好奇心旺盛だったっけ。あれは演技で、配信のためにキャラを作っているものだと思っていたが、彼女の素だったようだ。
これ以上深く追求されるとマズイ。どうにかしなきゃと思っていると、ドアベルが鳴る。
「古藤野光」と男性の声が聞こえたので、このオフ会の最後の一人上野公園さんだろう。助かった。
「上野公園くんが来たみたい。この話はまた後でね」
光さんは唇に人差し指を当てて。囁く。
俺と石村は頷く。やがて、上野公園さんがやってきて、光さんの隣に座る。かなり緊張している様子だ。憧れの人の緊張というより、推しアイドルの握手会に来たファンのようにガチガチに固まっていた。
だが、自己紹介も始まると肩の力もほぐれてきたように見えた。
この人は、俺よりも配信者ユメユメを見て、彼女に救いを求めているようにも感じた。俺の一方的な意見だが。人を見る目は一年前の事件からある。だから間違いないだろう。
自己紹介を順番にしていく。上野公園さんは本名からもじった名前だった。俺と石村の名前も本名から取ったのだから安直だが、なんでそれをオープンチャットの時点で気付かなかったんだ。
「練馬だったら、一時間三十分くらいかな?」
上野さんが練馬から来ているということで、大体の時間を予想した。
「俺たちもそのくらい、です」
何も考えずに、俺たちと言ってしまった。失言だった。誤魔化そうとするも会話は進んでいく。
「たち、ってことは君とハナは友達なの?」
「いいえ、ただの知り合い、です」
そう、ただの知り合いだ。友達なんかじゃない。上野さんは、この場の雰囲気をなんとか良い雰囲気にしようとしてるのが見て取れた。
最年長故の意地なのかもしれない。
上野さんはこの先何を言えばいいのか困った顔をしていた。
「へぇ~! そうなんだ! じゃあ三枝くんはインターネットに詳しいの?」
上野さんの表情を読みとって、光さんが俺にボールを投げる。
「詳しいっていうか、家にいてもそれしかやることないので………」
「宿題とかしないの?」
光さんは好奇心旺盛に聞いてくる。だが、その好奇心で猫をも殺すことができるってことを教えてあげよう。
「学校、行ってないので」
一瞬、石村を見る。彼女は怯えた表情をしていた。
被害者面しやがって、腹が立つ。まあ、でもこれでいい。これで牽制は十分にできたはずだ。光さんも俺の言葉を聞いて、それ以上は踏み込んでこない。
当然だ。これは俺の問題なんだ。誰にも、俺の心には入らせない。
自己紹介タイムが止まり、宇宙のように静かになる。この静けさを打ち破ったのが、石村だった。
石村は訥々と自己紹介をしていく。俺はその方向を一切見ない。当たり前だ。
途中脱線して、ユーザーネームを本名から取ったことで盛り上がる。よし、このまま何事にもなく終わってくれ。
「なんか、すいません。私たちが空気悪くしてたみたいで………」
その言葉で、俺は全身の筋肉に力が入る。話が良い方向に進んでいるのに、コイツはまだ蒸し返すのか。
「たちってなんだよ。俺は普通に話してるつもりだったよ。でも、そうじゃないってことは、悪くしている自覚があるんだな。君はあの頃から変わってないよな」
「そんなこと──」
「ないって言いきれる? あの時の言葉を撤回できる? できないよな。君はそういう奴だ。けっきょく、自分が一番可愛いんだよ」
今度は、ちゃんと目を見て鼻で笑ってやった。コイツはそうだ。自分可愛さに人を平気で攻撃するんだ。人間、自分が一番大事なのは当たり前だ。だが、コイツは自分の保身の為に俺を攻撃したんだ。そのことに関してはどれだけ、言葉を尽くされても許す気にはなれない。
石村は目に涙を溜めている。ここでもまだ「自分は被害者です」というスタンスを崩さないのはあっぱれだ。
ああ、もうどうでもいいや。いっそのこと思ってること全部ここで、吐いてやる。
息を大きく吸い込んで言おうとした時、店員さんが注文した飲み物を持ってきた。
「失礼します。こちらご注文のレモンティーと、ホットココア、メロンソーダ、ホットコーヒーでございます。ご注文は以上でよろしいでしょうか?」
上野さんは頷く。
俺は口まで出かけた言葉を胃まで押し留めた。
お気に入りの曲をサビ前で止められた時のように、中途半端な気持ちになったが、コイツに何を言っても、きっと伝わないだろう。
