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15.廃村の饗宴

 


 空を駆け上がった水乙女(オンダイン)が示したのは、合流地点から少し東へ行ったところらしい。言葉少なに、私たちは夜明け前の森を歩き出した。かつては道だったのだろうが、手入れを忘れられ自然に戻ったと思しき悪路を進んでいく。


 先導は水乙女(オンダイン)で、その後をセダさんが続く。ラザに肩を貸してもらっている私は、重い足を何とか動かしてその背を追っている。ラザはそこまで背が高くなく、私より十センチ高いくらいだが、私がかなり体重を預けていてもまったく疲労した素ぶりを見せない。


 ティアはというと、セダさんの肩に乗っていた。セダさんの神官服もティアの体躯も真っ白なので、一瞬そこにいるとわからなかった。



「……そういえば、ラザたちはティアが喋れるってこと知ってたの?」



 ふと、疑問に思っていたことを思い出したのでラザに話しかける。



「普通に話してるよね? そもそも二人とティアは、一体……」


「ん? あ、あー、うん、そうだな」



 突然の問いにラザが思いっきり目を泳がせていた。毎度思うが、誤魔化し方が下手すぎる。自分の名が聞こえたせいで振り返ったティアも、苦虫を噛み潰したような顔でこちらを見ていた。


 ティアがセダさんの肩からラザの頭の上に乗り移る。赤毛に包まれた頭の上でぴょこぴょこ飛び跳ねているが、私に肩を貸しているラザには抗議の声を上げることしかできない。



「やめろよおい!」


「ろくすっぽ詰まってない頭なんだから構わないでしょうよ」


「何だよ、セダもティアも! 人のこと馬鹿にしてさ!」



「酷いよな、ヒノ!」と同意を求められたので、私は曖昧に笑っておいた。ラザは優しいし、助けられたのは揺るぎない事実だが、隠し事や誤魔化しが恐ろしく下手なのもまた事実だろう。



「……ねえ、ティア。あなたは一体、何なの? ただの魔物? それとも」


「名前で呼ばないでと言っているでしょう」


「だって他の呼び方を知らないから」



 ティアは不機嫌そうに蒼い目を眇めた。



「……とにかく、名前を呼ばないで。特に私たち以外の人間がいる場所ではね」


「他の人に知られたくないの?」


「やけにつっかかるじゃない。……言っておくけど、貴方のためでもあるのよ。自分の身が可愛ければ、私を詮索するのはやめなさい」



 ここまで言われては口を噤むしかない。取りつく島もない、とはこのことだろう。



「ラザ。貴方も、これ以上、下手な、ことは、口に、しない、ように」


「い”っ……それめっちゃ首痛えんだぞ!? わかってやってんのかよ!?」



 文節ごとに頭の上で飛び跳ねるティアはだいぶ容赦がない。


 と、そんなことを話している間に、先導していたセダさんが足を止めていた。ラザと、私も立ち止まる。



「──近い。静かにしろ」



 一気に空気が張り詰める。そして程なくして、私たちの眼前に、予想だにしない光景が広がった。








 水乙女(オンダイン)が示したのは、鬱蒼とした木々の切れ目、少しだけ開けた場所だった。木造の粗末な小屋が幾つか身を寄せあうように建っている。一瞬、私が閉じ込められていた辺りに戻ってきたのかと錯覚したが、小屋の数や規模はこちらの方が大きいので違うのだろう。よく見れば井戸や、焚き火の跡や、苔むした石垣のようなものもある。



「廃村……?」


「にしては生活の跡がある。割と新しい。盗賊どもの拠点……()()()んだろうな」



 私たちの目を奪ったのは、森の中で朽ちかけた村ではなかった。


 夜明け前の蒼い光を受けながらもなお、紅く濡れた刃が何本も、墓標のように突き刺さっていた。散乱した武器。折り重なるように倒れる、夥しい数の、人間。ざっと見て数十はくだらない。動物のようで動物ではない、奇妙な生き物も微動だにせず地に伏せている。惨憺たる有様に、私は口を覆い目を逸らす。


