21.旅路へ
翌朝。空はどこまでも澄み渡っていて、出発日和というものを絵に描いたかのようだった。
食堂に集まった私たちは朝食を囲んだ。昨日食べ損ねた朝食はやはり見慣れない料理ばかりだった。ラザがすごい勢いで平らげていくのはここ二日ですっかり見慣れてしまったのだが。
私の向かいに座るセダさんは目に見えて寝不足で不機嫌そうだった。私が切り分けた林檎を齧りつつ、ティアも欠伸をしている。もしかして二人とも、私とラザの話を聞いていたのだろうか。……だとしたら、ちょっと恥ずかしい。
朝食を食べ終えた後はいよいよ出発だ。──と言いたいところなのだが。
「門が開くまでまだ少しある。待機だな」
「街をぐるっと囲んでいる壁の、ですよね?」
「憲兵団が旅人の出入りを監視してるせいで、門を通れる時間が決まってるんだっけ」
チェックアウトの手続きがあるセダさんや、昨晩携帯食料をつまみ食いしたせいでもう一回買い直して来いと言い渡されたラザはともかく、私は手持ち無沙汰になってしまった。
心残りがあれば済ませておけとセダさんに言われた私の脳裏に、一つだけ思い浮かぶ。
「……なら、少し出てきますね」
街の一人歩きに不安がないと言ったら嘘になるが、いつまでもラザ達に頼りきりというわけにもいかない。それに、ティアも連れて行くし。
林檎ごと私に抱え上げられたティアは抗議の声を上げていたが、私は黙殺して二日間を過ごした宿を出た。
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私が向かったのは、初代皇帝だという少女の像がある、小さな広場だった。市場からは少し外れているせいか、人の姿は殆どない。
ちなみに市場は、昨日よりは店数が増えていた。活気も少しだけ増していた気がする。この世界の人たちは、ラザやセダさんも含めて、とても逞しい。
「そういえばこの人ってティアのご先祖様なの?」
「直系ではないけどね。初代皇帝陛下には子がなかったというから。千年近く前の話だから詳しくはわからないけど」
ふうん、と返事をして石像の少女を見上げる。幾つで亡くなったのかはわからないが、結婚しても子どもができなかったのか、それとも結婚しようとしなかったのか。
一方、私の肩から降りたティアは、粗末な献花台の前に佇んでいた。台の上には、決して上等とは言えないものの、依然として花束が積み上げられている。皇女が『亡くなって』から、もう二週間近く経つというのに。
何となく、その背に声がかけづらいなと感じていたまさにその時だった。
「お花を買っていただけませんか」
聞き覚えのある声だった。私が振り返ると、向こうも思い出したらしい。目をまん丸にして私を見上げる少女の顔は、二日前、私が盗賊から助けた少女のそれと、相違なかった。
私は、彼女に会いに来たのだ。
「良かった、無事で」
思わず零れ落ちた言葉が全てだった。しばらく固まっていた彼女だが、聞いた瞬間、身体をこれ以上ないという程に折り曲げて礼をする。
「ありがとうございました! あのとき、私、もう死ぬんじゃないかと思って、本当に怖くて……」
「いいの。私も結局、何もできないで助けてもらったから……」
ラザに、セダさんに、そしてティアに。何度も助けてもらったおかげで、今私はこうして、彼女に会いに来ることができた。
ねえ、と私は笑いかける。
「銅貨一枚だったよね? 一束ください。それから、少し時間ある?」
頷いた彼女と並んで、像の周りを取り囲んでいた石段に腰掛ける。
彼女の話を聞いた。母親はなく、父親は朝から晩まで働き詰めであること。まだ小さい弟がいること。少しでも家計の足しになればと思って、街の外で摘んだ花束を売り始めたが殆ど売れないこと、などなど。
お返しに、私も自分の話をした。両親はいないこと。兄がいるけれど、しばらく会っていないこと。その兄を探すために旅に出ること。