「二人の過去に何があったのか分からないけれど、でも今日だけは忘れて楽しめないかな? これは私の我儘かもしれないけれど、私がしたいと思って開催に踏み切ったオフ会だから、今は今だけは隠していられないかな?」
光さんはレモンティーのカップを両手で持ったまま、俺のことをじっと見つめてくる。
俺だって最初はそのつもりだった。だが、石村が過去のことを蒸し返すからだ。俺は悪くない、俺は間違っていない。
「そのあとで、私が二人の問題を解決してあげるよ。絶対に」
「この世に絶対なんて言葉はないですよ」
そう、絶対なんてないのだ。人生はどれだけ欲しいものを諦めて生きていくか、ということなのだ。
光さんは、俺の言葉に動じず頭を振る。
「ううん、私が絶対にするんだ。私は夢野笑夢だから、私は貴方に、夢と希望を与えるから」
これ以上何を反論してやろうか、と考えていたが。言葉が何も出てこなかった。
配信者夢野笑夢は俺の目の前にいて、本気で夢と希望を与えようとしている。
不思議と悪い気分ではなかった。
3
カフェから歩いて、すぐそこの海水浴場に俺たちは来ていた。
俺は石村の隣に立ち、お互い何も言わずに海を眺めている。
視界の端で上野さんと、光さんが話しているのが見えた。少しの間その様子を観察していた。光さんが、上野さんから離れたのを見計らって、小走りで上野さんの方へと向かう。
「光さんと何話してたんです?」
「まあ、他愛のないことだよ」
「なんですか、他愛のないことって」
はぐらかそうとする彼を、俺は逃がさなかった。光さんは配信者としての姿。石村のことも同じクラスだったので知っている。だが、この人だけはよく知らない。だから、知りたいと思った。大人である彼の話を聞きたかった。
「大したことじゃない。ただ、趣味で描いてるイラストを送って欲しいって言われただけだよ」
「絵、書けるんですね」
意外だった。風貌からしてプラモデル作りとかが趣味なのかと思っていた。いや、これは偏見か。これじゃあ視野狭窄だ。引きこもってばかりで心まで腐ってしまったようだ。
「まあ、ね。趣味程度だけどね。そんなことよりも、石村さんと話でもしたら?」
「なんでしないといけないんですか?」
話を変えられたことよりも、大人である貴方も、俺にこうしろと指図するのかと言われているようで、ムッとした。
「なんでって……喧嘩してたんでしょ? なら話をして仲直りすべきじゃないかな」
「喧嘩? いや、あれは喧嘩にすらなっていないですよ」
鼻で笑った。上野さんから、嫌な奴だと思われるように。そう、あれは喧嘩ですらなかった。石村は何も悪くない。悪いのは俺なんだ。
「君達の関係は一筋縄ではいかないみたいだね」
「………ええ」
拗れに拗れたのは、俺の責任だ。だから、俺はこれからも自分の殻に閉じこもる。
太陽の光が燦々と照らす水面は、キラキラと輝いていて、とても綺麗だった。外に出れば、こんな景色も見れるんだな。
「俺自身もこのままではいけないと思ってはいます。でも今日だけは忘れて、楽しみたいんです。これっておかしいことですかね?」
水面を眺めながら、呟く。年上が相手だからか、ぽろっと弱音を吐いてしまった。
「ううん、全然おかしいことじゃないと思う。俺だって自分自身から逃げ続けているからね」
上野さんを一瞬、見る。彼も同じように海を眺めていたが、その目は色褪せて諦めているように見えた。
でも、まだ光は失っていないように見えた。どれだけ打ちのめされても、彼は描き続けるのだろう。創作する人って凄いな。
「ありがとう、ございます。上野さんにとっては大したことのないことなのかもしれませんが、俺たちにとっては、高校が全てだと思ってしまうんです」
大人たちが何を言っても、この今が全てなんだ。いつか大人になれば忘れるだとか、時間が癒してくれるだとか言ってくれるが、違う、そうじゃないんだ。
逃げた時間が返ってくることはない。俺は、その事象に真正面から立ち向かった者だけが大人になれると考えている。それが、どういう結果であったとしても。
歳を重ねれば、誰しも「大人」という部類に入るのだろうが、立ち向かわずに「大人」になった人間を俺は生きてはいないと思っている。
だから、俺も死んでいる。一年前から俺の時間は止まったままだ。