 敵襲があるかもしれないから、と私に肩を貸すのを一旦やめていたラザが、死体の傍に片膝をつく。魔物は臭いに敏感なのか、ティアは顔を顰めながらラザの頭からセダさんの肩に乗り移っていた。セダさんは、眉間に皺を寄せたまま死体には近づこうとしない。



「格好からしても、街を襲った盗賊に間違いはなさそうね」


「死んでる。でも変だ、ついさっき死んだ、ってわけじゃなさそうだ……あれ、でもこっちは死んだばっかり?」



 死体を調べながらラザが言う。毒々しい外皮をした巨大な蜥蜴のような生き物の死体にも向き直る。



土蜥蜴(アースサウリア)……これ、テュムルスを襲った魔物だ。こいつが襲ったってわけじゃあなさそう、殆どの死体は武器で殺されてるから」


「殺し合ったってことか。人も魔物も」


「多分。おかしいと思ってたんだ、だって街を襲った奴ら、魔物も含めて……」



 《ォォオ……ヴォォォァア!!》



「!?」



 言い切らないうちに、ラザの後ろで倒れていた──確かに死んでいたはずの盗賊が、突然起き上がりラザに飛びかかる。


 ひらりと躱したラザは一瞬で双剣を抜き放ち、男の首を斬り飛ばす。それでも向かって来ようとした男の胴体を両断するが、その背後では、また別の死体が起き上がっていた。



「生きてる臭いが全然しなかった!」


屍人(アンデッド)か……!」



 アンデッド。昨日山の中で襲われた魔物だ。思い出して私の身体が震える。


 私たちの眼前で、盗賊たちが、蜥蜴の魔物が、ゆっくりと起き上がってこちらを見ていた。その目には敵意も怒りもない──無機質なガラス玉のようだった。夜の街に点る車のテールランプのように赤く光るそれは、十、二十、いやもっと多い。


 不気味な沈黙を保って、じっとこちらを見つめる死体の群れ。頭がおかしくなりそうだった。その中を、黒い影が人の形を取ったような人間がゆっくりと進み出る。



「──油断した。まさかここで干渉を受けるとは」


「カガリ……」



 私は、その女性の名を知っていた。


 だが、最後に見た姿とは随分と違う。黒いローブは所々が破け、蝋燭のように白い肌に裂傷が刻まれているのが見て取れた。額は割れ、流れた血が白かった髪を紅黒く染め上げている。一目見て重傷だというのに、一切苦痛に顔を歪めていないのが輪をかけて不気味だった。


 私たちの視線など意に介さず、カガリは何事かを呟いている。


 ぶつぶつ、ぶつぶつと。



「奴がこの段階で手を出すなど──いや予想して然るべきだった。精度は落ちるが全員先に殺しておくべきだったか? 生半なことでは奴を出し抜けない──否、これは塩を送られたのか? ならば尚更腑が煮え繰り返る」


「カガリ! これはおまえがやったのか?」


「どこまでも、どこまでも──だが使えるものは使う。この場にはもはや奴の手駒たるものはいない。奴に残った権能が如何程かは知らぬが、勝つのはこちらだ」


「……おまえ、何言ってんの?」



 思わず困惑した声をラザがあげるほどに、カガリの目に私たちは入っていなかった。虚空を見つめる紅い目は、延々続く怨嗟の呪詛は、ここにはいない誰かへと向けられていた。



「今度こそ、勝たせてもらう」



 ぐるりと紅い目が一回転し、そして──直線で、私を見据えた。異様な女に私の身体が震える。纏う気配が変質する。どちらかというと、街で私を攫ったときに近しいものへと。



「ヒノ様。貴方は必ずお連れします、──我が主人の元へ」


「我が……あるじ……?」


「邪魔する奴らは蹴散らしましょう。全ては主人のために」



 すっと、カガリが手を掲げた。指差す先には、私たちの盾となるかのように双剣を構えたラザがいる。



「ゆけ、屍人ども。泥濘より呼び戻された哀れな人形どもよ。妬め、嫉め、そこに見えるは貴様らの贄ぞ。此度の目覚めに人としての振る舞いは不要。ただ存分に千切り、嬲るがいい!」



