14.『彼女』の述懐
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──時は、少し遡る。異界から迷い込んだ少女がテュムルスの街で目覚めた後、出会った赤髪の少年とともに街を散策していた、まさにその間のことである。
テュムルスの街、とある宿屋の一室にて。
視線だけで人を殺せそうなこの青年が実は聖職者だと、信じるものは一体何人いるだろうか。顔の造詣も整いすぎているくらいなので、凄むと迫力がある。とはいえ、付き合いの長い自分には効果はほとんどないのだが。
「もう終わり? 情けないこと」
「……」
煽るような台詞を受けて、青年──セダウェンは、額に青筋こそ立てたものの、これ以上無駄な争いをする気が失せたのか、息を吐きながら先ほどの取っ組み合いのせいで乱れた寝台に腰を下ろした。
「おまえ、ほんと、覚えてろよ……」
「二週間ぶりに会った知人に随分な態度じゃなくて?」
「うるさい。来るんじゃなかった、本当に」
投げやりな返答には疲労が滲んでいた。セダウェンの正面の寝台に座す小動物は、美しい蒼い瞳で青年を見上げる。
真っ白な体躯は小型の猫ほどの大きさ。耳は長く兎の様で、先端だけ黄金色に染まっている。
そして、その双眸は深く澄んだ蒼。星の欠片が散ったような、不思議な色彩をしていた。
およそ人語を操るはずのない小動物──『ファニア』という魔物の一種である。
その魔物が、それはもう流暢にセダウェンを煽る。
「何よ。心配して来てくれたんでしょう? 要は」
「間抜けにも毒殺された大間抜けの死に顔を見物しに来ただけだ」
「そのためにわざわざ霊廟にまで侵入したっていうわけ? 思わせぶりなことを言っておいた甲斐があったわね」
「うるさい。暗殺されたされた詐欺はおまえの十八番だったって忘れてただけだ」
うんざりした口調で神官が返した。
「それで。どこまでがおまえの読み通りなんだ」
「何のことかしら?」
「これ以上猿芝居続けるってんなら、今すぐ取っ捕まえて宰相の私兵に突き出すぞ、クソ猫」
「……好きでこの姿をしているわけじゃないって言ったでしょう」
神官の前で小動物がため息をつく。長い耳がぺたりと垂れる様は、疲労していることを物語っていた。
「皇宮を抜け出すところまでは計画通りだったのよ。葬斂の終わりを見計らって回収するつもりだったの」
「なら何故」
「身体が盗まれたの。やっとの思いで祭壇の間で見つけたと思ったら、今度は戻れないことに気づいたのよ。何度も試したし今も試してるけど、どうにもできない。……しかも、横にあの子が倒れてた」
「『戻れない』のはあいつのせいだと?」
「おそらくそうでしょうね。……問題は、あの子にも私にも、犯人の心当たりがないってことよ」
自分と、それからあの少女に何かしらの術をかけた犯人がいるはずだ。だが、見当もつかない。捕まえて殺すなり宰相に引き渡すなりするならまだしも、何故このような状況を生み出したのか。
「あの子が犯人──では、ないんでしょうね」
世界を渡ってしまったと、そう突きつけられた瞬間の、絶望しきった顔を思い出す。小動物の声には、押し殺しきれない苦々しさが漏れ出ていた。
「つまり、おまえがその姿になったのと、あの世界渡りはどうやら関係ありそうだが、なにがどうしてそうなったかまではわからないしおまえの予想外だった、と」
「そういうこと。世界渡りなんて初めて知ったわ」
「俺がこうしておまえと話しているのは?」
「もちろん予想通りよ。本当は、体を回収してから迎えるつもりだったのだけれど、ね」
セダウェンの眉間に皺が寄る。そろそろ取れなくなりそうだ、と他人事のように思う。
「……何が目的だ」
銀の双眸が射抜くように自分を見据えている。そろそろはぐらかすのも限界かと、観念して口を開いた。