「その気持ち分かるよ。俺も学生時代はそれが全てだと思ったし、大人たちなんて頼りにならないって思って意固地になっていたっけな」
みんな同じなんだ。みんな誰しも子供の頃があり、そこで悩んで成長する。
でも、大人になると子供の頃のことを忘れて、子供に指図をする。
いつか、どこかで人は忘れるから生きていけると言ったのを聞いたことがある。だからといって、大切なことまで忘れちゃ駄目なんだ。
「だけど、大人も大人で色々考えているんだなって、大人になってようやく気付いたよ。だから、君も本当に辛い時は大人に頼るといいよ」
上野さんと目が合う。はにかんだ笑顔でサムズアップをする。この人は、他の指図してくる大人たちとは違う。ちゃんと話を聞いてくれる。
「上野さんって今まで話してきた大人と少し、違う気がします」
「まあ…………社会に揉まれてきた経験が活きたことなのかもね」
上野さんは苦笑する。俺も「大人」になれるよう、逃げずに立ち向かおう。
「大人って大変なんですね」
「ああ、大人は大変さ」
ニヒルに笑って、海を眺める上野さん。俺も同じようにしていたら、光さんと石村が水遊びをしていた。カフェでずっと怯えていた表情をしていた石村は、朗らかに笑っている。
そんな表情もできるんだな。
「俺たちも行こうか」
上野さんの提案に俺は頷いた。
「どうしてこんなことに………」
石村が魔女の家に行こうと言い出して、俺たちはそこに向かっている。
俺は最後尾で、息を切らしながら歩いている。石村は先頭で、光さんと、上野さんは俺の様子に気付くことなく進んでいく。体力がここまでないとバレると、下で待っておけと言われそうだったので、最後尾に自ら望んだ。
あのまま解散でもよかったのに、石村は、魔女の家に行くと断固として譲らなかった。
魔女の家。そこにいけば、どんな願いも叶えてくれる。彼女が叶えたい願いは、おそらく一年前に戻ってやり直すことだろう。
先頭にいた石村が足を止める。どうやら魔女の家に着いたようだ。
三階建ての西洋風の大豪邸だ。朱色の煉瓦のタイルが壁には敷き詰められ、屋根の上には煙突があった。
石村が中に入ろうとしたので、俺は石村の腕を掴んだ。
「ちょっと、先走るんじゃねぇよ! 死にたいのかよ!」
そこで初めて、今日自分が悪意のない感じで石村に話しかけたのだと気付いた。
「そうだと言ったら、どうするの?」
石村の目は氷のように冷たかった。
なんで、どうして、そこまでして一年前に戻ろうとするんだ。
「──っ! お前」
「噓、冗談。でも、一人でも入るのは本当」
「はぁ…………分かったよ」
仕方がない。溜息を吐き、観念する。都市伝説だし何も見つからないだろうが、石村の気が済むまで付き合ってやろう。
中に入り、俺たちは探索する。ホラーゲームでありそうな洋館チックな作りに感嘆の溜息をもらす。ゲームならここでゾンビか幽霊が出てくるのだろうな。
石村は俺の溜息にすら気付いていない様子でリビングを探索していた。リビングにある本棚に埃が被っていない辞書のような本があった。石村はそれを開けると、中から石村と石村の姉さんの写真が出てきた。
お姉さんは一度だけ会ったことあるが、整った顔立ちをしていたので印象に残っていた。
写真から推測するに。一年前の事件が起こるよりも前だろう。石村は写真が撮るのが趣味で、よく撮ると俺に話していた。
石村は、その写真を見るなり錯乱状態になった。家の中に誰かが入ってくる音がして、より一層パニック状態になった。
俺たちは命からがら何とか魔女の家から脱出した。
上野さんは、光さんをおぶって先に山を下っていた。足を捻ったのだろうか、大丈夫かな。
石村は、「姉さんを殺したやつがいるんだ!」と言って、再度魔女の家に入ろうとしたが羽交い絞めにして止めた。そうしてるうちに石村は、落ち着いていき、今度は泣き出した。
「ごめん………ごめんなさい…………」
その場に座り込む石村。足音が近くなっていく。
頭を掻きむしる。ああ、もう。上野さんがしていたように背中に、石村を乗せる。
「ありがとう……春くん」
耳元で石村の囁き声が聞こえた。
「………ちゃんと捕まっとけよ」
「うん」
背後からの気配を振り返って、山を下る。下り坂なので足が止まらない。歯を食いしばってスピードを緩めようとするも、止まらない。
駄目だと思いかけたとき、上野さんが俺を支えてくれていた。