 《ウヴォォォオオオォォァァアア────!!》



 カガリの命令のもと、夜明けの空を震わすような咆哮が放たれた。理解が追いつかない私の前に出たセダさんが指示を飛ばす。



屍体繰り(ネクロマンサー)か! あいつ、予め盗賊を殺してそれを屍人にして──ラザ、雑魚は構うな、あいつを叩け!」


「了解!」



 死者たちの間を縫うようにしてラザが走り出す。それを見届けもせず、セダさんが神官服の袖から銀の鎖を引き出す。仮初めの命を与えられた亡者たちの、耳をつんざくような絶叫の中で一つ、鈴の音のような涼やかな音を私は聞いた。



「死にたくないなら離れるなよ。【我が声に応えよ。其は普く渾天の落とし子。形無き抱擁は一切の悪禍を拒まん──夜風にて翅を編む妖精(エアリアル)!】」



 瞬間、セダさんを中心として空気の渦が生まれる。刃を振りかぶった死体たちが荒れ狂う風に阻まれ、そして吹き飛ばされる。だがすぐに次の敵がにじり寄ってくる。直径三メートルにも満たない風のドームの向こう側、夥しい数の死体が蠢いているのを目の当たりにして、全身が総毛立つ。



「数で押しなさい! 腕を失っても、足が千切れても! 術師一人殺せば事足りる!」


「それって自分のこと言ってたりす、るっ、と!」


「くっ!?」



 死体の包囲を抜けたラザが、カガリに斬りかかる。躱した女は街でラザを串刺しにした槍の魔術で応戦するが、二度も同じ手にラザがかかるわけもない。とはいえ、同時に屍人も何人か相手にしているので、苦戦とはいえずとも決めきれないらしかった。飛び回るラザの姿はすぐに死体の壁のせいで見えなくなる。引っ切り無しに響く剣戟と、女の狂ったような笑声だけが、戦いが続いていることを示していた。



「死になさい、壊れなさい、そして殺せ! 殺し尽くせっ! さあ! さあ! さぁぁあ!」



 何せ相手は死体だ。カガリの言葉通り、どれだけ倒しても倒しても、また立ち向かってくる。数の不利もあるこちらは消耗戦──いずれジリ貧になるのは明白だった。



「舐めるなよ、これでも本職は神官だ」



 私の内心の怯えを感じ取ったのか、セダさんの声がした。一切の恐れも迷いもない声だった。風翅精(エアリアル)の巻き起こす風で、神官服がはためく。二十を超える屍人を前に、一歩も引かずに彼は立っている。



「『心せよ。この声は神の声、されど汝ら聞くこと能わず。この手は神の手、されど汝ら触れること能わず。命尽き、再び揺り起こされし魂よ! 此処に汝らの安息はなし! これは恩寵である──即刻、立ち去るべし!』」



 神官が詠唱を終えた瞬間、雲間から光芒が射すように、周囲に黄金の光が降り注いだ。腕を、足を、頭を失いながらも進撃をやめなかった屍人たちが、光に溶ける。むせ返るような血と腐敗の臭いが、清冽な気配に消し飛ばされる。


 網膜を灼くような光が収まり、私の視力が戻った頃には、視界を埋め尽くしていたはずの死体は一つとしてなく、粉雪のような灰が黎明の空へと吹き上げられていた。持ち主の消えた無数の武器が、地面に落ちる音だけが虚しく響いていた。



「く、ぅうっ……よくも! ……っ、ァ!?」


「とどめだ!」



 視界が開けた先、時をほぼ同じくして、ラザが黒いローブの女を逆袈裟に叩き斬った。かふりと血の混じった息を漏らし、カガリが糸の切れた人形のように崩れ落ちる。


 そして、辺りには静寂が戻った。私たちを守っていた風の結界も、いつのまにか消えていた。



「ラザ……叩けっつったのは俺だが。首謀者殺したら何にも分からんだろうが」


「あ、そっか。……ごめんね?」


「緊急事態だったから仕方な……セダ!」



 ティアの鋭い叫びが耳を打った、と思った瞬間、前にいたセダさんの身体が突き飛ばされた。間一髪でその肩から飛び退いたティアを受け止めた私は、受け身を取るセダさんとの間に、人を模したような土塊が地面から生えたのを見た。