「私について来なさい、と言おうと思って」
「……俺が頷くとでも思ったのか?」
「何よ。こんなに可愛らしくお願いしているのに」
「馬鹿か!」
雷が落ちたように小動物は身を竦めた。真っ向から怒鳴られるのは久しぶりだな、と関係ないことを思った。
昔馴染みの神官は、もはやおちょくる余地もないほどに激怒していた。そして、自分はそれを甘んじて受け入れるしかないということもわかっていた。
「俺は言ったよな、大人しくしていろと。何もしなければ事態は悪くならなかった、違うか?」
「何もしなければ暗殺されてたわよ」
「わかってたんなら防げただろうが! 防いで、何事もないふりをすれば良かっただろう」
「私だって言ったわ! それでは死んでいるのと同じだって!」
叫び返した彼女に、セダウェンは一瞬言葉に詰まったようだった。だが、すぐに気を取り直して畳み掛ける。そのひとつひとつが、彼女にとっては身を切るような正論だった。
「その結果がこれか? 皇宮を出て、そんななりになって? その辺の森で魔物として生きていくってか?」
「この姿は確かに予想外だったけど、私だって色々考えがあるのよ! ただの家出みたいに言わないで頂戴!」
「家出だろうが! 考えなしに飛び出しただけだろう、この馬鹿!」
「だって!」
「おまえに何ができる。革命でも起こすってのか? たった一人で? 誰にも望まれなくとも?」
その言葉に、反論しようとしていた舌が一瞬で動かなくなった。凍りついてしまったかのように。
そんな自分を見て、セダウェンも僅かに、後悔したような表情を見せた。だが、発した声はいつも以上に、鋼のように固く冷たいものだった。
「……皇宮には、もう戻らない方がいいだろう。しばらくは俺のところに身を隠しておけばいい。身体も、時間が経てば戻るかもしれない」
「──」
「いいな、……ティア」
俯いた自分の頭に声が降る。
彼の言葉の通りにすれば、きっと自分は生き延びることができるのだろう。あるいは、あのまま息を潜めて、誰も信頼出来ずに怯えをひた隠しにしてやり過ごしてさえいれば。
だが、それは。
「……悪いけど、それは無理ね。確かに命は失わずに済むでしょう。でも、私の誇りは死んでしまう」
顔を上げて、銀の双眸を真っ向から見据える。
いついかなる時も、毅然と前を向く。それが、今まで生きて来た中で、自分に許された唯一の戦い方だったからだ。
「『おまえに何ができる』なんて、腐る程言われて来たわ。だからこのまま引き下がるわけにはいかないの。死ぬならせめて──ううん、いずれその時が来るからこそ、自分は何を成し得るのか、掴めないままで死にたくない!」
生まれも、性別も、立場も、何一つとして自分が望んで選んだものではない。選択の余地などこの世に生を受けた瞬間からなかった。
だからこそ、いつ何を賭けるかは、自分で決めたい。
存分に賭けて──足掻いてみたい。
「私は行くわ。一人でだって行く。誰にも助けてもらえなくても構わない」
話はこれで終わりだと示すように、彼女は背を向けて寝台に丸くなる。これ以上セダウェンと会話していたくなかったし、声も聞きたくなかった。
そして何より、今の自分の表情を見られたくないと思う程度には、矜持が残っていた。
✳︎✳︎✳︎
カスガヒノ。そう名乗った少女は、彼女にとって随分と『癪に触る』存在だった。
へらへらと無意味に笑い、その場その場を流れるように適当にやり過ごしている。気づかないふり、傷ついていないふりばかり。下手な愛想笑いは仮面のように張り付いていて、どうしようもなく吐き気がした。
まあ、でも、別にいい。それがヒノという少女の生き方だと言うのなら、口を出す義務も義理もない。そうなった経緯に興味もない。