「先に行ったんじゃ………?」
「うん、行ったよ。ユメユメは海水浴場で涼んでもらってる。君たちが心配だから来たんだ」
歯を見せて笑う上野さんだが、汗でシャツがびしょびしょだ。光さんを下ろして、走ってここまで来たのだろう。ヒーローみたいな人だな。
「ありがとうございます」
「全然! これくらいはさせてよ。俺は大人なんだからさ」
上野さんは格好良く言ったが、足がプルプルと痙攣していた。下まで降りてまた上ってくるのは大変だったのだろう。
「さあ、ユメユメが待ってる。行こう」
俺は頷いた。
「上野さんって、光さんのことユメユメって呼ぶんですね」
山道を下りながら、隣にいる上野さんに話しかける。
「ユメユメはユメユメだからね。逆に俺はみんながユメユメって呼ばないのか不思議だよ」
上野さんは肩を竦める。
「でも配信者としてのユメユメ………夢野夢笑は、画面内での姿だと思ってます。なので、外で会う時は光さんって呼びます」
「まあ、それが普通の反応だろうね」
「上野さんは、普通じゃないんですか?」
「普通か。普通って何なんだろうなぁ………」
上野さんは立ち止まり、入道雲を見つめる。
「俺にとっての普通と他の人の普通は違う。だから、普通ってカテゴリーで括られると窮屈に感じてしまうんだよね」
「ああ……その気持ち分かります。俺もそれが嫌で学校には行かなくなりました」
「三枝くんは、今は立ち止まっているだけで、いつかきっと前に進める力があると思うよ」
何の根拠があって───そう口にしかけたが、思い留まった。
「そうだと、いいんですけどね」
「春くんなら、きっと大丈夫だよ。私学校で、待ってるから」
背中から石村の寝息が聞こえていたので、彼女は眠っていたのだと思っていた。
何か言おうとしたが、言葉が出なかった。背中でまた、寝息を立てる。それが演技だと分かったが、何も言わなかった。
海水浴場近くの海の家に光さんは座って、俺たちを待っていた。
「やっほ。待ってたよ」
「身体大丈夫なんですか?」
「うん、もう大丈夫だよ。ここの店主もいい人で、これをくれたんだ」
光さんは、手に持っていたブルーハワイのシロップが掛かったかき氷を口に入れる。
「かき氷美味しかったかしら………ってあら、光ちゃんの友達?」
奥から、ガタイお兄さんが猫柄の可愛いエプロンをかけている。髪はウィッグで、肩まであり、化粧をしていた。この短時間で仲良くなるなんて、光さんにコミュニケーション能力が凄いのか、もしくはこの店主のコミュニケーションが異常なのか。
店主は俺を見るなり、血相を変えて近づいてきた。
「ねぇ、後ろの子、大丈夫なの?」
「え、ああ。多分大丈夫だとは思いますよ」
寝息は演技だろう。だけど、心は心配だ。あの館で失踪したお姉さんの写真が見つかったのだ。心労は計り知れないだろう。
「大丈夫かどうかは貴方が決めるんじゃないの。ほら、奥の休憩室まで、その子を連れてきて」
俺は頷いて、奥の部屋まで石村を背負っていく。上野さんも後ろから付いてくる。
奥の部屋は四畳半の部屋で、布団が敷かれている。窓には風鈴が吊ってある。
背負っていた石村をゆっくりと下ろして、布団を掛ける。
「ありがとう、春くん」
石村は目を開けて、潤んだ瞳で俺を射る。
「疲れたから、少しだけ眠るね。ごめんね」
「………おう」
やっと口に出した言葉がそれだった。拒絶の言葉はいくらでも出てくるのに、こういう肝心な時に大したことがないことしか言えない自分に腹が立った。
俺と上野さんは店内に戻ると、店主からかき氷をもらった。シロップは適当に掛けてくれとのことだった。俺は抹茶味を、メロン味をプラスチックの容器に入ったかき氷にかけた。
お金を払おうと財布を出すと止められた。
「お代は結構よ。その代わり、あの子の傍にいてあげてね。起きるまで好きなだけここにいていいから」
店主は、そう言ったあと、お客さんの注文を聞きに行った。
「良い人だな」
「ですね。格好で最初は驚いちゃいましたけど、それは偏見ですよね」
「かもしれないけれど、人間、誰もが持っているものだからゼロにすることはできないと思う。自分がこんなこと思っているんだと意識して生きることが大事なんじゃないかなって俺は思うな」
上野さんの言葉に納得して頷いた。
「やっぱり、上野さんは俺が出会ってきた大人の中でも良い大人です」