「はい、ここをこうして……できた」
「わあ……!」
話している間にも手を動かしていたから、出来上がりは早かった。
私の手にあったのは、花冠だった。花束一つで作ったからそう大きくはないが、彼女の頭に乗せるにはちょうどいいサイズだ。
「あげるよ。旅に持っていっても枯らしちゃうから」
「! いいの!? 嬉しい、ありがとうお姉さん」
花冠を被った少女は嬉しそうに笑った。私が初めて見る、年相応の彼女の笑顔だった。
「もしかしたら花束より花冠の方が売れるんじゃないかと思って。作ってみるといいよ」
「うん、そうする!」
花冠を頭に戴いて、立ち上がった少女が陽光の中でくるりと回る。スカートがふわりと広がる。ぼろ切れを繋げた服を纏った彼女が、一瞬、春の妖精のようにも見えた。
「お姉さん、本当にありがとう。私、何もお返しはできないけれど……せめて」
少女が目を閉じ、胸の前で手を組んだ。
「『いと高き天におわします万象の造り手、創造神クレイアルよ。どうかこの旅人をお護りください。凍えぬよう、迷わぬよう、遠く揺らめく灯火となって、彼女をお導きください』」
素朴な祈りの文句だった。どうしてだか、胸の奥が温かくなった。
「お姉さん、本当にありがとう!」
最後に綻ぶような笑顔を見せて、彼女の姿は広場の角を曲がり、見えなくなった。お礼を言うのは私の方だよという言葉は言えずじまいだった。
「馬鹿ね」
少女がいなくなって、ぽつりと、私の横でティアが呟いた。私に背を向けているせいで、表情はわからない。
「たかが銅貨一枚で何も変わらないのに」
「……無駄なんかじゃないよ」
仄かな笑みを浮かべて、振り返らない白い背中へと手を伸ばした。撫でると、不服そうに尾が揺れて私の手を叩いたが、構わずに続ける。
銅貨一枚の花束を買った。でもきっと、それだけではないと信じたい。少なくとも私の中では何かが変わった。それは、花冠を被った少女の笑顔だったり、拙いながらも紡がれた祈りの言葉だったり。
あの少女の中にも、銅貨一枚以外の何かが生まれていればいい。そんなことを思う。
「助けられたことがあるのとないのとじゃ違う。救われたって思う」
たとえ何も変わらないのだとしても、それでも。私は、何度だって、誰かに手を差し伸べる人間になりたい。ラザが、セダさんが、ティアが、私にそうしてくれたように。
「無駄なことなんかない。助けられた側が言うんだから、間違いないよ」
だから一つ一つ、一歩一歩、積み重ねていくしかないのだろう。
私の名を呼ぶ声が聞こえた。顔を上げると、広場の入り口あたりでラザが手を降っている。その背後には相変わらず仏頂面のセダさんもいた。
「呼ばれてるね、行こうか」
白い毛を撫でていた私の右手を、何が駆け上がった。肩に、もう慣れてしまった重みと温もりがある。
「何よ。早く立ちなさい。のんびりしている余裕はないわよ」
「……はいはい」
仰せのままに、と肩を竦めて立ち上がる。右肩にスクールバッグをかけて、左肩にはティアが乗っている。
それから、首には蝶の前翅を象ったペンダントが揺れている。私のではなく、兄のものだ。私のは、鞄の中に大切にしまってある。
私の下した決断が正しいものなのか、今はまだわからない。これから足を踏み入れるのが生易しい世界ではないことも知っている。
──それでも。
「連れていってあげる。……仕方ないから」
「ついていってあげる。仕方ないから」
石段を降りる。歩みはやがて早まり、何時しか私は走っていた。ラザとセダさんが待っている。
──それでも信じている。この道の先に、きっと。
第一章『そして少女は塔を目指した』
end.
ここまでお読みいただきありがとうございました。評価やブックマーク、とても嬉しいです。
次回は来週月曜(02/25)に更新します。その間に一章の手直しもします。
引き続き、二章もどうかよろしくお願いします。
次頁は簡単な登場人物設定です。