「セダ!? どうして……ッ!」



 遅れて、ラザがまたも地面から生えた鎖に雁字搦めにされる。膝をつく彼の前で、目を疑うような光景が繰り広げられていた。


 事切れたはずの女の死体がゆらりと起き上がる。仰向けに反り返った身体は、角度がついたせいでより克明に、肩から脇腹にかけての深い傷の断面を見せていた。深すぎて、胴体が千切れかかっている。


 私でもわかる。致命傷だ。致命傷のはず、なのに。



「おまえ……なんで、生きて」


「さぁ、て、なん、ででしょう」



 身を起こした女が、壮絶な笑みを浮かべる。煌々と輝く、硝子玉のように無機質な紅い瞳。


 そして、私は思い出す。真っ白なあの手に触れられた瞬間の、氷のような冷たさ、そして背筋を駆け上がったおぞましさを。


 零れ落ちた言葉は、震えていた。



「まさか……あなたも死体……?」


「ええ、正解ですヒノ様。屍体繰り(ネクロマンサー)が屍体であってはならぬ、そんな道理はないでしょう」



 女の瞳がラザを、そしてセダさんを見やる。



「神官殿。今度こそ手出し無用に願います。今後一切喋らぬよう──さもなくば、次は殺します。貴方が精霊を喚ぶより早く」


「………」


「赤毛の坊やもね。飼い主さんの命が惜しければ、そこで見ていなさいな」



 悔しそうに顔を歪めたラザに背を向けて、女が真っ直ぐにこちらに向かってくる。もはや、彼女と私の間を阻むものは何もない。



「ヒノ」



 誰かが、私の名を呼んだ。いつのまにか私の肩に乗っていた、獣が耳元で囁いていた。おそらくカガリには聞こえていないだろう声で。彼女に名前を呼ばれるのは、初めてのことだった。



「手短に言う。一つ、貴方をこの世界に呼んだのはあいつ、かもしれない。二つ、あいつ屍体なのにセダでも除霊できなかった。なら、身体のどこかに核となる媒体を埋め込んでいる可能性が高い。三つ、倒すにはそれを壊すしかない。最後に」



 とんっ、と私の肩から飛び降りて、白い獣は臨戦態勢を取る。去り際、吐息とともに私に言葉を残して。



 ──約束、守らなかったら承知しないわよ、『負け犬』



「何これ? ……邪魔」



 それは、一瞬の出来事だった。


 私の前に降り立ち、カガリを威嚇した白い獣。──私に、あの暗い小屋で己を奮い立たせる言葉をくれた、ティア。私を助けるために、泥だらけになって走り回ったティア。


 その真っ白な獣が、女によって蹴り飛ばされた。


 血の尾を引いて、ゴム毬のように弾んでいく獣。もんどりうって転がり、落ちた先で、ぴくりとも動かない。



「さて。これでやっと、落ち着いて話せますね──ヒノ様」


「────」



 女が微笑む。今まで見せたこともない、優しげな微笑だった。だが私はそんなもの見ていなかった。ずっと、女の後ろ、動かない小動物を見つめていた。


 声も、出なかった。



「怖がらせてしまいましたね。でももう大丈夫です。──本当は、もっと早く迎えに来るつもりだったんです。心細い思いをさせてすみませんでした」


「────」



 名前を、呼ぼうとして、けれど声が出なかった。指先が急速に冷えていく。頭の中で、ぐわんぐわんと、彼女の最後の言葉が反響する。


 無反応の私に、カガリはどうしてだか、傷ついたような表情をした。先程、屍体を操りながら哄笑していた女とは思えない、叱られるのを恐れる子どものような表情だった。硝子玉のようなはずだった瞳に、何かが揺らめく。


 動かない私に向かって、真っ白な手が差し出される。



「一緒に行きましょう、ヒノ様。きっと守り抜きます。怖い思いも、寂しい思いも、もう二度とさせません。どうか、頷いて……この手を、取って、どうか」



 差し伸べられたその手を、私は──。




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