「褒められても、出るのはかき氷だけだぞ」
ふふっと二人で笑う。
「で、これからどうしよっか。花奈ちゃんがあんな状態だし、オフ会はもうお開きにする?」
光さんは食べ終わったかき氷をゴミ箱に捨てる。
「そうですね。このまま続けても石村さんに負担をかけるだけでしょうし、俺はこれで終わるのに一票です」
「俺は──ここに残ります。石村のことが心配ですし」
ここで帰る選択肢もあったが、それはできなかった。あんなか弱い声を聞いたらほっとけるわけがない。
「うん、それがいいと思うよ。今、花奈ちゃんに必要なのは君だと思うから。それに──」
光さんは息を短く吸った。
「三枝くんと、花奈ちゃんと私。みんな同じ学校に通ってる。それと、魔女の家にあったお姉さんの写真。これは何か意味があると私は思えてならないんだ」
「光さんも同じ学校だったんですか?」
知らなかった。俺たちは見えない糸に手繰り寄せられているような感覚に陥る。
上野さんは落ち着いた様子で話を聞いている。ということは、先に光さんから話を聞いたのだろう。
「うん。だからこそ、私たちで学校に行って謎を解明するべきだと思うの」
「でも、石村はあんなだし、置いていくしか──」
「私も、行く」
みんな、驚いて後ろを振り返る。真っ赤な顔の石村が手をつきながら、奥の休憩部屋から這ってきた。
「駄目だよ! 石村さん! ちゃんと寝てなくちゃ」
上野さんが奥の休憩室に戻るように促すが、石村は頭を横に振る。
「私は、大丈夫です。姉のことが分かるのなら、私は明日にでも学校に行きます」
「石村、お前なぁ」
「春くんも来るよね?」
みんなの前でその呼び方は止めて欲しかったが、彼女は変える気はないようだ。
石村は俺の瞳をじっと捉えて離さない。
「いや、それは──」
今の石村の精神状態は不安定だ。もし、お姉さんが失踪したことに誰かが関わっているとすれば、石村はソイツに手を下すだろう。
できることなら、俺も学校に行きたいが、それは無理だ。あの事件がまた繰り返される。
俺が学校に行くと、石村がまたいじめられる。だから、俺は石村を拒絶し続けなくちゃいけないんだ。
「とりあえず、この問題は持ち帰らない? みんな今日は疲れたでしょ?」
俺がカフェで言った時のように石村に拒絶の言葉を投げ掛けようとした時、光さんが助け舟を出してくれた。内心、安堵した。いくら石村のためとは言え、悪意の言葉を投げるのは心が締め付けられる。
「分かりました。春くん、考えておいてね」
「……ああ」
「じゃあ、俺も帰ろうかな。明日も仕事だし」
上野さんは深いため息をつく。社会人って大変なんだな。
「私も疲れちゃったから先に帰るね。花奈ちゃん帰れる?」
「あー、俺が送っていくので大丈夫です」
ここまで来たら、見て見ぬふりはできない。光さんは、俺の回答を聞いてニッコリと笑う、最初から、その言葉を引き出そうとしていたのか。策士だな。
「ん、分かった。じゃあ、また詳細はオープンチャットで。今日はここまで、解散!」
光さんの号令で、上野さんと光さんは帰り支度をする。
その場で光さんと上野さんとは別れた。
二人になり、わざとぶっきらぼうに石村に言い放つ。
「石村、動けるか?」
「大丈夫、動ける。少し横になったらマシになった」
「ん、じゃあ。俺は帰るわ」
「送ってくれるんじゃないの?」
「………冗談だよ」
「噓、なにその間」
「だから、冗談だってしつこいな。ちゃんと駅まで送るから」
半分冗談、半分本気だった。石村が帰れないほどひどい状態だったら送ろうと思ったが、今は会話もできるし歩ける。特に問題があるようには見えなかったので、帰ると言ったが、石村は頬を膨らませて拗ねている。面倒くさいところは変わっていないな。
石村の言葉を巧みにかわしながら、二人で横になって駅まで歩く。
「学校、来てよ。約束」
石村は立ち止まり、小指を立ててくる。
「約束はできないな」
「あの時は本当にごめんなさい。でも、私は春くんに学校に来て欲しいの」
「そう単純じゃないんだよ」
「ううん、単純だよ。きっと。春くんが問題を難しくしているんだよ」
コイツ……人の神経を逆撫でするのが得意だな。石村は勘違いしている。あの時、石村が俺にひどい言葉を投げ掛けたのを怒っているのかもしれないが、違う。俺が学校に戻ると、石村はまたいじめの標的にされる。それを回避する唯一の方法、それが俺が引きこもることだ。