だが──どうしても、耐え難かった。ヒノがこの異常事態の原因、というのももちろんだが、それ以上に、彼女自身が見ていられなかった。
見ていられなかったから、罵倒して、焚き付けて──半ば無理やりに、立ち上がらせてしまったのだと思う。
その理由は、おそらく、八つ当たり以外の何物でもないと自覚はしていたけれど。
✳︎✳︎✳︎
──その認識が改まったのは、彼女の叫びを聞いたときかもしれない。
「私こんなとこで死ねないの! 死にたくない、生きたいって足掻いて、何が悪いのよ!」
泥の中で少女が叫んだ。ぼろぼろで、傷だらけで、今にも倒れそうになりながらも、まっすぐに敵を見据えて叫んだ。
そこには、あの小屋で縛られて、「もういい」と何もかもを諦めた少女はいなかった。
負け犬はもう、いなかった。
生きたいと、死にたくないと、彼女は魂を賭けて叫んでいた。あまりに強い言葉、そして意志だった。
小屋での自分との会話が火をつけたのか、それとも、ずっと押し殺していたものが爆発したのか。彼女にはわからないが、生きるために産声を上げるようなその意志は、嫌いではないと思った。
抗い戦うといった綺麗なものでなく、傷だらけになってまで足掻く、その様が。
彼女は短い回想を終える。目前では少女がラザの手を掴み泣きじゃくっていた。
怖かったのだと彼女は泣いた。逃げること、死ぬこと、生きることよりも、ひとりきりが怖かったのだと。ようやく涙を見せた少女は子どものように泣いていた。
ラザは目に見えて動揺していた。自分と同年代の少女の泣き顔を直視した経験など殆どないからかもしれない。残念ながら、今ここにいるのは彼女と、他人への気遣いというものをとんと持ち合わせていない冷血神官だけだ。ちらちらとこちらに助けを請うような視線を寄越すので、仕方なしに彼女が口を開いた。
「──怪我を見せなさい。セダ、治癒を」
「……水乙女」
呼び出された精霊が、薄明の中に水の体をくねらせた。そのまま流体は水の礫となり、少女へと光とともに降り注ぐ。目に見える範囲にある怪我はすぐに塞がった。少女が驚いて、赤くなった目を丸くする。
「いつまで泣いているの。ゆっくりする時間はないわよ」
「ティア」
「まだ歩けるわね?」
少女が顔を上げる。濡れた瞳は逸らされることなく自分をまっすぐに見つめていた。
ともすれば漏れそうになる嗚咽を堪え、彼女は頷いた。傷は治ったとはいえ痛みが完全に引いたわけではないだろうに、その状態でもまだ歩けると言う少女は、少しばかり強情なのかもしれないと思った。
「歩ける」
「行くところがある。ついてくるなら勝手にしなさい」
「行く」
少女が何度も頷く。ようやくラザの手を離し、鼻を啜り涙を拭った。少し前まで泣きじゃくっていた割りには、発した声はしっかりしていた。
「ほんとか? 辛いんなら俺、背負うけど」
「平気、自分で歩けるよ。……でもちょっと肩貸してくれたら嬉しいかも」
ラザが頷きふたりは立ち上がる。立ち上がった瞬間痛みが走ったのか、少女が顔を歪めた。よろめきそうになるのを堪え、己の足で地に立つ。
「なあ、この後どーすんの?」
「街に戻る。……と言いたいところだけど、カガリに聞かなければならないことがある。捕まえて吐かせる。ついでだから貴方達も手伝っていきなさい」
「おまえほんっと偉そうだよな」
「偉いもの。場所は、そうね、セダ。精霊で調べられるわね?」
返事の代わりに返ってきたのは盛大なため息だった。言いたいことは山程あるのだろうが、それでも口にしないあたり、結局セダウェンは優しい。もはや呆れているだけかもしれないが。
セダウェンの指示のもと、任せろと言わんばかりに水乙女が飛翔した。まだ明けない紺色の空を、きらきらとわずかな光を乱反射させて、水精が昇っていくのを、三人と一匹は黙って見上げていた。