「何も知らないくせに、よく言えたもんだな」
「知ってるよ、私。春くんは私を守るために学校にこないんでしょ? でも、私なら大丈夫だから」
「なんだよ、それ。全部分かっていて、俺と話をしていたっていうのか」
自分がひどく惨めに思えて、その場から走り去った。背後で石村の声が聞こえたが知るもんか。
4
一年前、俺はちゃんと学校に行っていた。友達は少なかった。というかほぼ、いなかった。
唯一の友達が石村花奈だった。
彼女は当時、いじめられていた。所謂、カースト上位と言われる者に。
俺は目つきが悪く、教室でも浮いていたので、不良だと誤解されていた。だが、別にどうでもよかった。
俺には、夢があった。何事もなく高校を卒業して、行きたいロボット工学の大学に行って、将来はエンジニアになりたかった。だが、その夢も潰えた。
俺は、いじめられていた石村をいつも守っていた。ある日、いつものように石村を自分の背中に隠して守っていたら、石村に両手で押された。突然のことで、俺は反応できすにその場で転んでしまう。
「アンタなんか、大っ嫌い! いつも、いつも私を守らないで! 気持ち悪いのよ!」
石村は顔を歪ませて俺に向かって吐き捨てた。
悲しいという気持ちはなかった。その言葉を聞いて心は冷えた。
「石村さん、ひっどーい! でもいつも、守られているだけのお姫様だけなのは嫌よね~」
カースト上位の女子たちはニタニタ笑っていた。
コイツらに言わされたのだと分かった。だけど、それを言うと選択したのは石村だ。それから俺は人を信用することに対して臆病になっていた。
俺は家に引き込まり、学校に行かなくなった。最初の頃は、石村から言われた言葉が頭の中で何度も繰り返された。唯一の友達にあんなことを言われて、人は裏切る生き物だと思うようになった。
人を信じることに対して、臆病になってしまったことで、内向的な性格になり、人の粗探しをするのが得意な人間になっていた。
石村を守っていたころは、正義感が良くて、曲がったことが嫌いだった。だが、今はそんな性格も過去のものとなり、腐っている。
一度だけ、石村があの後どうなったのか知りたくて、隠れて学校に行ったことがある。石村は、あのカースト上位の女子たちと仲良く笑っていた。
俺は安堵した。彼女がまたいじめられていないか不安だったが、笑顔ならよかった。
俺が学校に行くことで、彼女はまたいじめられる。カースト上位の女子たちは俺のことを入学当初から目の
敵にしていた。そんな奴が学校からいなくなって、嬉しいのだろう。石村は気付いていないが、石村とカースト上位の女子の関係は友達じゃない。
ただのペットのようなものだ。それでも、石村が笑っているのなら、それでいい。
いずれ、高校を卒業をして大学に入学する。そこで新しい友達を石村なら見つけられる。
だが、今、俺が学校に戻ればカースト上位の女子たちは、戻ってきた俺よりも石村をいじめの標的をする。俺を追い込んだのは彼女だ。だから、彼女に位を与えて、ペットとして接している。そんな彼女たちだから分かる。彼女をいじめの標的にして、耐えられない頃に、また言葉で誘惑する。俺に悪意の言葉を言えば、いじめは止めて仲良くしてあげると。それでも上手くいかなければ、石村を不登校にさせるだろう。それは、駄目だ。
彼女はこんな腐った世界に来ちゃいけない。
だから、俺は家に引きこもっていなくちゃいけないんだ。
5
石村から連絡があったのは、家に帰宅してお風呂から上がって髪をドライヤーで乾かしている最中にきた。
『春くん。明日、二人で学校に行こう』
無視をしてもよかったが、俺は律儀に返す。
『俺は行かないよ』
『ううん、春くんは来るよ。私を止めるために』
石村の言葉の真意を数秒考えたが、分からない。そのままフリック入力をする。
『何を言ってるんだよ。行かないって言ってるだろ』
『私ね、春くんに抱っこされてる間、見たんだ。魔女の家での足音の正体』
『見たって、誰を?』
『保健室の先生。あの人が魔女の家にいた。あの人がお姉ちゃんを殺したんだ』
保健室の先生が? まさか。何度か顔を合わせたことがあるが、温厚で良い人そうだった。
『待て待て、まだ君の姉さんが死んだってことかは分からないだろ』
『ううん、私は分かるの。お姉ちゃんなら、きっと戻ってくる。それなのに何の連絡もなく一年が経つことはありえない。だから、殺されたんだよ』
駄目だ。頭に血が上って、何を言っても聞く耳を持たない。今の石村を学校に行かせるのは危険だ。彼女なら保健室の先生を殺すことだって厭わないだろう。
それを止めるために、学校に来いと、石村はそういっている。
『分かった。明日学校に行く。ただし放課後だ。そこで二人で保健室の先生に会いに行って、話を聞く。それでいいか?』
『うん、それでいいよ』
石村からの返答は質素だったが、これで惨劇を回避できるのならそれでいい。
翌日の夕方、俺は久しぶりに学校に来ていた。私服だと見つかった時、何か言われそうなので、制服に着替えて、保険室の前の男子トイレの個室で石村の連絡を待つ。
同級生に出会うかもしれないとビクビクしながら、忍び込んだが、幸い授業中で誰も教室から出ていなかったので助かった。
一年ぶりに袖を通した制服は、少し苦しい。身長が伸びたのか、ただ単に着苦しいだけなのかは分からなかった。
『今、終わった。保健室に向かう』
石村から連絡が来た。素早く返信をする。
『了解。でも本当に良かったのか? 光さんを呼ばなくて』
『これは私たちの問題。光さんは巻き込みたくない』
『了解。じゃあ、着いたら教えてくれ』
スマートフォンをポケットの中に入れて、溜息を吐く。
昨日の夜、光さんにも連絡をすべきだと提言したが、却下された。今日また同じことを聞けば、違う答えが返ってくるかもと期待したが、石村の意志は固いようだ。
光さんがオフ会を開いてくれたから、行方不明だった石村のお姉さんの行方が分かりそうなのだ。光さんを連れてくるのが筋じゃないかと思ったが、石村は断固として拒否した。
長年の付き合いで何となく分かるが、石村は光さんに自分の素の感情を見せたくないのだろう。海水浴場で見た石村の笑顔は本物だった。だからこそ、久しぶりにできた友達を失いたくないのだ。
「相も変わらず不器用だな」
それが、彼女なりの優しさなのだろう。
『着いた。春くん、どこ?』
『トイレ。もう出るよ』
蛇口で手を洗い、外に出る。腕を組み、近くの壁に寄りかかっている彼女がいた。
「待たせたな」
「ううん、全然」
石村は髪をいじり、そわそわしている。無理もない。自分の姉を殺したかもしれない人物と相対するのだ、緊張しない方が無理な話だ。
「じゃあ、中に入るか」
「うん」
ゆっくりと扉を引く。白衣を着た丸眼鏡の先生がバインダーを持ち、何かを書き込んでいる。
石村は先生の姿を確認すると、俺を突き飛ばして、先生に襲い掛かる。
「アンタがお姉ちゃんを殺した!」
石村はスカートのポケットから、カッターナイフを取り出して、先生に切りかかる。
俺はそれを寸前のところで止める。刃はあと数センチで先生の喉に刺さろうというところで止まっている。
石村にこんな力があっただなんて。俺は自分の持てる力で止めるているが、この拮抗状態がいつまで続くのか分からない。ゲームばかりせず、筋トレもしておけば良かったと本気で後悔した。
「貴方、石村さんの妹さんね?」
「だったら? お姉ちゃんと同じように殺すの?」
「殺す? 何を言ってるの?」
「とぼけるな! 殺してやる!」
石村はカッターナイフを持つ手に力を込める。このままじゃ、本当に石村は人を殺してしまう。彼女に人を殺す選択をさせしちゃ絶対に駄目だ。
「石村、いいから止めるんだ! こんなことして何になるんだ!」
「コイツを殺して、私も死ぬ」
「貴方、誤解してる。お姉さんは生きているわ」
先生はあと少し死が迫ってきているというのに、汗一つかいていない。
「じゃあ、なんで魔女の家に私とお姉ちゃんの写真があったんだ! あれは高校に入る前にお姉ちゃんと撮ったもので、大切なもの! それが、なんで!」
石村はカッターナイフを持つ手を緩める。こうはいっても先生の話を聞くつもりだ。
「魔女の家……? ああ、あそこのことね。あの場所に週二~三ほど食材の調達をして欲しいって。貴方のお姉さんに頼まれたのよ」
「生きてる……? お姉ちゃんが生きてるの?」
石村はカッターナイフを手元から離す。俺は先生の喉に刺さる寸前のところで掴む。刃を仕舞い、ポケットの中に入れる。
さっきまで、目につくもの全てを噛みつく勢いだったのに、今は赤子のように大人しい。
「じゃあ、なんでお姉ちゃんは私に連絡をくれなかったの……? せめて生きてるって無事だってことくらい知りたかった」
「それは私には分からない。ごめんなさい。私はただ頼まれただけで、それ以上のことは聞いていないの」
石村はその場でへたりこんでいる。
「どうやったら、お姉ちゃんに会えるの? 私、お姉ちゃんに会いたいよ……」
「ごめんなさい。いつも指示はメールだけで、食材は指定の場所に置いてとだけしか書かれていないの。よっぽど外部との接触を拒絶しているみたいね」
「じゃあ、先生はお姉ちゃんに会ったことがないの?」
「ううん、一度だけあるわ。食材を届ける際に、いつもの場所が異なる場所だったから、君たちの言う魔女の家でお姉さんと会ったわ。だからさっき言えたの。生きてるって確信を持って」
「何を、話したの?」
「他愛のない雑談とか。あとは妹さんのことを聞かれた。彼女、君のことすごく心配してた。だから、私は言ったの戻ってきたら? って」
「そしたら、なんて?」
「自分にはやるべきことがあるから、まだ会えないって。全てを終えたら必ず会いにいくって言ってたよ」
「そっか。お姉ちゃん。私を見捨てたわけじゃないんだ。よかった」
石村は安堵の表情を浮かべた。
「でも、それなら尚更のことお姉ちゃんに会わないと。なんとかして会う方法はないんですか?」
先生は顎に手を置き、思案する。
「私は分からないけれど、分かる人なら紹介できるかも」
「本当ですか?」
石村は蛙のようにピョンと飛び起きる。俺は石村の一挙手一投足にハラハラしながら観察している。
「ええ、不動産屋さんなんだけど。家の見取り図を見せてもらえば分かるかもしれない」
「不動産屋か…………」
いつか俺も家を買うことになるかもしれないが、少なくとも今の俺と石村には関わりのないところだ。
先生はキャビネット棚からファイルを取り出して、その中から一枚の紙を石村に渡した。俺は横から盗み見る。
不動産屋の名前と魔女の家の建物名が書かれていた。
「聞いたことない名前だ。石村は知ってる?」
石村は頭を横に振る。調べてみると、中小企業で過去にCMもしていたようだ。
「とりあえず、今回の件、オープンチャット内で報告するぞ? いいな?」
石村は紙から目を逸らさずに頷く。
光さんを連れて来ないことには納得したが、今日のことを知らないままでいるのは可哀想だ。
俺は箇条書きで、今日の出来事をオープンチャットに投下した。
数秒後に、光さんから悲しみのスタンプと、『報告ありがと! 一緒に行けなかったのは残念だけど、今度みんなで話そうね』と返ってきた。
少し、申し訳ない気持ちになりながらも、『ぜひ!』と返した。
「いつ、寝てるんだ……」
光さんの返信は秒で返ってくる。たとえそれが夜中であろうと早朝であろうと。そもそもあの人はここの生徒でいいんだよな?
ピコン! 通知が来た。ロックした画面をタップして、オープンチャットを開く。今度は上野さんからだ。
『その不動産屋。俺の会社のとこだ。俺のところは細分化してて、色々な事業に手を出してるんだけど。まさかここで繋ってくるとは………』
『凄い偶然ですね』
『いや、これは偶然じゃない。きっと運命だ。この件は俺に任せてくれ。俺が聞いた方が図面を見せてもらえる可能性が高い』
『分かりました! ではお願いします!』
『私は気になるから、上野くんに付いて行くわ』
光さんが文章とともに走る人のスタンプを送ってきた。
『じゃあ、私も行きます』
石村の方を見ると、紙から目を離して、フリック入力をしていた。
上野さんと光さんがいるとはいえ、今の石村は心配だ。俺も付いて行こう。
『すいません、やっぱり俺も行きます』
『ん、分かった。これで、またみんなで集まれるね』
『まず、俺から連絡して、いつ空いてるのか聞いてみます。それまで少々お待ちください』
各々、了解のスタンプを送る。慣れないが俺も猫が真顔で了解と喋っているスタンプを送った。
『そのスタンプ、可愛くない』
目の前にいるんだから、口で言えよ。口角が自然と上がる。石村にバレないよう口元を押さえる。一年前、石村とこうなる前、彼女とは笑い合っていた頃を思い出した。
また、昔みたいに戻れるのかな。いいや、俺はこれでいい。きっとこれ最善策だ。




